第十一節:『仮面劇場』
「――あ、闇﨑さん!大変なんだ、陰々蛇さんがどこにもいなくて――ッ!」
「……はあ?」
僕は焦燥に駆られて、ずっと前を進む闇﨑さんへと大声で叫びながら駆け寄った。
僕が息を切らしながら彼女の元に辿り着くと、彼女は意味が分からなそうに怪訝に眉を顰めてこちらを振り返る。
「……本当だ、マジでどこにもいねーじゃねえか」
「今すぐ、状況をやり直してくれ!五分前に確認した時は、間違いなく付いてきてくれてたんだ。だからきっとこの五分の間に……ッ!」
「……落ち着けよ、勇原。焦ってもしょうがねー。――それに、もう手遅れだ」
彼女はちらと自分の腕時計を見返して、悔しそうに唇を噛む。
「手遅れって……」
「……お前が駆け寄ってきたタイミングで、ちょうど『歴史』が途切れちまった。悪ぃけど……もう、前には戻れねーよ」
「そ、そんな……」
僕は目の前が真っ暗になっていくような絶望感と共に、どさっとその場に膝から崩れ落ちた。
――僕の所為だ。
もっと確認を小まめにしていれば、陰々蛇さんが姿を消したことにもう少し早く気づけたのかもしれない。
そうでなくとも、そもそも彼女は性質としてただでさえ存在感が希薄だと言うのに……どうして、もっと気遣おうと思えなかった!
「……お前一人の責任じゃねーよ。この作戦を提案したオレにだって責任がある。……やっぱり、距離を離して移動するのは悪手だったかもな」
そう、崩れ落ちた僕を慰めるように彼女はそっと僕の肩に白い手を乗せる。
「なんにせよ、もう同じ轍は踏まねー。次は固まって動くぞ。そんで、いなくなっちまった陰々蛇を見つけるんだ」
「……それじゃあ、シャッター音の対策はどうするの?」
「出来る限り……物陰に隠れて、シャッターの斜線上に身体を晒さないようにするしかねーな。そんで……何か遮蔽になるようなものをオレが持っとく。……と、あのゴミ箱の蓋とか丁度いいんじゃねーか?」
そう彼女は今気づいたように、路地裏に設置されているそれなりの大きさの丸いゴミ箱を指差した。
「――心許ねーが、あれで妥協するしかねーな」
* * *
それから僕らは、再び闇﨑さんの――ゴミ箱の蓋を遮蔽として装備した――彼女の先導の元で、今度は物陰に隠れ忍びながら隠密行動による移動を開始した。
「……陰々蛇のヤツ、いつもはこんな気分なのか?」
「さあ、分からないけど……」
コソコソと泥棒のような移動方法がまどろっこしいのか、前を行く彼女は苛々とそう呟く。自分でそれを提案した割には、思ったより彼女は辛抱強くなかったらしく、逸る気持ちが抑えられないかのように、慎重に辺りを窺いながら進む僕を急かすように、彼女はそそくさと前を進んで行く。
「闇﨑さん、もうちょっと慎重に進まないと……」
「……あ?あー、そうだな」
僕がそう呼び掛けると彼女は渋々と言った様子で足を止めるが、一瞬の内に我慢が効かなくなったのかまたすぐに足早に先を進んで行ってしまう。
……焦っているのだろうか。
そりゃあ僕だって焦る気持ちはある。今頃、陰々蛇さんはどうなってしまったのか……彼女の安否が不安で仕方が無い。
――僕が見逃がしていた五分間の間に、彼女に何が起きたんだ?
多少考え事に没頭してはいたが、それでも周りが見えなくなるほどに思考の海に沈んでいたわけではない。仮に後ろで何か物音がしたら気づいたはずだし――まして、あのシャッター音を聞き逃すはずもないのだ。
――じゃあ彼女は連れ去られた、というのか?
……だとしたら、誰に、何の目的で。
『音霊』の異能者。
『写像』の異能者。
そして――『仮面劇場』の異能者。
――待てよ?
そのとき、僕は電撃的に頭を過ったそのあまりに恐ろしい仮説に。
背筋がぶるりと、震えた。
「……あ、闇﨑さん。『仮面劇場』の異能者って……し、知ってる?」
「……は?いきなり何だよ、そりゃ同クラだから知ってるけどよ。あの『演者』な」
「か、彼の異能は……目視した人間にそっくりそのまま化けるものだ。だ、だから――」
「だから、なんだよ」
と、怪訝そうに眉を顰めて彼女は僕を振り返る。
僕はパニックで頭が爆発しそうになりながらも、震えながらどうにか言葉を紡いだ。
「だ、だから……人に化けられるってことは……その人とそっくりそのまま入れ替われるって、こと……なんだ」
「……おう。まあ、そりゃ理屈の上ではそーだが」
「つ、つまり……陰々蛇さんがいなくなったのは、彼が彼女と入れ替わるつもりで……連れ去ったかもしれないんだ……ッ!」
「……はあ?お前、マジで何言って――」
「――も、もしっ!次に陰々蛇さんが現れたら……彼女は、『演者』が化けた『偽物』なのかもしれない……っ、だから――ッ!」
「――いや、落ち着けって」
と、そこで発狂しかけた僕を諫めるように、彼女は手に持っていたゴミ箱の蓋でぺしっと僕の頭を軽くはたく。
「勇原、お前かなり疲れて来てんじゃねーか?大体、なんで『演者』のヤツがいきなり話に絡んでくんだよ」
「それは……上手く、説明が出来ないんだけど」
「てめーの妄想もそこまでにしとけ。いる筈もねー脅威に怯えて、現実が見えなくなったらお終いだぜ。今オレらが一番警戒すべきは、あの白女とシャッター野郎だろ、な?」
「……」
どこか釈然としない気持ちもあったが、そう冷静に諭されると頭が少し冷えた気もした。
確かに……そもそもとして、本当に『演者』が僕らの脅威になる確証もない。
ただ連想ゲームのように、僕が勝手に推測という名の妄想を積み重ねていただけなのだから。
「――と、さっきの災害現場に戻ってきちまったな」
そうぽつりと呟いた彼女に続いて物陰から出ると、壮絶かつ凄惨に開けた例の空間に出た。
奈落の底まで深々と腐食が進んで、一帯が丸ごと地獄の穴になった――先ほど、『怠惰』の魔法で『捕食者』を沈めた、あの現場である。
「うわー、ふっけー……こんなところに落ちたら、マジで生きて帰れる気がしねーよ。猫又のヤツ、死んでねーよな?」
「……ちょっと不安になってきたね。あの強靭な彼女がそう簡単に野垂れ死ぬとも思えないけど」
「ちらっと覗いてみね?底で死んでる猫がいたら、何も見なかったことにしような」
さらっと最低な発言が聞こえた気がするが、確かにその点については僕も気掛かりだったので、穴の方に近づいてみることにする。
流石に崖みたいになっている所の傍に立つのは怖いので、また僕はとても臆病なので崖先からは十歩くらい離れたところに立って――この位置なら多少躓いても転落することはないだろう――地獄の穴の中を窺う。
「……ダメだな、暗すぎて底が全然見えない」
しかし、そもそもとして街路すら薄暗くて歩きづらいというのに、光が届かない穴の底など、まともに見通せるはずも無かった。
しばらくじっと目を凝らしたが収穫は無く、僕は諦めてその場から立ち上がろうとして――そんな自分の姿の影の頭上。
ふと、大きな丸い影がぼんやりと浮かび上がった。
「……ん?」
なんだと思って
ふりかえると
そこで。
闇﨑さんが、
大きなゴミ箱の蓋を
ふ り あ げ て い て。
「——死ね」
「まっ――」
無感動な殺意が宿った冷たい瞳が僕を見下ろし、一切の容赦なくその重い鈍器が僕の頭に振り下ろされ――
――その瞬間、横合いから飛び込んできたゴミ箱の蓋が、勢いよく彼女の身体を撥ね飛ばしていた。
「……え?」
僕は訳も分からず、目の前で吹っ飛んでいった闇﨑さんの――今まさに僕を殺そうとしていた少女の姿を目で追う。彼女はその身体に深々とゴミ箱の蓋が突き刺さり、優に十メートルは吹っ飛ばされ、近くの建物の壁に叩きつけられて沈黙していた。
一体何が起きたのか……そう僕が当惑を隠せずにいると、不意に辺りに聞き慣れた、無抑揚でぶっきらぼうなあの声音が響き渡る。
「――やっぱり、おまえはアンザキの『偽物』だった」
「――陰々蛇さん!?」
「ごめんユーバラ……かってにいなくなって。でもこうするしか、あいつの嘘をあばく方法がおもいつかなかったから」
彼女は、『隠密』の異能者は影から這い出てきたかのように当たり前にそこに姿を現す。
彼女は……いなくなったわけではなかった。
その異能で影に潜み、ずっと近くで僕らを監視していた――だけだったのか!
「――ったく。完璧に騙し通せてるって思ってたのによ」
そこで。
姿を現した陰々蛇さんに弾劾された闇﨑さんは――否、その『偽物』はふらふらと崩れた壁から姿を起こす。
「なるほどな。いきなりいなくなったのは勇原を囮にオレを嵌めるためだったってわけか。――何がてめーのお眼鏡に適わなかったってんだ?陰々蛇」
「……ただのカン。しいていうなら、ぼくの『マーキング』がおまえにはかんじられなかった」
「なんだそりゃ。本物の闇﨑古々見の身体にはキスマでも付いてんのかよ」
「そういうんじゃない。いつもぎゅってしてるから、なんとなくわかるってだけ。――後、それ以上アンザキの姿でしゃべるな、『偽物』」
そうゾッとするほどに冷えた声音で凄んだ彼女に、その『偽物』はやれやれと言った風に首を横に振る。
「へいへい……分かったよ――分かりましたヨ、下手な演技を続けるのは『演者』の名折れですネ」
「――ッ!」
その瞬間――『偽物』が模っていた、闇﨑古々見の肉体が光を伴ってひび割れる。
そしてその中から、ぼんやりとした人影が姿を現す。
中肉中背の、全身が真っ黒なシルエット。男性的でもあり、女性的でもあり、どちらとも取れる奇妙に洗練されたその身体の造形が異様に印象に残るが――それ以上、そこにいる人物から特徴を抽出することはできない。
――なぜならその人物は、その顔貌を不気味に微笑む銀色の仮面で覆い隠しているから。
あるいはそれこそが、そこにいる『演者』の最大の特徴であるのかもしれない。
銀色仮面の、『仮面劇場』。
『演者』は……どこか役者のように丁寧に頭を垂れながら、名乗りの口上を述べる。
「――自分は『演者』。今は『捕食者』の眷属が一人ですネ」
「……っ」
「自分が皆様の闇﨑古々見と入れ替わり、暗躍していたというわけでしタ。――彼女の血肉を、我らが主に捧げるべク」
「……っ、おまえ……っ!!」
瞬間、激昂した陰々蛇さんは『演者』へと殴りかかっていき――そして。
「――『仮面劇場』」
「――なっ!?」
――同時、『演者』の銀色仮面が眩い光を発し、もう一人の陰々蛇美影が戦場に姿を現していた。
闇﨑は一体いつ偽物と入れ替えられていたのか。
読み返してみると、中々怖い発見があるかもしれません。




