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61. 高まる不安

日が暮れる前に帰りたいから、と涼太と三木谷が家を出て行った。その様子を見ても、涼太は本気で心配しているのだと分かるが、私は話を聞いた後でもまだ現実感を伴ってなかった。琴音さんの死の原因になった元婚約者の男には嫌悪感を覚えたが、その男が私を狙ってくるかもしれないというのが、どうにもピンとこない。


むしろ襲ってきてくれた方が返り討ちにするチャンスでは?と思ったくらいだ。


今まで不快に感じてきた理不尽な暴力の影が具体的な姿を帯びてきたことで、溜まった怒りをぶつける対象が定まったことに対する妙な嬉しさがある。できることなら、この手みずから木刀でボッコボコにしてやりたい。しかし、こんなことを考えるような娘だから、お父さんは私に何も言わなかったのだろうか。


しかし、冷静に考えて、大人の男が襲ってきた場合、それが不意打ちだった場合、凶器を持っていた場合、いくら剣道のたしなみがあったとしても一人で対処できるとは思えない。悔しいけど、涼太の言う通り逃げるのが最善だろう。そう思うと、私はこの10年もの間、何をやってきたのか。いざという時に身を守るための武道ではないのか。自分なりに必死に修練してきたのに、こんなにも無力とは。


色々思う所はあるけれど、急な話で考えがまとまらない。まずはお父さんが帰ってきたら問い詰める、もとい相談してみよう。そうだ、進学の件もあったんだ。今度はちゃんと私の話を聞いてくれるだろうか。彼氏ができたと言ったら、どんな反応が返って来るかな。唖然とする顔を想像して、ちょっと意地悪な笑みが漏れた。こんな時なのに。




涼太に付き添われ自宅に戻った。道中は当たり前のように何もなかった。それでも重い空気がのしかかっているような不安感があった。涼太がずっと手を握っていてくれているのだけが心強かった。玄関のドアでバイバイと手を振って笑顔で涼太の背を見送ったが、本当はずっと涼太と一緒にいたかった。一人で帰すのが不安で仕方なかった。一緒にいても何もできないのは自分でも分かっているけど。


まさか、小学生の頃に生死をさまよっただなんて・・・そう言えば、一時期学校で涼太の姿を見かけなかったことがあった。当時はクラスが違っていたのでそこまで気に留めていなかったけど、まさかそんなことになっていただなんて思いも寄らなかった。生きていてくれて本当によかったと心から安堵した。


そんな大事件が身近で起こっていれば噂くらい耳にしてもよさそうなものなのに、全く覚えがない。不審者情報や子供の事故のニュースは毎日のように流れるから、その中に埋もれてしまったのかもしれない。そう思うと、日々流れてくる不幸のニュースが他人ごととは思えなくなってくる。世の中は平穏無事のように見えるけど、毎日どこかで誰かが亡くなっている。それが自分や自分の周りの人だとしても何ら不思議ではないのだ。


今、私がこうして元気に生きていられるのも、ある意味、奇跡なのかもしれない。その上、初恋の涼太と恋人同士になれただなんて、これは奇跡を越えた運命なのでは?ならばこの先もずっと・・・そしていつかは・・・と、いつの間にか思考がいささか少女漫画チックに寄っていることに気づいた。油断してうっかり悲劇のヒロインにならないように気を付けなければ・・・こんなこと考えるなんて、私の中ではまだまだ緊張感が足りないらしい。反省。




無事に自宅に着いた。まだ可能性でしかないのに自分で言葉にして発すると、あたかもそれが予言であるように、現実になってしまうのではないかと不安が一層増してくる。俺は案外、暗示に弱いのかもしれない。ただの杞憂なら、それでいい。何か起こってほしいなんて、これっぽちも思わない。


スマホを見ると、まだ夕方6時半だ。今、電話しても漣はまだ出れないだろう。キッチンに行くと、母が夕飯の仕度をしながらテレビをつけていた。いや、テレビを見ながら夕飯の仕度をしてるのか?包丁を待ってるのに視線は画面に釘付けになっていて危ないな。


テレビは夕方のニュースをやっていた。どこかの男性の死体が見つかった事件を報道しているようだ。もしや、と思って死亡者の名前を見たが、知らない名前だった。なぜ、母はこんなに食い入るように見てるのか?話しかけると、母はやっと俺が帰宅したことに気づいたようだ。


「ああ、お帰り。ねえねえ、このニュースの死んだ男の人の名前、見覚えない?どこかで聞いたことあるんだけど、どうしても思い出せないのよねえ・・・」


「それって、いつくらいの話?」


「うーん、何となくだけど、4,5年前くらい?」


嫌な予感がした。すぐにスマホを取り出して男の名前を検索した。そして、背筋に冷たいものが走った。ヒットした検索結果は、かつて琴音さんに不倫を持ち掛けて断られ、裁判で負けたあの夫婦の夫だと言っていた。すぐにテレビ画面に注意を戻したが、既に次のニュースに移っていた。


死因は何だったんだろうか。

自殺なのか?他殺なのか?

場所はどこだった?

いつ死んだんだ?


情報が全然足りてないのに、俺の脳は早くもあの元婚約者と結びつけようとしている。ダメだ、冷静になれない。落ち着け俺。まだあの男と関係があるとは限らないじゃないか。一つ一つ事実を確認するんだ。


「多分、以前に道場に来ていた人だと思う。事故か何か?」


努めて冷静なふりをして母に訊いた。


「あーそっち関係ね。事故か他殺かまだ分かってないみたいよ。マンションで死んでるのが見つかって、検死はこれからだって。」


「マンションってこの近く?」


「ううん、全然遠い他県よ。だから、なんで名前に見覚えがあるのか不思議だったんだけど、引っ越したのかしらね。ん、引っ越し・・・?」


「あ、俺ちょっと友達に用事あるから電話してくるわ。ご飯できたら、また呼んで。」


「え、う、うん。」


俺は逃げるように自分の部屋に行った。猛烈に嫌な予感がする。直ぐに師範のところに相談に行きたいけど、まずは漣に報告しとかないとな。そう約束したんだもんな。電話をかけるにはまだ早いか?いや、まずはかけてみよう。コール音が数回鳴る。


『涼太?どうしたんだい。こんな時間に珍しいね。』


「突然済まない。今、話す時間あるか?なかったら後でかけ直す。」


『今から家に帰るところだよ。できれば1時間後くらいにかけ直してもらえるとありがたいけど、急用かい?』


「いや、大丈夫だ。じゃあ、1時間後な。」


『分かった。また後でね。』


とりあえず、漣は後回しだな。すぐに師範のとこに飛んで行きたいけど、冷静に考えると行ったところでできることは何もない。あ、今日のごっこ遊びどうしよう?1時間後に漣に電話しなければならないしな。仕方ない、今日は無しにしてもらうか。じいちゃん先生はスマホを使えないから、固定電話にかけることになるけど、ちゃんと出てくれるかな。


『もしもし』


「あ、師範。涼太です。突然すみません。今夜は用事ができたので、お伺いするの止めておきます。」


『ふむ、それはかまわんが・・・声の様子が変じゃの。何かあったかの?』


「えっと、まだお話しできるほどのことではないのかもしれませんが、さっきテレビニュースで知っている男性の死亡が報道されてまして。」


『ふむ、儂も知っている男かの?』


「例の男ではありません。でも、関係があるかもしれません。生前に琴音さんを提訴した夫婦の夫です。」


『あのバカ夫婦の夫か・・・確かにきな臭いが、死因は分かっておるのか?』


「いえ、報道された内容ではまだ何とも分かりませんでした。俺は道場生の柏木漣にも注意を促そうと思ってます。その、詩音の彼氏なので・・・念のためです。」


『分かった、それはお前の判断に任そう。事件の方は儂も調べておく。いいか、くれぐれも早まるなよ。何かあったら、いつでもすぐに連絡を寄こしなさい。』


「はい、ありがとうございます。では、切ります。」


じいちゃん先生も怪しいと思ったのか、会話の後半はいつものじじいキャラの口調を忘れてたな。あれが意図的なものだと気づかれてないと思っているのは本人だけなんだが。


まだ1時間も経ってないので、その間にスマホで検索してニュースの続報がないか調べる。これと言って新しい情報はなかったが、死んだ男性が独身で一人暮らしと報道されているのを見て、あの敗訴の後に離婚していたことは分かった。事件かどうかまだ分からないが、子供が巻き込まれなかったのはよかったと思うべきか。いや、どちらにしても悲しい末路だ。







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