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69. 消え行く不安

家の周りは警察車両と救急車の回転灯の光で目が痛いほどチカチカしていた。そして警察関係者と野次馬で狭い路地がごった返していた。


母は直ぐに救急隊員によって介抱された。椅子に後ろ手に縛られ、口にはタオルが乱暴に突っ込まれていた。そして、顔面には殴られたような跡があり、目の周りが痛々しく腫れていた。それ以外には特に外傷がなかったが、念の為、病院に搬送されることになった。やっと、帰宅した父がそれに付き添っていった。


入間は警察に拘束されたが、警察署ではなく、別の救急車で病院へ搬送された。どうも、俺が腕を締め上げすぎて骨折していたらしい。逮捕と取り調べは治療の後になりそうだ。


そして、俺はというと、家の中で座間さんと所轄の刑事さんに事情聴取されていた。まず、どうして直ぐに警察へ通報しなかったのかと静かに窘められた。理由はちゃんと話したのだが、それでも先に通報すべきだった、というのが彼らの主張だ。そして、単独で中に入るなどもっての他だと言われた。まあ、それはそうだよな。


しかし、母のあの顔を見るに、時間を置けばもっと酷い目に遭わされたか、或いは殺されていたかもしれないのだ。俺には他に良い方法など思いつかなかった。あのアプリを使うこと以外には。


あれは漣が詩音に教えたものだが、GPSを利用して登録している仲間に位置情報とSOSを発信するものだった。外見はゲームにしか見えないので、万が一他の人間に見られても偽装できるのが売りだった。しかし、かなりニッチなアプリと言える。漣はどこでそんなものを見つけてきたのか。


しかし、おかげで、漣、詩音、そして透子3人からの通報により、警察が直ぐに駆け付けてきてくれた訳だ。俺はそれまで時間稼ぎをするつもりでいた。無謀に飛び込んだわけではないのだ。結果的に自分で入間を取り押さえることになったけどな。


ちなみに、3人は今、規制線の外に来ている。家が近い透子と詩音はともかく、漣はまたタクシーで飛んできたようだ。本当にいざという時のタクシーチケットだな。もう夜遅いのだから、早く家に帰ってほしい。こっちが逆に心配になるから。


「まあ、ともかくだ。涼太君が無事だったのは幸いだった。明日改めて詳しい状況を聞くから、今日は知り合いの家にでも泊めてもらいなさい。家は証拠保全のため鑑識が入るまで立入禁止になるからね。スマホと着替えくらいは持っていっていいよ。」


「分かりました。もう、行ってもよいのですか?」


「ああ、何ならパトカーで送ろうか?」


「いえ、外に友人が来てるようなので、歩いて行きます。」


「そうか。まあ、もう心配する必要はないと思うが、何かあったら、今度こそ直ぐに電話するんだよ。じゃあ、今夜はゆっくり休みたまえよ。」


俺は最低限の荷物を持って、人混みをかき分けて3人のとこに向かった。俺の顔を見ると、泣きはらした透子に抱きつかれ、詩音には呆れられ、漣には苦笑された。俺は俺で、3人の顔を見たら緊張が解けたのか、一気に疲れと空腹を感じた。とにかく、早く腰を下ろして休みたかった。





「しかし、警部。中学生なのに刃物を持った相手を取り押さえるとは、彼は何者なんですか?」


「う〜ん、これは内密だが。元特練員の白河さんの弟子、と言えばいいのかな。」


「あの白河殿ですか?剣道、柔道以外にも古流武術に精通されている達人と聞きましたが···通りで。」


「あの爺さん、中学生にいったい何を教え込んだんだろうね。彼は秘伝のカンフーごっことかふざけたことを言ってたけど。」


「まあ、そうとでも言っておかないと、下手したら過剰防衛と捉えられかねないですからなあ。いくら相手が凶悪犯とは言え、犯人が重症で被害者が全くの無傷ですからね。」


「まったく、マスコミに何て説明すればいいやら。今から頭が痛い···」





俺達はひとまず透子の家に落ち着いた。夜遅い時間にもかかわらず、透子の両親は迎え入れてくれた。特に透子のお母さんは透子と同じように泣きながら抱きついてきた。透子とお父さんの視線が怖いから止めてほしい。


リビングでお茶と簡単な食事が出されて、俺はありがたく頂きながら今日までの出来事を説明した。事情を知っていた3人は比較的冷静に聞いていたが、透子の両親は驚きを隠さなかった。中学生が凶悪犯に襲われ返り討ちにしたなんて聞いたら、まあ、そうなるわな。


「涼太君に何もなくて本当に良かったわ。今日はここに泊まっていきなさい。お父さん、いいわよね?」


「ああ、勿論だとも。私は母さんの部屋で一緒に寝るから、そこの畳の間を使うといい。布団なら客人用のがあるし、何なら、お友達も一緒に泊まって行きなさい。いくら犯人が逮捕されたとは言え、まだ心が落ち着かんだろう。誰か一緒にいてくれた方が気も休まるというものだ。何より、もう夜も遅いしな。」


「ありがとうございます。僕も涼太のことが心配なので、ぜひそうさせてください。涼太もいいかい?」


「漣がいいなら···でも、大丈夫なのか?家とか学校とか。」


「明日、朝一番に帰えるけど、なんなら休んでもいいさ。涼太の事の方が心配だ。家の方には説明しておくから、大丈夫だよ。」


漣は俺の手を取って、いつものキラキラした顔で言った。相変わらず距離感が間違っている気がする。俺は別に気にしないが、透子と詩音がジト目で見ているし、透子のお母さんは目が輝いている。お父さんだけが笑顔でうんうんと頷いている。


「布団、まだあったよね。私達も同じ部屋で寝るから。」


「うん、断固死守。」


「は?何言ってんだよ!ダメに決まってるだろ!」


「いいわよね?」


かつて見たことのない透子の表情に俺は従うしかなかった。ナイフを持った凶悪犯より怖いのだが。


こうして、何故か四人のお泊り会になった。まあ、俺達のことだから、間違ったことが起こることはないだろうけど、俺は却って眠れなくなるのではなかろうか?


寝る前にお風呂も頂いた。嫌な汗を大量にかいたから助かるが、なぜ漣も一緒に入るのだろうか。


「だって、一人一人順番に入ったら時間かかっちゃうだろう?」


「まあ、そうだけど。着替えは持ってきてるのか?」


「非常用に着替えや歯ブラシなんかをまとめた鞄をいつも用意しててね。こういうこともあるかと思って持ってきてたんだよ。」


「用意がよすぎるだろ。それと···裸を見られても大丈夫なのかよ?」


「うん···皆にはもう隠すつもりないよ。後で寝る前に話すよ。」


「そうか、別に無理しなくてもいいんだぞ。」


「大丈夫、僕の話なんか涼太に比べたら大したことじゃないさ。」



先に風呂に入っていた透子と詩音は既にパジャマに着替えていた。詩音は透子に借りたようだ。布団は4枚が横並びに敷かれていた。部屋はそんなに広くはないので隙間なく敷かれている。


それぞれの場所は俺が一番奥、隣が透子、詩音、漣の順に決められていた。俺の意見など入り込む余地はなかった。本当にここで男女4人一緒に寝るのか?大丈夫なのか?


「実はさっき涼太と話してたんだけど、僕の過去のことを少し話しておきたいんだ。皆には隠し事をしたくなくてね。退屈かもしれないが、聞いてくれるかい?」


布団の上に車座になって寛いでいると、漣が自分から切り出した。詩音と透子は怪訝な顔をしつつも了承した。漣は幼少の頃からの境遇、孤独と挫折を味わった少年時代、そして、教会で起こった忌まわしい事件のことを淡々と話した。パジャマの前をはだけて、十字の傷跡も見せてくれた。


まさか、漣にそんな過去があったなんてなあ。才能豊かでイケメンで、しかも家は裕福で何一つ不自由なさそうなのに、ずっと1人で苦しんできたんだな。その痛々しさは薄々感じてはいたんだが。


「しかし、何だってそんな話を俺達にしたんだ?勿論、それを聞いたからって、俺達の態度が変わるわけはないんだが。」


「うん、僕自身がいつまでも隠しているのが心苦しかったというのもあるけど、思いがけず涼太の苦い過去に触れてしまったからね。苦しい過去も身近な人間と共有すれば、少しは心が軽くなるんじゃないかと思うんだ。でも、一方的に押し付けるだけだと引け目を感じてしまうだろうから、僕自身の過去も知ってもらおうと思ってね。」


「なるほどなあ。俺のために打ち明けてくれたんだな。ありがとうよ。お前が親友でよかったよ。」


「そういうことなら、私も話しておきたいことがある···私の名前のことなんだけど。その、2人に比べたら全然大した話じゃないんだけど···」


「おいおい、透子···」


「勿論、ちゃんと聞くよ。詩音もいいね?」


「うん。」


透子は自分の名前にコンプレックスを持っていたこと。そして、過去に受けた虐めを受けたこと。そのことで、名前じゃなくて苗字で呼ばれるようになったことを打ち明けた。その上で、


「だから、これからは2人にも私を名前で呼んでほしい。」


「分かった。でも、涼太だけの特権を奪う形になるけど、いいのかい?」


「いいよね、涼太?」


「俺は透子がいいなら勿論構わないけど、そのことでまた弄られたりする不安はないのか?」


「不安はあるけど···でも、もう負けたくない。その時はハッキリ嫌だと言う。それに、今は涼太が側にいてくれるでしょ?」


小首をかしげて笑ってみせた。透子はもう大丈夫なようだな。まあ、勿論これからもずっと側にいるつもりではあるが。


「これって、もしかして私も何か言わないといけない流れ?」


「詩音、別に無理強いしてる訳じゃないよ。話した方が気が楽になることがあるなら、今の内に話しちゃうのがいいと思うけどね?」


最近、漣は茶目っ気を覚えた気がする。詩音は顔を歪めながら、渋々話し始めた。


詩音は琴音さんの自殺を自殺とは受け止められず、死に追いやったのは世の中の社会悪だと思い、怒りを滾らせたまま警察官になる道を選んだ。そのために自分に厳しい修練を課してきたと。しかし、実際には元婚約者の男の短慮な行いの結果だと分かり、その決心も揺らいでいるところだと言う。秘密の過去と言うより内面の吐露だが、本人にとってはずっと苦しかったんだろうな。それを笑う者は勿論いない。


「詩音、君は怒りをエネルギーにしてきたと言うが、それは言い換えれば、感情をコントロールする術を学んできたということだ。それは今後の人生において、決して無駄にはならない。それができなかったあの入間という男のようには、君は絶対にならない。」


「そうね。そもそも、もう怒りよりも自分に呆れてる。盛大に勘違いしてたことが分かって、何だか馬鹿みたい。」


「勘違いって訳でもないと思うぞ。確かに入間の行動が琴音さんを死に追いやったのは間違いないが、それに便乗した無責任な連中が大勢いたのも事実だ。口では気丈なことを言ってたけど、そのことに琴音さんが心痛めなかったわけが無い。詩音はその心にずっと寄り添ってきたんだ。それは詩音の優しさだと俺は思う。」


「うん、僕もそう思うよ。人のために本気で怒れるのは心優しい人だけだ。僕はそんな君が好きなんだ。」


ちょっ、どさくさに紛れて何いい雰囲気になってんだよ。まあ、いいけどな。俺も透子の方にそっと手を伸ばして、その手を触った。透子は俺の手を握り返した。透子の笑顔を見て、やっと心落ち着けて元の生活に戻れるという実感が湧いてきた。



消灯してそれぞれの布団の中に納まった。体は疲れているが、なかなか眠気が来ない。お互いがそれぞれの心の内側を打ち明けたことで、俺の心は確かに軽くなった気がする。でも、詩音がその怒りの感情をエネルギーにしてきたように、俺も心の奥にあった不安への対抗心が俺を支えてきたと思う。そのつっかい棒が外れた今、俺はこれからどう生きていくんだろうな。


ごそごそと俺の布団の中に誰かが潜り込んできた。暗くて見えないが、そのいい匂いは透子だと分かる。透子は布団の中から顔を見せると口に人差し指を立てた。そして、俺の首に抱きついてきた。


透子の柔かい体から体温が伝わってくる。それがとても心地よかった。興奮よりも安らぎが勝った。俺も透子の背に手を回して抱き寄せた。そして、いつもより長めのキスをした。それでやっと、俺にも眠気がやってきた。



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