第9話 プロジェクト
四月下旬、『合同会社SINQ』の設立手続きが無事完了した。一華とシンはそれぞれの預金から会社の口座へと出資金を移動させる。
レオナルドとアーリンも人間界の事務所へと出勤し、四人は会議テーブルを囲んで、最初のプロジェクトについて話し合いを始めた。
「魔界でも取り入れやすい物とは何だ?」
シンの問いに、一華がすかさず答える。
「常備しやすいインスタント食品やお菓子、お酒やジュースなんてどうかな?」
「インスタント食品とは、いったいどういうものですか?」
レオナルドが首を傾げて尋ねた。
「お湯を注ぐだけで短時間で食べれるようにした食品のことで、麺類が多いかな。誰でも手軽にお腹を満たせるし、保存期間も長いから重宝するよ。……ただ、魔界で売るなら魔界文字に書き換えないといけないけど、大丈夫?」
「それぐらい、三人にかかれば造作もないことだ。」
その時、魔界でハオとアズサの朝食を作り終えたジャンが、『シン華の間』へとやってきた。
「おはようございます。シン様、一華様。」
「あぁ、おはよう。ちょうどいいところだ。最初のプロジェクトが決まったぞ。まずは、インスタント食品などの常備しやすいものを試す。」
「承知いたしました。」
ジャンの着替えが終わると、五人は車に乗り込み、大型スーパーへと出発した。
シンの運転で大型スーパーに到着した一行は、カートを二台押しながら、麺類のコーナーへと向かう。一華とシンが好きなカップ麺や袋麵、トッピングの具材、お菓子や飲料を次々とカゴに入れていく。
もう一台のカートには、一華とシンの普段の食材やデザート、そしてシンのノンアルコールビールがたっぷりと載せられた。
レジではシンがそれぞれのカートを別々のカードで決済し、手際よく箱詰めしていく。それをレオナルドとジャンが車の荷室へ積み込んだ。
車は一時間ほどで『シン華の家』へと戻ってきた。シンがシャッターを上げ始めた時、レオナルドがふと眉をひそめた。
「シン様、朝から家の前に停まっている黒い車が気になります。しかも、人が乗ったまま動いていません。」
「あぁ、朝からずっとそのままだな。駐車でないとすると……、確かに気になるな。」
一華は胸騒ぎを覚え、心中穏やかでいられなかった。
「もしかして、どこかの家を狙っているとかってこと?」
シンは車庫内に車を完全に駐車し、シャッターを下ろした。ジャンとレオナルドが食材の箱をキッチンへと運ぶ。
「一華、片付けとジャンへ調理方法を教えていてくれ。」
「うん、わかった。」
一華にそう告げると、シンはレオナルドを連れて屋上へと上がっていった。
「シン様、狙っているとは、やはり闇バイトなどで集められた者が押し込んでくるということでしょうか?」
「その家を監視しているか、狙いやすい家を物色しているかだろうな。この家には俺の許可なしでは入れない強固な結界を張っているから大丈夫だが……。」
屋上から見下ろしても、黒い車に不審な動きはない。シンは建物の四方を囲むように高性能な監視カメラを設置した。
屋上から下りてきたシンが、リビングの事務所スペースの壁に大型モニターを設置すると、監視カメラの鮮明な映像が映し出された。死角は一切ない。完璧な備えだ。
「敷地内に誰かが入ってきた場合は、不法侵入として警報音が鳴り響く仕組みになっている。」
「新聞や郵便、宅配の人は大丈夫なんだよね?」
一華が心配そうに尋ねる。
「あぁ、門柱にメールボックスと宅配ボックスを追加した。受け取れないものはテレビドアホンで対応した上で、玄関までのルートを一時的に解除する。」
壁には最新式のテレビドアホンが取り付けられていた。
「一華は勝手に出るなよ。」
「えっ? でも、シンだって出れない時あるでしょ?」
「俺が出られない時はこのボタンを押しながら追い返せ。相手には俺の声で聞こえるようになっている。居留守でも構わないが、逆に空き巣狙いの可能性もあるからな。警戒して損はない。」
「わかった。」
「ところで、できたのか?」
シンがキッチンに入ってくると、部屋中に食欲をそそる良い匂いが満ちていた。ちょうど昼食時と重なり、空きっ腹を心地よく刺激する。袋麺二種類とカップ麺五種類から、美味しそうな湯気が立ち上がっている。
「今から試食会か!?」
「うん、この取り皿に麺を少しずつ取って、食べながら感想を記入していこうと思って。」
五人はそれぞれ取り皿とお箸を手に持ち、気になるものから手を付けていく。口に運ぶたび、番号ごとに味の感想を書き込んでいった。
食事を楽しんでいるわけではないが、結果として一人前以上の麺がそれぞれの胃を満たしていく。
「一華が好きなものばかりだから、どれも美味いな。この調子で魔界でも試食会を開催するか!?」
「また買い出しに行かなくちゃね。」
「その前に、義父上と義母上にも試食をお願いしないとな。」
シンはジャンに、ハオとアズサの昼食用にと同じ種類のカップ麺を手渡した。もちろん、パッケージの文字をあらかじめ魔界文字に書き換えた上で、である。
ジャンはカップ麺を受け取ると、一度魔界へと戻っていった。
残された四人は労働基準に則り、一時間の休憩に入る。もっとも、レオナルドとアーリンは護衛任務の最中ということになっているが。
◇◆◇
一時間の休憩を終え、ジャンが魔界から戻ってきた。
「パパの反応、どうだった?」
一華が期待を込めて尋ねる。
「はい。とても美味しいと完食されました。ただ、どうやら一つでは足りなかったようです。」
「そうだよね。カップ麺って、麺の量が足りない感じがするんだよね。袋麺だと自由にトッピングできるから満足感はあるんだけど……。」
「少食の女性や子供には、ちょうどいい量かもしれませんね。」
アーリンが控えめに意見を述べた。
「パパは自分で料理しないから、袋麺に野菜とかをたっぷりトッピングして出してあげてね。ジャン。」
「承知いたしました。」
「ちなみに、魔界ではいくらぐらいで売るの?」
魔界の相場が全く見当つかない一華が首をかしげる。
「定価で仕入れたとして、魔界の価格に換算すると300マニーぐらいだな。」
「それぐらいなら、妥当かと存じます。」
ジャンがうなずいた。
「1マニーって円に換算するといくらなの?」
一華がシンを見上げる。
「だいたい100円ぐらいで計算してもらえばいい。」
「へっ? ってことは、カップ麺が1個三万円ってこと?」
「一華、こう考えたらどうだ? 人間界では安価に仕入れ、魔界へは適正価格で販売する。その差分が俺たちの会社『SINQ』の利益になる。魔界にも俺たちの架空の会社があるとする。人間界の価格で仕入れたものに対し、魔界の人件費や無料試食会などのキャンペーン費用、さらに魔界側の会社の利益を上乗せして卸値を決める。そうやって逆算した結果、1円を100マニーと換算することになるわけだ。」
シンはさらに言葉を続ける。
「小売業者がさらに自分たちの取り分を上乗せした結果、庶民たちの手には300マニーで渡るという仕組みだ。つまり、人間界での販売価格と魔界での卸価格の二重価格を設定する。」
「……それって、二重帳簿じゃ……。」
一華はシンの顔をじっと見たまま、完全にフリーズしてしまった。
「仕方ないだろ。魔界の業者へ卸すルートは表に出せない。人間界では国内のどこかの倉庫へ配送した体裁にして、事業として完結させなければならないんだ。」
「……わかった。じゃぁ、魔界価格と人間界価格のリストを作るよ。」
一華はそう言うと、データベース化の準備として、商品のパッケージを一つひとつスマートフォンで撮影していった。
その後、シンはジャンとレオナルドを交えて具体的な検討に入る。
「魔界での無料試食会だが、次回のガーデンパーティーの日に合わせて開催しようと思う。」
「あぁ、それがいいですね。一般庶民に直接試食してもらい、感触が良ければ小売業者も飛びついてくるでしょう。」
「ただ、箸の扱いが難しいです……。」
議論を聞いていたアーリンが不安そうに挟んだ言葉に、一華がスマホ画面から顔を上げて答えた。
「カップ麺なら、100円ショップで買えるような使い捨ての先割れスプーンを用意してあげて。あれなら誰でも食べやすいから。」
「なるほどな。あとは必要数だが……当日は何人くらいの民衆が訪れるか把握しているか?」
「だいたい千人規模といったところでしょうか。」
レオナルドが答える。
「全員分を俺たちだけで用意するのは難しいか……。」
「宮殿の厨房から従者たちを借り出せば、かなりの数をまかなえると思います。」
「短期アルバイトとして一時的に雇うか。人選はジャンに任せていいか?」
「はい、承知いたしました。」
「仕入れはネット通販を利用するとして、問題は保管場所だ。すでに義父上に相談してあったが……。」
シンはスマートフォンを取り出し、ハオへメッセージを送った。
『ご相談があります。今からお邪魔してもよろしいでしょうか?』
ピコン♪
『許す』
ハオからは簡潔な返信が返ってきた。
「一華、義父上から許可が出た。今から行くぞ。」
「私も?」
「義父上も顔が見たいだろうからな。一緒に来い。」
魔界の衣装に着替えた一行は、ハオの執務室へと向かった。
ハオの執務室に到着すると、レオナルドとアーリンをドアの外の護衛任務に就かせ、一華、シン、ジャンの三人はハオの許しを得て入室した。
シンは次回ガーデンパーティーの日に一般庶民を招いて無料試食会を開催する計画を説明し、商品の保管場所について協力を仰いだ。
「それなら、東棟の一階北側を改築して倉庫にあてよう。ついてこい。」
ハオは立ち上がると、執務室を出て行った。シン達も慌ててその後を追う。
東棟に到着した一行の前で、ハオは悠然と魔力を解放し、建物の一部を次々と改築していく。食品用と生活用品用にと、内部が頑丈な壁で綺麗に区切られていた。
「こんなもんでどうだ?」
「ありがとうございます。ただ、冷凍食品はどうやってここまで運び入れますか?」
ジャンが現実的な疑問を口にする。
「たびたび入れ替えては、溶けて味が落ちてしまうからな……。購入した直後に大型クーラーボックスに入れてテレポートさせるしかなさそうだな。」
「保冷剤で隙間をしっかり埋めておけば大丈夫だよ! 保冷剤と一緒に引き渡してあげれば、もっと安心だし喜ばれるよ!」
「そうか、保冷剤の売り上げもセットで考えられるな。」
「そこはもう、無料でサービスしてあげたら?」
一華は呆れたようにシンにツッコミを入れた。
「一般庶民相手なら無料でもいいが、相手は小売業者だぞ。再利用可能なんだから、次回からは自分たちで用意させればいい。」
「なるほどねぇ……。」
「シンって、がめついのか、優しいのかどっち?」
「が、がめついって……! 俺ががめついだと……。」
シンは頭を抱えて絶句する。
「まぁまぁ」
見かねたアズサがシンの肩をポンポンと軽く叩いた。
「で、ですが、義母上。一華は、人間界の安価な定価をそのまま魔界価格に換算して売るのは高すぎると言うんです……。」
シンはアズサに味方してもらおうと訴えた。
「一華、人間界の金銭感覚をそのまま魔界に持ち込もうとしてはダメよ。郷に入っては郷に従えよ。」
アズサは優しく、しかしきっぱりと一華をたしなめた。
「だって、いくら人間界の物価が安いからって、それじゃあ利益を出しすぎなんじゃ……?」
「だから、言っただろ。魔界では人件費が高額なんだって。」
「シン君の言う通りよ。人間界の物価が安いのは、労働者の人件費が抑えられているからなんだから。まさか、人間界の最低賃金水準でシン君たちをこき使おうなんて思っていないでしょうね?」
「えっ? シンが働けば、一人で何役もこなすことができてたくさんの人を雇わなくて済むから……、もっと物価を安くできるんじゃないの?」
「ちょ、ちょっと待って一華、それは話が違うでしょ!」
アズサが慌てて割って入る。
「?」
「シン君の労働力は、たくさんの人間を雇う総人件費と同等の価値があるってことよ!」
「あ、そっか……!」
「どうして仕事ができる人の価値を安く見積もったまま、物価だけを抑えようとするのよ。だから、あの国はいつまで経っても給料が上がらないのよ。」
「まぁまぁ、ママ、ちょっと争点がずれてるよ。」
「あら、失礼。……とにかくね、魔界は人件費が高額だから、流通する商品も必然的に高くなるの。それで納得した?」
「……わかった。わかったけど、やっぱり実際に食べてくれるみんなの意見も聞いてみたいな。無料試食会の時に、いくらなら買いたいかアンケートを取ってもいい?」
「承知した。お客様のアンケート結果で価格を最終決定するとしよう。……ただ、後で泣きを見るなよ!」
二人のやりとりを面白そうに見ていたシンが快諾した。
「えっ? 私が泣くの? 私が泣くとどうなるか、忘れたわけじゃないよね?」
「あっ、一華、絶対泣くなよ! ガーデンパーティーが中止になってしまうからな。泣くなら人間界に戻ってからにしてくれよ。いいな?」
シンは慌てて一華の口を塞ぐ勢いで制止した。
「わかってるよ!」
「あの、一華様が泣くと、どうしてガーデンパーティーが中止になってしまうのでしょうか?」
状況が飲み込めないアーリンが、シンに尋ねる。
「一華の感情と心は、天候とダイレクトに連動しているんだ。泣けば大雨が降り、怒れば雷鳴が轟く。実際に落雷の直撃にまで至ったことはないが……、一華の機嫌を常に良くしておけば、いつでも快晴だ。だから渇水対策として、時には夜に『涙活』もしているんだ。」
「なんと……それは驚きました。」
一華の規格外の魔力の仕組みに、ハオまでもがわずかに目を見開いた。
「ちなみに涙活とは何ですか?」
「映画や本、音楽などで感動し、意図的に涙を流すことだ。ストレスを発散させるために涙を流す人間界の健康法のことさ。心のデトックスになって自律神経のバランスを整える効果があるらしい。」
「そういうわけだから、一華だけは絶対に怒らせるなよ。雷を落とされたら、この宮殿といえどもひとたまりもないからな。」
「……しかと心得ておきます。」
アーリンは身を引き締めてシンに一礼した。
「もう、そんなことはいいから。その、ガーデンパーティーの開催日時はいつなの?」
一華は耳まで真っ赤に染めながら、無理やり話題を切り替えた。
「五月三日だ。」
「えっ、もう一週間もないよ。急いで仕入れないと間に合わないよ!」
シンがハオから鍵を受け取ると、ハオとアズサは執務室へ、ジャンは夕食の準備の為にそれぞれの持ち場へと戻っていった。一華とシン、そしてレオナルドとアーリンの四人は『シン華の家』へと急ぎ足で戻っていくのだった。




