1-15 それぞれに分かたれた明暗
その後もリーグ戦は、熾烈を極めた。
シューズが床を踏み鳴らし、ピン球が台の上を跳ね、打球音の途切れる度に、烈火や優奈や、葵の咆哮が聞こえる。
真琴の間延びした、緊張感のない声が聞こえてくることもあれば、打球音の途切れたまま、誰の声も聞こえない事もあった。
耳を澄ませば、あるいは聞こえたのかもしれない。
それらが全て鳴り止んで、スコアカードに全ての成績が埋められる頃には、空も夕暮れ色に染まり始めていた。
「しゅーごー!」
葵の声が響き渡る。
その声の元に全員が集まると、葵はスコアカードを見ながら、一息に順位を読み上げた。
「ええ、今回のリーグ戦は、一位あたし、二位烈火、三位真琴、四位優奈、ビリッケツは七海ね」
傾聴する四人の表情はそれぞれだった。
烈火は安堵していた。
自分の唯一にして最大の武器、ドライブについては、確かな手応えを感じていた。
自分よりも圧倒的に強いと感じた葵ですら、ドライブでなら圧倒しうるのではないかと思えたほどだ。
その事は、何よりも烈火を自信づけた。
しかし、その割には他のメンバーとは接戦を演じたのも、また事実である。
台上技術やサービスに粗があり、フリックやチキータを始めとした、先手を打つための技術をあまり持ち合わせていない烈火は、それだけで後手に回らざるを得ない展開が多かったのだ。
それでもなんとか競り勝てたのは、彼女の規格外な威力のドライブと、それを支えるフットワークのおかげに他ならない。
今回はなんとか勝てたものの、次はどうなるのやら。
しかし能天気なことに烈火の頭にある課題と言えば、惜敗した七海の扱う、粒高への対策くらいなものだった。
真琴は顎に指を当てていた。
粘り強くカウンターで応戦するスタイルが、高校でも通じることがなんとなく分かったのは収穫だ。
一方、課題らしい課題も見つかった。
他の四人は、どこかしらに一芸を持ったプレイヤーだ。
烈火と葵ならパワードライブ。
葵に至っては、ブロックやフィッシングといった守備的な技術も卒なくこなすのが、更に手強さを増している。
優奈ならチキータ、ストップを初めとした台上技術、七海ならその予測困難なプレースタイルそのものだ。
それら比べて真琴といえば、傑出した武器があるわけではない。
どちらかといえば、器用貧乏なのだ。
次はこう上手くは行かないだろう。
そのためにも、なにか武器を誂えなければ。
優奈は打ちひしがれていた。
確かに、中陣や後陣に構えてカウンターで押し返してくる、烈火や真琴は苦手な部類の相手だ。
それでも、自分はもうちょっとやれると信じていた。
なにせこの一年、一回りも二回りも実力の違う、葵にしごかれ続けてきたのだから。
それがどうだ。蓋を開けてみればこれだ。
なんのためにこの一年、葵にしごかれてきたのか、優奈にはさっぱり分からなくなってしまった。
虚無感と、悔しさと、自分に対する怒りと、それらを次の瞬間には怒涛のように押し流してしまう悲しみとが、代わる代わる優奈の胸中を荒し回った。
七海は当惑していた。
理由は大きく二つある。一つは優奈のことだ。
気難しいところもあるが、普段は優しく、やや内気な所に親近感を感じ、そして時にめくるめく百面相を見せる。
とても愉快な先輩だ。
そんな先輩が今、目元を真っ赤に腫らしながら怒っている。
とてもとても怒っている。
荒れ狂う大きな感情の渦を目の当たりにして、七海はひどく心配していた。
もう一つは、新しいラケットとラバーだ。
中学時代に出会った面白え奴—名前だってはっきり覚えている。そのゼッケンには、確かに赤坂と書かれていた—にあこがれて、高校デビューのつもりで新調した攻撃的な道具が、思っていた以上に合わないのだ。
粒高ラバーは、粒が曲がることによって多彩な変化を生み出すラバーだ。
しかし粒が曲がるということは、その分だけボールの勢いを受け止めてしまう為、反発力が弱まりがちだ。
そんなラバーでは、あいつみたいに面白そうにばしばし攻撃することなんて到底無理だ。
だから今回、粒が硬めの粒高ラバーを選んだのだ。
これが裏目に出たようで、ばしばし打てる手応えは感じられたが、粒が硬すぎてなかなか曲がってくれない。
そのことが七海の調子を、明らかに狂わせていた。
じきに慣れるだろうと呑気に構えていたが、リーグ戦にはとうとう間に合わなかった。
「この結果を元に、団体戦のメンバー組むかんね!それじゃあ……今日の練習はこれで終わり!解散!」
今日はもっぱら試合をしていたので、いつもと違って片付けるものも少ない。
手早く片付けると、みんなで帰路に着いた。
帰り道のおしゃべりは、もっぱら今日の試合のことになった。
自慢げに鼻を鳴らす烈火に、七海がぎりぎり歯を軋ませ威嚇をする。
ほとんどフルセットばかりだったことを葵から指摘されると、烈火は少し肩を竦めた。
真琴はそんな三人のやり取りを微笑みながら見守って、隣を歩いている優奈に話を振ろうとした。
しかしそこに優奈の姿がなかったので、真琴は首を傾げた。
優奈は一人、帰路を外れて、近くのスポーツセンターに向かっていた。
そこの体育館では月に数度、卓球台が並べられる日がある。
そこで練習している大人の卓球コミュニティに、時折、混ぜて貰っていたのだ。
最初は声を掛けるのも躊躇われたが、葵と競り合うには、練習を増やすしかない。
そうして何度か参加させてもらっているうち、顔も覚えてもらえるくらいになった。
「あら、藍沢ちゃん。久しぶり」
女の人が優奈を見るなり、声を掛けてくれた。
優奈は軽く頭を下げながら、「お久しぶりです」と挨拶を返す。
何とか取り繕いたかったのだが、涙と嗚咽でぐちゃぐちゃになった声音は、全く調子が戻っていなかった。
女の人はふふと笑いながら、軽い調子で尋ねてきた。
「なに、またあの葵ちゃんって子に泣かされたん?」
「そんなんじゃないです」
「またまたぁ。藍沢ちゃん、めちゃくちゃ負けず嫌いやももんねぇ」
「だからそんなんじゃないんですってば……」
優奈はため息をつきながら否定した。
葵にボコボコにされるだけならまだしも、今日の相手は、他に三人いた。
その三人に、競り競って、そして競り負けた。
けれどこの壮年の女性—たしか飯沢さんと言っていた—には、自分に三人の後輩が出来たことは、まだ話していない。
けれど今このことを話すと、自分が後輩達にボコボコにされたのだと自供しているようなものである。
それが優奈には、堪らなく恥ずかしかった。
笑いながら飯沢さんは、優奈を台へと案内してくれた。
フェンスの近くにスクールバックを置くと、優奈はその中からラケットケースを取り出した。
ラケットケースを開けて、ラケットを取り出す。
ゴムと木の混じった匂いが、ふわりと舞い戻ってきた。
その瞬間に、また涙が溢れ出てきた。
ラケットを覆っていたカバーを外す間中、出てほしくなかった涙はぼたぼたぽたぽた、頬を伝ってはラケットに落ちていく。
葵に食いついていくために、必死に練習してきたのに、ここのコミュニティの人たちの手も借りながら練習量を増やしたっていうのに、全然足りない。
これ以上、どう頑張れというのか。
優奈はとめどなく溢れ出てくる涙を無理矢理押し込んで、飯沢さんと、その相手—こちらは米倉さんと言ったっけな—の人のいる台に合流させてもらった。
少しだけフォアハンド、バックハンドのラリーをしてから、優奈は飯沢さんたちの実践形式の練習に合流した。
優奈の感触でいえば、飯沢さんたちは確かに強い。
けれど優奈が背伸びすれば届きそうな程度の実力であり、葵と比べてしまうなら、全く物足りない。
それに飯沢さんたちの卓球は、ツッツキとブロックが主体の―悪く聞こえるかもしれないが、それでも言葉を選ばないならば、消極的といえる―卓球で、真琴や葵のような、とにかく攻撃の主導権を奪いたがる卓球とは、勝手がかなり違う。
攻撃しなくても攻め込まれることは少ないが、相手はミスとチャンスを、ゆったりと、しかし虎視眈々と狙っているわけだ。
それが、和やかな雰囲気の中に、紛れ込んだスパイスのような緊張感を生む。
これはこれで経験になるのだけれど、現代卓球の最前線で闘っている優奈にとっては、手応えの感じにくさを覚えるのも、正直なところだ。
時折押し込めたはずの涙がまた視界を歪めて、その度に袖で、腕で、そいつらを拭い去る。
泣いている暇なんてないのだ。
飯沢さん達と三人で台に入れ替わり立ち替わりして練習していると、入口のほうから、ぞろぞろと高校生くらいの女の子達が入ってくるのが見えた。
四十代前後の面々が集まるこのコミュニティには、少々、珍しい光景にみえた。
彼女達が着ている青と赤のジャージは、優奈の着ていたデザインと、非常によく似ている。
その中に一人、やたら背が高いのがいる。
その子のいる方向から、甲高い声で向こうのほうの男性達と話をしているのが聞こえた。
優奈は思わず視線を逸らした。
露骨なほどに。
見間違えようもなければ、聞き違えようもない。
あれは確実に葵だ。
思った瞬間には、その女子高生達の、声の揃った「よろしくお願いします!」が聞こえてきた。
どれだけ視線を逸らしていても、彼女達がやっていることは分かる。
過去の優奈が、なけなしの勇気を振り絞ってやった事。
つまり、このコミュニティの練習に参加させてもらうということを、一片の躊躇いも恐れもなく、やってのけているのである。
あまりに呆気なく、見知らぬはずの集団に溶け込んで来たので、優奈は慄きに慄いた。
それから優奈の番になり、しばらく、飯沢さんと打ち合った。
ラリーに負けて、米倉さんに台を譲ったときには、烈火と葵が、ジャージを脱いでスクールバッグの近くに丸めて捨てているのが見えた。
優奈は、思わず視線を尖らせた。
あいつらの辞書には、恥じらいっちゅう言葉ないんか。
優奈は頭を抱えながら、男性達のいる台の方へ合流していく葵と烈火の行くところを、無意識に追っていた。
別に気にしたい訳ではないのだけれど、なんとなく気恥ずかしいので、なるだけ、彼女らに絡まれなくなかった。
だから、彼女らの動向には、気を張っておく必要がある。それだけだ。
優奈は、そんなことを独り言ちていた。
「ゆぅなせぇんぱいっ」
不意にあざといほどに作り込まれたような、可愛らしい声が背後から聞こえてきて、優奈は思わず背中を粟立てた。
振り返るとそこには、微笑みを張り付けたような顔をしている真琴と、どこか居心地悪そうに視線を這わせている七海の姿があった。
「つれないですよぉ、優奈先輩。こんに楽しそうなことしてんのに、私ら誘ってくれやんなんて」
「そうそう、青くさいやないですか」
「それを言うなら水臭いやろ……」
目をじとりと白ませながら、七海を睨みつけた。
七海は露骨に視線を逸らせ、口笛を吹いている。
音は全く出ていない。下手なのだろう。
「藍沢ちゃん、この子が葵ちゃん?」
いくらもしないうちに、台に着いたままの飯沢さんも会話に割り込んできた。
真琴は、ニコニコと飯沢さんの方を向いて答える。
「葵先輩はぁ…あっちのほうにおる、ひときわ背ぇの高い先輩ですねぇ。ああ、私は翠川真琴って言います。うちの先輩が、いつもお世話になってますぅ」
真琴がと頭を下げると、なんとなく、七海もそれに続いてぺこりと頭を下げた。七海がなかなか自己紹介をしないので、真琴が、「こっちの子は青木七海ちゃん言うんです。すんません、ちょっと人見知りしてるみたいで」とおどけながら紹介した。
七海は「誰が幼児や」なんてつっこみを入れるので、真琴は「大人でも人見知りする人は結構居るよぉ」と躱した。
「ああ、そうそう。せっかくなんでぇ、私らも一緒に打たしてもらえませんかぁ?台も結構空いてるみたいやしぃ」
真琴の提案を、飯沢さん達は快く受け入れてくれた。
そして五人で二つの台に着いて、代わる代わる打ち合った。
時折、葵の甲高い叫びと、烈火の大きな叫びが聞こえてくる。
二人とも自分たちの台には居ないけれど、とてもとても、楽しそうなのが、声だけで分かる。
小休憩がてら水を飲んでいるとき、飯沢さんもこちらに寄ってきて、フェンスにかけてあったタオルを手に取って、汗を拭いている。
「ええ子達やん」
「でしょう?」
「藍沢ちゃんから聞いてる話とは大違い」
「え。ウチ、そんな言い方してましたっけ?」
「葵ちゃんが如何に鬼かって、ずうっと言ってたのしか聞いてへんから、どんな子なんやろって思ってたくらいやに。やけど確かに、とんでもなく上手いな、あの子」
飯沢さんは言ってから、台の方へと戻っていった。
優奈は少し誇らしげに、そうなんよ、あれがうちの部長なんよ、と心の中で独り言ちた。
少し恥ずかしかったので、その言葉そのものは、口の中から外には出さない。
けれどあれが、頼もしいが愛すべき馬鹿とも言える我らが部長が、飯沢さんには、まるで鬼であるかのように伝わっていると気付いてからは、口に含んだ言葉を噛み潰すたびに同時に、苦味が押し寄せてきた。
それから彼女達は、閉館時間のぎりぎりになるまで、打ち合うことをやめなかった。
理不尽に嘆きながらも、悔しさに叫びながらも、それでも、やめなかった。
閉館時間を僅かに過ぎて、スポーツセンターの職員さん達が片付けにやってきて、ようやく慌てて片付けはじめたくらいである。
外に出ると既に空は黒一色に塗りつぶされていて、十六夜の月が、東の空から登り始めていたのだった。
優奈「っつうか、なんでここが分かったん?」
真琴「ほとんど消去法ですよぉ。優奈先輩が卓球しにいったんは、火を見るより明らかでしたしぃ」
優奈「ウチってそんに分かりやすい……?」
葵「うん」烈火「とっても」七海「是非もなし」
優奈「ああん、もう!みんなして好き勝手言いよって!」




