魔法陣が届ける最悪の序章
街を覆うマナの奔流は、不快そのものだった。
じめじめとした湿気のごとくマナが肌に張り付き、ぬめっとしたナメクジが這うような悪寒が背筋を撫でる。
間違いない。
この空気中に感じる異常なマナは魔法陣によるものだ。
「何これ……魔法陣……?」
「どうなってんだ……?」
俺が呟いた瞬間だった。
街の奥から、甲高い悲鳴が響いた。
「きゃあああああ!!」
「魔物だ!! 魔物が街に入ってきたぞ!!」
「なんで街中に……!」
人々が四方八方へ逃げ惑う。
見た事のない犬や猫のような中型くらいの魔物が、まるで何かに追われるように街へ雪崩れ込んでくる。
「……っ!?」
更に街の外からは、蛆虫が湧いたように小さなマナが大量に蠢いているのを感じる。
小刻みに地面が震え、その振動が足元へ伝わる。
警戒を促す直感がピリピリと全身を伝う。
隣を見ると、カイラムが固まっていた。
その瞳が、遠くを見るように細められる。
カイラムも同じ感覚を感じたのだろう。
魔物の大群がここに迫っている……!
「……外から来る」
低く、揺るぎない戦士の声に俺が頷く。
「これは相当な数だぞ……分かるかカイラム」
「千匹……いや、それ以上だ。魔物の群生がこの街に向かってる」
「くそっ……マナに充てられたか」
街の放送塔がけたたましく鳴り響いた。
『緊急警告! 街中に魔物が侵入! 住民は直ちに避難を!』
『エルドラシア外周にて大規模魔物群生を確認! 防衛兵は至急配置につけ!』
俺達が気づいた直後、その警報が鳴り響き街中は一瞬で大混乱に陥った。
泣き叫ぶ子供、荷物を抱えて走る大人、魔物に追われる人々。
「カイラム!」
「うん!」
俺たちは目の前の魔物を倒し、避難誘導を始めた。
武器は手元にないので素手で倒す。
全部宿に置いたままだったが、魔物が弱くて助かった。
「アレン、もういいから逃げて!」
カイラムはきっと色々考えてくれているのだろう。
さっきのドラゴンの話もだ。
情けない話、今はドラゴンという単語を聞くだけで体が反応してしまう。
だけど……悪いなカイラム、俺もそんな器用じゃないんだ。
「ダメだ。お前一人には戦わせない」
カイラムが目を見開く。
その顔は、呆れと、少しの嬉しさが混ざったような複雑な表情だった。
「……ほんと、アレンってバカ」
「バレたか」
俺達は少し笑った後、すぐに情報共有を開始した。
「今のエルドラシアの魔力濃度程度だと多分ドラゴンは来ない。ただ、魔物の群生がここに接近してきたら分からないと思う」
「そうだな、だとしたらやるべき事は魔法陣の解除が優先か」
魔物が来る理由は魔法陣が蓄えている大量のマナが原因だ。
魔法陣を消せば溜め込んだマナは霧散し、ある程度魔物も冷静になるだろう。
それに放置すると、マナにつられた魔物がどんどんと増えていく可能性がある。
「アレンには魔法陣の解除をお願いしていい?」
「分かった。この街の人間を動かせる人はどこにいる? その人と連携を取りたい」
「リシュア……この街の責任者は、さっきの放送で冒険者ギルドに向かったと思う」
「そうか、分かった。ありがとう」
やるべきことが、はっきりした。
まずはリシュアという人間に状況を伝えねば。
「お前はどうする?」
「私は魔物をできるだけ倒して、侵攻を遅らせる」
「そうか、頼んだ」
何をバカな、と普通の人間相手なら言っただろう。
だが相手は普通でないカイラムだ。
カイラムがそう言うなら出来るって事だ。
俺は信頼して彼女に託す。
「こっちは俺に任せろ、お前も頼んだぞ」
「うん、任せて」
カイラムが少しだけ笑った。
その瞬間、すぅっと心が楽になる。
何年たっても、俺のコイツに対する信頼は変わらないみたいだ。
「それじゃ」
「うん」
魔物がこの街に来る前に、絶対になんとかして見せる。
コイツの信頼を裏切らないために。
そしてこの街の皆を守るために。
もう二度と、ドラゴンからは何も奪わせない。
俺は決意を新たに、行動を開始した。
まず俺は宿へ戻り、最低限の装備を整える。
護衛依頼用の装備しか持ってきていないが、無いよりかは遥かにマシだ。
次に、同じ宿にいるリオ、ギルド長、ミーナを集める。
状況を整理し、ギルド長にはリシュアへの状況報告を依頼した。
俺の言葉より、ギルド長の言葉の方が信頼されるだろう。
そして三人には一緒に動いてもらうことにした。
魔物の正体が分からない以上、一人で街を歩くのは危険だ。
ギルド長とミーナは戦えるし、リオも魔法が使える。
この三人なら十分に対応できるだろう。
「頼む、力を貸してくれ」
「もちろんです!」
「言われなくても貸しますよ」
「あぁ、任せてくれ」
俺はもう一人で抱え込まない。
皆で協力して、この街を、皆を、そしてカイラムを守るんだ。
情報共有を終えた俺は、街へ出た。
魔物を倒しながら、冒険者たちへ魔法陣の存在を伝えるためだ。
ギルド長が報告してくれるとはいえ、いつ伝わるかは分からない。
だから俺は街中の冒険者へ直接伝え、情報を拡散する必要があった。
「きゃぁぁぁぁ!?」
「くそっ、数が多すぎる!!」
だが街はすでに混乱しきっていた。
小型の魔物が建物の影から飛び出し、人々を追い立てている。
これでは拡散も何もない。
「今助ける!」
俺は迷わず剣を抜き、最短で魔物を斬り伏せた。
冒険者が驚いた顔で振り返る。
「す、すごいな、あんた……」
「ここは俺に任せてくれ! その代わりあんたにはギルドの方に戻って情報を伝えてほしい」
「分かった!」
俺は冒険者に、この街に大規模な魔法陣がある事を伝える。
あまりに突拍子のない内容に疑問を感じているが、それでも頷いてくれた。
「くそっ……なんだってそんなものが急に……!」
「分からない! でも確かなんだ! 報告を急いでくれ!」
「わ、分かったよ! あんた悪い奴には見えないしな……報告してくる!」
「あぁ! 頼んだ!」
冒険者は走り去り、別の冒険者が駆け寄ってくる。
「おいあんた! 魔法陣の話って本当か!?」
「本当だ! 早くギルドへ伝えてくれ! ここら辺の魔物は蹴散らしておく!」
俺は魔物を斬りながら、次々と冒険者へ情報を渡していく。
街の混乱は増していくが、情報が広がればギルドの動きも早くなる。
俺が今できる事は、これくらいだ。
できないことを抱え込まず、できる人に任せるんだ。
最近痛い目を見た経験が、ここで活きるとはな。
「魔法陣だ! ギルドに伝えてくれ!」
「分かった!」
そろそろだろうか。
街中の魔物を倒し続けた結果、ある程度は魔物の数が減ってきた。
ただ……それでもまだまだ魔物が出てくる。
どうなっているんだ……あまりに魔物の数が多すぎる。
というか何処から入ってくるんだ、この魔物は……。
「くそっ、どっかから湧いてきてるんじゃ無いだろうな」
「正解、その通りです」
何処からか聞こえた声の方向に振り向くと、一人の女性がいた。
「何者だ!」
「ロタリーです。エンディルのギルド長をしています」
「そうか、それでさっきのその通りとはどういう事だ」
ギルド長を名乗る彼女にゆっくりと詰め寄っていく。
この事態について何かを知っていそうだ。
無警戒というわけにはいかない。
「あなた、もしかしてアレンさんですか?」
「だったらどうする?」
「冒険者ギルド……いえ、リシュアさんの元まで護衛をお願いします」
彼女はその深い青色の瞳をこちらへ向ける。
その瞳には一切の揺らぎがなく、まさに冷静を感じさせる。
敵という感じはしなかった。
「分かった。たださっきの魔物が湧いているという事については説明してもらうぞ」
「もちろんです」
俺は残っている冒険者に周辺を任せ、彼女を護衛しながら冒険者ギルドへと足を進める。
その道中、ロタリーは俺の横を歩きながら、淡々と口を開いた。
「……魔物召喚です」
「魔物召喚……聞いた事がない」
「そうでしょうね、禁忌の魔法ですから」
「嘘だろ……」
「残念ながら本当です」
禁忌の魔法とは、使用や研究の一切を禁止された魔法だ。
人を操る魔法、死者を蘇生する魔法、大規模な攻撃魔法などよう々ある。
だが禁忌魔法は共通して、倫理的に許されなかったり危険だったりと、とてもじゃないが使用する気が起きないような性質ばかりを持つ。
おそらく今回もそうなのだろう。
「……そうか。ちなみにその魔物召喚ってのは、もしかして魔物を無限に呼べるのか?」
俺の疑問に、ロタリーが顔を横に振る。
「いいえ、流石にそんな事は出来ません。それに正しくは召喚ではありません。魔物召喚は生物にマナを無理やり馴染ませ、魔物に変換する魔法です。素体となる生物を使いきれば魔物は出なくなるでしょう」
一体魔物を斬り捨てながら、ロタリーの説明を整理する。
確かに、言われてみれば切った魔物の死体は生物……猫そのものだ。
だが、どう整理しても疑問が湧いてくる。
「少しおかしくないか? 俺はもう三十体近くは倒しているぞ。なのにまだまだ魔物がでてくる」
「それだけ素体が多いという事でしょう」
「チッ……そうかよ、胸糞悪い」
彼女の言葉に嫌悪感を隠せられなかった。
まるで命を道具のように扱うこの魔法が不快で仕方ない。
「……だから禁忌魔法なんですよ。アレンさんは優しい人ですね」
「……普通の意見だ」
ロタリーを護衛しながら、冒険者ギルドへと足を速めた。
こんな胸糞悪い魔法を、とっととやめさせなければ。
冒険者ギルドの建物が見えてきた頃には、街の混乱はさらに増していた。
魔物の数は減ったはずなのに、どこかから絶えず湧いてくる。
魔物召喚について知った今、その光景に吐き気すら覚える。
ギルドの扉を押し開けると、そこにはすでに多くの人間が集まっていた。
街の重鎮と思われる者たちが円卓を囲んでいる。
ギルド長やミーナ、リオ達の姿も見える。
そして円卓の中心に、一人の女性がいた。
その人は俺とロタリーの姿を見つけると、すぐに立ち上がった。
「あなたがアレンさんですか!?」
「はい、そうです。あなたがリシュアさんでいいですか?」
はいと肯定する声には、疲労と安堵が混ざっている。
「ロタリーさんを護衛してくださったこと。そして街中で魔法陣の情報を広めてくださったこと……心から感謝します」
俺は軽く頷いた。
礼を言われるようなことではない。
ただ、できることをしただけだ。
リシュアは続ける。
「あなたのおかげで、魔法陣解除班の編成はすでに完了しています。いつでも開始できます」
その言葉に胸が少し軽くなる。
街の混乱はひどいが、動ける人間は確かに動いている。
リシュアはロタリーへ視線を向けた。
「ロタリーさん。魔法陣が発現している魔法は何ですか? あなたの意見を伺いたいです」
ロタリーは静かに頷き、俺へ話した内容をそのまま連携した。
あたりの人間がざわつく。
禁忌魔法の名を聞いて動揺しない者はいない。
リシュアは深く息を吐き、口を開く。
「ここ最近大規模な犬や猫の失踪事件がありましたから……その子達が使われているのでしょう」
「……そうですか」
誰かがこの時のために計画したのだろう。
しかしなんのために……?
思考に耽る間も、話は進んでいく。
「ロタリーさん。魔法陣はどれくらい描かれていると推測できますか?」
ロタリーは少しだけ考え、答えた。
「正確な数は分かりません。ただ魔物召喚は魔法陣を小さく描けません。この街の規模であれば……三十個程度が限界でしょう」
その数に、リシュアは大きく息を吐いた。
「三十個程度なら問題ありません。すぐに全てを解除してカイラムを助けに行きます」
その言葉で、俺は剣を握り直した。
俺の戦いは終わった。
待っていろカイラム、必ず助けにいくぞ。
「では総員、作戦開始!」
「「「はっ!!」」」
リシュアの号令が響いた瞬間、ギルド内の空気が一気に引き締まった。
魔法陣解除班が動き出し、街へ散っていく。
誰もが緊張していたが──それでも、希望があった。
魔法陣さえなんとかなれば、街は救われる。
その一点が、全員の心を支えていた。
そして──報告はすぐに届いた。
「魔法陣五件の解除を確認しました!」
ギルド内がざわめく。
驚きと安堵が混ざった声があちこちから上がる。
だが、俺とロタリーは顔を見合わせた。
……早すぎる。
魔法陣が大きければ大きいほど解除は難しい。
そして魔法が複雑であれば魔法陣も大きくなる。
五つも同時に解除できるほど簡単な魔法陣ではないと思うが……。
ロタリーも眉をひそめていた。
「……妙ですね。いくらなんでも早すぎます」
ロタリーも俺と同じ疑問を抱いていた。
魔法陣の解除は、もっと時間がかかると思っていた。
この早さは簡単な魔法と同じくらいだ……。
そう考えていると、次の報告が届いた。
「魔法陣、さらに五件の解除を確認!」
ギルド内が一気に明るくなる。
誰かが歓声を上げ、誰かが肩を叩き合う。
だが俺とロタリーは動けなかった。
胸の奥に、嫌な予感が張り付いて離れない。
そして次の報告。
「魔法陣十件の解除を確認!」
リシュアの表情がわずかに強張った。
皆も喜びより先に違和感を覚えている。
そして、さらに報告が続く。
「魔法陣、さらに十件……これで三十件です!」
ギルド内は静まり返った。
誰も喜ばない。
誰も声を上げない。
誰も終わったと感じていない。
まるで──何かがまだ続いているような、そんな空気。
俺も同じだった。
胸の奥がざわつく。
終わった実感がまるでない。
ロタリーも険しい顔で腕を組んでいた。
「……おかしいですね。三十で限界のはずですが」
リシュアも同じ疑問を抱く。
「何かを見落としている……?」
その言葉が空気を震わせた瞬間──報告が届いた。
「魔法陣……四十件目の解除を確認しました……」
ギルド内の空気が凍りつく。
その一言で、全員が理解した。
魔物召喚は三十個どころではない。
「最悪だ……」
ロタリーは何かに気づいてしまったかのように、顔を真っ青に染めた。




