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59. 消えない不安

大会が終わり、またいつもの日常が戻ってきた。学校生活も剣道場も、概ね平和だと言える。しかし、俺の鼻の奥を刺激するきな臭さは日に日に増してる気がする。それがただの気のせいだったら、どんなによいことか。


今夜も、俺は師範宅を訪れ、稽古もといカンフーごっこに夢中だった。師範の腕を取る。外す。掴む。返す。足をかける。踏まれる。投げる。投げ返される。これが格闘技なら反則技のオンパレードだ。金的への攻撃がないのがせめてもの救いか。中学は卒業しても男を卒業するつもりはない。


しかし、俺はいったい何をやらされているのか。逮捕術を教えてほしいって言ったのに、動画で見たそれとは似ても似つかない気がする。柔道でも空手でもない。ましてや、カンフーなどでは全くない。まあ、俺の知らないカンフーだと言われてしまえばそれまでだが。


最初の頃は全く歯が立たなかったが、最近は時々だけど技に対抗できるようになってきた。立ち位置、姿勢、呼吸のタイミングで技の起こりを未然に防ぐ感じだ。先日の剣道の大会でも、これを応用することで強敵相手に勝利できた。剣道にも使えると分かれば、稽古もとい遊びにもより気合が入るというものだ。もっとも、それを目的にしてはいないのだが。


ひとしきり遊んだ(?)後、俺はじいちゃん先生に相談をした。


「師範、俺の懸念を詩音と透子には伝えておこうかと思うのですが、どうでしょうか。」


「ふむ・・・そうじゃな。詩音も、もう子供ではない。お前の彼女も、お前と一緒におる以上は無関係ではおれんだろう。事実のみを伝えなさい。私憤や憶測を混ぜるんじゃないぞ。」


「分かりました。ありがとうございます。」


「涼太。決して、自分から追うのはならんぞ。争いもできるだけ避けるのじゃ。いいな。」


「はい、分かっております。」




次の日、膳は急げとばかりに、俺は放課後に透子を誘い、詩音の家に押しかけた。勿論、先に電話で了解を半ば強引に取った上でなのだが。


「全く···話って何なの。そんな急に必要なことなの?」


「私もまだ内容は聞かされてないんだ。」


「ああ、ちゃんと説明する。しかし、その前に約束してほしい。他言はしない、そして、これを聞いても決して何もしない。この2点だ。」


「他言はともかく、何もしないってなんなの。何もしてほしくないなら、最初から話さなければいいじゃない。バカなの?」


「詩音ちゃん、気持ちは分かるけど、まずは涼太の話を聞こう?涼太は必要があって言ってると思うの。多分、それは私達にも関係してるのよ。」


「そうなの?」


俺は黙って頷いた。


「分かったわ。でも、漣には話さなくていいことなの?」


「漣は心配ないと思うが、話を聞いた上で詩音がやっぱり話した方がいいと思うなら、そうする。」


「そういうことなら、分かった。」


「私も。話が長くなるなら、お茶を用意してからにしようか?」


「そうだな。」


「長くなるのね···」


俺はお茶の準備ができるまで、これから話す内容を整理した。事実だけを、私情や憶測をまぜずに。さあ、どこまでが事実で、どこからがそうじゃないのか。俺にちゃんと説明できるのだろうか···




話は俺が小学5年生だった頃まで遡る。道場に急に子供達が増え手に負えなくなったので、師範のお孫さんである白河琴音さんという大学生の女性が手伝いに来たってことは前に話したよな?


琴音さんは子供達に優しいし面倒見もよかったから親御さんたちからも信頼されていたんだけど、ちょっと子供達を甘やかし過ぎるとこがあってだな、補助役をやってた俺とは時々意見がぶつかることがあったんだよ。


あの人、ああ見えて頑固で、人の意見を聞かないというか···子供達にとっては優しいお姉さんだったんだろうけど、俺にとっては気の強い姐御って感じだったんだよな。前に、せいぜい憧れの人って言ったのはそういう意味だよ。


しかし、美人で外面はよかったからなあ。勘違いした保護者の1人が琴音さんを口説こうとしたんだけど、バッサリ斬って捨てたんだなコレが。まあ、不倫を持ちかける方が悪いに決まってるんだけど、断るにしても言い方ってあると思うんだよ。


で、その男はSNSで、琴音さんの顔と名前は伏せた上で、その時の話を誇張して拡散したんだ。きっと、ネットの世界で同情を引こうとしたんだろうけど、逆に炎上した挙げ句に、奥さんに浮気しようとしたことがバレた。で、旦那は琴音さんの方が先に誘ってきたって苦しい言い訳をしたみたいなんだけど、奥さんがなぜかコレを信じてしまって、わざわざ道場にまで押し掛けて来たんだよ。でも、琴音さんはその奥さんをもバッサリ斬って捨てたわけだ。


え、詩音から聞いた話とニュアンスが少し違う?まあ、詩音は琴音さんに心酔してたからな。思い出が多少美化されていても仕方ないかもな。少なくとも、そんなか弱い女性じゃなかったと俺は思うよ?


その夫婦は何とか世間体を立て直したかったんだろうなあ。その後、よせばいいのに名誉毀損で訴訟なんか起こして、逆に敗訴して賠償責任を負うは、この街に住めなくなるはで。一番可哀想なのはその子供だよな。ただ剣道習いに来てただけなのに。


そんな訳で、ここまでは多少のいざこざはあったものの、大きな問題はなかったんだよ。問題は何故か琴音さんの実名と顔写真がネットに出回ってからだった。


琴音さんには当時、婚約者がいたって話だったけど、厳密には元婚約者だったんだ。実際には、師範の家に住み込みで手伝いに来た時点で婚約は解消されていた。


その元婚約者は琴音さんが通っていた大学、九州のどこかは忘れたけどそこの同期で、付き合い始めた頃はごく普通の性格の男性だったらしい。それで、相手から請われて付き合いだし、婚約までしたんだけど、それを境に琴音さんをやたら束縛するようになり、粘着質に追いかけ回したみたいなんだ。


で、息子の凶状を見かねたその男の両親が婚約を解消するように琴音さんに勧めたんだけど、それを聞いた男が暴れ出して手に負えなかったので、琴音さんは婚約破棄を宣言した上で逃げて、師範の家に避難してたってわけだ。


でだ、ここからは確証のない話になるからそう思って聞いてほしいんだけど、俺は琴音さんの実名と顔写真をネット上にリークしたのは、この元婚約者だと思っている。その目的は琴音さんの居場所を炙り出すためだ。おそらく、ネット上で炎上しているそれらしい案件に片端から琴音さんの実名と顔写真を流し、情報がヒットするのを待っていたんだと思う。


そして、あの日が来た。


俺は当時はまだ少年部でしか稽古してなかったから、道場から帰る時間が今より早かったんだ。それでも子供達の面倒を見ながらだから、皆んなより少し遅れて1人だけで帰ることが多かった。すると、帰り道の途中で誰かが言い争っているのが聞こえたんだ。


様子を見ると1人は先に帰ったはずの琴音さんで、もう1人は知らない男だった。お互い凄い剣幕で言い争いしててさ、ちょっと出ていくのが怖かったんだけど、とうとう男の方が暴れ出して、琴音さんに暴力を振るおうとしたんだ。


俺は思わず飛び出して止めようとした。ところが、それに気付いた男が俺を突き飛ばしたんだ。俺はその場で頭を強く打って気絶したみたいで、その後のことはなにも覚えてない。


それから、一週間、俺は病院のベッドで寝ていたらしい。らしい、と言うのは、その間ずっと意識が戻らなかったんだな。意識が戻った後も記憶が混濁していて、しばらく入院生活をしていた。やっと、記憶も元に戻って退院した時には、琴音さんは自殺し、道場からは沢山いた子供達の殆どがいなくなっていた。





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