35. 新春のお肌の手入れは念入りに
今回は短めです。
道場の関係者と親御さんたちは皆、琴音さんの側についた。
誹謗中傷を真に受けた人は皆無だった。それどころか、裁判では琴音さんの潔白を晴らすために、全員が証人として名乗りを上げる意思を示したほどだった。バカ夫婦に味方する人は唯の1人もいなかった。
しかし、ネットの世界ではそうではなかった。
過激なネタに食いつきやすい顔も名前もない地下の住人達は勝手な憶測を並べ立て、あろうことか秘匿されていた琴音さんの実名を暴き曝すという愚挙に出たのだ。
実は、琴音さんにはお付合いしていた男性がいて、大学卒業後に結婚をする約束をしていた。しかし、このネットの情報が相手の親の耳に入り、本人達の意思に反し、婚約は破棄されることになった。
琴音さんは当時の私からはとても立派な大人の女性に見えた。しかし、実際はまだ社会経験の少ない学生に過ぎず、ましてや悪意ある過激な社会的暴力に免疫などあるはずもなかった。彼女の死は自殺だったが、殺されたも同然だった。
悪いことは重なり、琴音さんの両親は琴音さんを護りきれなかった師範夫婦と家族関係を断絶した。師範の奥様が心労で倒れお亡くなりになったのは、その後間もなくだった。
皆から愛された琴音さんの姿が道場から消えた。
親御さん達は子供達への説明に苦しんだ。
苦しんだ末に、皆が道場へ足を運ぶことを辞めたのだ。
あの体育館に来ると、楽しかった思い出と一緒に深い悲しみを思い出すから。
お肌の手入れ方法。
クレンジングで余分な脂質を取り除いた後、化粧水で顔に水分を充填。乳液で潤いを閉じ込める。塗り過ぎたら化粧が乗りにくくなるから分量に注意か。
メイクする前からこんなに手順があるなんて···三木谷に聞かなかったら、いきなりファンデーションを塗りたくって肌を荒らしてたかも。
まだシミ一つない10代のお肌だけど、今の内からそれをキープするための努力が必要なのだとか。今のところニキビもないけど···小鼻の毛穴とか、もう少し掃除した方がいいのだろうか?神経質にやり過ぎるのもよくなさそうだけど。
ふう、大人の女性を目指すのも大変だ。
琴音さんは私にとって理想の人だった。それを理不尽に奪われたやり場のない憤りは、今も地下のマグマのようにグツグツと煮えたぎっている。琴音さんを陥れたあのバカ夫婦や、社会の影で他人の不幸を蜜にほくそ笑んでいる卑劣な奴等が、今ものうのうとどこかで生きているということに怒りを抱き続けている。その秘めた怒りが今も剣道を続ける理由の一つだなんて、人が聞いたら何と思うだろうか。
琴音さんは理想の人ではあったけど、むざむざとやられっ放しを許すような弱い人間に私はなりたくない。強くならねば。周りから人がいなくなろうが関係ない。私は私の道を進むだけだ。
しかし···じゃあ、涼太は?
私と同じく、あの事件の後も道場に残った彼は、何の道を歩んでいるのか。
私のエネルギーの源が怒りなのだとしたら、粛々と道場で子供達の面倒を見て、琴音さんの代わりを演じ続けている彼のそれは何なのだろうか。どうしてそれが、強さに繋がっているのだろうか。
私なりに剣道を通して、分かったことがある。
男という生き物は、本当に大切なものは心の奥底にそっと隠しているということを。決して、それが暴かれないように、プライドだとか矜持だとかで必死に隠そうとする哀しい生き物だということを。
だから、涼太はそれを私には決して見せないだろう。
では、三木谷にはどうだろうか?
願わくば彼女が、涼太を心の檻から解放してくれたら、と思う。それを気に掛けるくらいの情は私にもある。
そろそろ、パックを外してもいい時間だろうか。
おお〜、お肌がぷるぷるしてる!




