言えないこと、言いたいこと
今日は食事が喉を通らなかった。
スープも肉もパンも野菜も。
何もかもが一切通らない。
自警団に突き出される──
その言葉が、頭の奥でずっと鳴り続けているからだ。
アレンは本気だ。
昨日のあの目は、冗談を言う目じゃなかった。
「呑気に寝やがって……」
孤児院の子供は皆、昼食後寝てしまった。
今起きているのは俺とリオと院長、この三人だけ。
だからこそ俺の悩みは加速する。
本当のことは言えない。
言ったら巻き込んでしまう。
リオも、院長も、孤児院のみんなも。
だから──嘘をつくしかない。
「嘘なんてつきたくないよ……」
胸がぎゅっと痛む。
でも、言わなきゃ守れない。
それしか方法がない。
俺は膝を抱えて、必死に嘘を考えた。
どこで働いたことにする?
どんな仕事なら金貨三枚になる?
怪しまれない理由は?
リオならどう聞いてくる?
頭がぐるぐるして、息が苦しくなる。
「……リオ、来ないな」
今日はまだ一度もリオと会っていない。
朝起きる時も、食事の時も、自由時間も。
昨日あれだけしつこく追いかけてきたリオが、今日は全然来ない。
嘘を考える時間は作れるけど、胸騒ぎがして仕方ない。
怒ってるのか?
呆れてるのか?
それとも──もう俺のことなんて……どうでもよくなったのか?
胸がざわざわして、じっとしていられなくなった。
「……ちょっとだけ、様子見てくるか」
そっと部屋を出て、リオが掃除しているはずの場所を廊下の角から覗く。
……けれど、そこにリオの姿はなかった。
不思議に思って少し移動すると、リオは院長と話していた。
「少しは食べないと倒れますよ」
「……ごめんなさい。朝から何も食べられなくて」
リオも俺と同じように食事が出来ていないようだ。
心配かけてしまっている事が辛くなる。
「気持ちはわかりますけどね。はぁ……ルカが匿名の寄付者だったとは……危険なことをしていないといいのですが……」
院長にも心配をかけてしまっている自分が情けなくなる。
けれど何より情けないのは……
「私がいたらぬばかりに……ルカに負担を……」
そんな顔をさせてしまっている事だ。
そんな顔をさせるために寄付したんじゃないのに……。
「ルカはシスターが情けないからとか、心配だからとかで寄付したんじゃないと思いますよ」
罪悪感で押しつぶされそうな中、リオの言葉に息が止まった。
「きっとシスターを助けたくて、なんとか恩返しをしたくて……頑張ったんだと思いますよ」
胸がズキッと痛んだ。
リオは……ちゃんと見てくれていた。
俺の気持ちを、俺より分かってくれていた。
そんな人に、嘘をつくのか?
そんな人を騙すのか?
胸が苦しくて、呼吸が浅くなる。
「そうですね……ただ、やはり心配です……」
「……それは、私も思います」
リオの声が少し震えている。
院長にもリオにも心配かけて……俺は何をしているんだ……。
「やはり私が直接ルカに聞いてきます」
院長が立ち上がった!
まずい、どこかに隠れないと!
近くにあった物置に、ほとんど反射で飛び込んだ。
……あれ、出てこない?
不思議に思ってもう一度覗くと、リオが院長を止めていた。
「待ってください。今のまま聞いても意味がありません」
「……リオさん?」
「ルカはきっと話してくれます」
「ですが……」
「ルカはきっとなにか……理由があって話そうとしないんです」
「理由……ですか?」
「はい、それが何かは分かりません。だから……」
リオはまっすぐと院長を見た。
透き通るようなその綺麗な目に、俺は目を離せなかった。
「だから──ルカが私たちを信頼してくれるまで待ちましょう」
……やめてくれ。
……もうやめてくれよ二人とも。
俺は貴女達が思うほど立派な人間じゃないんだ。
信頼なんてしないでくれ。
見捨ててくれよ。
嘘……つけないじゃんかよ……
「もし……もしもルカが話さなかった場合、リオさんはどうしますか?」
「その時はアレンさんと戦ってでもルカを守ります。それが姉ってものですから」
──あぁ、もうやめよう
俺は馬鹿だった。
本当に馬鹿だった。
俺にはこんなに頼りになる姉がいるのに──
一人で抱え込んで、勝手に苦しんで──
「リオ……シスター……あの……お話が……」
もう一人で抱え込むのはやめよう。
「ルカ……?」
「ルカっ!」
リオに頼ってみよう。
きっと頼りに──
「危ない──!!」
「えっ?」
その瞬間、孤児院の窓が俺を嘲笑うように割れた。
「よぉクソガキ。随分と口が軽いじゃねーか」
「──ッ!」
俺はこの時悟った。
もう誰かに頼れる時期は──とっくに過ぎていたのだと。
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割れた窓から落ちる破片が床に散らばる。
孤児院の空気は一瞬で凍りついた。
侵入者は静かに着地した。
その動きは、かつて冒険者だった者の癖を残している。
酔いと疲れで鈍ってはいるが、基礎の鋭さは消えていない。
男の視線がルカを捉えた瞬間、少年の顔から血の気が引いた。
「よぉクソガキ。随分と口が軽いじゃねーか」
その声に、院長が真っ先に反応した。
「ルカ!!」
院長は迷いなく走り出した。
年齢を感じさせない速度だった。
家族のために老体を酷使して、死ぬまで鉱山で働いていた男──
その娘である院長は、子供達を守るためなら迷わない。
──しかし
「あ……れ……」
院長は走り始めた途端、ばたりと倒れてしまった。
まるで睡魔に襲われたかのように。
「お、お前まさか……!」
「へへっ、これで起きてるのはお前らだけになったな」
「シスター!!」
「リオ! ダメだ逃げろ!!」
リオが駆け寄ろうとした瞬間、侵入者の視線が彼女に向いた。
白い髪。
孤児院の少女。
ルカが叫んだ名前。
リオ──それはアレンが大事にしている少女の名だ。
侵入者の目が細くなる。
「そうか、お前がリオ、か」
その名を口にした瞬間、男の中で計画が変わった。
「ククク……ついてやがるぜ! こんなところで会えるとはな!」
男はルカを片腕で抱え込み、もう片方の手でリオの腕を掴む。
「やめて! 離して!!」
リオは必死に抵抗した。
腕を叩き、蹴り、噛み付く。
「離せ!! リオを連れていくな!!」
ルカが暴れる。
その声は震えていたが、強かった。
ルカとリオ。
決して力のある姉弟ではないが、互いを想う力だけは誰にも劣らない
故にその想いは、男の動きを鈍らせるのに十分だった。
「この! クソガキ!!」
しかし相手が悪過ぎた。
相手は元冒険者だ。
今やアルコールで蝕まれ、借金で荒んではいるが、その体には確かに戦いの痕跡が刻まれている。
濁りきって輝きを失った痕跡ではあるが、二人を圧倒するには十分だった。
「うっ──」
「リオッ! やめろ! やめてくれ!」
侵入者は苛立ち、リオの首元へ手を伸ばす。
「なんで起きてるか知らんが……寝てろ」
その言葉とともに、リオの意識は暗く沈んでいった。
「リオォォォォ!!」
「手こずらせやがって、お前も一緒に寝てろ」
「──ッ!」
リオを黙らせたその手が、次はルカへと向かう。
万事休す──少年が全てを諦めたその刹那。
「今の音はなんだ!?」
「孤児院の方だ!!」
外から自警団の声が響いた。
ガチャガチャと武器を鳴らし近づく音。
侵入者の顔が強張る。
「……クソッ、来やがったか」
撤退を急ぐ必要があった。
本来ならルカも気絶させるつもりだったが、時間がない。
男は眠らせたリオを担ぎ、その場を後にしようとする。
「おいクソガキ、黙ってい──」
男が走り出そうとした瞬間──
ルカの目が輝く。
万策尽きた盤上に逆転の一手を指すが如く。
「赤い土だぁぁぁぁぁ!!」
ルカの叫び声に、侵入者の足が止まった。
「テメェ……やりやがったな……?」
その顔は、怒りでも恐怖でもない。
もっと深い──
心底から湧き上がる不快感だった。
低く濁った声。
酒と疲れが混じった声。
されど確かにある。
研ぎ澄まされたナイフのような鋭い殺気。
「ざ、ざまぁみやがれ……っ!」
「タダじゃすまねぇぞ……ガキ」
男はリオとルカを抱えたまま、外へ消えていく。
孤児院には、割れた窓と倒れた院長、そして赤い土が残された。
自警団の足音が近づく。
誰かが叫んでいる。
だが──二人の姿はもう、どこにもない。




