58. 春の香と舞い散る花弁を背景に
「先に漣が1本入れたんだから、実質、漣の勝ち。」
表彰式と閉会式がつつがなく終わり、帰り仕度をしていると、詩音が何やら不穏なことを言い出した。今回は優勝者、準優勝者共に記念品が貰えたので、俺と漣は一緒に表彰の場に立ったのだが、何故か詩音は不服のようだ。
「流石に、それは無理があるよ。詩音。」
漣も苦笑いだ。
「そんなことない。あれが真剣での戦いだったら、涼太の頭が先に割れていた。だから、漣の勝ち。」
「まあ、言いたいことは分かるけども、何で詩音がそれを言うんだ?」
「詩音ちゃんは随分、漣の肩持つのね。何かあったの?」
「えっと···なんでもない。」
「なんか、怪しいな。漣は心当たりあるんだろ?」
「ああ、それはねイテッ」
詩音が漣の脇腹をつねっていた。
「ま、また今度話すよ···」
「うん、話してくれなくていいよ。何となく分かったし。」
「そっかあ、漣と詩音ちゃんがねえ〜」
詩音は顔を真っ赤にしていた。ホント、分かりやすいな。
「色々ツッコみたいけど、子供達もみんな帰り仕度済んだみたいだし、そろそろ俺達も帰るか。」
「あ、涼太。僕と詩音はここでお別れするよ。」
「ん、そうか?じゃあ、ここで解散ってことで、お疲れ様。ゆっくり休めよ。」
「詩音ちゃん、また来週も宜しくね〜。」
「うん、2人共お疲れ様。今日も楽しかったよ。」
「ん、また来週。」
子供達を全員見送った後、俺と透子も家路についた。朝早くから出たのに、外はもう夕日が傾いてる。大会となると丸一日が潰れてしまう。
「今日は本当に助かったよ。透子も疲れただろ?」
「うん、いつも見てるだけだったけど、お世話だけでもあんなに大変なんだね。涼太はその上、試合も出るんだから、今まで本当によくやってたよね。」
「試合する方がまだ気が楽だよ。勝っても負けても自己責任だけで済むしな。」
「うふふ、そんなこと考えるのは涼太だけだと思うなあ。」
「そうかなあ。ところで、今日はもう稽古ないけど、この後どうするんだ?」
「涼太の家に泊まっちゃおうかなあ?」
「俺は嬉しいけど、お母さんには言ってあるのか?」
「そのまま泊まるかもって言ってあるよ。一応、後で電話しとくし。」
「そうか。じゃあ、このまま俺の家に行くか。」
「うん。」
俺達はいつものように手を繋いで歩いた。今日はあまり透子を摂取してないから、やっと手を握れてホッとした。
「詩音、寒くないかい?」
「うん、大丈夫。」
「ごめんね、荷物重いのに付き合わせて。どうしても、詩音と2人で来たかったんだ。」
「荷物を持ち歩くのは慣れてるから。それより、どこに行くの?」
「もうすぐ、あそこを登ったとこ。ほら、中々な見応えのある景色だろ?」
眼前には道沿いに咲く桜並木があった。薄暮の中、下からの照明に照らされて鮮やかな花弁が舞っていた。
「すごい···まだ、こんなに咲いてたんだ。」
「ここは日当たりの関係で他よりも開花が少し遅いみたいなんだ。ちょうど見頃の時に来れてよかった。」
漣が手を差し出すと、私は遠慮がちに握った。漣の手はピアノを弾くための大事な手だ。力を入れて傷つけないように、いつもそっとしか触れない。
荷物があるので散策はしないで、しばらくその場に2人で佇んだ。私は桜を見てるふりをして、漣の顔を見た。漣の方が頭一つ高いので不自然ではないはずだ。いつ見ても優しげで綺麗な顔だ。それでも以前は何とも思わなかったのに、今は胸がドキドキする。もっと、顔を見たいと思ってしまう。
「ねえ、詩音。」
「え、なに?」
「詩音の目から見て、今日の僕の試合はどうだったかな?」
「初めての試合とは思えないくらい落ち着いてて、上出来だったと思う。」
本当はもっと言葉を尽くして褒めたいのに、肝心の言葉が出てこない。
今まで人付き合いを避けてきた報いが出ている。
「落ち着いてた、か。そうだね、予選まではいつもの稽古と変わらないというか、相手選手には申し訳ないけど、少し物足りないくらいだったからね。でも、涼太との決勝戦は流石に落ち着いてなんかいられなかったな。」
「それでも、最初に1本入れた。だから、漣の勝ち。」
「アハハ、詩音は頑固だね。」
漣は軽く握っていた私の手を両手で包んだ。
「2本目を取られた時、実は少し諦めかけていたんだ。でも、詩音が僕を応援してくれてる気持ちを背中に感じた。君に背中を押されたんだ。結果は負けだけど、応援嬉しかった。僕は自分でも感情の起伏が少ない方だと思うけど、詩音のことを考えると、なぜかここが熱くなるみたいだ。」
漣は私の手を自分の胸に当てた。漣の心臓の鼓動が手に伝わってくる。そして、自分の心臓の鼓動が早くなるのも分かる。漣の綺麗な顔がすぐ目の前にある。ダメだ、目を逸らせない。
「僕はこれからも剣道を続けたい。君や涼太と肩を並べて、同じ景色を見てみたい。でも、きっとまだまだ先のことだと思う。それまで、どうか君に側で見ていてほしい。できれば、その後もずっと。」
「うん···」
頭にふうっと息がかかった。額にキスをされていた。
「ありがとう。実は、やっぱり負けて少し落ち込んでたんだ。でも、詩音のおかげで元気が出てきたよ。さあ、寒くなってきたら帰ろうか。」
「あの、漣。」
「うん、なんだい?」
「私、やっぱり、聖光大附属を受験する。」
「そうか、じゃあ、僕も頑張って協力しないとね。一緒に学校に行くの、今から楽しみだよ。」
パッと明るい顔になる漣。その屈託のない笑顔にまた心臓がドキッとする。今度は邪魔な荷物がない時に来よう。そうすれば、もう少し長く手を握っていられるはずだから。
再来年の春には、聖光大への道を二人で手を繋いで歩く。
新しい目標ができたことに、詩音の胸もまた熱くなった。
自宅に戻った俺達。両親は透子がいるのを見ても、もはや驚かなくなった。俺が胴着や防具を片付けてる間に、透子に先に風呂に入ってもらった。季節は春だが、夜はまだ肌寒いからな。身体が冷えていただろう。
入れ替わりで俺も風呂に入った。さっきまで、この湯船に透子が浸かっていたのかと思うと、ちょっとドキドキする。ドキドキはするけど、そこまでだ。俺は変態じゃないからな。多分。
少し長めに湯に浸かって風呂から上がると、透子は母と一緒にキッチンに立っていた。この光景も見慣れてきたな。
「透子ちゃんがいると、本当に助かるわ。もう、毎日毎日、何作ればいいか考えるのも大変。男どもは全然役に立たないし!」
「いいえ、私も知らないお料理教えてもらえて勉強になりますから。それに、たくさん食べてくれる人がいるのは嬉しいですよ。うちは父も少食なので。」
確かに透子のお父さんは痩せてたなあ。てっきり、金遣いの荒い母娘に搾り取られているのかと思ったが、単に小食だったのか。うちは俺も親父も大食いだ。
その親父はキッチンの椅子にふんぞり返って何かを手に持って読んでいる。どうも、俺が学校から持ち帰った連絡プリントのようだ。内容を見ないで渡しているので、何が書いてあるのかは分からない。
親父は俺と目が合うと、テーブルの上にそのプリントを俺が見えるように置いた。
「涼太、カノジョを家に連れてくるのはいいが、最近、不審者情報が多いみてえだからな。ちゃんと気を付けろよ。」
大会が終わった後で俺の気は緩んでいたようだ。俺の中の警戒レベルが一気に最大限になり、全身からじわりと汗が滲み出るのを感じた。
目線を上げて、透子を見た。透子もこちらに気づき、笑顔を返した
俺の大切なもの、今度こそ見失わない。




