深淵を越えて
『今は自分のリハビリのためだけに仕事しろ』
昨日のアレンさんの言葉が脳裏から離れない。
アレンさんは私を思って行動してくれている。
でも私はそんなアレンさんに迷惑をかけてばっかりだ。
「なんで私、こんななんだろ……」
昨日は不安な気持ちが抑えきれずに八つ当たりしてしまった。
褒めてくれたのに、慰めてくれたのに、笑ってくれたのに……。
そんな自分が嫌いになって、昨日はひたすら泣いていた。
アレンさんに迷惑をかけないように、声を殺して泣いた。
そして泣くことしかできない自分が悔しくて泣いた。
今朝そんな私でも少しは価値がある、と証明したくて作った料理も、どこかアレンさんは悲しげに見つめていた。
きっと失望したんだ。
もっと良いものを作らないと。
じゃないと──また捨てられる。
「アレンさん……大丈夫かな……」
アレンさんはミーナさんと共に急いで家から出て行った。
状況的にすごく深刻そうで心配だったけれど、少しでも迷惑をかけたくなくて、ぐっと堪えて見届けた。
でも抑えた不安はどんどんと広がっていく。
「……だめだ! 少し外の空気を吸おう!」
アレンさんからは留守を頼まれた。
けれどじっとしていると壊れそうだった。
少し散歩をするだけ。少しだけ。
そう言い訳しながら私は外に出た。
家を出てぶらぶらと歩く。
気づいたら冒険者ギルドの前に来ていた。
アレンさんに見つかったらきっと困らせてしまう。
心ではそうわかっていても、体は勝手にアレンさんに向かっていた。
「迎えに来たって言ったら……許してくれるかな……」
そんなことを呟いていると、誰かの啜り泣く声が聞こえた。
冒険者ギルドの路地裏からだ。
「アレンさん……お願い……生きて……」
──ミーナさんの声だ。
頭が真っ白になる。
今ミーナさんは、生きて、と言った。
つまりアレンさんは死ぬ可能性がある……?
冷や汗が止まらない。
ガタガタと体が震える。
私は体の震えを無理やり抑えて、ミーナさんに声をかけた。
「ミーナ……さん……?」
「リ、リオさん!?」
ミーナさんはびくっと肩を揺らし、慌てて顔を上げた。
目が赤い。涙の跡が頬に残っている。
「ど、どういう事ですか……あの、いま、あ、アレンさんが……」
言葉がうまく出ない。
でもどうしても確かめたくて、必死に言葉を紡いだ。
「ご、ごめんなさい……! なんでもないですよ……!」
ミーナさんが鼻を啜りながら震える声で慌てて弁明する。
明らかに私に何かを隠している。
それがとても辛かった。
「ミーナさん! お願いします! アレンさんの身に何かあったんですか!?」
私は必死に縋りついた。
人の目など気にせず、なりふり構わず、必死に縋りついた。
するとミーナさんは少し迷ってから、震える声で言った。
「……アレンさんが……危険な依頼に行ったんです」
胸がぎゅっと縮まった。
「危険な……依頼……?」
「……はい、あっ、で、でも……でも大丈夫です! アレンさんその……ぶ、無事に帰るって言ってましたから!」
ミーナさんはそう言って笑って話す。
でも私はすぐに分かった。その笑顔は無理して作っているのだと。
仮初の、誰かを心配させないがためにする笑顔だと。
「リオさんっ!? 待って!!」
気づいたら、足が勝手に地面を蹴っていた。
ダメだと分かっているのに足が勝手に街の外へと進む。
「リオさん! お願い! 行かないで!!」
ミーナさんの悲痛の叫びもを聞いても、私は足を止めれなかった。
胸の奥から声が聞こえる。
──行かなきゃ
──役に立たなきゃ
──いなくなる
──また一人になる
──怖い
──怖い
──怖い
「アレンさん──!」
私は溢れる涙をそのままに、街の外へと飛び出した。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「カハッ──」
空から地面に叩きつけられた衝撃で、肺の空気が一気に抜けた。
短期決戦の無理が祟り、体力が限界だ。
マナはほぼ空。
身体強化も使えない。
そんな俺に出来るのは、受け身を取ることくらいだった。
「はぁ……はぁ……」
剣を杖代わりになんとか立ち上がり、構える。
『…ァァァァァ……』
低く、濁った声が漏れる。
堕獣狼の咆哮とは違う。
言葉にならない怯えと怒りが混ざったような音。
その音だけで、心臓が強く跳ね、足が震える。
深淵狼が一歩、前へ踏み出す。
その一歩だけで、地面が沈む。
堕獣狼の時とは比べ物にならない。
質量が違う。
存在感が違う。
勝てる未来が、一瞬で消える。
「なんとか……マナを集めて……」
空気中のマナを体に取り込もうと一瞬、ほんの一瞬だけ集中した。
その刹那──
「ぐっ……ああああああああッ!」
背中に衝撃が走った。
体が宙に浮き、木々を何本も折りながら吹き飛ばされる。
痛みで視界が白く染まる。
背骨が折れたかと思った。
「……っ……はぁ……はぁ……」
呼吸がうまくできない。
立ち上がれない。
剣が手から離れた。
深淵狼がゆっくりと歩いてくる。
その歩みは遅いのに、逃げ場がない。
「死んだな……これは……」
楽しかった日々が脳裏に浮かぶ。
きっと走馬灯というやつだ。
リオと生活をした日々。
なんでも屋として仕事をした日々。
冒険者としてパーティと共に戦った日々。
「わるいなリオ……ミーナ……」
深淵狼が爪を振り上げる。
正確で、鋭くて、迷いがない。
殺意を持った仕留める攻撃。
「リーダー……ちょっと早いけど会いにいくよ……」
そして最も大事なあの人の顔を思い浮かべたその瞬間──
『アレンさん──!!』
リオの叫び声が森を裂いた。
深淵狼の動きが、一瞬だけ止まる。
ほんの刹那。
だが、その一瞬は生死を分けるには十分な時間だった。
俺は地面に転がった剣を掴み、立ち上がる。
全身から痛みが電撃のように走るが、無視して立ち上がる。
「逃げるぞ!」
俺はリオの体を抱き抱えた。
その瞬間、深淵狼が再び動き出す。
『……ァァァァァ……』
森の奥へ走り出す。
足がもつれる。
身体中の痛みで狂いそうになる。
でも止まれない。
深淵狼の足音が背後から迫る。
地面が沈むほどの重い足音。
「アレンさんっ!来てます!」
「分かってる!喋るな!舌噛むぞ!あと目を閉じろ!」
俺は腰のポーチから閃光玉を取り出し、後ろへ投げつけた。
白い光が森を焼くように広がる。
『……ッァァァァァ!!』
深淵狼が一瞬だけ怯む。
その隙に、俺はさらに奥へ走った。
「……はぁ……はぁ……っ……」
ようやく深淵狼の気配が遠ざかった。
膝が崩れ落ちそうになる。
だがなんとか踏ん張ってリオを肩から下ろし、地面に座り込んだ。
「リオ……なんで……来た……」
「ご、ごめんなさい……」
問い詰めようとした。怒鳴るつもりだった。
危険すぎる。死にたいのか。早く帰れ。
いろんな言葉が出てくるが──リオの顔を見た瞬間に消えた。
「……」
顔が涙でぐしゃぐしゃだった。
息が荒くて肩が震えている。
服は泥だらけで足は傷だらけだ。
きっと必死に俺を探して走ってきたのだろう。
「怖く……無いのか?」
「怖いです……でも、アレンさんがいない世界の方がもっと怖い……」
その言葉を聞いた瞬間、理解した。
リオにとって俺は、命をかけてでも、危険を犯してでも会いに来たいほどの……特別な人間なのだと。
それは愛なのか、依存なのか、自己防衛なのか分からない。
でも俺の胸を熱くするには十分だった。
「……リオ」
リオの体がガタガタと震えている。
大事な人を失う恐怖で。
「そうか……俺はお前にとって、そんな存在だったんだな……」
リオの震えは、リーダーを失ったあの時の俺と同じだ。
だから俺は、あの時一番欲しかった言葉をリオにかける。
「……リオ、嫌だったら逃げろ」
俺はゆっくりとリオの肩に手を置く。
そして一つ深呼吸をして覚悟を決めた。
「俺のために、命を張ってくれるか」
「……っ! はいっ!もちろんです!!」
俺は覚悟を決めた。
仲間を失う恐怖から逃げないと。
俺は覚悟を決めた。
仲間を失わないために戦うと。
そして──俺と同じ経験を……誰にもさせないと。
「リオ、お前に任せたい仕事がある」
深淵狼に勝つ方法は、まだある。
俺一人では無理でも──
仲間がいるなら、可能性はゼロじゃない。
絶望は終わりだ。
ここから俺達の逆転が始まる。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「やいオオカミ! こっち向け!」
私はアレンさんのいう深淵狼という、オオカミみたいな化け物に向かって叫ぶ。
『……ァァァァァ』
「……ッ!」
ヒシヒシと感じる刺すような視線。
その視線を浴びた瞬間、背中からジュアっと嫌な汗が滲む。
戦った事がない私でも分かる。これが殺気というやつだ。
でも不思議と奥底から勇気がどんどん溢れてくる。
──俺のために、命を張ってくれるか
その言葉が私に力をくれる。
「せーのっ!」
私はアレンさんから渡された玉のような道具を投げた。
玉は宙で回転すると、ボロボロと壊れ一気に爆発する。
『アァァァァ……!』
深淵狼が叫び声と共にその場でもがき始めた。
私が投げた道具は炸裂玉。
空中で爆発し、あたり一面に無数の砂利を飛ばす。
目潰し用の道具だ。
私の方にも砂利が来るけど、つけていたゴーグルで目潰しを回避する。
「ばーかばーか! こっちこーい!」
私は身体強化玉というのを齧る。
身体強化玉は短時間だけ筋力と反応速度を底上げする。
体に力が湧いてきて、アレンさんと同程度の速度で走れるようになった。
「次はコレ! えいっ!」
私は走りながらまた玉を投げる。
次に投げたのはアレンさんが投げたのと同じ閃光玉。
だけど深淵狼は同じように食らった。
アレンさんの言った通り、深淵狼は学習能力が低いらしい。
「今のうちにっ……!」
私は怯む深淵狼を背に走る。
今まで感じた事がないくらいの速度を感じ怖くなる。
けれど頭の中は霞一つなくスッキリしてる。
「任せてください……アレンさん!」
私は今まで自分のために、捨てられないために必死になってた。
捨てられないために評価されよう。
生きるために評価されよう。
そんな風に思って生きてきたけど、今は違う。
アレンさんはどんな時も私をちゃんと見てくれてた。
仕事で失敗した時も、家事で失敗した時も。
そして私が約束を破ってここにきた時も。
だからもう、自分のことだけを見るのはやめだ!
私は──私を見てくれる人をちゃんと見よう!!
『アァァァァッ!』
深淵狼の叫びが私のすぐ後ろから聞こえる。
もうきっと爪が届く位置だ。
でも怖くない!
「そりゃぁぁぁぁっ!」
『アァァァァ!?』
私は高くジャンプし、木の枝に捕まりぶら下がる。
深淵狼は私の下にある大きな穴の中で、もがいていた。
「アレンさん!」
「おう! よくやった!」
アレンさんの元に、まばゆい光の玉が集まってくる。
あれがアレンさんの言ってたマナ……すごく綺麗……。
「よう深淵狼、怒りに任せて落とし穴にどっぷりか、情けねーな!」
『アァァァァ!!!』
「さっきのお返しだ! たんとくらえ!」
アレンさんがそう言った瞬間、まばゆい光が一点に集まる。
その光はまるで、暗闇を照らす朝日のようだった。
集まった光が空気を震わせ、森全体が静まり返る。
「最強攻撃魔法! フル・エクスプロージョン!!」
『アァァァァ!!!!!』
魔法は深淵狼に直撃し、その衝撃は大地を揺らした。
吹き飛ばされそうなほどの風を撒き荒らし、轟音が鳴り響く。
「きゃぁぁぁぁ」
その風に飛ばされそうになった時、私の手から優しい温もりを感じた。
「よくやった、さすがリオだ」
「……へへっ! 命かけましたから!」
魔法の光は天を抜け、空に向かう架け橋のように伸びていく。
「リオ、お前がよければその……うちで本格的に働かないか?」
「もう、アレンさん、私は最初からそのつもりです」
私はアレンさんの胸に頭を預け、鼓動を感じる。
とても優しくて、でもいつもよりちょっとだけ早い落ち着く音。
「アレンさん、これからもよろしくお願いします」
「……あぁ、こちらこそよろしくな」
天へと昇る架け橋は、私達を見守るように輝いていた。
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「よくご無事で……!」
泥だらけになりながら冒険者ギルドに到着すると、すぐにミーナが駆けつけてくれた。
ミーナの目は赤く腫れており、頬には涙の跡がくっきりと残っている。
きっと沢山泣いていたのだろう。
それでも彼女は俺達に笑って見せた。
「心配かけたな、ミーナ」
「本当ですよ! それにリオさんも突然飛び出しちゃうし……」
「まあ許してやってくれよ、リオには沢山助けられたからさ」
俺はリオの頭を撫でながら返した。
リオは満足そうに目を細める。
ミーナはそれを見て少し困った顔で笑っていた。
「リオさん、今回はたまたま無事でしたけど次はどうなるか分かりません。ですから次からは絶対無理をしないようにしてくださいね」
「……はい」
リオはしょんぼりとしながら頷く。
俺が帰り道何回も叱った内容と全く同じで、少し笑いそうになる。
「そういえば街のみんな、全然避難してなかったけどどうした? 避難誘導はしたのか?」
「ええ、ただ皆さん、アレンさんが戦ってるなら私達は逃げないって、その一点張りでした」
「……そっか」
その言葉に、一瞬諦めてしまった自分が恥ずかしくなる。
もう二度と諦めるなんて真似しちゃいけないな。
「あぁ、ミーナ、討伐証明だけど──」
「そういうのは私達に任せて、アレンさん達は休んでてください! 討伐場所はアレンさんの魔法で分かりましたから」
「そっかじゃあお言葉に甘えて休ませてもらおうかな……あ、そうだ」
俺はリオと共に戻ろうとした所で足を止めた。
そういえば一番大事な報告をしていなかったな。
「ミーナ、リオを正式に雇うことにしたよ」
「ふふっ、分かってますよ。良かったですね、リオさん」
「はい!」
リオは笑って返事をする。
その笑顔には初めて会った時に見せた、無理も必死さも感じない。
優しく周りを照らす、けれど眩しすぎない温かい小さな光。
「じゃあそろそろいくよ、ミーナ」
「はい、お気をつけて」
ギルドを離れ、夕暮れの街を歩く。
人々のざわめきが少しずつ遠ざかる。
リオは俺の隣で、そっと手を握る。
俺はその温かい手を受け入れた。
「リオ、夕飯何食いたい」
「んーお肉が食べたいです!」
「ははは、あの戦いの後に肉か。リオは冒険者の素質があるな」
守るべき街があって、守りたい仲間がいて、俺は一人じゃない。
その事実が、何よりも強く背中を押してくれる。
──リーダー、俺、あなたの夢を引き継いでよかったよ。
俺は空にいるあの人に向けて、心の中で小さくつぶやく。
「アレンさん、なんかちょっと嬉しそうですね」
「んー? まあちょっとな」
俺達の間に風が吹き抜ける。
その風はなんだか、優しく笑っている気がした。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
ここまでが序章になります。
短編として出そうかと思っていたのを、長編にしてみようかと思いました。
もしよろしければ、次の章も見てくださると嬉しいです。




