観察者は何処に
ギルドの建物が見えてくる頃には、朝の冷たい空気も少しずつ和らいでいた。
ロタリーは歩く速度を変えず、淡々とした表情のままギルドの扉を押し開け、二階中央のギルド長部屋に入る。
中はまだ静かだった。
だが、ひとりだけすでに来ている人物がいる。
「おはようございます、ロタリーさん。今日も早いですね」
──ギルド長補佐、オルフェン・グラッド。
穏やかで優しい雰囲気の、子供に好かれそうな初老の男だ。
落ち着く低い声と朗らかな笑顔がよく似合う。
ロタリー曰く彼はいつも誰よりも早く来て、ギルド長部屋を掃除しているらしい。
「おはようございます。すみません、いつも」
「いえいえ、ただもう少し遅く来てくださると、私もサボれて嬉しいのですけどね」
「あはは、すみません激務なもので……朝早く来ないと間に合わないんですよ」
ロタリーはそんなオルフェンの言葉に笑う。
とても仲の良い雰囲気だ。
「おや、隣にいらっしゃるのは……」
「アーレ・ヴァルスと申します。ロタリーの弟子をやらせてもらっています」
「あぁ、そうでしたか……」
「……?」
彼は俺を見てふっと笑う。
それを不思議に思っていると、ロタリーに視線を向け直し話を続けた。
「ロタリーさん、少し顔色良くなりましたか? 彼のおかげですかね」
「あまり男女の関係を詮索しないでください」
「おっとこれはお恥ずかしい、はっはっは」
オルフェンはそう笑うと掃除を終えたのか、道具を片付けた。
そして部屋の出口に向かう途中、俺の横を通りすぎる。
「ロタリーさんを頼みますよ」
そして、俺にだけ聞こえるように小さな声でそう告げた。
「……はい」
ロタリーとの関係性的に信頼できる人間なのだろう。
雰囲気や見た目も柔らかく、好印象だった。
だが信頼できる人が一番危険だったりする。
その可能性を頭の片隅に置きながら、俺は業務の準備を始めた。
しばらくして扉が開く。
別の人間がやって来た。
「今日の書類だ。目を通しといてくれ」
──副ギルド長、ザハル・ドレイヴ。
ロタリー不在時はギルド長代理をしていた男だ。
オルフェンと同じくらいの年齢に見えるが、彼と違ってザハルの雰囲気は少しトゲトゲしい。
口調も少し強めだ。
「ありがとうございます。すみません、引き継ぎが長引いてしまって」
「謝罪はいい。それよりも早く君が不在の時の出来事を把握してくれ。私も暇じゃない」
「……すみません」
ロタリーに対して常に反抗的な態度を取る男、と聞かされている。
確かに反抗的な態度ではあるが、その態度よりも気になる事がある。
──ザハルがロタリーに目を合わせないことだ。
書類を見る時も、話す時も、視線はロタリーの肩や机に向いている。
なぜ目を合わせない?
嫌っているからか?
それとも──何か理由があるのか?
ザハルは俺を見ると、露骨に警戒した。
「君は誰だ」
「アーレ・ヴァルス、ロタリーの弟子です」
「……ふむ」
舐め回すような視線が全身をなぞる。
何か情報を抜き取られているような感覚だ。
できれば逃げてしまいたい、と思えるほどの焦燥感を感じてしまう。
「あまりロタリーに近づきすぎるなよ」
その言葉は、警告というより拒絶に近かった。
彼は少し警戒しておいた方が良さそうだ。
昼過ぎ、受付嬢長のリーネ・フォルナが依頼状況の報告に来た。
「ロタリーさん、依頼受注状況の報告です〜」
明るい声。
だがその明るさは、どこか作り物めいている。
可愛いを意識したような甘ったるい猫撫で声が、やけに耳に残った。
「あー! かっこいい人がいる!」
彼女は俺と目が合うと、てくてくと近づいて来る。
「お名前は?」
「アーレ・ヴァルス、ロタリーの弟子です」
「アーレさん、アーレさん……んーかっこいい名前ですね」
「あの……」
リーネは俺の胸元に顔を置き、上目遣いで近づいてくる。
「ふふっ、あなた私のタイプかも」
そして鼻息が当たりそうなほどに顔が近づいた時、彼女は囁いた。
「今度、本当の名前教えて」
「……」
リーネは俺の沈黙を笑ってパッと離れると、手を振る。
「何かあれば聞いてくださいねー! うふふー」
……彼女も警戒対象だ。
夕方になり、業務が終わった。
ロタリーは疲れた様子を見せず、淡々と片付けを始める。
俺が見ただけでも相当な激務だったのだがな……。
「この後は雑貨屋か?」
「うん。少し買いたいものがあるから」
俺はロタリーと共にギルドを出た。
夕方の街は、昼間の活気にあふれた喧騒とは違い、黄昏れを思わせる静かな雰囲気に包まれている。
鳩が鳴き、魔法学園の生徒が笑って帰る。
何気ない日常を終わりに向かわせる、寂しくも心地よい音だ。
「ここが雑貨屋か」
「そう、素敵なお店でしょ」
店の扉を開けると、柔らかな空気が鼻をくすぐった。
乾いた木の香りと、少し甘い香草の匂い。
この店は、どこか懐かしい空気を持っている。
「いらっしゃい。あら、ロタリーさんと……彼氏さん?」
──雑貨屋店主のマルタ・エンリス。
年配の女性らしい落ち着いた雰囲気。
だがその目は、ロタリーの一挙手一投足を見逃さない観察者の目だ。
商売人故の目か、それとも……。
「……違いますよ」
ロタリーは笑って否定するが、俺はその顔に少し違和感を感じた。
マルタもそれに気づいたのか、少し残念そうに目を伏せた。
「そうかい……恋人の一人でも出来た方が、私は嬉しいのだけどね」
その言葉は冗談のようでいて、どこか本気だった。
ロタリーの幸せを願う気持ちが滲んでいる。
だが、ロタリーはそんな気持ちを避けるかのように顔を背けた。
「私に幸せになる資格なんてありませんよ……」
「幸せになっちゃいけない人なんて、この世にいないのよ」
ロタリーは何も言わなかった。
いや……何も言えないんだよな。
分かるよ……俺も一緒だったから……。
「ロタリー、買い物をしに来たんだろ」
「……そうでしたね。これください」
彼女はそういうと、一本の香水を買う。
マルタは釣銭を渡すと、俺に目を向けた。
「……あんた、ロタリーを頼んだよ」
その言葉には、真剣で、切実で、どこか悲しい響きがあった。
この響きは聞き覚えがある。
俺が地獄を経験した時に声をかけてくれた、ミーナの響きだ。
「マルタさん、彼はそんなんじゃ──」
「任せてください、マルタさん」
「もう……」
だから、その言葉は自然と出てしまった。
今日の夕飯は俺が作った。
あまりロタリーに負担をかけたくなかったから、出来る事は手伝うようにしている。
まあ簡単な男料理で申し訳ないが。
「美味しいか?」
「うん、とても美味しい」
「ならよかった」
ロタリーは相変わらず師匠の声で言った。
だがその声には、ほんの少しだけ疲れが滲んでいるように聞こえる。
当然だ。
一日中激務と戦ってた上に、いつ暗殺者に襲われるか分からない緊張がある。
倒れていない方がおかしいくらいだ。
「ロタリー……さっきの話だが……」
声をかけると、ロタリーはわずかに肩を揺らした。
「……なに?」
「さっきの……雑貨屋での話。気になってな」
ロタリーはスプーンを静かに置いた。
その仕草は、まるで心の奥を隠すようだった。
「私に幸せになる資格なんてありませんよ、って……どういう意味なんだ?」
ロタリーは静かに息を吸い、ゆっくりと吐く。
月光に照らされた顔が、どこか儚く見える。
「アレン……その話は、しないでください」
「でも──」
「過去のことは、聞かないで」
ロタリーの声色は、拒絶の壁そのものだった。
何者も寄せ付けない、隙がなく、そして余裕もない声だ。
「私は……あなたに話せるような過去を持っていません。あなたは護衛として徹してください。それだけです」
その言葉は、凍えるほどの冷気を放っていた。
ただ、その冷気は他者だけでなく自分にも向けられている。
ならば……俺は立ち止まるわけにはいかない。
「ロタリー。俺は──護衛だけのつもりじゃない」
「えっ……?」
ロタリーは驚いたように目を見開いた。
「俺は君を支えにきた」
ロタリーの瞳が揺れる。
その揺れは、恐れとも戸惑いともつかない。
「俺は君に救われたんだ。過去に囚われていた俺が未来に進めるのは君のおかげだ、ロタリー。だから俺は支えたいんだ。なんでも屋のアレンとしてではなく一人の人間として」
「……アレン」
ロタリーは小さく震える声で俺の名を呼んだ。
助けを求めるように、何かに縋り付くように。
けれど──彼女は自分の想いを殺すように笑みを浮かべた。
「私は……あなたほど強くない」
その笑みは、痛々しいほどに弱かった。
自分を責めるような、壊れそうな顔。
昔、俺がよくしていた顔にそっくりだ。
だから、俺はこの言葉を君に捧げたい。
「……俺だって強くないさ」
「……アレン?」
俺は弱い。
過去の門だって俺一人じゃ超えられなかった。
リーダーがいたから、爺さんがいたから、皆がいたから、超えられたんだ。
だから、ロタリーがもし一人で壁の前に立っているのなら──
「ロタリー……贖罪とは前に進む事だ」
「……」
「俺は──」
俺が言葉を続けようとした──その瞬間。
──コン、コン。
静かなノックが、家の扉を叩いた。
ロタリーの肩が大きく震える。
「……来ましたね」
ロタリーの声は、かすれていた。
「……あぁ」
絶対に味方にならない存在。
だが絶対に敵であってはならない存在。
保護観察官──ヴァルド・レーンが来たのだ。




