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57. 春の香よ舞えよ若木の葉の唄よ

大会決勝戦が始まった。幼少の部から小学生の学年別、中学、高校の順で行われる。中学の部は今回も女子の部が先に行われた。詩音が試合場に進み出る。


中央で向かい合った相手選手は詩音よりやや大きいが、ほぼ同じ体格だ。女子特有の甲高い気合いが会場内に響く。お互いに中段に構え、様子見が続く。


先に前に出たのは相手選手だ。出小手を狙ったようだが、詩音は直ぐに反応して対の面を返す。どちらも有効打にはならず、鍔迫り合いになる。これも、互いを崩すまでに至らず、仕切り直しになる。


相手と詩音の技量はほぼ互角か。であれば、技の引き出しの多い方が有利だ。


今度は詩音が刺し面を繰り出す。相手選手は磨り上げからの小手を狙うが、詩音はこれを狙ったのか逆胴を放った。死角からの反撃に気を取られたのだろう、相手の目線が泳いだ僅かな隙に詩音は引き面を極めた。旗が上がり、1本目は詩音に上がった。


順調な出だしと言える。しかし、相手選手に動揺や焦りは見えない。まだ、試合は終わっていない。


2本目も再び様子見から始まる。互いに牽制を織り交ぜるが、それに乗る気配もない。先に1本を取っている詩音が有利なのは変わりないので、相手選手の方が精神的に保たないはずだ。案の定、先に前に出たのは相手選手だった。


中段の構えのまま僅かに竹刀が上を向く。刺し面かと思ったが、それは牽制で後の先の小手狙いだ。どうやら、相手選手の得意技は小手のようだな。1本目と攻守交替した形だが、詩音は構えを崩さず一気に距離を詰めて体当たりを仕掛けた。相手選手は小手を捨てて構えた。ところが、詩音の体当たりもまた牽制だ。トンと相手に軽くタッチすると一転、引き小手を極めた。


2本目を取られて、相手選手にはもう余裕がないだろう。後は安心して様子を見れるはずだ。

ところが・・・


『油断も、慢心もしないから。』


その言葉通り、詩音は攻めの姿勢を崩さなかった。竹刀を高々と掲げ、上段の構えをとった。俺は苦笑するしかなかった。小手を得意とする相手選手にとって、あれほど相性の悪い構えはないだろう。


前の試合でも上段の構えを使ったが、あの時はハッタリだったと詩音は言っていた。そんなわけがない。詩音は誰よりも努力を貴ぶ人間だ。試合の場で一か八かの賭けに出るなんてことはしない。研鑽を重ね、じゅうぶんな勝算があってのことだったに違いない。あの構えの通り炎のように苛烈でありながら、氷のような冷静さを併せ持つのが詩音なのだ。


目の前にあるのは、誰も目にも疑いようのない見事な片手面が極まった瞬間だった。




決勝でも圧勝した詩音は悠々と下がった。その後に控える漣と入れ替わる際に、こっそりグータッチをしていた。おい、試合前にホッコリしちまうから止めてくれよ。


なんて言ってる場合じゃないよな。

今度は俺達の番だ。




試合場の中央で向かい合う。面格子の奥に漣の真っすぐな目が見える。稽古場では何度も相対しているが、ここまで気迫のこもった眼差しは初めて見るかもしれない。いい気の乗りだ。


漣が気合を発しながら歩を踏む。俺の視界には水平に左右に揺れ動く漣の姿がある。頭防具の中に響く気合の声が目の前の光景と微妙にズレる感じがする。これは、予選の時に感じたのと同じ違和感か。


音に気を取られていたのか、ほんの一瞬だけ漣の姿を見失った。一気に間を詰めた漣が刺し面を放つ。俺はそれを摺り上げるが、タイミングが少し遅れた。バシッと頭防具に漣の竹刀がめり込む。パッと旗が上がった。漣に先制を取られてしまった。いや、やるなあ・・・


詩音じゃないが、油断も慢心もしているつもりはなかった。今の一本は紛れもなく漣の実力だ。そこは素直に賞賛するとして、さてどうしたものかな。


2本目、先ほどと同様に漣が左右に歩を踏む。やはり、視界と音の同期がズレている。多分、これは漣が意図的に行っているものだ。まず、この音の違和感は反響によるものだろう。相手の頭防具内にいくつかのパターンの音を響かせ、距離感を錯覚させているのだ。すると相手は視覚にのみ頼り、左右に揺れる漣の姿を正面に捉えた瞬間だけに意識が集中してしまう。音楽に長けた漣らしいアプローチだと思う。


俺は漣の気合に呼応するように、やや高音の気合を発した。鼻腔を使って頭蓋内に自分の声を反響させる。カラオケの時に教えてもらった男でも高音を発声できる方法だ。これで音の反響を封じた。そして、漣の歩に集中した。タンッ!


「メエエン!」


俺は無挙動からの飛び込み面を極めた。


頻繁に歩を踏むと居つく瞬間が多くなる。そして、漣のリズムはあまりにも正確すぎた。視界に頼らなくてもタイミングが分かるくらいに。逆に俺は目線の罠を仕掛け、漣の出を押さえたのだ。


さあ、互いに一本一本で仕切り直しだ。ここからが本当の勝負だ。


漣は秘策が破られたと知ると、実に気持ちよく堂々と勝負に出た。面から小手、小手から引き胴と、基本に忠実な技を出してくる。刃筋もしっかり立てていて、当たれば1本取れるのは間違いない。


よく、たった半年でここまで技を磨いたもんだ。きっと、これは俺の教え方が良かったんだ。すんません、調子に乗りました。教えを聞く側にその姿勢があればこそ、だな。才能あるくせに努力を怠らない。その上、イケメン。イヤなタイプだけど本当にいいヤツだ。心から敬意を覚えるよ。


漣は同じ調子で何度か技を入れてきたが突然、タイミングを外してきた。技の緩急まで織り交ぜてくるとは恐れ入った。だが、まだ甘いと言わざるを得ない。相手の虚を突くならフェイクでも気迫を込めなくてはいけない。こんな感じで!


俺は敢えて漣の手に乗るように見せかけて、その実、身体は次の手に備えて重心を移動させていた。虚の俺は漣の真正面に立っているが、実の俺はやや右にずれている。俺は漣の小手を鎬で返して外し、体重を乗せて居つかせると、すかさず引き面を入れた。これで2本目先取。


さあ、次はどう出る?どう来る?

冷静でいなければならないのは分かっているが、俺は心からワクワクしていた。





やれやれ、分かっていたはずなのに、ここまで絶望的だとはね。


初めての試合に勝って、決勝まで進んで、涼太と対戦できた。


それでじゅうぶんだった。じゅうぶんなはずだった。


それが、たまたま奇策がハマって1本を先取できた。


あの涼太から・・・僕にとって強さの象徴である涼太から・・・


少々舞い上がってしまった。それを見透かされたように、あっという間に1本を取り返されてしまった。


そして、今また2本目も取られてしまった。


やっぱり、涼太は強い。只々、驚嘆するしかない。


でも、このまま残りの1本をただ譲るのは、やっぱりちょっと悔しいよね。


僕の背中にも、可愛い人からの祈るような期待が刺さっているのが分かる。


どこまで応えられるか分からないけど、最後まで足掻くよ。




4本目の開始の合図と共に、漣がすさまじい気合を発した。今まで聞いた中でも特に張りがあり響く声で、地面がビリビリと震えた気がした。もしかして、追い詰められてスーパーナントカに覚醒しちゃったか?面格子の向こうに鋭い眼光が見えた。いつもの端正な甘いマスクは固い決意の下に立派な男子の顔になっていた。


漣はあまり自分のことを話さないけど、今まで相当な努力と、それが必要とされる厳しい世界にいたことは何となく分かっていた。短期間で剣道の腕がここまで上がったのも、きっとその経験に裏打ちされたものだ。いつもの優しい笑顔はそれを隠す仮面なんだろう。そういうとこが詩音と似てるんだよな。


いつかは俺にも打ち明けてくれるかな。心を開いてくれるかな。隠しているつもりかもしれないけど、上気すると赤くなるその胸の十字の傷跡についても、いつか話してくれるだろうか。


お前に比べたら、ただダラダラと生きてきた俺にできるのはせいぜい待つことだけだ。


ぶつかってきたら、全力で受け止めてやることくらいだ。


親友って、そういうもんだろ?違ったら、言ってくれよ。


俺にできることなら、全部やるからさ。


さあ、最後の勝負というこうじゃないか。




俺と漣は同時に飛び出した。


小細工なし、フェイクなし。


愚直なまでの真っ向勝負だ。


人の一生の長さに比べれば数年なんて誤差にすぎない。


俺と漣の勝敗を分けたのは、数センチの差。


誤差を積み上げて作ってきた、たったそれだけの差だ。






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