4-9
視界が真っ黒に塗り潰されている。
自身の身体も確認できない。
泥の中に居るような微睡む感覚と浮遊感。
今のアカザに思考力はなく、ぼんやりとした感覚がいつまでも続く。
1分が10分、1時間とも感じる空間。
そんな空間でどのくらいの時間居たのか分からない。
感情が沈んで何の気力も感情湧かない。
遊びだとしても、負けたら悔しいと感じる。だがそんな感情は全く湧かず、絶望に似た泥沼に心が沈んでいく。
ただ理解できたのは先程、自分が姉の手によって死んだということ。
「……」
負けた。
ただそれだけ。
客観的に見れば精々、PVPでの勝敗データに敗北数10万以上に、敗北数が1増えただけである。
だが、最もアカザが得意としたゲーム【フォークロア】である。
10年間、努力して最高値まで育てたキャラクターで負けた。
何のためにそこまでやっていたのかが、全く分からなくなってしまう。
「……ちくしょう」
自己嫌悪。
相手が強くて負けただけではない。
相手の言い分に何も言い返せず、完璧に打ちのめされた。
反撃も危機に陥った様子もなく、無力感に打ちのめされる。
何もできず、絶望の空間に浸かるアカザ。まるで泥の中に沈むようにして、アカザの感覚が消えていく。
真っ黒の絶望の中に完全に沈むと、ふと景色が変わる。
一つの箱の中に押し込まれた机と椅子が、ある程度は規則正しく並んでいる。夕暮れ時なのか、窓からオレンジ色の光が差し込んでいた。
ここは教室と言う名の蟲毒。弱者から真っ先に脱落していく空間。
設計当初は少子化するとは思わなかったのか、無駄に広く、無駄にある教室。子供の頃は削減してしまえばいいのにと思った。少なくとも学年ごとに5つ教室が振り分けられているが、学年ごとに違うが最大3つまで空き教室が出る始末。
それでも成長した今のアカザには教室の大きさが、かなり小さく感じる。
今はその教室の中の自分が使っていた椅子に座っている。
全く背丈が会わない。小学校の時の物だから会わないのは当然。
そして、その机にはでかでかと「死ね」や「くず」と書かれている。間違えなく苛めを受けていたころの物で、椅子の方も底が削られ支柱の長さが違い、ガタガタとして不快感を思いだしてきてしまう。
そして、机の上には原稿があり、最初の題名には「将来について」と書かれたっきり1行も進んでいない。確かどうしても文章を書けず、放課後に掛けるまで残って書き上げろと、担任の先生に命令されたのだ。
「……は」
まるで、アカザがこれから何者にもなれないことを暗示しているように。思わずアカザは自嘲してしまう。本当に何者にもなれなかったのだから。
誰にも必要とされず、自身も何者なのか定められない。駆けっこ1位や学校の成績優秀者などの輝くものは持っていない。個性も、夢も、特技もない。
ないないだらけで、とうとう未来までなくなった。
苦労も、辛さも知らないおせっかい共は、甘ったれだと公言する。彼らが何を言おうが、何をしようが全て無駄に終わる。結局のところ、立ち上がったのは自身の力でしか立ち上がれない。
そして、時間だけが過ぎていく。
意味のない時間、無駄なでき事。それらを積み重ねて、アカザは23年間生きた。それで分かったのは人生なんぞ生きているだけ無駄ということ。
「……いや、それは俺だけか?」
アカザが小学校から転校して以降会っていないが、苛めていた奴、苛めに荷担した奴、遠巻きに見ていた奴もそれぞれの人生で何かやっているだろう。それに幸せや意味を見いだせているかもしれない。
「……確認しようもないんだがな」
深いため息を吐き、さな椅子の背もたれがギィと軋む程に寄り掛かる。
どうしようもない。
自分の人生も、姉に殺されたのも、これからも……。
目に入った小さな枠が黒板の上に掲示されている。
学年目標が張り付けられた安い言葉が書いてあったはずだが、何も書かれていなかったように消されている。全く守られていない言葉で皮肉だったが、どのような言葉かを思い出そうとしても思い出せない。
「……ちょっとづつ消えていくって訳ね」
これが恐らく、死ぬと存在、記憶、心の憔悴が始まる現象。
平和、愛、未来、希望、絆、友情。どのような言葉だったか推測してみる。少なくとも2文字以上使わなかったことぐらいしか思いだせない。まぁ、全く機能していない目標だったためアカザにとっては忘れても問題がない。
ただ少し、こちらの世界に来てからそれを実感できたような時間が、在った筈。それが、少し悲しくなってしまう。
だが、衝撃を受けるものかと言うとそうでもない。
仕方がない、と諦める。
姉の方が強かった。そして、戦い負けた。
当然の結果で、どうしようもないほどアカザが愚かだっただけ。
自分の殺された場面が蘇って来る。
レイピアが刺さった時は痛かったし、あっ、と思わず声を出して間抜けな顔をしていたと思う。これなら自分にもできると思ったのに、易々と器用にこなしてしまう姉を見て茫然とした。
例え初めて挑戦する物でも姉は、努力していたアカザを軽くあしらった結果を出す。
アカザがどれだけ努力しようと届かない存在。そんな存在に喧嘩を売った時点で、アカザの負けは確定していたのかもしれない。
実際に今まで努力して強くした【アカザ】と言うキャラクターは、成す術がなく姉に打ち負けた。
「もう、全部姉任せでいいじゃねぇか」
そこでもう一度、題名だけ書かれた原稿用紙に目を向ける。
「もう考えるのも嫌になって、全て姉に従う人生です」と書いてしまえばいい。用紙の上に投げ出されたようにして、転がっている鉛筆を手に持つ。書いてしまえと自分に囁き掛ける。
だが、いざ書こうと思うと手が止まってしまい書けない。
「……どこまで惨め何だか」
本当に自分が嫌になる。
こんなこともできないのか、と思わず口に出してしまう。
思えば何もできなかった。
苛めが世間に知られ、反省していると謝罪しに来た都合のいい奴らを許せなかった。
転校してからも何か行動した覚えがなく、他人と歩み寄ろうとは全く考ず、その日その日を1人で生きて、何もしないままただ時間を過ごした。
忘れようとしても忘れられない。布団の中で1日中居て、明日が来てやっと感情が沈んで、表面上活動できる。
「あー、くそ」
髪をクシャクシャに手で掻き毟る。
そんなことをしても、惨めさはアカザの胸に残ってしまう。
分かっているのは、アカザではこの状況ではどうしようもないことぐらい。
クスフィーに勝つことも、チート行為を止めることも、姉の手から離れ自立することも何もできない。
もっと何か手段もあったとも思う。
あそこで心を鎮め、辛抱強く交渉を続けていれば良かったかもしれない。
もっと前、ヴィクターが暴走していた時、他にも何か手が打てたかもしれない。
全ては今更で、どうしようもないが、何かできたはずなのにと後悔する。
「あー……。くそ、そういうことか」
何となくだが、この世界の【死】という存在の本質が分かって来る。
現実では終わり。
ここでは後悔、自虐、思考の停止、気力の低下など。
どれだけの違いがあろうが、精神的な死にも苦痛はある。
つまり、生きながら死んでいる。
明日は何をしようとか、今度はこうしようとかが考えられないし、考えられたとしても行動に移せない。生きていれば明日が来て、何らかしら行動して備え、何かを感じる。
だが、今のアカザにそんなことは不可能だ。何もしたくない、という怠惰な気持ちすら湧いてこない。
そんな中、アカザは復活した。
「ぁ……」
目覚めたのは先程の中庭。
アカザは仰向けに倒れており、夜空を見上げていた。
死んだプレイヤーはダンジョンやバトルフィールドなどの特殊な場所でない限り、基本的に最後に立ち寄った都市の入口に帰還する。しかし、死んだ中庭で復活したとなると誰かが、アカザに復活させるスキルなりアイテムなり使った。
「お目覚めかな?」
恐らくアカザを復活させたクスフィーは、顔を覗き込んで来る。
そして、アカザの今すぐにでも死にそうな顔に満足したのか、見た者が蕩けそうな微笑みを浮かべる。
それが、アカザにはなんでも見透かされているように思え、怖くて仕方がなかった。が、今はその瞳を見ても何も感じない。
「もう遅いから話はベットの中でしようね。さぁ、運びなさい」
その一言で、メイドたちが救急車に備えられているストレッチャーと呼ばれる、台車にアカザを乗せる。何の抵抗も、身動きすら取れずアカザは運ばれるまま、寝室に運び込まれた。
大きなフカフカのベットに丁寧に、他人に寝付けられる。いつものアカザであれば恥ずかしくなって抵抗なり、抗議なりするが頭が上手く働かず、成されるがまま。まるで、老人ホームで世話をされる老人みたいであった。
指を動かすことすらままならず、アカザの視線は虚空を見つめる。
そうしていると、クスフィーが寝室に入って来る。そして、ベットに腰を掛けアカザに声を掛けて来る。
「分かってくれた?」
「……」
心が沈んでしまい、返事を返できないアカザ。例え、正常な状態だったとしてもちっぽけなプライドが邪魔がして、返答には困っていたと思われる。
「まぁ、今はそれでもいいね。けど、明日にはその状態も回復しているだろうから、その時に聞かせてほしいな」
体を動かすことすらできず、彼女の言葉も耳をすり抜けていく。
頬に軽くキスされる。
いささか中の良い姉弟の行動とは思えないが、この場で突っ込んだことを言ったり、咎めたりする者はいない。
そして抱きしめられる。匂いを嗅がれる。どんどんエスカレートしていくクスフィーの行動だが、ぼんやりとしているアカザには抵抗できない。
軽く変態的行為に更け始める姉にツッコミも入れられないのは、屈辱的、のはずなのだが、今はそのような感情も浮かばない。
そして服を脱ぎ、服を脱がせ始めるクスフィー。
止める者が居ないため、すぐに下着姿になるクスフィー。アカザは全身に力が入らない状態のため、成されるがまま服を脱がされていく。
「ふふふ」
怪しげな光を目に宿す姉。舌を這わせ、アカザの身体を舐め始めたり、甘噛みをする。
首周りを重点的に、猫がじゃれるような児戯と、色香で誘惑する雌豹みたいな仕草が混じりった行動で戯れだす。
「かわいいなぁ。行君。甘いし本当に食べちゃいたい」
クスフィーは、欲しかった物をやっと手に入れた子供のように狂喜している。
「……なんで……?」
時間が経過していくごとに衰弱状態が回復していき、体が動くようになってくる。そして、やっと口に出せる言葉。
色々なことに回答が欲しいのに、口が上手く動かず、頭も働かない。
「行君。お姉ちゃんはね、ずっと前からこうして交じり合いたかったの。あっちの世界じゃ、時間も取れなかったし、周りの目もあったから。近親相姦ってみんな非難するけど、一番親しい人と交わるのがそんなに可笑しなことかしら?」
一般常識でも、法でも禁止されていること。
国家転覆や世界征服、そう言った常識的にしてはならないことに手を出したがる性格が、この世界に来て表面化したのではないかと働かない頭でも、そう思ったアカザ。
アカザ以外にも他にも男は居る。自分の身に合った地位のある男を選べばいいのに、はた迷惑な話だなと他人事のようにも思った。第一、親しかった思い出も、愚弟にそんな感情を抱く姉にも覚えがない。
「行君はお姉ちゃんに劣等感とか感じているみたいだけど、そんなことを感じる必要はないの。だってこれからは、ずっと一緒に居られるんだから」
指を、腕を、足を絡ませ、耳元で囁く。
「だから、全部お姉ちゃんに任せて?」
下も絡めようと瑞々しい唇から厭らしく舌を出して、アカザの口から無理矢理侵入して絡めようとする。
その時、精一杯アカザは歯を噛み締めて拒む。
「……ダメ?」
「……いやだ」
衰弱状態の中アカザが拒否できるとは思わなかったのか、初めて驚きの表情を見せるクスフィー。
「そう……。まぁ、今度は時間を掛けて、ゆっくりと話し合いましょう?」
気分を害された訳ではなく、むしろ、簡単に手に入らないことにますます熱中する様子で、酔ったように頬を赤く染め、うっとりとした表情をする。
そのまま、部屋を出ていき先程の淫靡な空気が霧散し始めた。
ゆっくりと寝返りをするものの、気分は沈んだままでアカザの目には生気が灯らない。
どのくらいそうしていただろう。眠る事もできずにアカザは日が登るまでじっと動かずにそこに居た。時間が経過していくごとに衰弱状態が回復していき、体が動くようになってくる。
そして、突然頭の中でピピピと音が鳴る。
何だろうと思い、数秒後【ランク証】の【フレンドチャット】の機能だと思い出した。緩慢な動きで【インベントリウィンドウ】を操作し、【ランク証】を取り出す。
相手はトゥルー。1日経ったら連絡を入れるように言っておいたが、まだ24時間経過していないはずである。ともかく、【ランク証】を耳に当てる。
『あ、えっと……お邪魔します?』
「……何だ、その呼びかけ」
だいぶ衰弱状態から回復してきたのか、億劫ながらも喋る。
『え、じゃあ、何て言うの?』
「もしもし……でいいんじゃねぇの?」
『あ、そうなんだ。アカザさん、もしもし!』
と、リテイクして元気よく呼びかけて来るトゥルー。
「……なにかあったのか?」
『えっと、その……我慢できなくて。ごめんなさい』
トゥルーも約束ごとを破る事もあるんだなと、余り想像できなかったので新鮮に感じた。
「……別に」
『……どうかしたの?』
アカザの気が沈んだ声を耳か、もしくは野性的な直感で感じ取ったのか、トゥルーが心配してくる。何でもない、とは言えず、しばらく沈黙してしまう。
どう言えばいいのかと、ぐるぐると頭の中が空回りしてしまった。
「…………どうすりゃいい?」
散々時間を掛けて出て来た言葉は、そんな他人本位の質問だった。
『よく分からないけど、自分が何をしたいのか、でいいんじゃないの?』
そう言うものだろうか、と頭がはっきりとせず疑問に思ってしまう。
『だって、自分のやりたくないことを嫌々やっても仕方ないよ』
「……それもそうだな」
体の中の空気を全て吐き出すように、長い深呼吸を吐く。
「ありがとう。ちょっと気分が良くなった」
『え、あ、どういたしまして!』
「……それで、何か言いたいことあったんじゃないのか?」
『……うん。でも、もういいよ。トゥルーも頑張るから、アカザさんも頑張ってね』
「あいあいさ」
そう言って、【フレンドチャット】は終了し、【ランク証】を【インベントリウィンドウ】に収納した。
「……自分が何をしたいのか……」
呟いた言葉は、すごく曖昧で、きっと探せば幾つも見つかるもの。
だが、今のアカザには探すところから困難で、何時間も考えて、昼になってやっとそれらしいものが見えて来る。
「……トゥルーに会いたいな」
そして、それをするためにはこのままではいけない。ここから逃げて会いに行くべきではない、とアカザは考える。他人から見ればちっぽけな意地で、惨めで、愚かな思い。
だが、アカザにとっては無視できない傷。
もう、敵わないからと目を逸らさず、逃げ出してトゥルーには会いに行かない。
「……蹴り付けるか」
ベットから降りて、扉を開け部屋から出る。
このままでいい訳がない。
姉の言いなりになるつもりもない。
故に、行動しよう。




