第十節B:『奪取』
「……悪ぃ。あのシャッター音が聞こえた瞬間に、『歴史』がタイミング悪く途切れちまったみてーだ。あれより前に、時間を巻き戻すことはできねー」
「……そうか、分かったよ」
「……」
その後、僕らはまず、闇﨑さんの『巻き戻し』を頼りにしようとした。
あのシャッター音が聞こえる直前、僕がスペルカードを持っていたのは間違いないのだ。しかし今、それらはどういうわけか僕の手元から全て消えている。
とすればそれらは、僕らが意識を失っている間に『敵』に奪われた可能性が高い。
だから、奪われる前に時間を巻き戻し、それを防いでもらおうという提案が真っ先に上がったが、闇﨑さんは首を横に振った。
「もしかしたらあのシャッター野郎は、オレらの時間を止めてんのかもしれねーな。だからオレの『巻き戻し』と相性がわりーんだ」
「……確かに、空間の時間と自分の時間が噛み合わなくなる、という不具合が起きているのかもしれないね」
「そういうこったな」
「……」
僕らがそんな議論を交わしている間、どうしてか陰々蛇さんは一言も口を開かなかった。
遠くからじっと、冷たく僕らの会話を不気味に見つめていて――一体彼女はその間、何を考えていたというのか。
と、そこで。
闇﨑さんは軽く挙手し、今思いついたように妙案を語りだす。
「――それで提案だ。あのシャッター対策。さっきみたいに固まってたら全滅する可能性が高いだろ?だから……これからは、互いに距離を空けて移動することにしようぜ」
「……互いに、距離を空ける?」
「縦一列にこうやって二十メートルくらい距離を空けて並んで……軍隊みてーに歩調を合わせて移動するんだ。五分に一回、前のヤツは後ろのヤツがちゃんとついてきてるか確認する。中々良い作戦じゃねーか?」
「あぁ、確かに。それなら、全滅のリスクは最大限減らせるかもしれないね」
「何か問題が起きても『巻き戻し』でどうにかできるオレが先頭でいいか?後ろから刺されたら詰みだから……できるだけ、オレは前にいときたい」
「……異論は無いよ。そうしたら、僕と陰々蛇さんの配置をどうするかだけど……」
「……」
ちらと、僕は少し気まずさを覚えながら、沈黙を続ける陰々蛇さんに視線を向ける。
この場合、最も危ないのは一番後ろの位置だ。前方二人は常に後ろにいる誰かに見られているが、一番後ろの人はそれが無い。
平時はほぼ無能力者で、この中で一番使えない僕が、捨て駒として一番後ろに居るのが妥当だと思ったが――
「――ぼくが一番うしろでいい」
「……い、いいの?」
「……」
彼女は再び口を閉ざしてこくりと頷く。
それで話は終わりだというように、ぷいとそっぽを向いて。
それだけだった。
それで、配置は前から闇﨑さん、僕、陰々蛇さんで決定した。
「……そういえば闇﨑さん、出発の前にさっきのことを確認しておきたいんだけど」
そう僕が話を切り出すと、意味が分からなそうに彼女は小首を傾げて僕を怪訝に見返す。
「……あ?」
「ほら、君のパーカーについての話だよ。さっきの発言は、どういう意味だったの?」
「ああ、オレのパーカーな」
「いつもの君は、ダボダボの黒いパーカーを着ていたはずなのに……君は、そんな覚えなんて無いと言った。……あれは、ただの冗談なんだよね?僕らをからかおうとしていただけ……だったんだよね」
「……ああ、ただの冗談だよ。今日はパーカーの気分じゃねーってだけだ。オレだって、たまには普通の制服で過ごしたい時もあんだぜ」
と、彼女は僕を安心させるように白い歯を見せてニィっと笑う。
僕はほっと胸を撫で下ろすが、傍の陰々蛇さんは、何の反応も見せない。
「……」
ただ黙って、その血のように真っ赤な瞳で僕らをじっと見つめ続けていた。
* * *
「――何かヤバいと思ったらすぐに大声で呼び掛けろ。そして、五分に一回後ろのヤツがちゃんとついてきてるか確認な。それじゃあ出発だ」
そう強く念押しした闇﨑さんの言葉と共に、彼女が先導する形で僕らは遂に軍隊的な行軍を開始した。
この異空間からの……誰もいない繁華街からの脱出を目指して。
陰々蛇さんが証言したところの、『グニャグニャ』『時空の歪み』。
ここからの出入り口になる可能性が高いそれを、辺りを注意深く見回しながら探し回る。
しかし……そろそろ出発から十分ほどが経つが、本当にこの空間は一切の人気が無いことを除けばいつもの繁華街の光景と何ら変わりがない。
――僕も闇﨑さんも、猫又さんを追いかけていたらこの空間に迷い込んでいた。
そして彼女はこの異空間で、凶悪な『捕食者』として僕らの前に姿を現した。
そして脅威は彼女だけでなく、あの洗脳の『音霊』をばら撒く、狂騒の『音楽家』までもが僕らの前に立ちはだかった。
「……あの白い少女の力は、間違いなく『音霊』の異能なんだ」
僕の役割の『借用』で実際に扱えたのだから間違いない。
しかしなぜ……彼女がここにいる。
なぜ……彼女は朧げな幽体のようになっている。
僕の知っている『音楽家』は、楽器なら何でも扱えたが……それでも彼女が特に愛用していたのが、フルートだった。
金色の、フルートだった。
――私が初めて手にした楽器が、そのフルートでしたの。
――その演奏のあまりの美しさに、母は涙が枯れるまで咽び泣き続け、父は陽が落ちるまで拍手を止めることはありませんでしたわ。
――でもそれ以来、すっかり骨抜きにされた両親は私のフルートが奏でる音以外で、心を動かされることが無くなりました。
――だから私は、このフルートを永遠に手放すことができませんの。……手放すことなんて、許されませんの。
「……っ」
弱みにつけこみ、その人の本質を奪い取る。
祝いを呪いと思うなら、そんなものはもういらないだろうと。
それが生まれつき、世界に祝福された先天性異能者という存在。
『捕食者』も、『音楽家』も、『巻き戻し』も、『隠密』も――あの『魔法少女』さえも、その例外ではない。
僕とは根本的に、存在としての本質が違う。
でも、それなら。
――『吸血鬼』は、どういう存在なんだ。
「吸血鬼は、音楽家から楽器を奪う……」
――そして今は、『捕食者』に最も近しい眷属の一人ですのよ。
「吸血鬼は、写真家からカメラを奪う……」
――またあのシャッター音にやられたってわけか。アレが聞こえた瞬間、意識が飛んで身体が動かなくなりやがる。
「そして吸血鬼は、演者から衣装を奪う……」
――出遭ったという人はそれぞれ、見た目の特徴について全然違う証言をしているのよ。
これまで得てきた断片的な情報が有機的に結びつきそうで、しかしまだパズルのピースが足りていないかのように上手く一つの答えに繋がらない。
吸血鬼の主要な被害者だと言われている、三名の異能者。
『音霊』の異能者は、金色のフルートを携えて一度僕らの前に姿を現した。
『写像』の異能者はまだ断定できないが、僕の推測が正しければ恐らくあのシャッター音を響かせながら何度も僕らを襲撃してきている。
そして――『仮面劇場』の異能者。
まだ何も確信は持てない。持てないが……もし、次に僕らに牙を剥く脅威がいるとすれば――――
「……と、そろそろ五分か」
そこで思考に没頭していた僕はふと我に帰り、自分の腕時計をちらりと見て定刻が近づいてきたのを確認する。
これで二度目となる確認作業。これから何度も繰り返していくことになるだろうから、そろそろ癖を付けないとな……なんて思いながら、僕は後ろを付いてきている陰々蛇さんを振り返り――
「――え」
だがそこには、ただ誰もいない繁華街の寂れた光景だけが広がっていた。
だから……そこにいるはずの、影の薄い紙袋の少女も、どこにも見つからない。
――陰々蛇美影が、忽然と姿を消していた。




