第十五節:『写真家』
「自分があの二人の侵入者を始末するなどと息巻いておりましたのに。あれから全く音沙汰がありませんの」
「ア、アタシが『写像』でて、手伝ってやったってのにさ。そ、その後はど、どうしたかし、知らないけど」
「中々悪趣味なことを考えるものですわよね、『演者』も。全員が意識を失っている間に、自分が闇崎古々見と入れ替わっておくだなんて」
「……あいつら」
共に物陰に隠れている陰々蛇さんはギリ、と歯を鳴らして怒りを堪えているかのように握り締めた拳を震わせている。
だけど……ここで冷静さを欠いてはいけない。
「……陰々蛇さん。焦って飛び出しちゃダメだ。しばらく、様子を見よう」
「……わかってる」
僕がそう諌めるように囁くと、彼女はぶっきらぼうにそう返してこくりと頷いた。近くで僕らが『隠密』の異能によって隠れ潜んでいることも知らずに、その二人の人影は今も尚ペラペラと会話を続けている。
その内の一人、金色のフルートを携えた『音楽家』、白いドレスの曖昧な人影は既知の人物だ。
だがもう一名の人物、それ自体がまるでモノクロ写真のように全身の彩度が無く、首から提げているカメラだけがはっきりとした色彩を持っている奇妙な人影——隣の『音楽家』に『写真家』と呼ばれる少女は、初見の人物だった。
「……ゼッタイあのモノクロが、ぼくらをねらってたスナイパー」
そう確信したように、陰々蛇さんはぽつりと呟く。僕もちょうど、同じことを考えていたところだった。
……僕の推測が正しければ、あのモノクロの人物は恐らく、『写像』の異能者。
その能力が、どういうものなのかと言えば――
「――あら、『写真家』。その立派なカメラを構えて、何をしておりますの?」
「こ、この……絶景を写真に収めるのさ。こ、こんな地獄の大穴……み、見たことないさっ!」
と、興奮したように『写真家』は『怠惰』の魔法が作った例の大穴へと近づいていき――ちょうどそこには先ほどあの『演者』が沈んでいったのだが――あちこちにカメラを向けてその光景を様々な角度から写真に収めている。
――カシャッと、聞き覚えのある嫌なシャッター音を響かせながら。
「……あの音、心臓にわるい」
「……本当にね。ただ、今彼女が撮っているのは僕らではないから、さっきみたいに急に意識を失うことは無いよ」
「あのモノクロの能力って、なんなの?」
「……恐らく、彼女が扱っているのは『写像』の異能だと思う」
「……しゃぞう?」
意味が分からなそうに、隣の陰々蛇さんは紙袋を傾かせている。
とはいっても、『音霊』や『仮面劇場』の異能と違って説明が難しいのだが――と。
何やら向こうで、『音楽家』が大穴の撮影に夢中になっている『写真家』に後ろから話しかけている。
「そろそろあなたの素敵な趣味もそこまでにして欲しいですわ。ずっとこの場所に留まっているわけにも行きませんもの。戻りましょう、『写真家』。……それとも私の美しい旋律に引きずられて幸せに帰りたいですか?」
「わ、分かったさ……『音楽家』。――あ、アタシは音楽ってものがに、苦手なの」
「あらあら……一流の奏者の前でそれは見逃せない挑発ですわ、『写真家』。私の奏でるフルートの美しい音色で、無理やり音楽の虜にしてあげても良いのよ?」
「――ふ、フルートに口を近づけるのはや、止めるのさ!あ、アタシは別に音楽が嫌いなわけではな、ないの……た、ただ」
「ただ、なんですの?」
「か、カメラじゃ……音だけはき、『記録』できないから……さ」
そう言って『写真家』は『音楽家』が手に握る金色のフルートにちらと視線を送る。
その言葉に少しだけ機嫌を直したように彼女はふむと頷いて、
「殊勝な心掛けですわね。ですが写真家として本当に音楽に敬意を払う気持ちがあるなら、しっかりと行動で示してくれませんと。――私のフルート、直してくださらないかしら」
と、その金色のフルートを『写真家』の前に差し出した。
だがそれに難色を示したように彼女はげんなりとした様子で、
「……ま、また?きょ、今日でもうメンテナンスは二回目さ。ぶ、ぶっちゃけ、全然まだ使えるように見えるの……」
「力を使うと劣化が速まってしまいますのよ。私のフルートは、もっと美しく光り輝いていなければなりませんの。さあ、早くなさい?」
「しょ、しょうがないさ……」
そう『音楽家』に急かされて、『写真家』はゴソゴソと懐をまさぐり、そこから一枚の写真を取り出した。
遠目からじっと目を凝らして見ると、そこに映っているのは――
「……あれ、ホワイトドレスのフルート?」
「……みたいだね」
僕らがそのように認識を擦り合わせている向こうで、『写真家』はその写真を『音楽家』が差し出している現物のフルートに向けながら、呪文のように次のような文言を唱えた。
「――【『音楽家』のフルート、その新品の写像を現在に置換】」
その瞬間だ。写真の中と現物のフルートがまるで共鳴したかのように眩い金色の光を発し、現物のフルートの輝きが数段強くなり――新品のような状態に一瞬で変化した。
——やはりあれは、『写像』の異能で間違いない。
「ち、置換完了……ど、どうさ、『音楽家』」
「ええ、私の演奏に相応しい輝きを取り戻しました。感謝しますわ、『写真家』」
「こ、このくらいどうってことないさ……」
そんな風に上機嫌そうに新調された自身の楽器を高々と掲げる『音楽家』と、自分の仕事に満足そうにフルートの写真を手で弄くっている『写真家』。
僕がそんな彼女らの様子をじっと観察していると、横からくいくいと服の裾を引っ張ってくる少女の手がある。
「……なにがおきたの、今」
「恐らく『写真家』は、今の『音楽家』の使い古したフルートを、写真の中の新品のフルートの状態に戻したんだ」
「もどした……何か、アンザキの『巻き戻し』とにてる」
「確かにそうだね……闇崎さんだってその気になれば同じことが出来ると思う。ただし、彼女が参照出来るのは空間に刻まれた『歴史』という広範なものであるのに対し、『写真家』が参照するのは写真の中に収めたある『瞬間』なんだ」
「……もっとわかりやすくいって」
「つまり、『写真家』は撮影した写真の中に映っているものを、現在に取り出すことが出来る。写真の中に新品のフルートが映っていたから、『音楽家』のフルートは元の輝きを取り戻した、ということだよ」
「……りかい」
陰々蛇さんがコクリと頷いて『写像』の異能の概要を理解してくれたように、この能力は『復元』という一点では『巻き戻し』の異能と通ずる所がある。
ただ両者の決定的な違いは、『巻き戻し』は時間軸におけるある期間を広域に扱うものであるのに対し、『写像』は写真に収めた一瞬、時間軸におけるある一点のみを限定的に扱うというものであることだ。
写真に収めていればその一瞬を確実に『記録』でき、かつそれをいつでも取り出せるという点では高い優位性がある。
「——でも、それならなんであのモノクロに写真をとられたらうごけなくなるの?」
「……写真を撮られた瞬間の状態に、戻され続けるからだよ。同じ瞬間を短い間に何度も繰り返すことになるから、それは実質的に僕らの時間を止めているのと同じなんだ」
「ふーん。よければどうってことはないけど……不意打ちされたら、どうにもならない」
「そうだね……実際、僕らは何度も彼女に一杯食わされてきたんだし」
戦場で彼女のカメラに捉えられた時点で詰みになる。そしてその隣にはよりにもよって、強力な洗脳を掛けられる『音霊』の異能者まで付いていると。
クソ、手持ちの武器だけでどうすればあの二人を攻略できる——?
そんな風に思考の海に深く沈みかけた僕だったが、また僕の服の裾をクイクイと引っ張って隣の少女が囁いてきた。
「……ユーバラ、あの二人うごきだした」
「……え?」
「……尾行しよう」
彼女が指差す先では、二人の人影は既にこの場を立ち去ろうとしているところだった。
* * *
およそ十分ほどの尾行の間、彼女らは互いの芸術観を好き勝手に語り合っているだけで、特に意味のある情報を落とす事は無かった。
そうして二人が辿り着いたのは——繁華街の外れにある、寂れた教会のような建造物だった。月明かりに建物全体が青白く照らされ、窓枠に敷き詰められたステンドグラスが妖しく煌めき、壮厳ながら不気味な雰囲気が辺りを重く包み込んでいた。
ここが『敵』の根城。
この中に——闇崎さんが、囚われている。
高まる緊張に自然と喉がゴクリと鳴ると、隣で繋がっている少女は——陰々蛇さんは、その赤い瞳でじっと僕の目を見つめてぶっきらぼうに口を開いた。
「……ユーバラ、だいじょうぶ?」
「大丈夫。全然問題無いよ」
「……『嘘つきは嘘つき魔女の始まり』、だよ?」
「……ごめん。でも、最善を尽くす覚悟は出来てる」
「それは、ぼくもおなじ。——オソロイだね、ユーバラ」
そう言って彼女はすっと握った拳を僕の方へと向けてくる。
「約束。ゼッタイにアンザキをたすけだして、それでもうつれてかれないようにぎゅってする」
「ハグ担当は君に一任するよ。それじゃあ行こう、陰々蛇さん」
「――りょーかい」
そうして僕らは拳を突き合わせ、目の前に不気味にそびえ立つ協会に向き直り、物陰からその大きな扉の前で話し込んでいる二人の人影の様子を窺う。
「――あの侵入者は妙な術を使って私の『音霊』から逃れました。……ひょっとすれば、あの『演者』も出し抜かれたのかもしれませんわ」
「い、いずれにしたって……アタシらからはの、逃れられないさ。こ、この狩場に迷い込んだ時点で……アイツらはどうしようもなく『被写体』でしかな、ないのさ」
「ですわね。そして私の狂騒曲の愚鈍な『聴衆』でもありますわ」
言いながら彼女らは扉を開き、建物の中に入っていった――そして二人の姿が見えなくなったのと同時、僕らは素早く物陰から飛び出てそっと扉に手を掛け、中に侵入。『隠密』の異能で気配を依然消したまま、二人の後を追う。
そしてやがて――大きな広間のような空間に出た。
その空間は、まるで複数の人物の世界観が一堂に会したかのような、奇妙な混沌の様子を呈していた。ある所ではスポットライトに照らされた劇場があり、別の場所には無数の豪奢な楽器が立ち並び、壁一面には精巧な写真が敷き詰められている。
そしてその空間の中心に、巨大な時計盤が一つ敷かれていて。
――その心臓の位置に、見知った少女が力なく横たわっていた。
「……っ、アンザキ……っ!」
「くっ……」
僕らが闇﨑さんの姿をそうして認めるのと同時、空間の中枢に横たわる彼女は苦し気に呻いて目を開く。
まるで何かの気配を察したかのように、何らかの脅威を予感したかのように、彼女は広間の四方八方に視線を巡らせ……そして、遂に自分の真上に目を向け、その瞬間だった。
――不意に彼女の真上の空間にぐにゃぐにゃとした歪が生じ、そこからゆらりと姿を覗かせた赤い人影が、広間に邪悪な声を響かせながら、臨場した。
「――たダいま、帰ッたにゃァ」
「私達も、ちょうど戻ってきたところですわ、『捕食者』」
「しゅ、収穫はこっちもあ、上がらなかったけどさ……」
「……っ!」
「……なんであのねこがこの場所に」
隣で陰々蛇さんがぶっきらぼうでも呆然としたような声を上げる。僕だって目の前の光景が夢なのではないかと思いたいくらいだった。
広間の中心で横たわる闇﨑さんの近くにスタッと降り立ち、本当の猫のようにゴシゴシと赤いフードの中の小顔を洗っている少女――改め、『捕食者』。一度は『怠惰』の魔法によって地の底に沈んだはずのあの少女が、当たり前のようにこの場に存在している。
彼女は隣で呻く闇崎さんに見下げるような流し目を送り、ゆっくりとその猫撫で声で喋り出した。
「ここにゃン、お前の仲間は見つかラにゃかっタ。——マだ、だケどにゃァ?」
「クソが……てめー、勇原と陰々蛇をどうするつもりだ……ッ!」
そうわなわなと声を震わせながら、鬼のような形相で激しく睨んだ彼女に対し、『捕食者』は残忍に笑んで、嘲笑うようにこう答えるのだった。
「——あの鼠共は永遠にあーしの玩具なのにゃァ。この狩場に迷い込んだ時点で、お前らは抗いようなく『被食者』、なんだからにゃァ?」
「——ッ」
「ニャヒヒヒヒ……にャはハハははハはハッ!!」
——『捕食者』の残忍な哄笑が、建物全体を、あるいはこの繁華街全体を揺らすようにいつまでも凄惨に響き渡り続けていた。




