1-16 優奈の消えた帰り道
話は少し遡る。
部内リーグ戦が終わり、みんなで帰路につき、そのうちに優奈が居なくなったことに、真琴が気付いた頃にまで。
「あれぇ。れっちゃん、ななちゃん、葵先輩。優奈先輩、知りません?」
三人は同時に真琴のほうを振り向いた。
そして三人は同時に優奈が居ないことに気づくと、三人同時に、顔を見合せた。
「あれ、どこいったんだろ」
葵が間の抜けた声で言う。
烈火も「居ないですね」と辺りを見回す。
七海は慌てて何度か首を左右に振って周囲を確認してから、やがて顔を青ざめさせた。
不安なんだろうな、と真琴は思った。
真琴の見立てによれば、普段の七海はぶれることのない我が道ちゃんだ。
自分の興味の惹かれるもの、やりたい事に夢中で、周囲の目なんて一切にも気にしない。
しかし、自分の居るコミュニティの中の、自分が居たくて居る世界の中にいる人の感情について、人一倍に敏感な一面を併せ持つようだとも思っていた。
卓球部のメンバーの間での少しの意見の食い違いや、葵と烈火の間でよく起こる煽り合いなんかを目にするたび、七海が毎度毎度眉を潜めながら、視線を右往左往させるのをよく見ている。
こういう時の七海は、妙なほど神経質なのだ。
自分が怒られたり、怒ったりしているわけでもないのに、すくみ上がったり、飛び上がったりすることすらあるのだ。
七海本人が烈火と言い争いをしている場合は、数少ない例外の一つのようだけれど。
ちなみに、真琴はこういう小さな諍いなんかが大好物だ。
何で喧嘩をしているのか、どういう価値観が折衝しているのか、それを追いかけるように観察を続けていると、その人の人となりが、見えてくるような気がする。
何がその人をその人たらしめるのか、分かる瞬間が面白くてたまらない。
しかしこういうものはしばしば軋轢を産むので、止めどころや落とし所を勘案しながら眺めていたりする。
このリーグ戦の間中、優奈の態度はずっと悪かった。
葵が諌めながら割って入ることがあったくらいだ。
その怒りが自分たちでなく、優奈自身に向かっているだろうことは察しがついているが、七海も同じように捉えたとは限らない。
七海との試合の中で一度、優奈が激憤しているところから考えても、七海が、自分が優奈を怒らせているのではないかと、勘違いしていてもおかしくない。
とはいえ、言って聞かせて、納得できるものでもないだろう。
七海を安心させるには、優奈の反応を見せるほうがきっと確実だ。
それに真琴には、優奈がどこへ行った、までは分からなくとも、何をしに行ったか、の見当はついていた。
けれど一年生の真琴には、まだ朝陽東高校にきて一ヶ月程度も経っていない真琴には、土地勘がない。
何処に何があるかが分からない。
だから真琴は調べ始めた。
右手にスマートフォンを、左手に烈火の右手を捕まえて。
烈火は、自分の右手を掴みながらスマホを弄り始めた幼なじみの方を見て、嘆息した。
真琴には、気になることがあると、すぐに調べ物をしはじめ、それにしばらく没頭し続ける癖がある。
学校にいる時は、決まって図書室にこもりきりになるのだが、そうでないときは大抵、今のようにスマホを忙しなく操作し続け、そして食い入るように眺めている。
それをしばしば歩いている時にも行うので、車や電信柱、その他もろもろ、道路にある、あらゆるものにぶつかりそうになったことも、枚挙に暇がない。
しばらくこれを繰り返して懲りたのか、真琴はいつからか、烈火の右手や服の裾のあたりを掴むようになった。
最初は意味が分からなかった。
普段から手を繋いで歩くことなんて滅多にないのに、あるときから、なんの前触れもなく、真琴が手を握ろうとしてくるからだ。
しかも大人しく握られてやると、それからしばらくの間、何を聞いても生返事しか帰ってこないのだから、殊更烈火には分からなかった。
しかしいつしか烈火は、自分を目の代わりにしていることに気づいた。
つまるところ、真琴を先導している烈火がなにかにぶつからなければ、真琴自身もなにかにぶつかることはない、ということのようだ。
そのことに気づいてから一度だけいたずらで、わざと立ち止まってみた事もあったのだけれど、真琴はそれに全く気付かない様子で、烈火を追い越そうとすらしたのだ。
大慌てで正面に割り込んで止めて、ようやく首を傾げながらこちらを見た真琴の、とぼけたような表情が、今も脳裏に焼き付いている。
以来、真琴が何も言わずに烈火の手や服の裾やらを掴もうとしてくるときには、掴まれるままに掴まれ、そして確実に真琴の前を歩くようにしている。
烈火としては、そもそも歩きながら調べ物をするのはやめて欲しいところであるのだけれど、幼い頃から仲の良い烈火は、真琴のこの好奇心から来る見識の深さに、助けられたことが幾度もある。
そのために、強くは咎められないのだ。
この行動が、真琴の強みの源であると知っているために。
けれどなんだかもやもやするし、この時の真琴は何を話しかけても生返事しかしないので、非常につまらない。
烈火は、もう一度大きく嘆息をした。
「ま、いいんじゃない?放っといてあげる方がよかろ」
葵は、どうやら優奈には干渉しない方針のようだ。
試合の前後で優奈の態度が、機嫌が大きく変わることは、葵にとっては毎度のことだ。
二人で大会や遠征やらに行くたびに、電車の中で優奈はずっと俯いて、悔し涙を流しているのを、葵は毎回見ている。
だから今更、優奈のご機嫌が斜めになったところで、正直に言えば予想の範疇だ。
リーグ戦が始まる前から、こうなりうることが、葵には分かっていた。
それにああなった優奈が、かなり強情であることも知っている。
追いかけて何か優しい言葉を掛けたところで、何かが変わることはないだろう。
葵の見立てによれば、優奈の本性は、底なし沼より、底の見えない負けず嫌いだ。
誰が相手であっても、どんな土俵であっても、優奈はただただ逃げたくなくて、ただただ負けたくないのだ。
そこに理由らしい理由なんてありはしない。
だから結果に打ちひしがれるたび、その底なしの負けず嫌いが、優奈を奮い立たせている。
葵は、それを今まで何度も見てきた。
葵に言わせれば、アングラー精神の塊らしい。
一体、何を釣り上げるつもりなのだろうか。
ともかく、優奈に必要なのは言葉や優しさではなく、心の整理をつける時間だ。
時間さえあれば、優奈は独りでに—しかも、とてつもなく早く—立ち直ってくるのを知っている。
ならば、あえて放っておいてあげる方が手っ取り早い。
下手にフォローをして優奈の機嫌を更に損ねるほうが、余程面倒だ。
そういう意味では葵は優奈のことを一切にも心配はしていないし、心配するだけ、余計なお世話だろうと思っているのだ。
しかし七海には、そういう葵の考え方は全く理解出来なかった。
葵の言葉を聞いて、冷たい先輩だ、とすら思ったくらいだ。
というのも七海から見た優奈先輩は、とても怒っていた。
とてもとても怒っていた。
自分が思いつきで、今までやったことのないような戦い方をしてしまったから、優奈が不愉快な思いをしたことは間違いないだろうと思っていた。
慣れてないはずの戦い方を、その場の思いつきで出来てしまうのは、それでもある程度戦えてしまうのは、ひとえに七海の天性的な打球感覚の鋭さを下地とする、七海最大の強みではあるのだが、そのことに七海自身は気づいていない。
自分が優奈先輩を怒らせるきっかけを作ってしまったのだから、自分が誠意を見せないと。
だからひとまず、謝ったほうがいいだろうか。
ひたすら、そのことで頭が一杯だった。
「え。ほっとくんですか?」
七海が僅かに思考を巡らせてから言った。
対する葵は、「うん」とにべにもなく答えた。
「冷たくないですか?だって優奈先輩、あんに怒ってた」
七海の声色に、少しばかり険が交じる。
烈火がどきりとして七海のほうを振り返る。
七海はうつむき加減で、葵のほうを向いているわけではないようだった。
「そお?でも今の優奈のためにしてあげられることって、それくらいしかなくない?」
「私もそう思う。藍沢先輩が欲しいのは、一人でいる時間だと思う。じゃなかったら、一人で勝手にどこかに行かんのと違うかな」
烈火が割り込むように答えると、七海の表情が明らかに曇った。
眉根をぎりぎり寄せて、視線を尖らせ睨みつける。
「れっかまでそう言うか。まこまこ、まこまこもなんとか言ってやってよ」
「なんとかぁ」
「あほ!間抜け!まつ毛パーマ!」
七海がそう叫ぶと共に暴れ始めたので、烈火は七海を止めるのと、真琴のガイドとの間で慌てはじめた。
幸いにも真琴がタイミング良く立ち止まってくれたので、その隙に烈火は、七海を止めるほうに全力を注いだ。
今にも真琴に飛びかからんとする七海を相手に、烈火が腕四つに組んで止める。
華奢で小柄で、そして非力な七海に対して、烈火は男子を相手にしても引けを取らない怪力自慢の持ち主だ。
そう言われることは、乙女心には非常に癪だけれど、今のような状況では非常に役に立つ。
七海がどれだけ暴れようと、抑え込むことは造作もなかった。
烈火の両腕の中で、両腕をぶんぶん振り回す七海を見て、葵は腹を抱えて笑った。
次の瞬間に、真琴がにわかに顔を上げて、それから葵のほうへと向きなおった。
「葵先輩、東朝陽スポーツセンターってどの辺か分かります?」
「スポーツセンター?緑地のほう?」
「多分、それで合ってる思います」
「……あっちかな?」
葵は少し頭を捻ってから、夕日の落ちる方を指さした。
葵自身にはこの辺りの土地勘はないが、近くに緑地公園があること、その中にスポーツ施設があるらしいことは知っていた。
「でもなんで緑地?」
「ちょっと調べてたんですけど、今日そこで卓球台の開放をしてるらしいんですよねぇ。私、ちょっと物足りやんくてぇ。れっちゃんも、そう思うよんねぇ?」
「え!」
烈火は背筋に氷が当てられたような気がした。
こういう物言いをする時の真琴は、大抵、何かを企んでいる。
けれど、その企みがなんなのか、読めたことはほとんどない。
真琴は基本的に、自分よりも他人の為に動く気質なのは知っている。
だから放っておいたところで、誰かの不利益にはならないだろうはずであることは分かっている。
のだが、真琴には、七海と共謀して様々な部活に連れ回したほかに、苦手だった人参を、肉だと言い張って食べさせられたこと、給食の時に大量に余ったふきのとうを大量に食べるように煽てられたこと、夏休みの宿題を強制的に終わらせるために、七月の間中ずっと赤坂家に泊まり込んだことなどなど、枚挙に暇がないほどの前科がある。
他人の為とはいえ、少々、いや、時折有無を言わさぬほど強引になるような一面があり、全幅の信頼を寄せるには恐ろしい。
真琴は多分、卓球部の誰かの為に行動しようとしているのかは予想がつく。
しかしそれが、どうして卓球場につながっていくのかが、烈火には読めなかった。
分からないということは、恐ろしいということだ。
烈火があれやこれや考えに考え、逡巡する。
そうしてなんらかの結論にたどり着くよりも、葵が反応を示すほうが、圧倒的に早かった。
「お、良いじゃん。寄ってこっか」
真琴ははぁいと答えると、葵共々、スポーツセンター目指して歩き始めてしまった。
後ろ手に七海の腕をがっちり掴んで。
七海はなんだかそら恐ろしくて藻掻いてみるけれど、烈火に抑えられているときほどびくともしないわけではないが、それでも、真琴の腕からは逃げられない。
仔牛が荷馬車に乗せられて、どなどな連れていかれるのと同じように、七海は連れ去られていってしまった。
そんな三人を放ったまま、烈火も帰る気にはなんとなくなれなくて。
ままよと心の中で叫んでから、三人の後を追いかけた。
七海「何するんだ!やめろ!はなせ!やめっ、やめろォ!死にたくなぁい!!」
真琴「んな大袈裟なぁ」
烈火「それが案外大袈裟やないとも言いきれんのよ、まこちゃんは……」




