禁忌の魔法陣
ロタリーの最悪だという言葉が落ちた瞬間、ギルド内に音のない音が響いた。
まるで誰かが床に沈黙を落としたような重い衝撃だった。
リシュアが椅子を軋ませて身を乗り出す。
その軋みだけが、静まり返った空間にやけに大きく響いた。
「ロタリーさん……何が最悪なのですか」
ロタリーはゆっくりと顔を上げ、深い青の瞳で全員を見渡した。
「これは──禁忌魔法、連鎖魔法陣です」
その言葉に、ギルド内の空気が止まった。
俺の知らない単語だった。
リシュアも同じらしく、すぐに問い返す。
「連鎖魔法陣……? それは何ですか」
ロタリーは淡々と説明を始める。
「中央に核魔法陣と呼ばれる発現魔法の設定とマナの貯蔵が可能な魔法陣を一つ描き、その周囲に出力魔法陣と呼ばれる魔法を発現させる魔法陣を描く詠唱法です」
「えっと……」
「すみません、簡単に言えばマナを貯蔵する魔法陣、魔法を発現する魔法陣に分けて描く魔法陣です」
「す、すみません。要約ありがとうございます……」
説明に困惑したリシュアに気を使って、ロタリーが要点をまとめる。
皆はその要約を聞いても、あまりピンと来ていないようだ。
それが何故最悪なのか、何故問題なのか、あまり実感できていない様に見える。
正直俺も、話が見えてこない。
「失礼しました。連鎖魔法陣の問題点を語るにはその性質を知っていただく必要があるので……少々お時間をいただいても?」
「大丈夫です、お願いします」
「かしこまりました」
ロタリーは魔法で空に二種類の魔法陣を描いた。
大きい魔法陣が一つ、小さい魔法陣が五つ。
大きい方が中央に、小さい方が周りを取り囲むように。
「まず、改めて連鎖魔法陣の構造から説明します」
彼女は中央の大きな魔法陣を指す。
「これが核魔法陣。大量のマナを貯蔵し、魔法の本体を担う魔法陣です」
次に周囲の小さな魔法陣へ指を移す。
「そしてこちらが出力魔法陣。核魔法陣に記された魔法を発現させる出口です」
ロタリーはそこで手を止め、静かに続ける。
「連鎖魔法陣の問題点は二つあります」
「一つ目は……核魔法陣が大量にマナを貯蔵できるって事か?」
「はい。核魔法陣は通常の魔法陣とは比べ物にならないほど大量のマナを貯蔵します。そのマナが誘引となり、魔物を引き寄せてしまうのです」
なるほど、千体近くの魔物が近づいたのはそれが原因か。
「そして当然それは解除までの間ずっと続きます。これが一つ目の問題です」
「くっ……ではどの様に解除すればよいのでしょう……」
「……それが二つ目の問題になります」
その言葉を聞いた瞬間、ロタリーの顔が曇った。
その問題点こそがロタリーの言う、最悪の正体なのだろう。
「連鎖魔法陣を解除するには、出力魔法陣を全て消さなければなりません。本体である核魔法陣のみを消す方法は存在しないのです」
「……?」
リシュアは首を傾げる。
何が問題なのだと言いたげだ。
「ならば出力魔法陣を消せばよいのだろう? 我々の統率力を持ってすればそれは──」
「可能でしょうが、時間がかかるでしょうね」
ロタリーはそう言うと、空に次々と小さな魔法陣を描いていく。
「出力魔法陣は、核魔法陣から一定距離内という制約こそありますが……描ける数に上限がなく、そして小さく描くことが可能です」
ロタリーは説明をしながら描き続ける。
十、二十と魔法陣の数はどんどんと増えていく。
そして空が魔法陣で埋め尽くされた所で、描くのをやめた。
「大量のマナで魔物を呼び寄せる核魔法陣を解除するには、上限なく描かれた出力魔法陣を全て消さなければ解除できない。これが、連鎖魔法陣が禁忌魔法に指定された理由です」
なるほど……禁忌に指定されるだけあって、とてつもなく厄介だ……。
出力魔法陣がある限り核魔法陣の解除は不可能。
核魔法陣がある限り出力魔法陣は魔法を発現する。
そしてその出力魔法陣は上限なく描ける。
しかも今発現している魔法は魔物召喚。
解除が遅れれば遅れるほど街中の魔物は増えていく……。
「……その描いた数を確認する方法はありますか?」
「ありません、ただ核魔法陣を見る事で全て無くなったかどうかは確認可能です」
「で、では先程の三十個のように、概算することは……?」
「描ける範囲と被害状況から、ある程度は可能です」
「で、では何個ほどに……」
そうだ、そこが問題なんだ。
出力魔法陣の数に上限がないという事は、百も千も描けるのだろう。
皆が固唾を飲み見守る中、ロタリーは目を閉じ、深く息を吸った。
そして──静かに告げる。
「……一万個と推測されます」
「なっ──」
ギルド内の全員が凍りついた。
一万だと……そんなの……無理じゃないかっ……!
さっきまで十や二十の世界だったんだぞ……!
「……一万……そんな……」
リシュアの顔から血の気が引いている。
声が震え、膝が床についていた。
「……最初から、詰んでいたんです」
その言葉が、ギルド内の最後の希望を完全に砕いた。
俺は拳を握りしめた。
だが、悲しい事にきっと最悪は続いている。
何故なら先程までひっきりなしで届いていた伝令が止まっている。
外で何かが起きているんだ……。
「ギルド長!!」
「どうした……?」
「ギルド長……? あ、いえ、その……」
「すまない、情けない所を見せた。続けてくれ」
「……はい」
リシュアは立ち上がり、伝令係の男に目を合わせる。
すると彼は目を逸らし、絞り出すように最悪を報告する。
「住人から……街内の魔物討伐に対する反対運動が起きております……」
「何故そうなる……!」
予想通りだった。
やはり外で最悪が起きていた。
そして──このケースを俺は想像していた。
だが残酷すぎて、直視できなかった。
「住人が……失踪したペットが魔物化している事に気付きました……」
「そうか……」
「また冒険者達も魔物の正体に気づき……討伐に苦戦しております」
「そうか……」
リシュアはもう、そうかとしか返せていない。
それ以外の言葉が出せないのだろう。
「ロタリー……生物を元に戻すことは出来るか?」
「残念ながらアレンさん、一度魔物になればそれまでです。そして魔物召喚で魔物化された生物はマナを取り入れる事が出来ないので……おそらく今日のみの命でしょう」
ギリッ──と奥歯が軋む音が自分でも聞こえた。
怒りが喉の奥からせり上がってくる。
熱い、焼けるように熱い。
誰かがこの街の命を玩具にした。
誰かがこの街の悲しみを計画に組み込んだ。
誰かがこの街を壊すために、犬や猫を素材にした。
許せるわけがない。
拳を握りしめた。
爪が掌に食い込み、血が滲むほど強く。
けれど俺に出来る事は何もない。
ぽたり……ぽたり……。
拳から落ちる血の音が、怒りの鼓動みたいに耳に残った。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
リシュア・エルドラシア──
その名は、タストーラ王国の防衛を象徴する肩書きとして語られることが多い。
だが本人にとってその肩書きは栄誉ではなく、呪いだった。
最年少で冒険者ギルドの長に就任した日。
祝福の声よりも先に、彼女の耳に届いたのは冷たい囁きだった。
『若い女がギルド長? エルドラシアも人材不足だな』
『どうせ飾りだろう』
『失敗したらすぐに交代だな』
その言葉は、刃のように胸へ突き刺さった。
だが反論する余裕などなかった。
彼女はただ──生きることに必死だった。
冒険者ギルドの長という肩書きは、街で最も重い責務を背負う立場だ。
エルドラシア王国の防衛目的は、魔物からの安全確保。
故に何かあれば指揮を取るのは冒険者ギルドの長となる。
防衛ギルド、治安維持ギルドと役割毎に独立はしたが本質は変わらない。
結局は全て、冒険者ギルドからの派生でしかなかった。
王国からの命令、街の防衛、冒険者の管理、治安維持、住民の生活。
その全てが、彼女の肩に積み上がっていく。
毎日、心が軋む音がした。
誰にも弱音を吐けず、誰にも頼れず、誰にも甘えられない。
ただひたすら、責務に押し潰されないように耐えるだけの日々。
辞められるのなら辞めたい。
死ねるのなら死にたい。
楽になれるのなら早く楽になりたい。
そう思った時に限って、心の声が響く。
──自分が楽になればこの街はどうなる?
彼女は、自分という存在よりも重い責務を心に抱いて沈んでいた。
そんな日々が続いたある日。
王都での会議を終え、エルドラシアへ戻る道中にリシュアは運命と出会った。
朽ち果てようとしている一人の女性。
地面に倒れ、息も絶え絶えで、まるで死を待っているかのような姿。
それが──カイラムだった。
彼女を見て最初に湧いた感情は、同情でも心配でもなく。
ただただ純粋な、怒りだった。
自分は死ぬことすら許されない。
責務に縛られ、ただ耐えるだけの日々。
なのに目の前の女は、死を選ぼうとしている。
その理不尽に、胸が焼けるほどの怒りが湧いた。
リシュアは手に持っていた水筒を開け、朽ちようとしている彼女の口へ水を注いだ。
死ねない苦しみを味わわせてやる。
これで少しは溜飲が下がるだろう。
そんな幼い復讐心だった。
しかし、水が口に触れた瞬間カイラムの体は勝手に動いた。
水を飲み、糧を求め、生に縋りつくように震える。
涙を流しながら、必死に生きようとする。
その姿を見た瞬間、リシュアは息を呑んだ。
勝手に自分で自分を縛り付けて、生きようともせず死のうともせず。
ただ責務を抱いた人形のような日々を過ごしている。
そんな自分が恥ずかしくて、悲しくて、思わず言葉が漏れた。
──生きよう
その一言が、リシュアの運命を変えた。
後にリシュアは知る。
彼女が国一番の戦闘力を持つ女だと。
リシュアは即座に決断した。
彼女を防衛兵として雇おうと。
それは打算であり、計画であり、自分勝手だった。
少し楽をしたい。
彼女と出会ってから初めて行った、生きるための卑怯。
そんなリシュアに彼女は言った。
──私が希望になる
カイラムはその実力を発揮し、エルドラシアを守り続けた。
魔物百体をたった一人で蹴散らし、討伐難易度高五の穿牙蟲を単独で撃破した。
その姿は、まさに希望そのものだった。
故にリシュアは決意した。
──私は希望を支える砦になる。
彼女は心に抱いた錘という名の責務を、生きる目的へと変えた。
リシュアは初めて、生きる理由を得た。
それからの日々は、以前とは違った。
重圧は変わらない、嫉妬も陰口も消えない。
失敗が許されない環境も続いた。
だが、孤独ではなかった。
カイラムがいた、希望があった、守るべきものがあった。
だが今、その希望が絶望に飲まれようとしている。
街は崩壊の縁に立ち、希望であるカイラムは群生の中で孤独に戦っている。
リシュアは震える膝を押さえ、立ち上がる。
彼女を動かすのは責務でも立場でもない。
希望を守るという──生きる目的だった。




