第十節A:『奪取』
『忍耐。
いかなる苦難にも屈せず、いかなる逆境にも膝を折らず、そして何より自身の責務を決して投げ出すことの無い、この高潔にして偉大なる『魔法少女』には最も相応しい美徳ね。
ええ、分かっているわ。
『魔法少女』がどれだけ可憐で豪胆で偉大でも、その細くしなやかな腕一本で重い荷物は背負えないもの。
自分という存在がただの一人だけで完成していると思い込むほど浅ましい傲慢は無いわ。
だからこそ私たちは――互いに存在を背負い合うの。
『魔法少女』は、皆の心の中にいるものなのよ。
』
* * *
「ユーバラ……おきて……っ!ユーバラ……っ!」
「――ぁ」
身体を揺り起こしてくる少女の無抑揚で甲高い声音に、僕はそこで意識を覚醒する。
瞬間、感じるのは……まるで時間が止められたかのように、鉛のように重くなった身体。
全身を雁字搦めにされたかのような、息の詰まる閉塞感。
身体が動かし方を忘れてしまったかのように、指一本すら……ガクガクと震えて動かなくなる。
――また、これだ。
あの、カシャッと、シャッターが切れるような音がした瞬間……まるで電源が落とされたかのように、一瞬にして視界が暗転した。
クソ、どうして警戒を怠っていた……これで、アレの襲撃を受けるのは都合三回目だと言うのに。
「ごめん、ユーバラ……さっきは気づけたのに、なんか今回はダメだった……」
と、倒れた僕を見下ろしながら、彼女はしゅんと紙袋を俯かせている。
「いん……いんじゃさん。君は……わるくない、よ。警戒を……おこたっていた、僕……の、責任だ」
「……おきれる?」
「ごめ……ん。ちょっと肩……かして、ほしい」
「りょーかい。……アハッ、ラッキー」
陰々蛇さんはボソリと何かを言って、粗雑に僕の身体を引っ張り上げ、自分の肩に僕の腕をぎゅっと絡ませる。やけに束縛が強い気もしたが、きっと僕が倒れ込まないようにしっかりと支えてくれているのだろう。
そこでどうにかして、陰々蛇さんの肩を借りて、僕が動けるようになったところで――
「――完全に不意を討たれたみてーだな」
と、少し離れたところで既に彼女の方も立ち直っていたのか、起き上がって胡坐を掻いて座り込んでいる闇﨑さんが苛立たし気に口を開いた。
「またあのシャッター音にやられたってわけか。アレが聞こえた瞬間、意識が飛んで身体が動かなくなりやがる。……クソが、マジで何なんだよ」
「……たぶん、遠くからスナイパーみたいにねらってるヤツがいる」
と、どうしてか確信めいた口調で陰々蛇さんはそう主張する。
「陰々蛇さん、なんでそんなことが分かるの?」
「さっき……あの音使いがでてくる前、なんかはなれたところから『殺気』をかんじた。なんでかはわかんないけど、そのおかげでぼくとユーバラはアレをかわすことができた。でも――」
「――今回は、ダメだったと」
「……うん。役立たずで、ごめんなさい」
「……」
そうぽつりと、切実に零して項垂れた彼女に、辺りに重い沈黙が落ちる。
もとより彼女を責めるつもりなど甚だ無いが……じゃあ、なぜ前回は気づけて今回はダメだったというのか。
偶々……なわけがないだろう。
しかし、前回と今回でそれじゃあ何の違いがあったのかとすれば……例えば今の彼女の身体は緑色で、そしてあの時は確か――
「――そうか、『色欲』だ」
「……しきよく?」
「さっきの君はピンク色で、感覚が敏感の状態にあった。目がチカチカとし、鼻がツンツンとし、耳がキンキンとし、口の中がピリピリとし、そして全身が……ムズムズ、していたんだよね」
「う、うん……そうだけど。あの魔女のへんな魔法のせいで、ぼく酷い目にあって……」
「でも、悪いことばかりじゃなかったはずだ。感覚が敏感になっているということは、裏を返せば普段なら感じない刺激まで感知することができるようになる、ということでもあるんだし」
「あっ……もしかして」
と、そこで陰々蛇さんは何かに気付いたようにハッと顔を上げる。
「あれって……ただのいやがらせ魔法、じゃない……ってこと?」
「きっとあのピンクカードは、五感を鋭敏にする効果があるんじゃないかな。普段は感じ取れない刺激まで感知できる代わりに、受け取る刺激に敏感になる。あれはただの状態異常ではなく、メリットとデメリットが表裏一体に現れるれっきとした魔法の効果だったんだよ」
「りかい。……でもちょっとくやしい。嘘つき魔女のくせに……」
むぅと、どこか釈然としない様子で彼女は小さく唸り声を上げる。『魔法少女』を毛嫌いする彼女には今、頭の中で嘲るように高笑いする魔宮木さんの幻影が見えているのかもしれない。
『この偉大なる『魔法少女』の力の恩恵に与っておきながら、一度はその聖力を疑い、愚かしくも『色欲』の快楽に耽溺した挙句、その本質を見失っていたなんて……『紙袋』ちゃんは本当に可愛いおバカさんだわ!』
魔宮木さんならこんなこと言うかな……いや、どうだろう。
言いそうでもあるし、言わなそうでもある。
「――それで、そっちの話は片付いたみてーだけど、どうするよ。またあのシャッター音に襲われたら、次は動けねー間に何されるか分かんねーぞ」
「事前予防……ぼくがまた、あのピンクの魔法つかって周辺の警戒にあたる。ユーバラ、あのカードちょーだい」
「そうだね……勝手が分かっている、陰々蛇さんが適任だ。ちょっと待ってて、今取り出すから――」
と、今度こそは極めて正当な理由で『色欲』のスペルカードを乞うてきた彼女に、僕はポケットの中に仕舞っておいた五枚のカードを手繰る。
そう、確かここら辺に入っているはずで――と。
と。
「……あれ」
「……どうしたの、ユーバラ?」
「い、いや……ちょっと待ってて。は、はは……おかしいな、確かにポケットに仕舞ってたんだけど……しまってたん、だけど……!」
「おいおい、マジかよ?」
不安そうに僕を見つめる二人の少女に、僕は気丈に渇いた笑みを浮かべながら必死で全身をまさぐる――服の中を、あらゆるポケットの中を、カードが仕舞い込めそうな場所は全て探った。記憶を、辿った。でも――
――無い、無い、無い、無い無い無い無い無い無い。
身体のどこにも、あれらのカードは見つけられず。
僕は震えた声で……呆然と呟くしかなかった。
「……盗まれた?」




