第26話 自治会イベント
ピンポーン♪
静かな室内に、甲高いインターホンの音が響き渡った。
シンが不在のため、一華は少し緊張しながら恐る恐るモニターを覗き込む。そこに映っていたのは、近所に住む『竹田のおばちゃん』の親しみある笑顔だった。
一華は慌てて通話ボタンを押した。
「はーい。今、行きまーす!」
アーリンの制止する声を振り切るように、一華はすっかりいつもの調子で応答すると、パタパタと玄関へ駆け出していく。そのまま迷いなくドアを開けると、ジリジリと肌を焼く夏の強い日差しと、頭上から降り注ぐミンミンゼミの大合唱が押し寄せてきた。一華は眩しそうに目を細めながら、門扉のところまで飛び出して行った。
「一華ちゃん! 今年も盆踊りをするんだけど、一華ちゃん家はどうする?」
高校に通っていた三年間は引越しをして家を空けていたが、数カ月前に魔界からこの街へと戻ってきていた。
純粋な人間として付き合ってきた近所のおばちゃんたちと踊る盆踊り。それは一華にとっても、かつてママと一緒に毎年楽しみにしていた大切な夏の思い出だった。
「うーん、今、シンが不在だから聞いてみてからでもいい?」
「いいわよ。最近物価が上がって、出られない人の不参加料が千円に上がっちゃったんだけどね。お手伝いをすれば支払わなくて済むから。」
「うん!」
「そういえば……最近よく見かけるけど、一華ちゃんってお兄さんがいたのね?」
「ううん、私のダンナさんだよ。私、結婚したの!」
「まぁ、そうなの!? いつの間にあんなイケメンのダンナさんと知り合ったのよ?」
おばちゃんはここぞとばかりに興味津々で身を乗り出してきた。
一華は一瞬答えに詰まりながらも、口を濁して笑ってみせる。
「えっと、従兄で……高校で一緒になって……。」
「まぁまぁ! それなら今年は二人で参加してほしいわ。いいお返事、待ってるわね!」
満足そうにうなずくと、おばちゃんは軽やかな足取りで去っていった。
一華が「はーい」と手を振り、玄関へと踵を返してドアを開けた。そこには仁王立ちするシンの姿があった。
魔界からリビングへ戻ったシンは、そこに一華の姿がないことに気づいた。
『知り合いのようでしたので、すぐに外へ出て行かれました。』
アーリンの報告を聞いたシンは、付き添わなかったアーリンを咎めようとしなかった。アーリンは下手に顔を出して怪しまれるのを避けるため、意識だけを一華へ飛ばして護衛していたのだ。
シンはすぐさま玄関へ駆け寄った。しかし、外から聞こえてくる一華の声はとても元気で、いつもの明るい声そのものだった。そのため外へ飛んで出るのは踏みとどまり、玄関の陰から魔力感知で周囲の様子を伺っていたのだった。
「近所のおばちゃんがね、もうすぐ盆踊りだからどうするかって尋ねてきたの。」
一華は靴を脱いでスリッパに履き替えると、リビングへと歩を進める。シンはその後に静かに続いた。ソファに腰掛けた一華の隣に、シンも寄り添うように腰を下ろす。
「……盆踊りとは、なんだ?」
シンは不思議そうに首を傾げた。その声には警戒や怒りの感情は含まれていない。純粋な疑問だった。
「この地域の住民だけが集まって、音楽に合わせて踊ったり、屋台が出たりするの。一種のお祭りかな?」
実は一華自身も、盆踊りの本来の宗教的な目的までは詳しく知らなかった。ただ子ども心に、お盆の時期に開催される楽しいお祭りで、みんなで踊るものだという認識だったのだ。
「踊る……だと?」
シンが思い浮かべる『踊り』といえば、魔界や上流階級の嗜みである社交ダンスか、あるいは武術的な舞いくらいのものだ。
「うん、簡単な手踊りだから、すぐに覚えられるよ。」
(……手踊り、演武のようなものか……?)
「それで、俺たちはどうすればいいんだ?」
「うちは今までママと二人だったから不参加料を払ってたんだけど、今年は手伝えば払わなくていいんだって。ねえ、私達ももう高校を卒業したんだし、みんなでお手伝いするのも楽しいかもね!」
「なら、みんなで手伝うか!?」
「シンも初めてだもんね。うん、みんなでお手伝いしよう!」
一華は思い出したように口にした。
「あ、それとシンのことお兄ちゃんって間違われたから、きちんとダンナさんだって訂正しておいたよ。」
「……」
「それから、従兄で同じ高校の同級生ってことも言っておいたから!」
「……言っておいたからって、間違いではないが……。」
シンは少し呆れつつも、一華の率直さに口元を緩めた。
「じゃあ、ちょっとおばちゃん家まで返事をしに行ってくるね。」
「俺もついて行く。」
「すぐ近くだから一人でも大丈夫だよ?」
「……闇バイトの者が潜んでいる可能性もゼロではない。監視も兼ねて俺も行く。」
「ふふ、わかった。」
◇◆◇
一華とシンは玄関を出て、夏の陽射しが残る道を並んで歩き出した。アスファルトからはモワッと熱気が立ち上る。
シンがいつもゴミ捨てで通っている慣れた通りだ。斜め前の路地を入ってすぐの場所にある『竹田家』の前に辿り着くと、一華はインターホンを押した。
「はーい、どなたー?」
「一華です!」
「はいはい、今開けるわね。」
ほどなくして玄関が開き、おばちゃんが出てきた。二人の姿を見てパッと表情を明るくする。敷地ギリギリに建てられた門扉を開けながら、誘ってきた。
「あらあら、ダンナさんと一緒なのね! せっかくだから冷たいお茶でも飲んで行ってよ。盆踊りのこと、詳しく話すから。」
一華はどうすべきか判断に迷い、隣に立つシンの顔を見上げた。
シンは落ち着いた声で返した。
「では、詳細を聞かせていただきます。」
シンの頼もしい答えに一華はほっと胸を撫で下ろし、おばちゃんは「どうぞどうぞ!」と嬉しそうに二人を家の中へと招き入れた。
玄関をくぐる一瞬の隙を突き、シンは魔界から一緒に戻ってきていたレオナルドへテレパシーを送った。
――《少し遅くなる。》
――《承知いたしました。》
招き入れられたリビングはクーラーが心地よく効いており、火照った体に冷気が染みわたる。一華とシンは仲良く並んでソファに腰を下ろした。
おばちゃんが運んできてくれたのは、汗ばんだ肌に嬉しいキンキンに冷えた麦茶だった。目と鼻の先の移動とはいえ、夏真っ盛りの外出で乾いた喉に、冷たい麦茶が染み渡っていく。(生き返る〜)と声に出てしまいそうなほど美味しかった。 テーブルにはおせんべいも添えられたが、流石に喉を通しづらいのと、会話の途中でボリボリと音を立てるのも憚られたため、二人はまずお茶で喉を潤した。
さっそく、おばちゃんが乗り出すように切り出してきた。
「それで、今年はどうするか決まった?」
一華に代わり、シンがハッキリと答える。背筋を伸ばし、威厳すら感じさせる堂々とした態度だ。
「はい。手伝います。」
「じゃぁ、二人でお手伝いしてくれるの?」
「四人で手伝います。」
「え? 四人?」
「あと二人も参加します。」
「あと二人……って、お母さんと誰かかしら?」
おばちゃんは困惑の表情を浮かべた。おばちゃんが知る一華の家族は母親だけで、祖父母は他界し、父親の顔も知らないはずだったからだ。
シンは平静を保ったまま説明を足した。
「いえ、両親ではなく兄夫婦です。一緒に暮らしていますので。」
「まぁ、そうなの! それは助かるわぁ。最近はお手伝いしてくれる人も減っちゃって、おまけに高齢化で高齢者ばかりなのよ。力仕事も頼めるかしら?」
「力仕事なら任せてください。」
「まぁ頼もしいわねぇ!」
「ちなみに、不参加料などの支払いはしなくても大丈夫なのでしょうか?」
「自治会費とスポンサー料でなんとかやりくりしているから、手伝ってもらえれば十分よ。」
「……少しなら、我が家もスポンサーになりますよ。」
シンの提案に、おばちゃんは目を丸くした。
「貴方たち、お仕事は? 会社員とかじゃないの? スポンサーは一応、企業にお願いしているんだけど……。」
「会社を経営していますから。スポンサーになる場合、この規模の自治会であれば、いくらほど出資すれば足りますか?」
「えっとー……一口一万円で、中には十万円出す企業さんもあるんだけどね……。」
おばちゃんは完全に呆気に取られていた。高校を卒業して戻ってきたばかりの一華が結婚していたことにも驚きだが、目の前の若き夫が会社経営者だというのだから当然だった。
「いまは流石に、それほどの現金の持ち合わせがありません。明日の支払いでも構いませんか?」
「も、もちろんよ! 領収書も準備しておくわね。……えっと、差し支えなければ会社名を伺ってもいいかしら?」
「合同会社SINQです。」
一華が横から補足した。
「SINQは大文字で、エス、アイ、エヌ、キューです!」
「へぇー、サンクさん! 何をしてる会社なの?」
「卸売業です。」
(まさか魔界へ物資の転売、なんて言えない……。)
一華は心の中で冷や汗をかく。
「あら! じゃあ何か安く仕入れができたりするのかしら?」
「いえ、BtoB(企業間取引)ですので、個人のお客様を対象にすることはできません。」
「そうなの、残念ねぇ……。でも、無理してスポンサーにならなくてもいいのよ? 若い二人が手伝ってくれるだけで十分助かるんだから。」
おばちゃんの申し出に対する気遣いに、シンは表情を和らげ、まっすぐな目で言葉を返した。
「いえ、一華が幼い頃から世話になってきた大切な地域です。仕事の都合上、どうしても普段のご近所付き合いでご迷惑をおかけすることもあるかと思います。だからこそ、協力できる形できちんと貢献させてください。」
その言葉に嘘偽りはなかった。自分たちの正体を隠しつつ、一華が愛するこの小さな街の平穏を守り、受け入れてもらうための彼なりの誠意であり、敬意だった。
「まぁ……そんな風に言ってもらえるなんて。一華ちゃん、本当に素敵なお婿さんをもらったわねぇ。」
おばちゃんは目尻を下げて嬉しそうに頷くと、気を取り直して本題のスケジュールを語り始めた。
「それじゃあ、当日の詳しい日程なんだけどね。盆踊りは八月十三日でね。前日の朝からやぐらを立てて、飾りつけをするの。当日は十七時からお祭りが始まって、十九時から盆踊り、二十時からは打ち上げ花火よ。玉数は少ないから十五分程度で終わっちゃうけどね。それと後片付けが翌朝にあるんだけど……大丈夫かしら? お仕事もあるでしょう?」
(花火……!)
一華の胸が跳ねた。そういえばこの前、『シン華の家』の屋上でハオやアズサたちも交えて楽しみにしていた花火大会が、会場の上だけに居座った局地的な豪雨で中止になってしまったばかりだ。
(あの時は屋上から見上げた空はあんなに晴れてたのに、すごく悔しかったんだよね……。リベンジできるかも!)
一華が期待に目を輝かせていると、隣のシンが落ち着いた声で応じた。
「大丈夫です。会社の調整はどうとでもなりますから。」
「それじゃあ、二日間のお手伝い、よろしくお願いしますね!」
「はい。当日はよろしくお願いします。それでは、私たちはこれで失礼します。ご馳走様でした。」
二人は丁寧に頭を下げ、竹田家を後にした。
◇◆◇
翌日。
シンはスポンサー料として用意した十万円を綺麗な封筒に入れ、再び竹田家を訪れておばちゃんへ手渡した。
一華からは「そんなに渡すの!?」と驚かれたが、一華を育ててくれた街への最大限の敬意、今年分の自治会費をまだ支払っていないこと、そして自分たちの特殊な事情ゆえに普段のご近所付き合いが難しくなりがちなことを考慮し、貢献できる金銭の支払いだけは躊躇しないと決めていたのだ。
こうして、シンと一華たちの初めての『夏の盆踊り』への参加が決まったのだった。




