嘘の香りが満ちる街
ヴァルド・レーンがロタリーの家に入ってきた瞬間、ピリピリとした緊張感が一瞬で空気を支配した。
冷たい。
静かで、乾いていて、まるで冬の裁判所の石壁が歩いてきたような気配だ。
料理の残り香が作る生活感が、今は不気味で仕方がない。
「保護観察官、ヴァルド・レーンです。本日の行動を確認します」
感情の欠片もない。
そう話す事を定められた人形のような声で告げる。
「……よろしくお願いします」
ロタリーは椅子に座ったまま、わずかに肩を震わせていた。
ヴァルドは書類を開き、ロタリーの一日の行動を細かく尋ね始めた。
「朝食は何時に?」
「出勤中に話した方の名前は?」
「ギルドではどのような仕事を?」
「退勤中はどこか寄り道しましたか?」
不快だった。
その質問は、ロタリーの日常を解体していくようだった。
俺はヴァルドを睨んだ。
この男は、ロタリーの心を削っている。
裁判の影を、家の中にまで持ち込んでいる。
「……なにか?」
「いえ何も」
ただ何かする訳にもいかない。
彼の不快を、俺達はただ黙って堪えるしかない。
「……ところであなた、本当にアーレさんというのですか?」
「はい、そうですが何か?」
「いえねぇ……」
ヴァルドは俺を舐め回すかのように見る。
そしてメガネをクイッと上げて、口を開けた。
「あなたから香りがしないんですよ。嘘の香りも真実の香りも」
「……」
ヴァルドが俺の反応を待つ。
当然動揺するような真似はしない。
冷淡に、冷徹に、ただただアーレを演じる。
「アドバイスです。嘘を吐くのなら真実を混ぜた方がいいですよ」
「……保護観察官が嘘の教鞭ですか?」
「保護観察官の仕事は終わりました。今はただのヴァルドです」
そうはいうが、彼の雰囲気は変わらない。
相変わらず、決まった動きしかしない人形のように思えてしまう。
だから彼の次の言葉に、俺は動揺してしまった。
「私……ファンなんですよ。アレンさん、あなたの」
「──ッ!?」
その瞬間だった。
動揺に差し込むように、外からの殺気が俺を貫いた。
「伏せろ!!!」
叫ぶと同時に俺はロタリーを椅子から地面に押し付ける。
すると窓ガラスが破壊され、鋭い矢が家の中へ飛び込んできた。
矢はロタリーの椅子の背を貫き、壁に突き刺さる。
もし伏せていなければ、確実に心臓を射抜かれていた。
「ヴァルドさん! あんたは無事か!?」
「はい、なんとか」
ヴァルドは一歩も動かず、ただ矢を見つめていた。
まるでそこに刺さるのが分かっていたかのように。
「……暗殺者ですね」
「あんた、どこまで知ってる!?」
「いいんですか? また来ますよ」
「チッ!」
確かに今はそれどころではない。
矢は一発では終わらない。
外からの殺気は、まだ続いている。
「二人とも俺の後ろに隠れろ!!」
ロタリーは即座に俺の背後へ。
ヴァルドも無言で従った。
──矢が放たれる。
矢の数は、百を超えている。
「簡易光ま──ダメだ間に合わない!!」
簡律詠唱は間に合わず、咄嗟に無律詠唱で魔法を発現させた。
発現させた魔法はライトシールド。
俺が一番得意とする、防御系の光魔法だ。
それを五重に展開する。
「頭を守れ!!」
ロタリーの家が破壊されていく。
壁が砕け、床が裂け、家具が粉々になる。
矢が、雨のように家へ降り注いだ。
「くっ……!!」
俺のライトシールドは、無律詠唱でも並の冒険者の全律詠唱に匹敵する。
矢の雨をしっかりと受け止めてくれている。
しかし──矢は想像以上に強かった。
「衝撃強化の付与魔法かよ!!」
ライトシールドがどんどんと破壊されていく。
──パリィン!
一枚目が砕ける。
それと同時に二枚、三枚と砕けていく。
「くそっなんとかマナをっ!!」
四枚目と五枚目にマナを足すが、それでも崩壊は止まらない。
四枚目が割れ、そして五枚目にも大きな亀裂が入った。
「たえろぉぉぉぉぉぉっ!」
そして五枚目が砕け散った所で、矢の雨は完全に止まった。
「はぁ……はぁ……」
ほとんどのマナを使い切ったが、それでも気配は無くならない。
これからが本番だと言いたげな殺気を感じる。
──矢の雨は暗殺の準備だ。
「チッ……贅沢な使い方だぜ」
家はほぼ崩壊していた。
だが、俺の後ろだけは綺麗に空間が残っている。
ロタリーとヴァルドがいた場所だけが、守られていた。
周りには矢が大量に刺さっており、逃げるのを邪魔している。
つまり最初の矢は、防げよという合図。
その後の矢の雨は、防がせて逃げ道を無くす策。
故にここから始まる戦闘が、彼らの本当の狙い。
「二人とも俺から絶対に離れるな!!」
そして今──殺気が七つ、襲いかかる。
「なめんなぁぁぁぁっ!」
ロタリーを狙いに来た三人を剣で吹き飛ばす。
それと同時に四人が俺の死角を襲撃する。
「はぁぁぁぁっ!」
それをマナの放出で吹き飛ばし、投げナイフを頭に刺した。
死角からの四人殺してしまったが、三人は気絶させた。
戦果としては上々だ。
だが、何か違和感を感じる。
「や、やりましたね!」
「隠れてろ、まだ来る」
──おかしい。
訓練された動きではあるが、大掛かりな準備をしたにしては弱すぎる。
それに攻め方も真正面から気配を殺さず堂々と。
まるで、死にに来たような攻め方だ。
だから分かる。
次こそが本命なのだと。
「来た!」
そして気配は現れた。
空中から生まれたかのような不自然な気配。
「シャァァァァッ!」
暗殺者は手をこちらに向けて襲いかかる。
手には魔法陣が刻まれている。
「随分とお粗末だな!」
腕を切り落とし、溢れる血飛沫で隠すように剣を頭に突き刺した。
「これで……終わりか?」
まだ何かあるのかと警戒しているが、気配も殺気も感じない。
終わったのか……そう思った時だった。
「核魔法陣です!!」
「──っ!?」
ロタリーの叫びが響いた。
ロタリーが指さすのは、切り落とした手。
その手の魔法陣が輝き始めていた。
連鎖するように、倒れた七人の体に刻まれた出力魔法陣が輝き出す。
禁忌魔法──連鎖魔法陣だ。
「しまった!!」
マナの流れ的に爆発系の魔法だ。
早くここから立ち去らないと!
ロタリーを抱え、ヴァルドにも手を伸ばす。
「……お人よしですね」
「──っ!? 何をするつもりだ!!」
その瞬間──俺の視界が地を眺めていた。
ヴァルドに、吹き飛ばされていたのだ。
「バカ! 逃げろ!!」
彼は俺を見て、優しい笑顔で笑う。
「気をつけなさい。この街は嘘の香りが充満しています」
「ヴァルドォォォォォッ!」
世界が爆発した。
ロタリーの家が光に包まれ、爆風が俺たちを吹き飛ばす。
瓦礫が舞い、炎が上がり、家は跡形もなく破壊された。
俺はロタリーを抱えたまま地面を転がり、なんとか衝撃を殺した。
ロタリーは咳き込みながら俺にしがみつく。
「アレン……っ……!」
「がはっ……」
だが、完全には衝撃を殺せていなかった。
内臓のいくつかと骨が持ってかれた。
「はぁ……はぁ……」
黒い煙が空に舞い上がる。
霞む意識の中で爆発から庇ってくれた彼の言葉が繰り返される。
『気をつけなさい。この街は嘘の香りで充満しています』
ロタリー暗殺計画の裏には何かがある。
それも一つ二つじゃない。
何層もの思惑が絡み合う巨大な影が蠢いている。




