過去に沈む英雄
ドラゴンの咆哮が轟いた瞬間──
アレンの世界は罪で満たされた。
『お前のせいだ』
耳の奥で、音を押し潰すように、鮮明に響く。
リーダーの声が脳を殴りつけた瞬間、アレンの手が震えた。
剣を握る指が痙攣し、足が地面を踏みしめられなくなる。
「やめろ、やめろ……やめてくれ……!!」
「アレン!? ねぇアレン!」
「アレンさん!?」
心拍が破裂しそうなほど跳ね上がる。
鼓動のたびに、心臓が握り潰されるような痛みが走る。
「はっ──はっ──うぉぇ……はっ……ゔぅおえ……」
呼吸ができない。
喉が閉じ、肺が固まり、空気が入らない。
無理やり吸おうとすれば吐き気が邪魔をする。
吐けば胃液が逆流し喉を焼く。
『──レン! ア──ン!』
めまいが襲い、視界がぐるぐると回る。
地面と空の区別がつかなくなる。
周囲の音が鈍くなり、仲間の声が遠ざかり、咆哮が歪む。
しかし──
『お前のせいだ』
その声だけは、崩れゆく世界の中ではっきりと聞こえ続ける。
逃がさないように、楽をさせないように。
「あっ……あぁ……あぁぁぁぁ!!」
脳が割れるような痛みが走り、幻聴が痛みと共に増えていく。
『お前のせいだ』
『お前が殺した』
『また逃げるのか』
『また殺すのか』
『全てお前のせいだ』
『お前のせいだ』
『お前のせいだ』
「いやだ……嫌だ嫌だ!」
視界が回る。
世界が回る。
過去の光景が重なり、リーダーが死んだ瞬間が何度も再生される。
『お前のせいだ』
その声しか聞こえない。
「違う、違うんだ! 違う違う違う!」
『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』『お前のせいだ』
「アァァァァァァァァァァッ!」
喉が裂けるような叫びと共に、アレンは過去へと堕ちていった。
「アレン! しっかりして!」
失神したアレンの体を、カイラムは必死に揺する。
しかし反応はなく、目は生気を失い虚空を見つめていた。
「まずは逃げましょう、おそらく今がチャンスです」
ドラゴンはマナの吸収に集中し、アレン達を見向きもしない。
彼らの存在はドラゴンにとって食事の邪魔にすらならない。
その光景に怒りで体を振るわせながらも、リシュアはそう告げた。
「……アレン、気をつけてね」
反応のないアレンに、カイラムは泣きながら語りかける。
当然そんな言葉に意味はなく、アレンの体は死体のように力無く崩れていく。
それでもカイラムは泣きながらその体を支えた。
意味はなくとも、言わずにはいられなかった。
仲間達はギルドへ逃げ込み、アレンを寝かせ必死に呼びかける。
「ごめんね……気づいてあげられなくてごめんね……!」
カイラムは泣きながら謝り続けた。
「アレンさん大丈夫ですよ……ゆっくり休んで……」
リオはアレンの顔を拭きながら、涙を堪えて話しかける。
「アレン……お願いアレン……起きて……」
誰もがその光景に言葉を失う。
リシュア──ただ一人を除いて。
「ドラゴンの対策を考えましょう」
その正しさは、残酷だった。
「──っ!! リシュアァァァァァッ!!」
カイラムは怒り、胸ぐらを掴んで殺気を放つ。
それは彼女の本気の怒り。
剣を抜こうとする右手を、ミーナはそっと抑えていた。
だがリシュアは怯えない。
彼女は知っている。
今ここで感情に飲まれれば、アレンも街も滅ぶことを。
カイラムはきっと知り得ないだろう。
リシュアもアレンを守りたいとする一人なのだと。
「ここでドラゴンを食い止めなければ、アレン殿も私達も終わりです。冷静になりなさい」
「……っ」
カイラムは手を離し、アレンの元へ戻り俯いた。
「まず、ドラゴンに勝つ方法を探しましょう。何か案がある方は?」
誰も答えられない。
当然だ、ある訳がないのだ。
しかしリシュアはあえて問いかけた。
希望を信じているからだ。
「カイラム」
「……」
沈黙で応えるカイラム。
しかし数秒後、観念したかのように口を開いた。
「あの大きさなら……私一人でも抑えられる。でも決定打が……ない……」
リシュアはカイラムが誤魔化す癖も、嘘をつく時の表情も知っている。
故にリシュアは静かに告げる。
「決定打は……アレン殿にあるのですね」
カイラムは睨むが、すぐに目を逸らす。
アレンの頭を撫でながら言葉を続けた。
「アレンの固有魔法が使えれば……決定打になる」
「アレンさんは固有魔法を使えるのですか!?」
ロタリーは目を見開き、今までにない驚きを見せる。
そんなロタリーにカイラムは頭を横に振って答えた。
「一回も成功した事はない。けれど確かに使える」
固有魔法。
聞き慣れない単語にリオがアレンを庇いながら質問した。
「あの……固有魔法って……なんですか……」
怯えながらも大切な人を守らんとするリオに、ロタリーは優しく笑いかけ頭を撫でた。
「固有魔法とは、その人しか使えない魔法の事です」
ロタリーは尊い者を見るかのように目を細め、アレンを見つめる。
「魔法とはイメージであり、イメージとは経験であり、経験とは人生です。固有魔法とは人生そのものをイメージとして発現する魔法の極地。そんな魔法を使えるなんて、アレンさんはすごい人なんですね」
彼女の言葉にリオは恥ずかしそうに、しかし力強く頷いた。
「けれど一度も成功しなかった。魔法発現の兆候は確かに感じたんだけど……何かが足りないような……」
カイラムの言葉に、ロタリーは静かに答える。
「きっとアレンさんに足りないのは……自分を赦せる心かもしれません。
固有魔法とは己の人生を形にするようなものですから、その人生を赦せないと発現できません……」
ロタリーの自虐めいた言葉に、カイラムは悲しげな顔で頷いた。
「そうかもしれない……アレンは自分に厳しいから……」
ロタリーはその言葉に、重々しい雰囲気で立ち上がる。
そして自分の背丈と同じくらいの杖を構え、トンッと叩きつけた。
意識が全てロタリーに向いた瞬間、彼女は導く者の顔で口を開く。
「禁忌魔法──過去の門を使います」
静寂よりも冷たい、絶対零度の如き空気が場を支配する。
禁忌魔法の使用。
それは魔法によっては最悪死刑すらも宣告される行為だ。
しかし彼女は迷わない。
何故なら彼女もまた、アレンを守りたいからだ。
「それはどういう魔法なのでしょう……」
「対象者に過去を見せるだけの魔法です。ただ……」
「……」
全員が息を飲む。
当然だろう、ここにいるのは連鎖魔法陣と魔物召喚という禁忌を経験した者達だ。
禁忌魔法が過去を見せるだけで終わるはずがない。
皆がそう思っている。
「過去の門は強制的に過去を見せ続けます。その性質上、精神攻撃が可能であり、トラウマを持つ者は最悪……廃人になります」
雰囲気が変わるのを感じた。
ピリピリとした異常者を見る雰囲気。
しかしロタリーは続ける。
「それでも立ち上がった者はいます。それは自分を赦せた者達です。アレンさんも過去を乗り越え自分を赦せれば……再び立ち上がる事でしょう」
そして最後に言った。
「過去の門を使用するかどうかは、アレンさんを真に大切に思う人達で決めてください。満場一致でなければ使用しません。では皆さん、席を外しましょうか」
ロタリーの号令で、続々と部屋を後にする者達。
残ったのはミーナ、リオ、カイラム、そして動かないアレンだけとなった。
静寂が場を支配する。
カチカチと時計が秒針を刻む。
誰も喋らない。
誰も動かない。
しかし示し合わせたかのように、三人は同時に口を開いた。
「「賛成」」
二人が賛成を告げる。
故に彼女の想いが形になる。
「……私は反対です」
そう告げるのは、ミーナだった。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
過去の門をアレンに使うことに、カイラムさんもリオちゃんも賛成した。
でも私は──反対した。
唯一の反対者だった。
正直こうなるだろうなとは思っていた。
当然だ。
「……ミーナは反対なのか?」
「えぇ」
私はここの誰よりもアレンの側にいたからだ。
ここの誰よりもアレンの苦しむ姿を見てきたからだ。
アレンが帰還した時の顔を見た。
アレンが突然苦しむのを何度も見た。
アレンが一人で辛そうにしている背中をいつも見た。
「……理由を聞いてもいいか?」
「……理由ですって?」
その言葉に苛立ちを隠せなかった。
あなた達は見たことあるのか?
苦しそうなアレンが頑張って頑張って幸せを掴んだ時を!
アレンの苦しむ顔が、笑顔に変わった瞬間を見たのか!?
アレンがなんでも屋を始めて、人と話せるようになった時を見たのか!?
「そんなの決まっているじゃない……」
アレンが覚悟を決めて堕獣狼と戦いに行く姿を見たのか?
アレンが必死になって仲間を守ろうとする姿を見たのか?
私は全部見てきた。
だからこそ私は賛成できない。
「もういいでしょ……なんでそこまでして戦わせるの……?」
私は彼の弱さを知っている。
「逃げるのだって一つの手でしょう……」
お願い、彼をもう休ませてあげて。
「アレンを……もう苦しめないで……」
お願い、彼の弱さを知ってあげて……!
「ミーナさん」
リオちゃん……いや、リオは真っ直ぐと私を見つめる。
そこには私の知っている可愛い幼なげな少女はいなかった。
「……なに?」
「アレンさんはそれを望みません」
「──ッ!」
パシン──
気づけばリオを叩いていた。
彼女に対する怒りが抑えられなかった。
「出会って数カ月程度のあなたに何が分かるの!!」
叫んでいた。
叩いていた。
掴んでいた。
リオの言葉が、私が普段決してしない行動を呼び起こす。
怒りで我を忘れ、幼い少女に掴み掛かる。
大人気ない、なんて言葉は頭からストンと落ちていた。
「やめろミーナ!」
「離して!!」
力で勝てるわけがないのに、カイラムさんの腕を振り解こうとする。
ぴくりとも動かないその体が、憎くて仕方なかった。
「……ミーナさん」
「……」
リオは私を力強く見つめた。
服はぐしゃぐしゃで、髪はボサボサで、顔はあざだらけ。
全部私がした事なのに、リオの瞳は夜明けの湖畔が如く透き通っていた。
その瞳に、私は言葉を失った。
「生意気言ってごめんなさい。確かに私は昔のアレンさんを知りません。ミーナさんみたいに長く一緒にいません。でも、一緒になんでも屋をやったからこそ分かることがあります」
「……っ」
「アレンさんはいつだって、誰かを守るために戦う人なんです。そんな人に逃げ道を与えたって……無駄ですよ」
「あなたも……なのね……」
彼女は泣いていた。
カイラムさんも泣いていた。
冷静になって気づいた。
賛成して辛くない訳がないんだ。
怒りに任せて……自分の事ばかり考えて……。
私はアレンどころか、目の前の人達の事すら考えていなかった。
「バカね……私……」
歯が砕けそうになるくらい食いしばる。
誰よりも長くアレンを見てきたのに、一番見ていないのは私だった。
アレンはいつも、何でも一人で抱えて勝手に苦しむ不器用な人。
そんな人が逃げるなんて器用な道、通れる訳がないのに……。
「何してるのよ……私……!」
信じなさいよミーナ!! あの人が大切なんでしょ!
一緒に苦しみなさいよミーナ!! あの人を支えると決めたんでしょ!
だったら今私がする事は一つでしょ!!
「ごめんなさい、リオ……」
「あっ! 始めて呼び捨てにしてくれた! 嬉しいです!」
「……はぁ、この子ってば……本当敵わないわ」
リオの不安を押し殺しながらも精一杯明るく務める声。
カイラムの吐き出しそうなのを必死に耐えている顔。
そして、動かないアレン。
私は涙を拭き、二人と向き合い告げた。
「……私も苦しみます」
その言葉は、皆と苦しみを分かち合う意思。
その言葉は、アレンと共に戦う覚悟。
逃げ道を与えるのではなく、アレンと同じ道を歩くために──
「私も賛成します」
こうして──私達の試練が始まった。
「意見は揃いましたか?」
「「「はい!」」」
ロタリーさんの声に私達が答える。
少し呆れたようにロタリーさんは笑った。
「分かりました。ただ一つ問題があります」
ロタリーさんは窓に指をさす。
映る景色にはドラゴンが一匹。
「過去の門は大量のマナを使用します。それはつまりドラゴンを呼び寄せる行動になります。あとは皆さん、分かりますね」
「……はい」
過去の門を使えば、おそらくドラゴンは暴れ出す。
アレンが試練を越えられるまで、私達でドラゴンを抑えなければならない。
カイラムさんは止められると言ったけど、ずっとではないはず。
けれど私は……いや、私達は信じている。
きっとアレンなら直ぐに越えられるって!
「リシュア、サポートをお願い」
「ええ、任せて」
迷いなきカイラムとリシュアの会話。
その関係が少し、羨ましくなる。
「ミーナさん」
「……そうね」
何を言っているのかしら。
私にもいるじゃない、仲間が。
ごめんなさいアレン、リオをもらっていくわ……なんてね。
「では詠唱を開始します」
ロタリーさんがそう告げた瞬間、漂うマナがどんどんと濃くなっていく。
「門は記憶に宿り、記憶は魂に宿る。魂は歩んだ道を刻み、道は名を持たぬ影を生む」
緊張が私達を覆うけれど、不思議と今は怖くない。
「影は恐怖を抱き、恐怖は心を縛る。縛られた心は過去へと沈む」
ドクンドクンと鼓動が早くなる。
「我は問う。歩んだ日々は偽りか。失ったものは虚像か。抱いた罪は真実か。汝が見た過去を、我は門として開く」
「くるぞ……っ!」
「魂よ、震えて進め──禁忌魔法 過去の門!」
『グワァァァァァァ!!』
私達の最後の戦いが、今始まった。
過去の門詠唱全文です。
門は記憶に宿り、記憶は魂に宿る。
魂は歩んだ道を刻み、道は名を持たぬ影を生む。
影は恐怖を抱き、恐怖は心を縛る。
縛られた心は過去へと沈む。
我は問う。
歩んだ日々は偽りか。
失ったものは虚像か。
抱いた罪は真実か。
汝が見た過去を、我は門として開く。
魂よ、震えて進め──禁忌魔法 過去の門




