第十六節:『復元少女と状況説明』
——そもそもとして、『捕食者』の眷属を名乗る『敵』が繰り返し僕らを襲撃してくる事実を、僕はもっと深く考えるべきだった。
『音楽家』も、『演者』も、『写真家』も、その親玉の命に従っていたのだとすれば。
脅威は去った——あの『捕食者』はもう、僕らの前に立ちはだかってくることなど無いだろう……そんな風な思考が、どれだけの楽観だったのか。
「あのねこ……なんでここに。ぼくが奈落の底につきおとしたのに」
「……しぶとく、強引に這い上がってきたんだろうね。ただし時間は掛かった。だから彼女が戻るまでの間、その代わりとして僕らを追う『敵』が……あの三人だったんだ」
「……ばけねこ。アンザキがいってたこと……なんとなくわかったかも」
闇崎さんが評価していたように、『捕食者』の称号を持つ猫又豹子は、少なくとも一年の異能者の中ではその身体性能、戦闘性能は五本指に入る最強格だ。
だからあの『捕食者』が、その執念で地獄の大穴の底から生還したのだと聞いても、恐怖はあっても驚愕は無い。無いのだが——
「——それでも、なんであんなにピンピンしてるんだ……?」
「……たしかに、あのねこどこも怪我してない。ぼくがおもいっきり顔面ぶんなぐったのに」
隣で共に隠れ潜む陰々蛇さんは不思議そうに、あの時『捕食者』を殴り付けた自分の白い拳をじっと見つめている。確かにあの時、ダメージが通った感触はあるというのに……とでも言いたげな様子で。
実際、向こうで邪悪に笑い続けている彼女の様子は憎らしいほどに快活で元気なものだった。
クソ……『捕食者』の異能に回復作用なんてあったか?あの異能は行使中に肉体疲労が起きなくなるだけで、傷の治りを早める効果なんて無かったはずなのに。
それに今しがたの、あの空間の歪みから現れた登場の仕方も不可解で——
「——てめーの欲しいもんはくれてやる、猫又」
——と。
今も尚空気を震わせながら響き渡り続けていた『捕食者』の狂笑、それをピタリと打ち止めたのは顔を上げた闇崎さんの力強くも静かな声音だった。
彼女は途端に真顔になった『捕食者』をギロリと睨み付けながら、淡々と続ける。
「だから勇原と陰々蛇のヤツに手を出すな。今すぐあいつらを、てめーの狂った狩場から解放しろ。……用があるのは、オレだけなんだろ?」
「……へエ。お前は自分ノ価値が分かッてんのかにゃァ?」
「そんなもん知らねーよ。ただよりにもよって連れ去られたのがてめーの同クラのオレだ。てめーはオレのことをよく知ってるし、オレもてめーのことをよく知ってる。——そこでただ見てる、二人のこともな」
「……っ」
一瞬、どきんと心臓が跳ねる。
まるでこの状況を物陰から傍観している僕らのことに言及されたように感じて……だが彼女が実際に視線を向けているのは、広間の入り口に並んで突っ立っている『音楽家』と『写真家』の方だ。
「音夢、現乃。お前らもお前らで何やってんだよ。そんな変装までして、猫又と一緒に夜遊びかよ。Aクラスを素行不良児の温床にするつもりか、てめーら?」
「音夢……?どなたか存じ上げませんが、私はただの『音楽家』ですわ」
「あ、アタシも現乃なんて名前し、知らないさ……だ、誰のことを言ってるの……」
「――ちっ、やっぱり話が通じねーか」
意味が分からないと言った様子で小首を傾げる二人に舌打ちし、彼女は鋭い視線を『捕食者』に再び向ける。
「ニャヒヒヒヒ……不満そうダにゃァ、ここにャん?」
「説明しろ、猫又。あいつらは一体どうしちまったんだよ。なんであいつらは、自分のことも分かってねーんだ。……まるで本人とよく似た『人形』と話してる気分だぜ。雰囲気だけ似てるけど――でも、似てるだけだ」
そう重く言って、闇﨑さんはぎゅっと両目を瞑ってしばらく考え込むようにし、やがて目を開けて静かに、この場の全員にその言葉を刻み込むかのように、静かに呟いた。
「――『偽物』だよ」
「……にャは」
それに『捕食者』は――猫又豹子は何も言わず、乾いた笑みを零すだけだ。
その言葉の無い返答は、受け流すというよりは受け止めたように見える。
彼女自身も、承知しているところではあるのだろう……自分に付き従う『音楽家』と『写真家』が、本物の音楽家と写真家の反映ではないということを。
そう僕が二人の様子をじっと見つめながら考え込んでいると、隣の陰々蛇さんはクイクイと服の袖を引っ張って耳元に囁いてくる。
「……オトユメとかウツツノとかって、だれのこと?」
「……闇﨑さんと同じAクラスの異能者で、音夢さんは『音霊』の異能、現乃さんは『写像』の異能を持っているんだよ」
「じゃあ、そいつらがあのホワイトドレスとモノクロなの?」
「……いや、二人はあんな曖昧なシルエットみたいな人物じゃない。実際の音夢さんも現乃さんも、僕らと変わらない普通の学園生だ。だからあそこにいるのは、彼女らと同じ能力を持っているだけの『音楽家』と『写真家』でしかないよ」
「……たしかに、それなら『偽物』っていえるかも」
納得したように彼女はこくりと頷いた。
……ただ、性格や言動なんかは本人に酷似してはいる。
上辺だけは。闇﨑さんが指摘した通り、雰囲気だけは似通っているのに、魂だけ抜けているかのように中身が無い。
だから僕はずっとあの三人の『敵』を、頭の中でさえ『音楽家』、『演者』、『写真家』と呼称し続けていた。果たしてあの三者の幽霊のような人影を、存在として最も近似しているだけに過ぎない本人の名と重ねるべきかと思い続けていたから。
――だが、ちょうどそのときだった。
不意に広間の中央から、聞き馴染みのある文言が響き渡ったのは。
「――例えば『吸血鬼』は、写真家からカメラを奪う……だったか?」
「……にゃァ?」
「……うん?」
「あるいは、『吸血鬼』は音楽家から楽器を奪う。ま、なんでもいいんだけどな。その『吸血鬼』ってのがてめーなんだろ、猫又?確かに、『捕食者』の称号を持つてめーには似合いの肩書きかもな」
それは僕がこの異空間に迷い込む前、魔宮木さんから聞かされた『吸血鬼』に関する噂話だった。
偶然なのか必然なのか、それは今の状況に符号するところがある文言なのだが……あれ、闇﨑さんも彼女から予め話を聞いていたのか?
疑問に思ったのは僕だけでは無かったらしい。それを指摘された当の『捕食者』も、訝し気に眉を顰めて彼女をじっと睨んでいる。
「……なンだ、お前モそれ知ッてんのカにゃァ?」
「数日前からオレら生徒会は『吸血鬼』の噂を追ってたんだよ。――そうそう、確か勇原のヤツが最初にその話を持ち込んできてな」
「へエ……それじャあお前らハ、あーしのことヲ調査してたツもりなノかにゃァ」
「そのざまがこれだ。ったく、後輩の馬鹿三人だけで先走るもんじゃなかったぜ」
「ニャヒヒヒヒ……ざまアねえにゃ」
「全くだぜ……この場に勇原と陰々蛇のヤツがいたら、この体たらくを謝りてーくらいだな」
そう零して闇﨑さんが嘆息すると、『捕食者』 は陰惨にその丸い瞳を細めて邪悪な笑みを零す。
彼女の溜飲は下がったようだが、しかし当の僕らの方は――闇﨑さんの一言一句に、どこか白々しいものを感じてやまない。
「……なんかアンザキ、すごい嘘ついてる。あの嘘つき魔女みたいに、虚言癖になっちゃった?」
「……それは分からないけど、確かに、どこか様子がおかしいね。それに――」
――僕が最初に、『吸血鬼』の噂を持ち込んだ?
その発言は明らかに事実と矛盾する。僕が『吸血鬼』の噂を初めて耳にしたのはついさっきのことで、そして僕はまだそれを生徒会の誰とも共有していなかったはず。
だというのに、なぜか闇﨑さんはそれについて詳細に知っている。
あるべき情報の非対称性が無いのだ。
だが僕が頭を押さえて考え込んでいると、再び広場の中央から、何かを訴えているかのような闇﨑さんの大声が続けざまに響いてくる。
「――それでだ、猫又。いや、『吸血鬼』。てめーが何を奪ったのか……音夢と現乃に何をしたのか、説明しろ。そしてこれから、オレに何をするつもりなのかも含めてな」
「こんな訳分かんねー状況、オレは『はじめまして』だぜ。初学者にも分かりやすく、てめーの要求を語って聞かせて見ろ、な?」
「……っ」
……ああ、そういうことか。
――彼女は恐らくこの状況を、既に何度も『巻き戻し』ている。




