第十三節B:『紙袋の中身』
「ぐぐ……陰々蛇美影、貴方はとても気持ち悪イ。そうまでして、どうして本物に食らいつく……のですカ」
「だってそれが、ぼくのいきる意味だから。だれかの『偽物』でしかないおまえにはわかんないよ、変身仮面」
『怠惰』の魔法によって崩れ行く大地の中で、変身を解いて元の姿に戻った『演者』は力なく打ちひしがれていた。
『憤怒』の魔法で五感の鈍化だけが残った『演者』には陰々蛇さんに応戦する能力はもう残ってはおらず、今度は一方的に陰々蛇さんが打ちのめし、やがて変身が維持できなくなったのか、自然に元の黒シルエットと銀仮面だけの曖昧な姿に戻っていた。
「ぼくって結構ふわふわしてて、あんまり自分がないけど。それでも、おまえみたいに周りの友達になりかわろうなんておもわないもん」
「ぐ……自分が再現した姿が、貴方が周りから見られている完全な写し鏡なのでス。貴方の紙袋の中身なんて、何も無いのと変わらなイ」
「でもだからおまえは空っぽになったんじゃん。おまえみたいな『偽物』が、『本物』にかてるはずがない。――誰のモノマネをしても、おまえは一生『偽物』のまま」
「ふ……どうやら自分は貴方と相性が悪いようでス。――時間稼ぎもここまでですネ、『仮面劇場』」
「――なっ!?」
その瞬間、『演者』の銀色の仮面が眩い光を発し、そして、その姿が瞬く間に赤パーカーの例の少女……あろうことか、『捕食者』の姿へと変貌した。
「主の身体を少し借りさせていただきまス――にゃァ!あアついでニ、お前らノこのカードもモらっテいくにゃァ――」
「くっ――クソッ!」
『捕食者』の身体を模した『演者』は、俊敏に崩壊した地面から抜け出して、そして僕と陰々蛇さんが所有する『忍耐』『色欲』と『憤怒』以外の地面に散らばったスペルカード二つを搔き集めて、その場から颯爽と逃げ出した。
「陰々蛇さん!あいつはここで逃がしちゃダメだ!絶対に捕まえよう!」
「うん……っ!まて……変身仮面……っ!」
そうして僕らは二人揃って、逃げ出した『演者』の後を追いかける。確かにその動きは一見すれば俊敏だが……それはあくまでも見せかけ、本物の『捕食者』の脚力には遠く及ばない。それでも、疲労が蓄積した僕らから逃げおおせるには、十分な身体能力を獲得しているように見える。
クソ、それなら――
「――陰々蛇さん、『憤怒』の魔法でもう一度アイツの感覚を鈍くするんだ!」
「わかった……えい、『血色の超興奮』……っ!」
『色欲』のカードはこちらにあるから、感覚鈍化の状態異常を打ち消される心配は無い。
僕が飛ばした指示に素早く反応し、並走する陰々蛇さんは『憤怒』の魔法の赤色の光を目の前を駆けていく『演者』に向かって放つ――
――しかしなぜか、その背に赤光が触れたところでその光は弾かれた。
「……は、はあ!?」
「な、なんで……っ!もっかい、もっかい……っ!」
彼女は続けざまに何度も何度も『憤怒』の魔法の赤光を放出するが、その全てがどういうわけか身体に触れたところであらぬところへと曲がって夜空に消えて行ってしまう。
クソ……なぜ、なぜ効かない!
「――バーカ、にゃァ」
『演者』はそんな僕らを嘲るようにちらりと振り返り……凶悪な笑みを見せながら、その手に握る二枚のスペルカードの内の一つ、ミントグリーンのカードを得意げに僕らに見せつける。
――まだ僕らが使ったことが無い、最後の一枚のスペルカード。
でもそれをなぜ……あの『演者』は使える。
あのカードの効果は……一体、何なんだ。
そう僕が懊悩している内に、『演者』はみるみる僕らとの距離を離していき、そして――遂に、あの『怠惰』の魔法によって形成された地獄の穴の災害現場へと辿り着く。
流石に『演者』も、これ以上先には進めないだろう――そう僕は思ったが、あろうことか『演者』はその崖先に立って僕らを振り返り、黄色のスペルカードを掲げた。
「――『自堕落の腐食』」
「くっ……!」
「ちっ……うごけ、ない……っ!」
黄色い光が追跡する僕らを包み込み、先ほどよりも更に規模が小さくなった地面の溶解が、底なし沼のようになって僕らの足を取り、その場から動けなくなる。
「ちッ……もウこのカードにはほとンど力が残っテないにゃァ。それでも、お前らの足止めヲするにハ十分だけドにゃァ?」
と、『演者』は『怠惰』のスペルカードを用済みだというように投げ捨てて、目と鼻の先で動けなくなった僕らを嘲るように見やる。
そこで――
「こんどこそは……あたれ、『血色の超興奮』」
「……にゃァ?」
そう、底なし沼の地面に足を取られながらも、天高く手を伸ばして『憤怒』の魔法を詠唱した陰々蛇さんは、その赤光を真っすぐに『演者』へと向ける。――しかしどういうわけか、その光はまた身体に触れた瞬間に弾かれてしまう。
「な、なんで……っ!」
「あアお前、さッきからあーしヲ『憤怒』デ邪魔しようとしテるにゃァ?だトしたらそれハ徒労だにゃ……今ノあーしには、状態異常が効かなイのにゃァ。――こノ、ミントグリーンの『純潔』の力デにゃァ」
そう勝ち誇ったように言って、『演者』はヒラヒラと、僕らから奪ったそのミントグリーンのスペルカードを振る。
「じゅん、けつ……?」
「いキなりこのカードから声が聞こえテにゃァ。これヲ使えば、あラゆる妨害が効かなイ『純潔』の加護が得られるっテ、教エてくれタのにゃァ」
「……っ」
最後の一枚である『純潔』の魔法の効果は、あらゆる妨害を受け付けなくなる効果だった、ということか。
だから、『憤怒』の魔法の赤い光が何度も何度も弾かれていた――クソ、ここに来てまだ未知の魔法の効果を、それもあろうことか敵に利用されるなんて。
そんなことが――
「――にゃ、ァ?」
だが、僕が悔しさで強く唇を噛みしめた、その瞬間のことだった。
『演者』が握る『純潔』の魔法のスペルカード、それが突如としてミントグリーンの光を放ち……その光が、呆然とそれを見つめる『演者』の全身を逃さぬように覆い尽くす。
――『純潔』の魔法、『無我の鏡像』。
どこからかそんな声高な詠唱が響いた気がして……そして異変は、一瞬にして現れた。
「あ、あーし……じゃなくて、ぼく……じ、自分は――オ、オレなんだ、ゼ?」
「なにあいつ……急に姿がぐにゃぐにゃかわりだしたけど……」
奇妙なことに、目の前の『演者』の姿はブルブルと震えながら、あるときは『捕食者』の姿に、あるときは陰々蛇美影の姿に、あるときは元の黒シルエットの銀色仮面の姿に、あるときは闇﨑古々見の姿へと不安定にぐにゃぐにゃと肉体を変形させながら遷移していく。
ただでさえ崖先の足場が不安定な場所で……地に足が着かなくなったかのように、果たして今の自分は何を演じているのか分からなくなったかのように、それが模る姿と言動が次第に一致しなくなり、ガタガタと全身を震わせて、手にしていたミントグリーンのカードすら取り落とし、フラフラとした足取りで――遂にバランスを崩して。
「――だました、ナ」
――足元でミントグリーンの光を放つ、その『純潔』のスペルカードを呪うような憎悪の言葉が最期だった。
そのまま、銀色仮面と黒いシルエットの人影が、誰でもない『演者』は、地獄の穴の奈落の底に向かって真っすぐに吸い込まれて行き――やがて、その暗闇に完全に呑まれて消えた。
それで何もかも、お終いだった。
僕らは腐食がようやく収まった底なし沼から静かに抜け出し、そして崖先に残された、『純潔』のスペルカードを拾い上げる。
――『純潔』の魔法、『無我の鏡像』。
この魔法が最後、『演者』にどのような力をもって反旗を翻したのかは分からない。
それでも……きっと、この魔法には意志があった。
僕の手の中で、このカードは安心したように暖かな熱を発しているから。
ああ、これでようやく……奪われた全てのスペルカードを取り戻せたんだと、強く実感する。
「……ユーバラ」
と、そこで。
重い沈黙を打ち破るように、隣の陰々蛇さんは――間違いなく『本物』だと言える彼女は、不意にぶっきらぼうに口を開く。
「……ぼくの顔、みたい?」
「……随分と、突拍子も無いことを言うね」
「だって、こわくない?ぼくの紙袋の中身も、あの変身仮面みたいに空っぽだったら」
「流石にそれは、真相としてどんでん返しが過ぎるけどね……でも、大丈夫だよ」
そこで僕は彼女の紙袋の穴から覗く赤色の瞳を見つめて、はっきりと告げる。
「君が見せたいときに、見せてくれればいい。その中身がどんなものであれ……君が君であることは、僕にとっては何も変わらないんだから」
「……そう」
それだけ静かに呟いて、彼女はそれっきり口を開くことはなかった。
戦場の跡地には、張り詰めていた緊張が解けたかのような、独特の静けさが満ちている。その空気を肌で味わいながら、僕はどっと疲労が重く圧し掛かった身体を少しでも休めるように、隣の紙袋の少女と並んでその場に座り込みながら、ふと思う。
――そういえば陰々蛇さんは、どうして紙袋なんて被っているのか。
その問いをこれまで僕は彼女に発したことはない。
そしてそれはこれからも、きっと変わらず。
僕の隣の陰々蛇美影は、それだけで十分に『本物』だと思えるから。




