↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「王都へ返さないで」と鳴る指輪を、忘れ物係は届けたい  作者: 銀細工ナギ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/20

ふたりで守る返納局

 港町へ戻る馬車の窓から、リエラは何度も海を見た。


 王都で受領された帳面と銅板は、もう彼女の膝にはない。代わりに、封筒に入った配達証の控えがある。紙の端には、セレネ主任記録官の署名と、王立郵便の受領印。それは、消された記録が確かに届けられた証だった。


 隣の席で、カイは眠っていた。王都からの帰り道で、彼が目を閉じたのは初めてだった。郵便鞄を抱えたまま、揺れる馬車に身を預けている。


 リエラは起こさないように、窓の外へ目を戻した。


 海が見えた。潮の匂いがした。長い旅の終わりを知らせる、懐かしい風だった。


「リエラ。カイさん」


 停留所に馬車が着くなり、マルタ局長が大股で近づいてきた。いつもの灰色の外套には、雨上がりの泥が跳ねている。


「お帰り。まずは無事でよかった。報告はあとでいいから、二人とも食べなさい」


「局長、王都で――」


「食べなさい」


 有無を言わせぬ声に、リエラとカイは顔を見合わせた。


 返納局へ戻ると、机の上には湯気の立つ魚のスープと、焼きたてのパンが並んでいた。二人が食べ終えるまで、マルタは何も尋ねなかった。リエラはそのことがありがたくて、胸の奥が少し熱くなった。


 食後、彼女は配達証を差し出した。


「届けました。指定された受取人に、確かに」


「そう」


 マルタは紙を受け取り、印を指でなぞった。それから、カイの報告書にも目を通す。


「王立郵便から処分の通知が来たら、私にも見せなさい。返納局の立会人として、私が証言する」


「ありがとうございます」


「礼は、局長を辞めてから聞くよ」


 マルタは笑って、窓を開けた。


「町の掲示板に、王都の調査院から返事が来ている。旧南環水路の廃止手続きは一時停止。来月から現地調査をやり直すそうだよ」


 リエラは息を呑んだ。


「本当に?」


「本当さ。水路沿いの家々には、もう知らせを回した。ノルド橋も取り壊しではなく、補修して残すことになった」


 カイは深く息を吐いた。長いあいだ胸の中に抱えていたものが、ようやく外へ出ていくようだった。


「父の名も、記録から消されずに済むでしょうか」


「消されていたなら、戻すだけだよ」


 マルタはきっぱり言った。


「返納局は、なくなったものを元の場所へ戻す仕事をしている。名前だって同じさ」


 その日の夕方、リエラは指輪を小箱から取り出した。


 王家の印を刻んだ銀の指輪。手のひらに載せると、かつて聞いた声がよみがえる。


 王都へ返さないで。


 あの願いを聞いた朝、彼女は自分が規則を破るのだと思っていた。けれど今なら分かる。指輪が拒んだのは王都そのものではない。声を消す場所へ、何も考えずに戻されることだった。


「どこへ置くつもりだ」


 戸口からカイが尋ねた。彼の手には、二つの木札がある。


「返納局の記録棚に。水路の帳面と一緒に、誰でも見られるようにします」


「持ち主は、それで納得するかな」


「指輪が最後に願ったことは、もう守りました。次に返す相手を決めるのは、私たちです」


 リエラは小箱を閉じた。


「これは、忘れ物ではなくなりました。町が忘れないための証拠です」


 カイは少し考え、木札を机に置いた。


 一枚には、〈返納局・特配連絡所〉。


 もう一枚には、〈受け取る人を確認してから届ける〉と書かれている。


「局長には話した。返納局の隣の空き部屋を、王立郵便との連絡所に使わせてもらう」


「もう決めたんですか」


「君が王都で言った。返さないなら、理由を記録に残せ、と」


 カイは木札の文字を見たまま続けた。


「だから、俺も記録に残した。君と働きたい」


 リエラの指先が、机の上で止まった。


「仕事として、ですか」


「仕事だけなら、こんな言い方はしない」


 カイは顔を上げた。無口な彼が、逃げずにリエラを見ている。


「君の声を信じている。君が選ぶ返し先も。これから先、隣でそれを見届けたい」


 胸の中で、指輪がかすかに鳴った。


 もう、王都へ返さないでという声ではない。聞き間違えようのない、鈴のような音だった。


「私も、カイさんの宛名を間違えたくありません」


 リエラは笑った。


「だから、隣で確認します。これからも」


 カイの耳が、夕日のように赤くなった。


 数日後、空き部屋の窓に新しい木札が掛かった。マルタは開所祝いだと言って大きなリボンを結び、町の子どもたちは水路の写しを見に集まった。漁師の妻は預けた鍵を受け取り、旅人は宛名のない荷物の相談をした。


 リエラは落とし物の声を聞き、カイは届け先を調べた。二人だけで判断できないものは、町の人々と記録を確かめた。返すべきものは、返すべき人へ。返してはいけないものは、理由とともに守る。


 夕暮れ、最後の客を見送ったあと、リエラは記録棚の小箱に触れた。


 指輪はもう鳴らなかった。


 それでよかった。願いは届き、声は消えず、選んだ場所に残っている。


「閉めるぞ、リエラ」


「はい」


 戸口で待つカイの隣へ、リエラは歩いていく。


 海から風が吹き、二つの木札を揺らした。返納局と特配連絡所。別々の仕事を示す名前は、同じ軒下に並んでいる。


 なくしたものを探す人がいる限り、届ける人がいる限り、この場所は続いていく。


 リエラは隣の歩幅に合わせた。今度は、速度を落としたのではない。


 ふたりで歩くために、選んだ歩幅だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。