三章
そもそも私の変な現象にあってしまう機会というのは思いのほか多くない。
最近でも塾へ行く道で大量の子供の笑い声が聞こえてきたり、学校のトイレの鏡に知らない女の子が映っていたり、そんな程度。
塾は教室の先生が異様なほどの霊媒体質なのが原因だろうし、学校は言わずもがな、いるのが普通な建物だ。
じゃなかったら「学校の怪談」も「学校の七不思議」もこれほど有名になっていない。
でも学校にいるのは何かしらの事件・事故がない限りはただの浮遊霊だし、ただ驚かせてくるだけのあまり害のないモノであることが多い。
しかし、家にいるモノの多くは地縛霊か誰かに憑いている幽霊だ。
これがまた厄介らしいんだけど、私はそのような霊とは関わったことがないから今までその厄介さを知らなかった。
そう、今まではね。
「これは、そういった類の現象だよね」
目の前に散らばる割れた食器を見つめながら首を傾げる。
さっきいきなり台所から何か割れた音がしたからと慌てて来たらこの有様だ。
どうも先日からおかしい。
この三連休、ずっとどこからか視線を感じたり、物が動いてたり、ラップ音がしたり。
まあ原因は分かってる。
恐らく、いやほぼ確定でこの家だ。
三連休から私の家族は家のリフォームのため、もう誰も住んでいない親戚の家を借りているのだ。
「これは座敷童子さんに相談かな」
餅は餅屋。
怪異には怪異だ。
早速連休明けの月曜日の朝早くに学校へ行って、誰もいない中庭で座敷童子さんを呼ぶ。
「なんじゃ、こんな朝早くに来るなんて珍しいな」
相変わらず旧校舎の屋根で寝ていたらしい。
ふわりと降りて来た座敷童子さんは私を見て、その可愛らしい顔をしかめた。
「え、何その顔」
「お前、今度は何に好かれてきおった」
「はい?」
「気づいておらんのか」
これを見ろ、と渡された手鏡を見て、私は思わず「ひっ」と悲鳴を上げた。
「な、なにこれ」
「恐らく普通の者には見えんから騒ぎにはならんが、ちと問題だぞ、それは」
私が悲鳴を上げた原因は、鏡に映った自分の首に、赤黒い痕が一周回ってついていた。
それはまるで……。
「縄の痕?」
「らしいな。痛みは大丈夫か。何か身体に異変は」
「大丈夫だけど、何、これ」
「良くないモノに好かれたな。おそらく自殺した者だろう。ハナコ、お前最近変な所に行ったか?」
「変なところというか、今この前も話した通り家のリフォームのために親戚の家を借りてるんだけど、やっぱりそこが原因?」
「それ以外に変わったところに行ってないのならそこだろうな。何も聞いておらんのか」
「聞いてないよ。身内に自殺者がいるなんて……」
痛みはないけど鏡に痕があるのが見えるとどうも落ち着かない。
私の家の鏡では見えなかったのに、やっぱり座敷童子さんの私物だから特殊なのかも。
首をさすりながらどうしたものかと考えるが、こんなこと初めてだからどうすればいいかわからない。
出先で軽く怪異に絡まれることはあるけど実害を出してくるほど強力なモノは今まで出会ったことないよ。
「お前、見えるはずなのに今まで気づかなかったのか?」
「私は色々と見える質だけど、幽霊とは相性悪いから。見えることは妖精や妖怪より少なくて」
「なるほど。今回のモノはお前の目と相性が悪いのか。しかし今回のやつにとって、ハナコは相性が良いようだな。ふむ……どうしたものか」
「ねぇ、これもしかして私、危ない? 死ぬ可能性ある?」
「実体のない我らの中に生きておる者を殺す力を持っているモノなんぞ中々いない。ただ、この世には‘呪い’というものがあってな、それは人を害する力があるのだ。場合によっては事故が起こしたりして殺しにかかるモノもおろう。ハナコにその痕を付けたやつもそれをしないとは限らんからな。りふぉーむはいつ終わるのだ」
「一ヶ月ぐらいって聞いた」
「なかなか長いな」
座敷童子さんは難しそうな顔だ。
「ねえ、座敷童子さんは怪異の中でも結構年をとってるし、この学校内の幽霊とか妖怪を統率してる強い怪異じゃん。あの家の幽霊もどうにかならないの?」
「わしが強いのはここでの話だ。残念なことに、ここから出てしまうとわしは弱い」
「どういうこと?」
「わしらのようないわゆる、怪異というモノにもな、縄張りというものがある。今の言葉でいうとてりとりーだ。天狗は山、河童は川。座敷童子は憑いている家の中。そしてわしは、この旧校舎。わしはこの場所でなら誰よりも偉く、誰よりも強い」
「そうなの? でも、それならやっぱり座敷童子さんは強いんだね」
「いいや、てりとりーで強いということは逆を言うと他の場だと弱い、ということだ。魚が陸に上がると息ができないように、わしもこの‘学校’という場から離れてしまうと、姿を保つのも難しいだろう」
「え、そうなの。だから座敷童子さん、この学校から出て行かないんだ。私、ただの引きこもりだと思ってた」
「お前そんなこと思っておったのか?」
「学校大好きなんだと」
「いや好きだけどな、それとこれとは違うぞ。とにかく、わしがここから離れられない限り、その原因をどうにかすることもできん。それにおそらくその霊にとってはその家が縄張り。どんな手を使おうとその場ではその霊が強いはずじゃ。下手なことはせず、耐えるしかないだろう」
「それは無理があるよ」
これは困ったことになった。
座敷童子さんにもどうしようもないなら私にもどうしようもない。
除霊とかそういった力は私、持ち合わせてないもの。
「とにかく、まずはその家にいるのが誰なのか、そして普段どこにいるのかを知る必要があるだろう。たしかお前、犬を飼っておっただろう。犬は怪異が見えるはずだ。最近異様に吠えるようになったりずっと一点を見てたりしておらんか」
「キキのことね。たしかに、その家二階建てなんだけど、階段に向かってよく吠えてるよ。しかもよく階段から変な物音する」
「じゃあそこで死んだのだろうな。とにかく、下手にこっちから関わらん方が良い。わしの着物の切れ端を袋に入れて持ち歩け。ある程度お守りになるはずだ」
「ありがとう……」
座敷童子さんは来ている着物の裾を破いて渡してきた。
少し煤がついている赤い着物の切れ端。
それを常に持ち歩いているポーチに入れる。
一応、怪異の格としては座敷童子さんの方が高いらしいから少しは牽制になるらしい。
怪異の格ってものの意味はよく分からないけど、とにかく役には立つようだ。
「とにかく、何かあったら随時報告ということだ。あとはモノの名を知れ。名を知ることはそのモノを知ること。そのモノを知ればそれだけで相手を支配できる。まぁ、わしらには支配まではできないが、名を呼ぶことで気をそらすぐらいはできるかもしれん。しっかり調べてこい。わかったな」
「わかった。とりあえずお父さんに聞いてみるよ。じゃあ、私は教室戻るね。ありがとう」
「うむ、今日も励めよ」
座敷童子さんと別れを告げ、首の痕もそのままに私はその日一日を真面目に過ごした。
座敷童子さんが言うとおり、この首の痕は私と座敷童子さん以外には見えている気配はなく、普通の鏡にもやはり映っていなかった。
「……何をするつもりもないから、せめて一ヶ月は我慢してほしいな」
ただただ、今はこれ以上の被害が起こらないことを願うしかない。




