52. 新学期の新しい試みは貫徹できるか?
俺は現在、頭を抱えてしまっている。
透子が、
「私も剣道やってみようかと思うけど、涼太はどう思う?」
と聞いてきたからなんだが。
なんでこのタイミングなんだか···
透子の剣道を習いたいという思いは理解できないわけではない。多分、詩音や漣との仲を深めたいのだろう。或いは、俺との時間を増やしたいのか。そういう意味では、別に剣道じゃなくても本当はいいのだろうけど、4人揃うのはそこしかないからなあ。
一緒に遊ぶ機会を増やせばいいのだが、皆それぞれに都合があるだろうし、俺のお小遣い事情もあるし、そう頻繁には無理だろうな。
透子が剣道をやることは本人の自由だ。俺の意見とは関係なく、透子が師範に申し出れば了承されるだろう。何でも受け入れるからな、あのじいちゃんは。
問題は稽古後の帰宅をどうするかなんだよなあ。道場から透子の自宅まで、徒歩15分といったところか。微妙な距離だ。昼間なら特に問題ないが、夜中に中学生の女子が独り歩きするのはやはり危険だと思う。
俺が稽古後に送ってもいいんだが、帰りは夜10時近くになる。暴漢に襲われることはなくても、警察に補導される可能性がある。それはちょっと避けたい。
毎週、詩音の家に泊まるというのは流石に非常識だよなあ。俺の家に泊めるのは、俺的には全然OKなんだけど、周りが許してくれないだろうな。漣のように親が車で迎えにくるというのは無理なのだろうか。いや、そもそも透子の家には車はなさそうだったな。家以外のところに停めてたら分からないけど、それができるのなら透子の方から言ってきただろう。
うーん、どうしたものか。透子と一緒に剣道をするというのは嬉しい話ではあるけど、ちょっと想像ができない。勝負事が合う性格にも思えないし、中途半端な覚悟で始めて怪我でもしたら一大事だ。詩音ですら、怪我を負うことがあるのだから。やはり、ここはビシッと言うべきだな。
「なあ、透子。この前の剣道をやりたいという話だけどな。俺は止めておいた方がいいと思う。」
「うん、やっぱりかあ。」
「いや、透子が真剣に剣道を修行したいと思ってるのなら、止めないけどな。ただ俺や、漣、詩音たちと一緒にいる時間を増やしたいという理由でやるのだとしたら、道場で真面目に稽古している人達に対して失礼だと思うんだよ。」
「そうだよね···私も涼太の言うことが正しいと思う。じゃあさ、時々でいいから、お手伝いに行くのはどうかな?ちゃんと胴着袴も用意するし、その時は詩音ちゃんとこに泊めてもらうし。」
「まあ、詩音がいいと言うなら、俺には異論はないよ。俺としても、透子と一緒にいられる時間が増えるのは嬉しいしな。でも、その為だけにわざわざ胴着袴を買うのか?」
「えへへ、実はちょっと憧れてたんだ。コスプレ感覚?」
やっぱり、透子は金がかかる女なのではなかろうか。もしかして俺、石油王くらいにならないとダメなのでは?
「ちょっと、アラブ行ってくる。」
「は?なんで!」
まあ、何にせよ、無難な結論に落ち着いてよかった。なんなら、その翌日はまた4人で遊ぶとか、予定を組みやすくなるしな。問題があるとすれば、例のアレだよなあ···
早めに師範に相談に行った方がよさそうだ。
「と言う訳で、涼太からも剣道するのは止めとけと言われちゃった。」
『そう。まあ、仕方ないわね。私だって三木谷が竹刀振って戦ってるとこ想像できない。』
「だよねー。それでね、相談なんだけど、やっぱり、涼太のお手伝いは時々でもいいからしたいかなっと思って。その時は、詩音ちゃんの家にまた泊めてもらえないかな?本当に泊めてもらえるだけでいいから。それ以上の迷惑はかけないから。」
『うーん、どのくらいの頻度で来るつもりなの?』
「それは、詩音ちゃんが許してくれる範囲で考えるよ。お願いしているのはこっちなんだし。」
『じゃあ、とりあえず1ヶ月に1度くらいでどう?今月はもう来たから、次は2月。』
「うん、じゃあそれで!」
『あと、あんな大荷物いらないから。』
「う、、、分かったよお。」
『じゃあ、それで家族には話しておく。』
「うん、ありがとね!詩音ちゃん、大好き!」
『···で、用件はこれで終り?』
「あ、あとね、胴着袴も買わなくちゃなんだけど、詩音ちゃんの持ってる白色のやつってどこで買えるかな?」
『この前の武道具店でも売ってるけど···本当に買うの?月に1度の手伝いのためだけに?』
「だって、そうしないと道場の中に入れないし。」
『まあ、三木谷の自由だから好きにすればいいけど···』
通話を切り、詩音はスマホを置いた。
結局、三木谷を止めることはできなかった訳だ。あれから何年も経ってるし、あんな非常識な大人がそう何人も現れるとは思わないけど、やはり、当事者としては不安になる。
涼太はどう思っているのだろう。アイツのことだから、既に何か動いているかもしれない。問い詰めてみようか?いや、どうせ、私には何も教えてくれないだろうな。
私にできることは、せいぜい何も起こらないように祈るくらいだ。
「どうしたんじゃ、涼太?こんな時間に。」
俺は師範の元に訪ねていた。
「特待生の件は断念したと聞いたが、また、別の話かの?」
「はい、あの···実はお願いしたいことがありまして。師範は元警察の特練員だったと聞きました。それで、俺に逮捕術を教えていただけないかと···」
「ふーむ、また、随分大胆なことを言ってきおったな。何故、そのような?」
「先日お話しいただいた例の件で、その対策にと思いまして。」
「馬鹿が···儂は注意しろと言ったのじゃ。自分から危険に飛び込もうとするなど、武道の風上にも置けんわ。話にならん。」
「師範、俺は何も自ら火中の栗を拾いに行くつもりはありません。あくまで、自分と自分の大切な者に身に、火の粉が降り掛かった場合に備えたいだけです。どうか、お願いします。」
俺は土下座して頭を床に擦り付けた。師範は目をつむり、天を仰いでしばらく考え込んだ。そして、ようやく口を開いた。
「逮捕術は、逮捕権限のある警察官のみが合法的に使用できるものじゃ。儂は既に警察を引退した身。教えることはできん。」
「そう、ですか···」
「しかしじゃな、実は儂は今カンフー映画に凝っておっての。遊び相手が欲しくてしょうがないんじゃよ。つまりは、ごっこ遊びじゃな。」
「···では、俺は師範の遊び相手になればよいのですね?」
「そういうことじゃ。」
「分かりました。それでお願いします。」
「うむ、では庭に出なさい。」
普段は小さな子供みたいなじいちゃん先生が、この日はとても大きく見えた。俺は何度も地面に這いつくばい、立ち上がってはまた砂を噛むハメになった。自分からお願いしたことだが、正直ちょっとだけ後悔した。
こうして、俺は夜な夜な師範の家の庭で怪しげな遊びを興ずることになった。毎日、土埃だらけになって帰るので、母親はいい顔しなかった。




