禁忌の底で灯る希望
エルドラシアの街は、混乱の渦に飲まれていた。
魔物召喚で街中に溢れた魔物。
その討伐に奔走する冒険者。
逃げ惑う住人。
泣き叫ぶ子供。
怒号や悲鳴、そして破壊音。
しかし──その混乱は、ある瞬間を境に質を変えた。
街の中央通り。
討伐されたばかりの魔物の前で、一人の青年が膝をついた。
倒れた魔物は、白い毛並みをした犬のような姿。
その顔を見た瞬間、青年の表情が凍りついた。
「……ミルク……?」
震える声。
震える手。
青年は魔物の頬に触れた。
「ミルクだ……ミルクなんだ……!」
その叫びは、街の空気を一瞬で変えた。
周囲の住人が振り返る。
冒険者が動きを止める。
誰もがその言葉の意味を理解できずに固まった。
青年は、討伐した冒険者へ向き直った。
「なんで殺したんだ……! この子は……この子は私の家族なんだ……!」
「ま、待ってくれ! 魔物だったんだ! 危険で──」
「黙れ!!」
青年の叫びは、街に響き渡った。
その叫びを皮切りに、街のあちこちで同じ光景が広がり始めた。
最悪が始まった。
「この模様……うちの猫だ……」
「嘘だ……嘘だろ……?」
「なんで……なんでこんな……!」
倒れた魔物の姿を見て、住人達が次々と気づいていく。
失踪した家族が、魔物になっていたことに。
その気づきは、まるで油を注がれた火のように広がった。
住人の表情が変わる。
恐怖から怒りへ、怒りから憎悪へ、憎悪から暴発へ。
街の空気が、ゆっくりと、しかし確実に変質していく。
討伐した冒険者達も、気づき始めていた。
自分が斬った魔物の顔、その模様、その仕草、その鳴き声。
それらが、住人の大切な家族だったことに。
「俺……俺が……」
「違うんだ……魔物だったんだ……!」
「そんな……そんなはず……!」
剣を持つ手が震え、力を失っていく。
罪悪感が街の空気を重く沈めた。
ある冒険者は剣を落とし、膝をついた。
ある冒険者は顔を覆い、震えた。
ある冒険者は住人に謝罪しようとして、言葉が出なかった。
誰もが、自分の犯した罪を理解してしまった。
住人の怒り、冒険者の罪悪感、街の混乱、魔物の襲来。
その全てが、臨界点へと達した。
そしてプツン──
怒りと悲しみの境界が、ひとつの音を立てて崩れた。
「討伐をやめろ!!」
「うちの子を殺すな!!」
「返してくれ!!」
「ふざけるな!!」
住人達が冒険者の前に立ちはだかる。
魔物を倒そうとする冒険者を、住人が体を張って止める。
「危険です! 離れてください!」
「嫌だ!! あの子は家族なんだ!!」
押し返す冒険者、泣き叫ぶ住人。
周囲の人々も巻き込まれ、声が重なり、空気が震える。
街は、完全に機能を失った。
ある住人は冒険者の腕を掴み、討伐を止めようとした。
ある住人は魔物の亡骸を抱きしめ、泣き崩れた。
ある住人は冒険者へ怒号を浴びせた。
冒険者達も限界だった。
「離れてください! 危険なんです!」
「俺だって……俺だって好きでやってるわけじゃない!!」
「くそ……なんでこんな……!」
怒りと罪悪感が混ざり、冒険者の声も荒くなる。
住人は怒り、冒険者は苛立ち、街は混乱し、魔物は迫る。
誰も正しく動けない。
誰も冷静ではいられない。
誰もこの状況を止められない。
やがて、住人達の怒りは抵抗から暴動へと変わった。
「冒険者が家族を殺している!!」
「魔物討伐をやめろ!!」
「家族を返せ!!」
怒号が街を覆い、冒険者達は討伐どころではなくなった。
避難誘導は止まり、魔物討伐は止まり、魔法陣解除の作戦も止まる。
街は──完全に崩壊した。
それはまさしく、崩壊への連鎖だった。
魔物召喚が生んだ魔物。
その魔物が住人の家族だったという事実。
それを討伐した冒険者の罪悪感、住人の怒り、街の混乱。
全てが繋がり、全てが積み重なり、全てが一つの結末へ向かっていく。
暴動は──必然だった。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「……終わったな」
ギルドの窓から見える街は、もはや戦場ではなかった。
魔物との戦いではなく、人と人がぶつかり合う暴動の渦だった。
怒号が響き、泣き声が混ざり、冒険者の叫びが重なる。
魔法陣解除どころではない。
この街は、もう正常に機能していない。
俺は拳を握りしめた。
怒りか、悔しさか、恐怖か。
自分でも分からない。
その時、ふらふらとした足取りでリシュアが立ち上がった。
「……放送塔へ行きます」
その声は震えていた。
だが、確固たる意志が宿っている。
「放送塔で……この暴動を抑えます」
「無茶だ! 今は街が混乱している。外に出れば暴動に巻き込まれるぞ!」
リシュアはゆっくりと顔を上げる。
その瞳は決意で満ちている。
「私が……希望を支えるんだ」
「……」
その言葉に、胸が痛んだ。
魔法陣をなんとかしてみせると言ったのに、諦めた自分が恥ずかしくなる。
「頼む……私を放送塔まで連れて行ってくれ!! アレン殿にしか出来ないんだ!」
リシュアは一歩、俺へ近づいた。
その瞬間──頭の奥で、あの声がちらついた。
『お前のせいで!』
「くそっ!」
反射的に頭を叩いた。
痛みで意識を引き戻す。
「アレン殿がいるから……この作戦を立てられる!! だからどうか……どうか……!」
そんな俺に構わず、リシュアは必死に言葉を続けた。
その言葉に息が詰まる。
悔しさと、情けなさで吐きそうになる。
覚悟の時だ。
一つ深呼吸をして、リシュアに目を合わせた。
「しっかり捕まっててくれ」
胸の奥で、覚悟と恐怖が静かに交差した。
ギルドの扉を蹴り開け、屋根へ飛び移る。
暴動の被害が届かない場所を選びながら、屋根から屋根へ跳ぶ。
街の下では、住人と冒険者がぶつかり合っていた。
「お前のせいで家族が死んだんだ!!」
その叫びが、胸を刺す。
そして──またあの声が反響した。
『お前のせいで!』
足が止まる。
呼吸が乱れる。
視界が揺れる。
やめろ……やめろ……!
頭を振っても声は消えない。
頭を叩いても意識が戻らない。
むしろ反響していく。
「治っていないって……そういう事なのね」
リシュアの言葉が、胸に突き刺さる。
次の瞬間──猫型の魔物が屋根へ飛び上がってきた。
「っ──!」
俺は反射的に別の屋根へ跳ぶ。
だがすぐに別の猫型魔物が回り込む。
完全に逃げ道を失った。
殺すことは容易だ。
だが──それが出来ない。
目の前の魔物が、何故かリーダーに見えてくる。
『お前のせいで死んだんだ!』
体が震え、動かない。
「アレン殿……!」
リシュアが俺から離れ剣を抜き、魔物へ向かおうとする。
しかし、住人はそれを許さない。
「見つけたぞ!!」
住人の叫び。
次の瞬間、石が飛んできてリシュアの手に当たった。
「っ──!」
剣が落ち、リシュアは武器を失った。
俺は動けない、リシュアも動けない、魔物が迫る。
その時だ──
「簡易光魔法! サレマ・ルミナバースト!!」
光の玉が魔物達を撃ち抜いた。
眩い光が屋根を照らし、魔物が吹き飛ぶ。
振り向いた。
そこには──リオがいた。
「私が……支えます!!」
視界が晴れた。
リオを見た瞬間、あの声がだんだんと薄れていく。
俺はリオから顔を隠した。
泣いている顔を見せたくなかった。
「……頼んだ」
背中を向けたまま言うと、リオの力強い声が聞こえてくる。
「はい!!」
俺は前へ進む。
リオの魔法が、的確に魔物を撃ち落としていく。
まるで光が道を照らすように。
その光に支えられながら屋根から屋根へ飛び移る。
暴動の渦を避けながら進む。
リオの魔法が、俺達を守り続ける。
そして──放送塔が見えた。
あと少し。
あと一歩。
だがその瞬間、視界が揺らいだ。
屋根が脆かったのか、足元が崩れていく。
「諦めるか! リシュア! 投げるぞ!!」
「はい!!」
俺は全神経を集中させ、放送塔の窓を見る。
一室、扉が閉まっていない場所がある。
「うおぉぉぉぉぉ!」
その扉に向かって全力でリシュアを投げた。
完璧な軌道で窓へ飛んでいくリシュアを見届けながら、地面に転がり落ちる。
「かはっ……はぁはぁ……」
放送塔を見上げると、リシュアが窓から侵入する姿が見える。
この様子ならうまくいくだろう。
そんな達成感の余韻に浸っていると、視界にリオが入る。
頭を優しく撫でられた。
「お疲れ様です」
リオは頭から血を流し、息も荒く、ボロボロになっていた。
きっと石を投げられたのだろう。
魔物に襲われたのだろう。
それでも彼女は、俺の為に命を張ってくれた。
「無茶……しやがって」
泣きそうで震える声を必死に抑え、そう告げる。
するとリオは泣き笑いのような顔で答えた。
「無茶させてください……あなたを支えたいから……」
「……そうか」
俺は目を閉じた。
放送塔の鐘が、遠くで鳴っていた。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
暴動の渦が街を飲み込んでいた。
怒号、泣き声、冒険者の叫び、住人の悲鳴──
その全てが混ざり合い、エルドラシアは崩壊していく。
しかし、その崩壊を切り裂くように放送塔の鐘が鳴った。
次の瞬間──街全体に声が降り注ぐ。
『この大バカモノどもが!!!』
怒りそのものの声だった。
街の空気が一瞬で止まる。
『エルドラシアの住人を守りし者共よ!!』
その呼びかけは、怒りと悲しみが溶け合い、街の心臓を叩いた。
『何をうなだれている!!顔を上げろ!!』
冒険者達が震えながら顔を上げる。
罪悪感で潰れそうになっていた彼らの瞳が、リシュアのいる放送塔を映す。
『住人に責められたから正義を捨てるのか!? 泣かれたから剣を置くのか!? それで……守れると思うのか!!』
「そんなわけない! ……でも……でも!」
胸の奥に刺さった彼らの罪悪感が、リシュアの言葉で揺さぶられる。
『あなた達は……守ろうとしたんだ!! その行動は、誰よりも正しい!! その正義を……今ここで捨てるな!!』
「……っ!」
揺れていた瞳に、光が戻り始める。
剣を握る手が、少しだけ力を取り戻す。
『今一度言う! 顔を上げろ! 守ろうとした人々の希望を踏みにじった者を……許していいのか!!』
「いいわけないだろ!」
「そうだ! 許せるわけがねぇ!」
拳が震え、剣を握り直す。
『怒れ!! 怒りを黒幕へ向けろ!! あなた達の正義は……まだ死んでいない!!』
その瞬間、冒険者の胸奥で消えかけていた火が、再び赤く灯った。
『次に──住人!!』
その言葉に住人が一斉に放送塔へ顔を向ける。
『怒れ!! 家族を魔物にされたんだ!! 怒るなという方が無理だ!!』
家族の亡骸を抱える手を震わせ、目に怒りを宿す。
「……返してよ……なんで……なんでこんな……!」
『泣け!! 叫べ!! 悔しがれ!! その気持ちは全部、全部正しい! あなた達の家族は……奪われたんだ!!』
家族の亡骸に縋りつき、冷たくなった体に顔を埋める。
住人達の涙が、街の空気を濡らす。
『だが──怒る相手を間違えるな!!』
「──っ!」
リシュアは怒りも悲しみも否定しない。
だからこそ彼らは、リシュアの声に耳を傾ける。
『家族を奪ったのは冒険者ではない!! 魔物でもない!! あなた達の家族を魔物に変えたのは──この街に魔法陣を描いた黒幕だ!!』
「そうだ……そうだよな」
「くそ……何をしてるんだ俺は……っ!」
その声は彼らの耳に届き、彼らは声を肯定する。
住人の怒りが、ゆっくりと方向を変える。
『住人!! 冒険者の顔を見ろ!!』
住人達が冒険者を見る。
『彼らは泣いている!! あなた達の家族を守れなかったと……泣いている!! 責められたくて剣を振ったわけじゃない!! 守りたかったんだ!!』
冒険者は涙を流し、震える声で言う。
「すまない……守れなくてすまない……」
住人も涙を流しながら答える。
「……ごめんなさい……私こそごめんなさい……!」
『冒険者!! 住人の顔を見ろ!!』
冒険者達は涙を流し、震わせながら住人と目を合わせる。
『家族を失って……泣いている!! あなた達を責めたいわけじゃない!! ただ……悲しいんだ!!』
住人が血だらけの亡骸を抱きしめ泣き崩れる。
「うっ……うぅ……ごめんね……頼りない飼い主でごめんね……」
冒険者は歯を食いしばる。
「くっ……!」
その瞬間──互いの怒りが、互いの悲しみへと変わった。
『怒るべき相手は……互いではない!!』
リシュアの声が街を貫く。
『家族を奪った魔法陣を描いた黒幕だ!! あなた達の怒りは……全部、そいつに向けろ!!』
住人と冒険者が同時に叫ぶ。
「そうだ……! そうだ!!」
「許してなるものか!!」
街の空気が変わる。
怒りが一つの方向へ向かい始める。
『家族の死を……無駄にするな!! あなた達の正義を……無駄にするな!!』
リシュアは拳を握りしめ、叫ぶ。
『怒りを力に変えろ!! 悲しみを行動に変えろ!! 魔法陣を探せ!! 見つけたら叫べ!! 誰かが必ず駆けつける!! 街全体で魔法陣を消すんだ!! 家族を奪った魔法陣を……一つ残らず消し去れ!!』
そして最後に──
『今こそ……反撃の時だ!! エルドラシアは……まだ終わっていない!! 共に立ち上がるのだ!!』
「「「うぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」」」
その瞬間──街の空気が完全に変わった。
怒りは黒幕へ向かい、悲しみは行動へ変わる。
その変化は、街の隅々まで波紋のように広がった。
絶望は──希望へと反転した!
「魔法陣を見つけた!!」
「こっちにもある!!」
「誰か来て!!」
住人達は家々を駆け回った。
壁、床、家具の裏、屋根裏、地下室。
あらゆる場所を探し始める。
魔法陣を見つければ叫ぶ。
誰かが必ず駆けつける。
その連携は、まるで街全体が一つの生き物のようだった。
怒りが、悲しみが、希望が、同じ方向へ向かっていく。
「魔物発見!!」
「任せろ!!」
「住人を守れ!!」
冒険者達は再び剣を振るい始めた。
住人の悲しみを見た。
住人の涙を見た。
住人の怒りを見た。
だからこそ──もう迷わない。
「俺達は……守る!!」
その叫びは、街の至る場所で響いた。
剣が振るわれ、魔物が倒れ、住人が救われる。
冒険者の正義は、再び燃え上がった。
魔法陣はどんどんと解除されていく。
最初は十個程度だった解除報告が──
街が動き始めた瞬間から跳ね上がった。
「伝令!! 魔法陣五十解除!!」
「伝令!! 魔法陣百解除!!」
「伝令!! 魔法陣二百解除!!」
住人が動き、冒険者が動き、街全体が動く。
その勢いは止まらない。
まるでこの街の希望の如く、解除数はどんどんと膨れ上がる。
「伝令!! 魔法陣三百解除!!」
「伝令!! 魔法陣五百解除!!」
「伝令!! 魔法陣七百解除!!」
魔物の数は見るからに減っていく。
街の空気が変わる。
絶望が薄れ、希望が街を照らしていく。
そして──
「伝令!! 魔法陣解除数、一万突破!!」
その声は、街全体を震わせた。
核魔法陣の前に立つロタリーは、静かに目を閉じた。
核魔法陣は、街中の出力魔法陣の状態を映す。
出力魔法陣が残っていれば、核は光り続ける。
出力魔法陣が全て消えれば、核は沈黙する。
ロタリーはゆっくりと目を開けた。
核魔法陣は──沈黙していた。
ロタリーは震える唇を押さえ、ゆっくりと、ゆっくりと笑った。
「……消えました」
その一言は、街全体に響き渡った。
歓声が上がる。
泣き声が上がる。
剣を掲げる者、抱き合う者、膝をついて泣き崩れる者。
エルドラシアは──反撃の街となった。
本日は現在と、12時前後、19時前後の計3本投稿予定です。




