第27話 盆踊り準備
盆踊りを翌日に控えた朝。雲一つない快晴の空からは容赦ない陽光が降り注ぎ、早朝からセミたちの大合唱が響き渡っていた。
「みんな、熱中症対策は万全だね!?」
案内役の一華は、シン、レオナルド、アーリンを連れ立って盆踊り会場へ向かう。全員の首元には涼しいネックリングが嵌められ、首にはタオル、手には冷えたお茶の入った水筒が握られている。さらに一華とアーリンは、全身に念入りに日焼け止めを塗りたくっていた。
会場となる広場に到着すると、そこはすでに手伝いに駆けつけた近所の人々でごった返していた。事前に聞いていた通り、集まっているのは年配者ばかりで、一華たちと同年代の姿は見当たらない。大半の若者は大学生になり、バイトなどで忙しいのだろう。
「おや、一華じゃないか!」
あちこちで威勢のいい声が飛ぶ中、長老と思われる小柄なおじさんがこちらへ歩み寄ってきた。地域の自治会長であり、近所のおばちゃんの旦那さんでもある『竹田のおじちゃん』だ。
「しばらく見ないうちに、すっかり別嬪さんになって……。」
細められた長老の目に褒められ、一華は照れくささを隠すように、ニッと口角を上げて笑いをごまかした。
長老の視線が、一華の隣に立つ背の高い青年に向く。
「ところで、こっちのイケメンが一華のダンナか?」
「ふふっ」
一華は可笑しそうに笑いながら、シンたちに長老を紹介した。
「いつもお世話になってた竹田のおじちゃんだよ。この地域の自治会長さんなの。」
「早速で悪いんだが、手伝ってもらえるか? 名前は確か……」
「シンです。こっちは兄のレオです。」
「シン君にレオ君か! よし、やぐらを組むのを手伝ってくれ。」
「はい」
二人は二つ返事で快諾し、竹田のおじちゃんに連れられて広場の中央へと向かっていった。
入れ替わるように、竹田のおばちゃんが明るい声を上げてやってくる。
「一華ちゃんたちはこっちこっち!」
案内された先には、大きな木箱が置かれていた。蓋を開けると、中には紅白の丸いぼんぼりが隙間なく整然と詰め込まれている。
この地域では、各家庭から一人以上が準備と片付けに参加すれば『不参加料』の支払いが免除される仕組みになっていた。一人暮らしや仕事で参加できない家は顔を出す程度で済ませるため、必然的に現場はおばちゃんたちが中心となる。一華とアーリンに関しては、男性陣のシンとレオナルドが参加しているため、本来なら顔出しすら不要な立場だった。
その頃、やぐらを組み立てる男性陣のエリアからは、驚嘆のどよめきが上がっていた。
「おいおい、嘘だろ……?」
シンとレオナルドは、自治会長の指示に従いながら、重量のある太い角材を軽々と持ち上げ、あっという間に組み上げていく。普段なら汗だくになった大人たちが何人もかかり、時間をかけて組み立てる作業が、彼らの手にかかればほんの一瞬だった。
「やっぱ若い奴は違うなぁ……。」
おじちゃんたちは感心して口をぽかんと開けているばかりで、手を出す隙すらなく呆然と立ち尽くしている。結局、やぐらの骨組みはシンとレオナルドの二人だけで完成してしまった。
日陰からその光景を眺めていた一華は、ふと心配そうに眉をひそめた。
(こんなに暑いのに、あんなに張り切って大丈夫かなぁ……。)
二人にテレパシーを飛ばす。
――《シン、レオ、お茶飲んで!》
脳内に直接届いた一華の強い声に、作業を終えたシンとレオナルドがハッと顔を上げた。日陰の一華と視線を合わせ、アイコンタクトを交わすと、二人は腰の水筒を手に取り、冷たいお茶をごくごくと喉に流し込んだ。集中するあまり、水分補給をすっかり忘れていたらしい。
「プハーッ!」
豪快に息が吐き出された。
「兄ちゃんたち、大丈夫か?」
「はい! 復活しました。」
様子を見に来たおじちゃんが励ますように声を張る。
「あとはぼんぼりを付けるだけだ。もう少し頑張ってくれや!」
昔から盆踊りといえば楽しい思い出ばかりだった一華だが、裏方の準備がこれほど過酷なものなのだと改めて痛感していた。
ここからはおじちゃんたちも本格的に動き出す。やぐらから四方へロープを渡し、周囲の木や頑丈な柱にしっかりと張り渡して固定していく。続いて、ぼんぼりを点灯させるためのソケット付き専用コードをロープに沿わせた。作業は分担され、コードを結束バンドで固定する者、ぼんぼりを取り付けていく者と、手際よく進められていく。
一華とアーリンも日陰を出て二人のもとへ駆け寄り、やぐらの上へ飾るぼんぼりを一つひとつ手渡していった。
紅白の幕を取り付けるのは当日のお楽しみだ。こうして、本番前日の準備作業は無事にすべて終了した。
帰宅した四人を迎えたのは、全館空調で完璧に室温が管理された『シン華の家』の快適な空気だった。火照った体を冷やすため、冷蔵庫でキンキンに冷えた麦茶をグラスになみなみと注ぎ、喉を潤す。
午後からは『合同会社SINQ』の業務が始まった。午前中の準備作業のために休業していた分の遅れを取り戻すためだ。
人間界では現在『夏休み』の時期真っ只中だが、魔界には夏休みという概念が存在しない。彼らが営む『SINQstore』は飲食料品を扱っているため、長期の休みを取るには商品の仕入れを考慮しなければいけない。日曜については定休日としていたが、祝祭日などについてはまだ考えていなかったのだ。
それでも、人間界における『合同会社SINQ』としては、八月十四日から十六日までを夏休みと定めていた。そのため、十三日の盆踊りギリギリまでにできる限りの業務を終わらせようと、四人は精力的に動いた。
◇◆◇
盆踊り当日の朝。
小型トラック『SINQ号』にはレオナルドとアーリンが乗り込み、高級ミニバンには一華とシンが乗り込んで、一行は大型倉庫型スーパーへと向かった。目的は、連休に備えた大量仕入れだ。
店内に入ると、一華たちはいつも仕入れる量の二倍、いや三倍近い商品を次々とカートに放り込んでいった。新商品を増やすと魔界向けの値段設定などの作業が増えてしまうため、今回は『仕入れた実績のあるもの』だけに限定するルールになっている。
だが、根が買い物好きな一華は、魅力的で新しい商品を見つけるたびに心が揺れ動いてしまう。
「あ、これ美味しそう! 試してみたいな……。」
「一華、新商品はダメだと言っただろ。」
「分かってるよぅ。これは仕事じゃなくて、休み中に『自宅で』試す用!」
そう言い訳しながら、ちゃっかりカートに放り込む一華。シンは呆れ顔でそれを横目で見つつ、レオナルドたちが押すカートにもテキパキと確実な商品を追加していった。
買い出しを終える頃には、『SINQ号』の荷台だけでなく、高級ミニバンの後部座席まで商品でぎっしりと埋め尽くされていた。
自宅に戻ると、一華以外の三人――シン、レオナルド、アーリンは手分けして、商品のパッケージやラベルの文字を魔界文字へと書き換える作業に入った。完成したものから順次、テレポートで魔界の保管倉庫へとテレポートで送り込んでいく。
その間、一華は自宅用として購入してきた大量の食品を、冷蔵庫や冷凍庫へと綺麗に並べて整理していた。
◇◆◇
遅い昼食を済ませた後。
シン、レオナルド、アーリンの三人はソファに腰掛け、束の間の休息を楽しんでいた。
一方の一華は、事務所スペースの自席でパソコンの画面に没頭している。画面を食い入るように見つめていた一華は、思い立ったように声をかけた。
「アーリン、ちょっと来て!」
呼び寄せられたアーリンが不思議そうに覗き込むと、一華はモニターを指差し、嬉しそうに尋ねた。
「どんな浴衣が着たい?」
「ゆかた……ですか?」
「うん! 盆踊りに着ていくの。日本の夏の定番の服なんだよ。好きなのを選んでみて。」
画面には、女子高校生に人気のある、華やかで色とりどりの現代風浴衣がずらりと並んでいた。アーリンは目を輝かせながら画面を見つめ、やがて一枚の浴衣を指差した。
「私、これがいいです。」
「了解!」
アーリンが選んだのは、涼しげな薄いライトブルーの生地に可憐な白い花柄が散りばめられた一着。セットの帯は優しい薄ピンク色だ。一華はすぐさまスマートフォンを取り出し、画面に映る浴衣の全身像をパシャリと撮影した。
続いて、男性用の浴衣ページを開く。一華は迷いなく、レオナルド用に縦縞が入った薄い水色の浴衣をチョイスし、こちらもスマホで撮影した。
二人のやり取りを少し離れた場所から見ていたレオナルドは、斜め前に座るシンへ小声で囁いた。
「シン様……『ゆかた』とは一体どのようなものなのですか?」
「あぁ。祭りの際に着用する日本の伝統的な正装だ。……ちなみに俺は高校の三年間、ずっと一華の好みのものを着せられてきた。」
「……」
シンの淡々とした言葉に、レオナルドは言葉を失った。よく仕組みは分からないものの、『自分たちに選択権はない』ということだけは痛いほど理解できた。
一華は画面の前で思案している。自分用には、ピンク地に大きな花柄が描かれた、少し大人っぽい華やかな浴衣を決めていた。それに合わせるシンの浴衣を探しているのだ。
「うーん……これかな!」
一華が選んだのは、美しいグラデーションが施されたブルーの浴衣だった。
バッチリ決まったことに満足しながら、シンの浴衣の全身像も忘れずにスマホで撮影する。
一連の撮影が終わったのを見届け、シンが声をかけた。
「一華、選び終わったのか?」
「うん! シンたちは後でのお楽しみね。」
「……」
(……レオナルド、そういうことだ。俺たちに拒否権はない……。)
シンは無言でレオナルドに視線を送り、テレパシーを飛ばした。レオナルドは一華に気づかれないよう、ごく自然に小さく頷いた。
◇◆◇
やがて夕闇が迫り、盆踊りの開始時刻が近づいてきた。
一華が『衣装チェンジ』の魔力を解放した。キラキラとした光の粒が降り注いだあと、一瞬の光とともに、スマートフォンに保存した画像を元に四人の姿は一変した。全員が涼しげな浴衣を身に纏っている。
レオナルドの浴衣は、アーリンのライトブルーとピンクの組み合わせに見事に調和する涼やかな水色だ。そしてシンは、自分の浴衣姿を姿見で確認すると、ホッと安堵の息を漏らした。
「うむ……これなら大丈夫だ。」
シンの呟きを聞き逃さなかった一華が、悪戯っぽく微笑む。
「ふふっ、今年はどんな浴衣を着せられるか不安だったの?」
「あぁ……当然だろ。今までは一華の浴衣に合わせられるたびに、浩輔たちに散々『花嫁のようだ』なんて言われてきたんだからな。」
「へへ! ほら、今年はアーリンの浴衣に合わせてレオの浴衣を選んでみたの。どう?」
シンが視線を向けると、アーリンの横には、色合いの揃った浴衣を着たレオナルドが立っていた。
「あぁ、すごくお似合いだ。これならどこから見ても仲睦まじい夫婦に見えるな。」
「なっ……!?」
シンの言葉に、レオナルドとアーリンは一瞬で顔を真っ赤に染めた。そんな二人の反応を気に留める風もなく、一華がシンにお願いする。
「ねぇシン、お化粧も頼んでもいい?」
「あぁ」
シンが微弱な魔力をふわりと解放すると、次の瞬間には一華とアーリンの頬や唇に、ほんのりと上品で優しいメイクが施されていた。
履物を履き替え、下駄の鼻緒に指を通す。玄関のドアを開け、四人は夏の夕気の中へと踏み出した。
カラン、コロン――。
静かな住宅街のアスファルトに、心地よい下駄の乾いた音が響き渡る。
並んで歩く一華とアーリンの後ろで、レオナルドが密かにシンへテレパシーを飛ばした。
――《シン様……このような慣れない服装では、万が一の際の護衛に支障が出るかと……。》
シンの落ち着いた声が、レオナルドの脳内に返ってくる。
――《あぁ、心配いらない。ここには敵もいないし、護衛の必要もない。今夜は人間界のお祭りを楽しめ!》
――《……承知いたしました。》
隣を歩く女性陣に悟られないよう、二人は慎重にテレパシーを閉じ、前を歩く一華たちの背中を見守る。
会場に近づくにつれ、通りかかるご近所さんたちから次々と声がかかる。
「あ、一華ちゃん! 昨日はご苦労様!」
「シン君にレオ君も! 昨日はやぐら組み、本当に助かったよ〜!」
昨日の汗だくの作業着姿から一転、華やかな浴衣に身を包んだ四人の姿に、地域の人々は口々に感嘆の声を漏らしていた。昨日しっかりと準備を手伝ったからこそ、いまや彼らは単なる『参加者』ではなく、地域全体から温かく歓迎される『お祭りの顔』となっていた。
夕方の空には提灯の灯りがやんわりと浮かび上がり、遠くから太鼓の音が聞こえ始めていた。




