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49. 新学期の帰り道、一人物想う

漣君の語り回前編です。


帰りの電車の中ではドア付近に立っていた。座席は空いているところがあるけど、買った竹刀を持ったまま座ると邪魔になりそうだから。涼太に言われた通り、竹刀袋を持参しておいてよかった。剥き出しの竹刀を持っていたら、周りからどんな視線を浴びていただろうか。


普段はあまり見ないスマホを取り出して、今日撮った写真を眺めた。水族館やカラオケ店で撮った写真。みんな笑顔でとても楽しそうだ。僕にも、こんな普通の学生のような時間を持てただなんて···このたった数ヶ月で、僕の生活は大きく一変した。


毎日ようにある習い事のために、時間に追われる日々。元々、水泳は身体が弱かった僕に少しでも体力をつけさせようと父親が、ピアノはイギリス人の祖母が、海外在住時に教えてくれていたものだった。


小学校に上る前に日本に帰国し、今の学校に入学した際に、ピアノと水泳は学校内の教室で続けることになった。なぜか合唱もそこに加わった。しばらくすると、日本にいると英語を使う機会が少ないから、と母が英会話教室を勧めてきた。


本当は、日本に友達がいないことを心配して、それを作る機会になればと思っていたらしい。合唱も同じ理由だったようだ。確かに教室内では多少の会話をするけれど、終わってしまえば、みんなさっさと家へ帰ってしまう。まだ小さな子供に過ぎなかった当日の僕は、それを友達と言えるのかどうかと疑問に思うこともなく、言われたままに従っていた。


小学校が始まり、僕は困ったことになった。英語よりも日本語の読み書きの学習の方が圧倒的に遅れていたのだ。周りの子達は幼稚園の時点で、平仮名、カタカタ、簡単な漢字、更には国語辞典の引き方まで学習していた。小学校の授業はそれが前提になっていたので、僕は開始から早々に躓いてしまった。


その事を親に報告すると、早速、外部の学習塾へ入れられた。家庭教師ではなかったのは、ここでも友達問題を心配する母の意向があったようだ。しかし、そのことで僕の時間はどんどん削られていき、友人関係を育む機会が益々失われていった。


友人ができなかったのは母のせいだけではない。僕自身にも問題があった。まず、僕は見た目から周囲の子達とは異質だった。イギリス人のクオーターの僕は髪や目の色こそ日本人と変わらないが、顔立ちはどこか西洋人の特徴が出ていたようだ。また、日本語が少し拙かったことでコミュニケーションを取るのがヘタだった。日本の文化にもあまり触れてこなかったので、当日の流行りや世間の常識に疎かった。何より、自分から話しかける勇気を持ってなかった。


クラス内のほとんどの子達は幼稚園からの持ち上がりなので、既にお互いに顔見知りばかりだった。その中に1人、外見も言葉も異質で自分から話かけてこない人間がいたら、警戒されるのは仕方がないことだった。


僕はイギリスに帰りたかった。優しかった祖母の元にいたかった。思い出にしがみつくつくように、僕はピアノの練習に打ち込んだ。ピアノを弾いている時だけは孤独を忘れた。祖母が背後から僕の手を取って教えてくれた、あの時の温かさを思い出すから。そうしていれば、いつかイギリスに帰れる、そんな根拠のない希望に縋っていた。


そんな中で、ちょっとした転機があった。必死に修練してきた甲斐があったのか、毎年行われる学校の音楽祭で、ピアノのソロ演奏をすることになった。これは学内でもとても名誉なことらしく、その日から周りの人達の僕を見る目が変わった。今まであまり接点がなかった同級生達からも、声をかけられる機会が増えた。その内容はほぼ全てピアノに関することではあったが、僕にとっては重大な変化だった。努力して成果を出せば、周りの方から変わってくれると分かったのだ。


それを励みにして、合唱団の方でも頑張るようになった。教えられた発声練習を自宅でもやり、声量を増やすために自主的に運動をした。水泳のおかげで体力には既に自信があったので、主に筋力を鍛えるトレーニングをした。もっとも、当時は筋トレの知識があったわけではなく、主に腹筋とか腕立て伏せのような子供でも思いつく単純なものばかりだったのだが、それでもある程度鍛えることはできていたようだ。


ネイティブな英語の発音ができることが合唱には優位に働いたようで、声質が改善されると、僕は少年少女合唱団でも音楽祭のメンバーに選出された。そのことで、僕の周囲に対する株は益々上がったようだ。学校のクラスの内では相変わらず孤立気味だが、合唱団では仲間たちと濃密な時間を過ごし、孤独を紛らせることができた。僕は益々ピアノと合唱の技術を上げるために精を出した。


忙しいながらも、平穏無事な日々が数年は続いた。孤独は完全に癒やされることはないけど、相変わらず僕はピアノと合唱に力を注いでいた。しかし、僕の努力の方向性に不満を持つ人々がいることに、僕は気付いていなかった。ピアノの先生達は僕に他の習い事を捨て、ピアノに専念してコンクール優勝を目指すべきだと諭した。そうすれば、教室内の数人だけに与えられる特練枠を与えるとのことだった。


特練枠は将来プロのピアニストになることを目指す人達のための特別なカリキュラムだ。そこに入ると、生活のほぼ全てをピアノに捧げなければならない。僕はただ、祖母に会いたいがため、周りから目を向けてもらいたいがためにピアノを弾いてただけだ。そんな覚悟はなかった。


ピアノで身を立てる将来を選ぶべきか、このまま一学生としての無難な日々を送るべきか、僕には選択できなかった。両親に相談したくても、事業の経営で普段から忙しく、以前は最低でも朝と夜のご飯時には顔を合わせていたのに、最近はそれすらもできない状態が続いていた。そこで、僕は合唱団の仲間の中で、同じようにピアノを習ってる1人に相談をしてみた。


その事がよくなかった。その子は親から将来プロのピアニストになることを熱望されていて、日々練習に明け暮れる生活を送っいた。彼にとって合唱はただの息抜きだった。そんな彼でも特練の話は回ってきていなかったのに、僕のような中途半端な意思でピアノをやってる者に相談されたことが自慢話のように聞こえたようだ。


それ以来、彼を中心とするグループから冷遇されるようになった。結局、僕は特練の話を独断で断り、教師達を失望させた。僕は再び孤独になった。


何のためにピアノや合唱をやってきたのか分からなくなってしまった。失意の底に落ちた僕は酷いスランプに陥り、ピアノに向かうことを身体が拒否した。僕の足はいつの間にか学校内の教会施設に向かっていた。祖母が敬虔なクリスチャンだったので、僕も日曜日には欠かさず礼拝にきていた。


誰もいない教会で1人で祈っていると、声を掛けられた。教会施設を管理している聖職者の中年男性だった。柔らかな口調で、どうしたのか、何か悩みごとがあるのかと尋ねた。僕は相手が聖職者ということもあって何の疑いも持たずに自分の身の上を話し、相談した。その男性は親身に話を聞いてくれた。そして、自分でよければいつでも話し相手になろうと言ってくれた。


当時の僕は余程、心が疲弊していたのだろう。その男性の柔和な笑顔の奥に潜む歪んだ欲望に、全く気付けなかったのだから。


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