シンシアとネズミ
屋敷の侍女長兼ナツメ専属の侍女シンシア・アーネスト。
彼女は普段どのような仕事をしているのでしょうか?
今日は彼女の仕事ぶりをちょこっとだけ覗いて見ることにしましょう。
※この話は前話の閑話の続きではありません。本編です!
朝、太陽が見えるまで数刻という時間。
まだ空は薄暗く、完全に朝というには早すぎる時刻に、とある大きな屋敷の大広間では、20名の侍女が5列、ピタリと並ぶ。ほとんどが人間種だが、ぽつぽつと獣の耳を頭に乗せた侍女もいる。その侍女たちは綺麗な姿勢で、正面の大扉を見つめていた。
――ギィ。
大扉が開かれると、奥からは肩上まで切り揃えた灰髪を揺らした侍女が現れる。一見優しそうにも見える灰に塗られた瞳。だがこの屋敷で働くものは知っている。この者が屋敷の侍女の頂点、この屋敷の侍女長、シンシア・アーネストであると。
シンシアは、完璧な所作で大扉を閉じて音を一切鳴らすことは無い。足音も極力消して、屋敷でまだ就寝中の者を起こさないよう配慮している。そして綺麗に整列している侍女の前に立った。
「おはようございます、さっそく夜の部の方は報告を」
口元に笑みを浮かべながらも、緊張をもたらすその言葉。「夜の部」と言われ姿勢を更に正した前列の5名が報告を始める。
「屋敷内部警備、異常ありませんでした」
「ハーミィ様の部屋の警備、異常ありませんでした」
「ナツメ様の部屋の警備、異常ありませんでした」
「屋敷周辺孤児院側警備、異常ありませんでした」
「屋敷周辺住宅街側警備、食料庫近くの茂みでネズミを数匹目撃。処理いたしましたが、巣は位置は不明」
「はい、報告ありがとうございます、後は朝の部の警備担当が引き継ぎますので自室でお休みください。お疲れ様でした」
「「「ありがとうございます」」」
緊張した面持ちで報告していた「夜の部」の面々は緊張を解く。そしてそそくさと割り当てられた自室に戻った。夜の間、警備していた侍女は昼食の時間まで就寝するのだ。
「ヒルネルさん」
部屋に戻ろうとしていた「夜の部」の侍女の一人が、ピタリと動きを止める。名前を呼ばれた侍女が振り向いて、しかし少し怯え気味目をしている。
「ネズミの処理、ありがとうございます。ですがネズミの処理した数は正確に報告してください」
自分の仕事に感謝され、少しホッとしたのも束の間。侍女長に報告の仕方に注意を受けてしまった。
「も、申し訳ございません、ネズミは3匹処理しました。他は見ておりません」
「そうでしたか。ありがとうございます。ではお休みなさいませ」
侍女長シンシアがお辞儀をすると、ヒルネルも慌ててお辞儀を返して寝室へ急ぐ。丁寧な言葉に優しさと厳しさを兼ね備えた彼女は、侍女たちの間で評判であると同時に恐れられてもいる。
ミスは許すが、手を抜くことは許さない。
これが侍女たちの間で云われるシンシアの名文句だ。侍女たちはその言葉を深く胸に刻み仕事に励んでいる。「朝の部」の侍女たちとの今日の予定について話し合いが終わると、彼女はまず敷地を見て回る。特に「夜の部」の警備の一人、ヒルネルが担当していた屋敷の庭の住宅街側へ向かった。
彼女が言っていたネズミ……処理した3匹のみならいいがたぶんそれはないでしょう。死体を検分した結果、あのネズミは「ネズミモドキ」でした……。
「ネズミモドキ」その名の通りネズミの姿をした魔物、しかしその生態と厄介さはネズミ以上です。土の中に巣を形成し、番を見つけた途端に急激に増殖する。まさか街の中、それもこの屋敷の庭でのうのうと過ごしていただなんて不覚です。
いつから住み着いているか知りませんが、おおよそ巣の中に20~70匹。奴等は餌の場所を見つけると、先に尖兵として3~5匹のネズミモドキが食料までのルートを作り出し、ルートさえ決まれば巣の中の半数、つまり数十匹が一気に食料を攫いにくる。実に周到な、とんでもない空き巣野郎です。そんな魔物が屋敷の食料庫を、ご主人様が食する予定の物を奪おうなどと……、万死に値します!
今回は屋敷の食料庫をターゲットにして尖兵を送り込んだのでしょう。ヒルネルが処理したネズミ、あれが尖兵でしょう。3匹全て潰されたのなら、今頃は新たにまた尖兵を送り込んでくるはずです。
……ほらいた。
シンシアが食料庫の裏に向かうと、食料庫の壁にガリガリと穴を開ける作業に勤しむ5匹のネズミモドキがいた。長い時間削っていたのだろう、壁の穴はネズミ一匹が余裕で入れいる程度に開通していた。今は多くの仲間が通れるように穴を広げている作業に入っていると思われる。忌々しい。
ネズミを確認するとシンシアは懐からナイフを4つ取り出し即座に放る。ナイフはそれぞれが一匹ずつネズミに突き刺さり貫通。ネズミモドキはそのまま地面や壁に縫い付けられるように、動けなくなった。
それを見て、残った一匹のネズミモドキは、命の危険を察知。すぐさま逃亡を図る。
「ふふふ、そうです。自分の仲間のところに案内するのがあなたの役目なのですよ?」
どこか愉しそうに笑みを浮かべると、ばれない程度に付かず離れずでネズミモドキを追いかける。ネズミモドキが茂みの奥に突っ込んでいくとシンシアも迷わず突入。ほんの少し奥に進むと、ネズミモドキは見るからに巣穴であろう地面に掘られた両拳サイズの穴に慌てて入っていくのが見えた。
「自分の命を優先して仲間を危険に晒す。流石はネズミモドキと言われるだけはありますね。頭はゴミですか……」
そう毒を吐いて、懐から怪しげな液体を取り出した。それはポーションと呼ばれる身体の傷を魔力の作用で回復させる液体。……を入れいていたであろうガラスの細長い容器。そこにはこの世の何もかもを混ぜ合わせたような黒ずんだ液体、上澄みには何やら煙や泡が絶え間なく吹き出している。いうなれば「沸騰したヘドロ」にも見える液体が入っていた。シンシアが自作した『元気になるポーション』のつもりだ。それを迷うことなく、巣穴に流し込みそこらの石を数個巣に投げ込んで蓋をする。
少し経ってから、地面に耳を当てて液体の効き目を確認する。巣穴では何かが焼けた音と共にキッーキッーとネズミモドキが苦しむ様子が鳴き声だけで分かった。
「やっぱりこれはポーションではなく毒だったのですか……。残念です、やはり素材に魔物を使うのはダメダメですね。失敗です」
シンシアは予想通りだ。とため息を吐き、石の隙間から巣穴に水を流し込んで埋める。まだ結構な量のネズミが生きていたのかか細い悲鳴が聞こえてくる、が無視。外に出ようと模索しているらしく、蓋をしている石が動いていたので押さえ込む。結構巣の中に水が流し込めたことに感動を覚えた以外は特に興味も失せて、穴を不自然じゃないように埋めて屋敷に戻る。
「ふぅ、ご主人様を起こしに行く前に、もう一度着替えなければなりませんね。ネズミなんて汚らしい物の処理をした後では、ご主人様に嫌な顔をされてしまいかねません。ご主人様が口にする朝食が拙くなってしまいます。それに今日は風曜日……。ふふふ、ご主人様に手ずから料理を食べさせられる日ですからね!」
シンシアは自室で新しい皺一つ無いメイド服に着替えると、まだご主人様を起こす時間には少し早いことに気付く。
「ふむ、ネズミの処理も案外早く終わってしまいましたし……。そうですね、朝食の手伝いでも致しましょう。ご主人様に私が自ら作ったものを食べていただけますし。私が作ったものを私が食べさせるのも、とても愛が溢れる素敵な事です。ふふふ、そうと決まれば調理場に行かなければ」
シンシアは自室で今日のご主人様の予定を確認して、部屋から出て行った。
シンシア・アーネストは屋敷の侍女長でありながら、ナツメ専属の侍女。
自身はナツメのために存在し、ナツメのために身を削り、ナツメのためにこの身を捧げる事を厭わない。
シンシアはふと自らの幸せについて思考する。
朝、ご主人様の眠たそうな顔を見る事。
朝、ご主人様から「おはよう」と言って貰える事。
ご主人様の着替えを手伝う事。
朝食を美味しそうに食べて笑顔のご主人様を見る事。
外出するご主人様に「行ってきます」と言われる事。
屋敷に帰ってきたご主人様に「ただいま」と言われる事。
湯浴みをご一緒させて頂ける事。
そこでご主人様の身体を洗わせて頂く事が出来る事。
就寝前のリラックスティを飲んでホッと一息吐いているご主人様の姿を見る事。
部屋の前まで付き添って「おやすみ、明日もお願いしますね」とご主人様に必要とされる事。
ご主人様が屋敷に居る間、ほぼ全ての時間ナツメの傍で控えていて、ご主人様はそれが当たり前だと思ってくれている事。
思い出すだけで頬がほころぶ。こんな些細な事で幸せを感じさせてくれるご主人様。こんな素敵なご主人様は世界中探しても見つかることはきっとない。
「お慕いしております。ご主人様」
彼女は今日も敬愛するご主人様のために働くのだった。




