2-(7) ミカヅチゲーム(正義先登)
俺達が参謀企画室に現れると、室内は騒然とした雰囲気となった。まさかの総司令官の登場。が、それは歓迎という空気でもなかった。よくいって困惑。歯に衣着せぬいいかたをすれば邪魔者扱い。
――おいおいマジカよ。総司令官だって?
――なにしにきたんだ。
――作戦立案の講義でもしてくれるんじゃないの?
――でも、総司令官ってまとめ役でしょ?
――だな。軍内の調整役だ。
――戦術能力なんてあるのかしら。
――二世代前ぐらいの戦術論とかだったりして。
――そんなもの今更聞いてもなぁ……。
やはり天儀総司令は、ヌナニア星系軍内でいまいち人気がないようだ。わかってはいたがここまでとは……。
俺は天儀総司令へ、
「天儀総司令。今日ここに集まったのは若くて、しかも実力主義者ばかりなんです」
と耳打ちした。
「見ればわかる。視線が冷えてる。こいつなにしにきたってな。いやはや俺の存在は、まさしく場違いだ」
「なら何故きたんです……」
この部屋で俺達を歓迎している花ノ美とアバノアぐらい。いや、目を輝かせて敬礼する花ノ美に対して、アバノアは敬愛するお姉さまに従っているというだけで、ムスッとした顔だ。なお、部屋にはもちろんアクセルの姿もある。
――敵地じゃないか。なんで好んでこんなところに……。
と俺が思っていると天儀総司令が、
「お、味方を見つけたぞ義成」
といって部屋の奥にぐいぐいと進み始めた。どうやら天儀総司令は、敵ばかりのこの部屋で知った顔を見つけたようだ。
「久しぶりだな黒耀中尉。すっかり統合参謀本部が板についているじゃないか」
といって天儀総司令が笑顔で握手の手を差しだしたのは、俺よりは歳上だが、十歳とは離れていないロングの黒髪に口元のほくろが印象的な地味な女子。いや、地味というより陰気だ。無表情で敬礼するその姿は、この世の理不尽に憤り、ついには疲れ切り諦めてしまったような表情だ
証拠に、黒耀中尉は、言葉とともに天儀総司令が差しだした握手の手を無視して、無表情で敬礼を継続した。天儀総司令といえば、この冷たい対応に差しだした手のやり場に困り、下手くそな指揮者のように手を泳がせてから握手を引っ込めた。
「おい、おかしいぞ義成。彼女は俺が軍を辞める間際に統合参謀本部に推薦したんだ。いわば俺は恩人なのに……」
困惑した天儀総司令が、小声で俺につたえてきた。だが、黒耀中尉の冷めた態度の理由はすぐわかった。いま、天儀総司令と黒耀中尉に集まっているのは、
――なんであいつが。
という不穏な視線だ。ジェラシーに燃える花ノ美だけでなく、この部屋にいる全員から疑義の視線が集まっている。人気がなくとも総司令官という立場の人間に声をかけられるのはやはり特別だ。そんな価値は、黒耀中尉にはないというのが、この部屋にいる人間の共通した認識らしい。
「黒耀中尉。年齢的にも軍歴からしても私は、君がこの会を取り仕切っていると見て声をかけたのだが違ったか?」
「いえ、会の進行を一任されているのは私です」
「では、なぜこんな空気になるんだ」
天儀総司令が、勉強会の長としてきちんとこの場を取り仕切れという威圧感をだしていうと、黒耀中尉は途端に青い顔になってうつむいてしまった。
――室内の空気に統率感がなかった理由はこれか。
と俺は思った。本来、勉強会を取り仕切るべき黒耀中尉が軽んじられていることで、室内の雰囲気がたるんでいるのだ。
気まずい沈黙と部屋の空気はきわめて悪い。その沈黙を、
「そのババアが、中途採用だからだよ。船務科から統合参謀本部だァ? そんな人事したヤロウがどこの誰だかしらねーが、その根暗ババアは実力不足だ」
というアクセルの声が破った。
天儀総司令が、黒耀中尉を見た。
「実力不足は事実です……。年齢的に取りまとめ役を命じられましたが、私より階級が高いものもいるので苦慮しています」
「苦慮じゃえねェ! できてねだろ。だから毎回誰かが変わって仕切ってる。お前は、部屋の隅で陰気臭く黙ってるだけだ」
黒耀中尉が、身を縮め肩を震わせ始めた。
「オイオイ、泣いてんのか? キメエ。つか、そいつには司会進行どころか、雑務やらせたってまともにできやしなくて皆迷惑してる。そうだ。オマエが暇つぶしの気まぐれでここにきたんじゃないってんなら、総司令官権限でそのバアアを解任しろッ」
アクセルの物言いはきわめて乱暴だったが、室内はそれに同調する気配を見せた。
うつむいていた黒耀中尉から雫が落ちた――。
それを見た俺は――!
「おい! アクセル言い過ぎだぞ自重しろ!」
そう思わず叫んでいた。
「ア? 四十七番、誰に対して言い過ぎなんだ。そのネクラババアか、それとも総司令官に対してかァ」
「黒耀中尉に対してだ!」
天儀総司令が、え、俺は入ってないの? という顔をした気がするがこの際無視だ。アクセルの態度は、いや、この部屋の奴らの黒耀中尉に対する態度は酷すぎる。黒耀中尉が、勉強会のつどこんな針のむしろの上にいるような空気にさらされていたと思えば……。俺は怒りを感じずにはいられなかった。これはハラスメント。いや、陰湿なイジメだ。
「軍は実力主義なんだがァ。あーぁ……。糞ザコは悲しいなぁ義成ぃ。実力がないから年齢だの軍歴だのの他のものでマウント取る必要があるってわけかァ?」
アクセルは、心底呆れたと嘘ぶりを見せながらツカツカと歩みだし黒耀中尉に近づいたかと思ったら、彼女の髪の毛を根本から乱暴につかみ強引に左右に振った。黒耀中尉が小さな悲鳴をあげ抵抗したが、力の差は歴然としている。ほぼ、なされるがままだ。
「オイ、ババア。いい加減諦めて移動願い出せよ。全員からシカトされてんのに、いつまでもしがつみついてんじゃねえぞ。てめえの実力じゃ分不相応だってことを殊勝にうけとめろやッ」
俺のなかを、怒りをとおりこした感情が支配し、真っ白な世界が広がった。ここには二人だけだ。俺と、黒耀中尉を怒鳴りつけるアクセル。
不正義を見れば見るほど冷静ということだろうか。いま、黒耀中尉の頭を乱暴に揺らすアクセルの動きがスローで見える。
そんな俺は、いま、アクセルの明確な隙きを見ていた。
アクセルがいかに理解し難い力を持っているといっても、その力は自動発動じゃない。そう。こいつらアヘッドセブンの能力。仮にボーダーブレイク能力とでも呼ぼうか。このボーダーブレイク能力は、おそらく入力式。力を発現させるには、術者の意思が必要だ。アクセルが俺の動きを、いや、俺存在をまったく認識できていない状態なら有効打を決められる可能性は高い。
アクセルは、いま、黒耀中尉をいたぶるのに夢中だ。それにアクセルへ楯突いた時点で、アクセルの俺へのリンチは決定事項。やられる前にやる。座していれば、通路のときのようにアクセルに一方的にボコられるだけだ。
――正義先制!
俺は、素早くアクセルへ肉薄。いまの隙だらけのアクセルを攻撃するには様々な手があるが、まず投げ技は除外した。投げ技は、相手の反応があってこそ大ダメージがだせるテクニックだ。例えばいまの状況なら、俺の突進に気づいたアクセルが、後ろに引くなり、横にかわすなりという動きに合わせて、技を仕掛けることでクリティカルヒットを叩きだせる。今回の場合、俺はアクセルに認識された瞬間敗北が決定すると考えられる。ならば――。
急激にアクセルとの間合いを詰めた俺は、八極拳の震脚の要領で踏み込み、アクセルの顎めがけて肘打ちを放った。決まれば脳震盪で一撃ノックアウトだ。
順調だ。アクセルは俺から顔を背けたままだ。こいつの顔が、正面を向くか否かで俺の肘は顎に入る。俺の肘は唸るように、だが静かにアクセルの顎に一直線。俺は、当たると確信した。そして俺は、傷害とか私闘を理由に反省房に叩き込まれる。
ただでさえ落ちこぼれの俺が、大ペナルティだ。出世にも響くだろう。だが、アクセルはその有能さもさることながら、すでにその悪名も軍内で高い。そんなアクセルをノックアウトしたとなれば周囲から一目置かれるかもしれない。いや、そんなことよりアクセルも今後自重するようになるはずだ。それだけで俺が、ペナルティをうける価値は十分にある。
が、俺の肘がアクセルの顎へ当たらんとする瞬間、俺の肘は逸れた。なにか見えない壁に防がれたんじゃない。説明不能な力が作用して、まるで滑るように本来の軌道から外れた。
肘打ちを外した俺は、バランスを崩し、そこをアクセルに蹴り込まれた。俺は黒耀中尉をアクセルから開放することには成功したものの、盛大に吹き飛び壁にぶち当たってから床を舐めるハメに。やはりアクセルの力は、尋常じゃない。一撃で全身に衝撃が走り、指先までダメージが浸透するようだ。俺は、霞む意識をなんとか引き戻したが、立ちあがることはまではできなかった。
アクセルが、俺に近づいてくる気配がした。こいつのことだ床に這いつくばっている俺の頭を踏みつけてくるのだろう。屈辱だ。踏みつけられることがじゃない。無力さが、正しいことが実現できない力のなさが、ただ腹立たしい。
が、アクセルの足が俺の頭を踏みつけることはなかった。花ノ美と、それにアバノアがアクセルの前に立ちふさがったからだ。
「ちょっとアクセル。そこまでよ」
「アァ? んだよ。死にてえのかメス」
「これ以上の私の前での狼藉は許さない」
「ハァー……。あのなぁ。お前だってこいつは辞めちまったほうが思ってんだろー?」
「ええ、黒耀さんは統合参謀本部を辞めたほうがいい」
俺の目の端に映っている黒耀中尉の姿が小さくなったように見えた。こう見えて花ノ美は、正義感が強いし、無闇に人を傷つけることをいうようなタイプじゃない。天然で本心ポロッと口走って、相手を傷つけることはあってもイジメとは対局にある存在だ。黒耀中尉は、そんな花ノ美からまで、断罪の言葉が吐かれたことがショックだったのだろう。
「ほら見ろ。やっぱそうだ。おーい、バアア。お前が辞めるっていえば、お前を助けようとして無様に床に転がってる四十七番を、死刑から半殺しに減刑してやる」
――辞めるなんていったらダメだ!
と俺は黒耀中尉を必死に見た。ダメージが、深刻で声がでない。黒耀中尉が、動揺している。もうそろそろ潮時じゃないのかとう表情だ。だが、ダメだ。ここで辞めるといってしまえば、いままでなんのためにイジメに耐えて統合参謀本部にとどまってきたのか? 絶対にいけない。俺は死刑でいい。多分、死ぬことはない。悪くても病院船送りで済む。
「おい、中途のババア。お前もそこまで恩知らずじゃないよなァ?」
と凄むアクセルの肩を花ノ美が掴んだ。
「勘違いしないでアクセル。私は黒耀さんが、統合参謀本部いていいと思う。だけど、あんたや他の陰険な奴らが私の目の届かないところで、こうやって黒耀さんをいじめるじゃない。私は彼女のボディーガードじゃないし、彼女だって私の背中に隠れなきゃ統合参謀本部にいられないんじゃ惨めなだけでしょ」
「……おい。メス。誰が俺の体に触ることを許可した?」
アクセルが全身から怒りを発し、激しく花ノ美を睨みつけている。
室内は、一触即発の雰囲気。ここは戦場だが、国軍旗艦内でおこなわれている勉強会の会場で、この空気はおかしい。が、アクセルと花ノ美というこの場で一二を争う実力者相手に意見できるやつなんていない。誰もが固唾を飲んで、事態を見守るしかない。
「なるほど。軍は実力主義。学んだぜ」
空気の読めない発言。気負いのない声。緊張感あるこの室内で、一人だけ浮いていた存在からの一声。天儀総司令だった。部屋中の意識が天儀総司令に集まるなか、天儀総司令は俺を助け起こしながら、
「義成。不意打ちでこれは無様じゃないのか?」
といって笑った。もっともな話だが、俺は強情をはることにした。
「正義先制。正義は、何事のおいても先登します。悪を見てから正すじゃない。それでは遅すぎる。未然に正義を敢行して正すんです。俺は悪逆を見たら絶対に黙っていない。誰が相手でもです」
声はまだ弱々しくかすれているが、天儀総司令にはよく聞こえたようだ。天儀総司令は、しょうがないやつだな、というように口元に笑みを見せてくれた。
「ハァ? なにが学んだだ。オレから言わせれば、一番分不相応で総司令官なんってポストにいるのがテメエなんだがぁ」
またもとんでもない無礼なアクセルの発言だが、天儀総司令は意に介さない。そして、やはり威厳は損なわれない。いまわかった。この人は、批判に恐ろしく耐性がある。
天儀総司令が、アクセルを見た。
「んだァ? オレを懲罰する気か。それもいいが、軍はアヘッドセブンのなかでもとくにオレの育成には、莫大な予算を掛けてる。オレをこの戦争から外すのは、いや、軍から放逐するのは、たとえお前でも難しいんじゃないかとオレは思うぜェ」
「……いや、アクセル。私は君を懲罰することに興味はない」
「ああ、じゃあなんだって面倒くせぇヤロウだなァ」
「君は、黒耀中尉を誰が統合参謀本部に移動させたかといったな」
「あ? あぁー。いった気もするがァ」
「私だ」
「は?」
「ブリッジ要員だった黒耀中尉を、統合参謀本部に移動させたのは私だ」
「オイオイ。まじかよ。……あ、もしかして、お前このブスと寝たのか? このババアの実力は下劣の極みだ。それぐらい想像たくましくしないと、不可解な人事なんだがぁ」
天儀総司令の瞳が怪しく光った。俺は心底ゾッとしたが、アクセルはまったく素知らぬ顔だ。
「彼女は、戦闘で実力を示したからだ」
と天儀総司令は口にしてから、今度はアクセルだけでなく部屋中のものに向かって、
「このなかで実戦を経験したことのあるものはどれだけいる?」
そう問いかけた。花ノ美とアバノアが挙手しようとしたが……。
「近頃、泊地パラス・アテネまで遭難してきた敵艦一隻に無警告で発砲した素人がいたようだが、私は寛大なので不問にした。ここに集まった連中は、優秀だと聞いている。まさか、そんなやつが混じっているわけないよなぁ」
途端に花ノ美とアバノアが手を引っ込め室内が静まり返った。
「……なるほど。居ない。だが、居ないのはおかしい。黒耀中尉なぜ挙手しない」
けれど黒耀中尉は、うつむいてしまった。この大騒動の原因は、もとをたどれば彼女の実力不足だ。いたたまれなくなってしまったのだろう。天儀総司令は、もう少し彼女に気づかいすべきじゃないのか。
「なるほど黒耀。勇気をどこかに置き忘れてしまったようだな」
「オウ。早く解任しろ。オマエがそのお荷物を統合参謀本部に移動させたんなら責任持って処分しろよ」
「……アクセル。私への無礼はいくらでも許してやる。今後散々ぱら負けてきても面倒を見てやる。どんな失敗をやらかしても守ってやろう」
「オウ。ありがてえ。だが、その発言がオマエからじゃあまったく空手形。無担保にひとしい虚しさだぜェ」
悪びれず悪態つくアクセルへ、天儀総司令が、だが――、といってから威を発して言葉を継いだ。
「黒耀中尉へは、謝罪してもらう」
「ハァ? 軍は実力主義なんだよ。階級っていうランク付けが物を言うのは、あくまで実力に裏付けされてっからだ。オレがオマエにビビって、ごめんなさいすると思ってんならテメエの想像力の都合の良さに呆れるぜェ」
「なるほど。君はビビったら謝るのか」
「あ゛ぁ゛?」
「いやはやアヘッドセブンといっても評判倒れの腑抜けだったか」
アクセルは怒りで顔真っ赤だ。だが、天儀総司令はそんなアクセルを無視して、
「諸君。アクセル少佐は、私が実力をしめしたら謝罪すると約束したぞ!」
と室内に放った。
この発言に自信みなぎらせているのは天儀総司令だけで、室内では全員が大困惑。傲慢が平常運転のアクセルの「ごめんなさい」が見られるなら面白いが、そんなことができるのか? そもそも実力をしめすといったってどうやって? そんな困惑が部屋に渦巻いたが、俺は次の天儀総司令の行動がわかって慌てた。天儀総司令は果断だ。いや、冒険的だ。もっといえば――。
「無謀です!」
と俺は思わず天儀総司令の袖を掴んでいったが、この人は独断専行だ。こんなことでは止まってくれない。
「ゲームをしよう。ミカヅチゲームだ。こいつで実力をご覧じいただこうか」
室内は俺達が入ってきたときとは比べものにならないほど騒然としたのだった――。




