26. 冬の女子力は侮れないようで
思っていたのと方向性がちょっと、いやかなり違っていたが、まあ、結果オーライか。
今、俺の目の前では女子二人がキャッキャウフフと戯れている。正確には、メイクについてのトークで盛り上がっているのだ。
詩音は剣道にしか興味がないのかと思ったていたが、音楽祭に行きたいと言ったりメイクの仕方を教えて欲しいと懇願したり、意外な一面があったのだな。
肌の手入れの仕方から始まって、保湿のための化粧水だとか、肌が荒れにくいファンデーションの選び方だとか、美白と日焼け防止効果のある化粧品だとか、熱心にレクチャーを受けている。
三木谷も自分の得意分野を役立てることが嬉しいのか、張り切って教えている。傍目には、仲の良い姉妹みたいだ。前から思っていたけど、三木谷には姉属性、詩音には妹属性が備わっているんだろうな。
「え、百均のコスメでも大丈夫なんですか?肌に悪そうなイメージで避けてたんですけど。」
「モノによりけりだけど、使い勝手のいいものだけチョイスする感じかな。例えばこの、クレヨンリップとか外出先でもパッと使えるし、このアイシャドウも···」
うん、全然分からん。
分からんが、二人が楽しそうになのはいいことだ。
三木谷も、来る前の表情の硬さは無くなっているし。
何か悩んでいたとしても、心が軽くなれば冷静さを取り戻して、徐々に解決に向かうだろう。
コンコンとドアがノックされた。
「涼太くん、ちょっといいかしら?主人が戻ってきたんだけど、ちょっと涼太君と話したいことがあるそうなの。」
げげっと内心思いつつも、分かりましたと返事をするのが大人の対応というやつだ。俺は一階の居間に向った。
「先生、お邪魔しております。」
「うむ、まあ、座りなさい。」
俺は先生の前に敷かれた座布団に正座した。
「まずは先日の大会、ご苦労さんだったな。先方の先生方も、涼太君の試合っぷりには感心されていたよ。他道場に優勝を持っていかれたのは悔しそうだったがな。」
「恐れ入ります。いい経験になりました。」
「む、それでだ。来年は君もいよいよ高校受験の年だろう。進路は既に決めているのかな。」
「いえ、まだこれからです。」
「そうか。なら、剣道強豪校の特待生を目指してみてはどうだ?」
「推薦を受けられるほどの実績はありませんが···」
「春になれば剣連主催の大会が始まる。実績はそこで作ればいい。今の君の実力であれば上位も狙えるだろうし、大会向けの練習については協力道場との合同で行えるだろう。」
「はい···」
「相変わらず、気が進まんか?」
「はい···いえ、なんと言えばいいか···」
「まあ、よく考えてみてくれ。道場のことなら心配しなくていい。君の献身的な協力は有りがたいが、君はまだ中学生だ。まずは自分のことを第一にな。でなければ、私達大人が何のために道場をやっているのか分からんからな。」
「はい、ありがとうございます。」
俺は頭を下げて、その場を辞した。
「涼太君、まだ吹っ切れないのかしら。」
「性根が優しいからな。それが彼の強さでもあるのだが、もっと広い世界を見ることも必要なことだ。」
「でも、彼がいなくなると道場が大変よねえ。」
「そうだな。だが、それでも、若者を狭い世界に縛り付ける理由にはならんよ。」
部屋に戻ると、メイクの実演会になっていた。
椅子に座らせた詩音の顔を、三木谷が真剣な表情で覗き込んでいた。俺はその様子を眺めながら、師範代に言われたことを頭の中で反芻していた。
将来、剣道で身を立てることを目指すなら、強豪校に入って大会で実績を作ることが必須だ。剣道を職業とするのは、まず思い浮かぶのは警察官だ。次に、剣道部を有している企業に務めることだ。
ただ我武者羅に剣道をやった先に、その未来があると信じてつき進むのも勿論ありだろう。だが、多くの剣道をやってきた者達は、生活の傍らで己の修行を粛々と続けるか、道場の構成員として無給で奉仕するか、或いは剣道を捨ててしまうかだろう。それはそれで本人が納得しているのであれば問題ない。それがその人たちなりの剣道もしくは人生に対する矜持だからだ。
では、俺自身の矜持はどこにあるのか。
正直なところ、今の俺が矜持という言葉を振りかざすのもおこがましいと思う。それだけの信念を持って剣道をやっているわけでもなく、ましてや、最高段位の八段を目指して、人生の大半を剣道に捧げる覚悟があるわけでもない。
ただ、一番近くにあったのが、剣道の道場であっただけだ。
多くの友人達が中学までに辞めていった中で、俺だけが残った。道場のため?小さな後輩たちのため?ノーではないが、イエスとハッキリ言えるだけの理由ではない。
剣道を辞めることで何かを失うことを恐れているのか?それも違うと思う。失うものがないわけではないが、恐れるほどのものを残念ながら持ち合わせていない。
俺にとって大切なものは
昔、見たあの光景
長い黒髪と白い胴着袴
凛とした後ろ姿
その瞳はとても優しくて···
「ねえ、涼太見てみて!詩音ちゃん、すっごく可愛いよ!」
視線を上げると、そこには少し恥ずかしげな表情の詩音と、仕事をやり切って満足顔の三木谷がいた。
「なあに?もしかして、寝てた?」
「いや、めっちゃ可愛くて驚いた。」
「!!!」
「でしょう〜!」
はしゃぐ三木谷に、顔面を真っ赤にして俯く詩音。
考えなければいけないことは分っている。
でも、今だけはやめておこう。
目の前にあるものだって、きっと大切だから。




