第24話 初給料
初めての給料日という記念すべき日を迎えた『合同会社SINQ』。
「今日は給料支給日だ。」
シンの低く落ち着いた声がオフィスに響く。
シンの手から、一華、レオナルド、アーリンへと、次々と給料明細書が手渡されていく。
一華とシンには定額、レオナルドとアーリンには月給として最低賃金と所定時間数を掛け合わせた基本給に、時間外手当がそれぞれ支給されていた。
「うぉ~、初給料!」
一華は明細書を両手でしっかりと受け取り、今にもその場で踊りだしそうなほどの歓声を上げた。
これまでの収入と言えば、ママから貰うお小遣いとお年玉だけ。アルバイト経験すらない一華にとって、これが、労働に対する対価として得る初めての収入なのだ。魔界からは王太子妃としての給料がすでに毎月振り込まれているものの、どうにも『労働の対価』というリアルな実感が湧かずにいた。
「なんだ。初給料じゃないだろ。王太子妃としての給料はすでに支払われているじゃないか。」
「えー、だって。王太子妃として振り込まれたお金は、働いて得た実感が全然湧かないんだもん。でも、これは、一か月間頑張った労働の対価だよ! これこそ、ザ・給料!」
「ははは、そうか。」
無邪気に喜ぶ一華の姿に、シンは愛おしそうに目を細めた。
「あのぅ、私たちも貰ってしまってよいのでしょうか? 魔界からは今まで通り頂いているのですが……。」
レオナルドが、少し申し訳なさそうに口を開く。
「あぁ、魔界からは従来の金額を、そして人間界では会社員としての最低賃金を支払うと義父上と約束した。いくら魔界で報酬を出していても、会社の一員として雇っている以上、無給というわけにはいかない。気にせず、人間界で自由に使ってくれ。」
「「はい。ありがとうございます!」」
レオナルドとアーリンの顔に、ぱっと明るい笑みが零れた。
「そこでだ、その初給料を使いに、明日はみんなで出掛けないか?」
「えっ? 買い出しには出掛けているけど、明日はお休みだよね?」
「あぁ、仕事抜きで、純粋に外出しよう。」
「やったー! どこ行く? みんな、どこ行きたい?」
「あのぅ、欲しいものがあるのですが……構いませんでしょうか?」
レオナルドがおずおずと手を挙げた。
「おぅ、何が欲しいんだ?」
「炊飯器とお米を買いたいです。」
「炊飯器か! 宿舎に置くのか?」
「いえ、実家に贈りたいと思いまして。お米は買い出しの途中でも買えますので。」
「炊飯器があれば料理のレパートリーも広がるしな。よし、電気屋さんへ行こう!」
シンが頷き、今度はアーリンに向き直る。
「アーリンは何か欲しい物はあるか?」
「私は、ドライヤーが欲しいです。」
「あー。そうだよねー! いるよねー!」
一華が激しく共感の声を上げる。
「よし、明日はリアムとマリーも連れて、初買いツアーだ!」
◇◆◇
翌朝。
レオナルドとアーリンに連れられ、『シン華の家』へテレポートしてきたリアムとマリー。
一華が込めた魔力によって瞬く間に人間界のカジュアルな洋服へとチェンジしていた。
魔界ではすでに成人している二人だが、人間界の基準ではまだ少年少女だ。一華に見立ててもらった等身大の若者らしい格好に、二人は互いの姿を見合わせながら目を丸くしている。
「マリーちゃん、可愛いー♡」
「リアム君も、すごく似合ってるよ♡」
「さぁ、行くよ!」
アーリンに背中を押されるようにして、一行は車の後部座席へと乗り込んだ。一華が大型家電量販店の電話番号をカーナビに入力すると、シンは車を発進させた。
「わぁっ……!」
マリーの小さな驚きの声が、車内に響き渡る。
「なぜ、これは動いているのですか?」
目の前で車を引っ張る幻獣がいるわけでもなく、ましてや自分たちの魔力が作用しているわけでもない。
不思議そうにするマリーに、アーリンが振り返って説明した。
「これは車と言ってね、どこでも自由に行ける機械の箱なんだよ。」
一華たちは、アーリンの少しズレた説明をあえて訂正することはせず、微笑ましく見守るのだった。
◇◆◇
この国一番の大型家電量販店の駐車場に到着し、一行は調理家電フロアを目指す。
「足元、気をつけてね。」
一華が声をかけて先頭に乗り込むと、シンがそれに続く。足元から階段のような形へと変形していく謎の機械に、アーリンたちは恐る恐る足を乗せた。これまで買い出しに通っていた店舗には、エスカレーターなど存在しなかったのだ。
調理家電フロアに到着すると、一華を先頭にずらりと並ぶ炊飯器コーナーへ。 しかし、あまりにも膨大な数の炊飯器を前に、レオナルドは途方に暮れてしまった。
「シン様と一華様のご自宅にあるものと、同じものがいいです。」
「えっと……、どれだっけ?」
当事者である一華はまったく覚えていない。それもそのはず、「炊飯器が欲しい」と言っただけで機種など指定せず、シンがネットのランキング上位から勝手に選んで具現化したものだったからだ。
「ご自宅にあるのは、これでしょうか?」
レオナルドが、似たような見た目の一升炊きの炊飯器を指さす。
「見た目は似てるな……。」
シンも細かい品番までは記憶にない。
「なら、これにします。」
「だったら、同じものを下の棚の在庫から出して。」
メーカーと品番を照らし合わせ、シンが在庫の箱を引き抜く。それをレオナルドが両手でしっかりと受け取った。さらに、シンはもう一箱同じものを取り出す。
「シン、もう一台買ってどうするの?」
「これは現金支給できないジャンへの現物支給だ。リアムとマリーにも現物支給するから、何か欲しいものがあったら遠慮なく言えよ。」
「いいんですか……?」
マリーの瞳が期待にキラキラと輝いた。
「あぁ、次はドライヤーだな。」
一行は美容家電フロアへと移動する。壁一面にずらりと並ぶ色とりどりのドライヤーに、異世界の住人たちは再び圧倒されてしまう。
「アーリンは、どういうのが欲しいの?」
「一華様が使っていらっしゃるドライヤーです。」
「私のはこれ! 髪がツヤツヤになってまとまりやすくなるんだよ。」
「じゃぁ、これにします。」
「下から探して……メーカーも品番も同じだね。はい、これ。」
「ありがとうございます!」
「……これは、何ですか?」
興味津々といった様子で、マリーが首をかしげる。
「これはドライヤーって言って、濡れた髪を温風で素早く乾かしてくれる機械だよ。」
「これも売店に置けば、ものすごく売れそうだな!?」
シンの眼光が鋭くなり、商売人の顔つきで口角が上がる。結局、色違いのドライヤーを三台手に取った。
「私も、これが欲しいです。」
マリーが気兼ねなく手を挙げると、レオナルドも続いた。
「マリー、俺も欲しいから、この上に乗せてくれ。」
マリーは黒のドライヤーをレオナルドが持つ炊飯器の箱の上に乗せ、自分用のピンクのドライヤーを大事そうに両手で抱えた。
「リアムはいいのか? 他に欲しいものがあるのか?」
「では、僕も黒のドライヤーにします。」
「じゃぁ、私はパパとママに買って帰ろうっと。」
一華はピンク色のドライヤーの箱を嬉しそうに抱え込む。
「俺も義父上たちに何か買いたいな……。」
「うーん、私が思いつくのは電気シェーバーか、ビールとビールサーバーくらいしか思いつかないよ。ドライヤーは、遅くなっちゃったけど二人からの母の日のプレゼントにして、父の日はもうすぐだから、ゆっくり探したら?」
「ビールサーバーもいいが、手軽な電気シェーバーも魅力的だな。そうしよう!」
シンは炊飯器とドライヤーの箱を抱え、同じフロアの電気シェーバーコーナーへと移動した。一華がスマホで最新ランキングを検索し、店員のおすすめと高額な防水モデルを見比べる。
シンは下の棚から高額な方のモデルを二箱取り出し、自分の荷物の上に重ねた。レオナルドも一華お勧めの人気モデルを手に取り、全員がそれぞれの品を抱え、レジへと向かう。全員分の買い物をそれぞれのカードで済ませて車へと戻る。
「お昼食べに行こうよ。」
「どこに行くんだ? やはり寿司か?」
「お寿司もいいけど、今日は今後の参考になるような、おしゃれなカフェに行きたいな……って、気分は完全にオムライス!」
「参考になるのか?」
「オムライスのチラシを配ったら、また売店に大行列ができちゃうかもよ?」
「承知した。」
(売上アップに繋がるとかこつければ、シンを納得させるのは容易い。)と一華はほくそ笑む。
「お店はどこだ?」
一華がスマホのマップアプリで近所の人気オムライス店を探し、ナビに目的地を入力する。シンはスムーズに車を発進させた。
目的地近くの駐車場に停め、石畳の小道を歩いてお店へと向かう。木の扉を開けた瞬間、デミグラスソースの芳醇で香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。人数に合わせてテーブルを寄せてもらい、メニューを開く。
「私、ビーフシチューオムライスのセット!」
「「私も同じもので」」
アーリンとマリーが迷わず続ける。
「俺はハンバーグオムライスのセットだな。」
「私も、それで」「僕も」
シンのチョイスに、レオナルドとリアムもすんなりと追随した。
やがて運ばれてきた、目の前で湯気を上げる極上のオムライス。一華は輝くような笑みを浮かべ、すかさずスマホを構えて「シンも綺麗に撮って!」と指示を飛ばす。無事に撮影を終えると、待ちきれないとばかりに一口頬張った。
「んーーっ! やっぱり、このデミグラスソース最高!」
「卵もすごくトロトロですぅ……!」
マリーは幸せそうに目を細め、一口ごとに感動を噛み締めている。そんな彼女たちの弾けるような笑顔を見て、シンも小さく笑みをこぼした。
帰りにスーパーで大量のお米を買い込み、『シン華の家』へと帰還した一行。
レオナルドは今回の護衛任務をここで一旦解かれ、リアムとマリーを連れて実家へと戻る手はずとなった。ジャンへの現物支給となった炊飯器とお米をリアムに託し、三人はテレポートで魔界へと戻っていった。
『シン華の家』のリビングに戻った一華は、スマホアプリを開きアズサへメッセージを送る。
「今から行っていい?」
ピコン♪
『ええ、いらっしゃい』
アズサからの快い返事を受け、一華とシンはさっそく魔界の衣装へとチェンジすると、王と王妃の共有の間へと向かった。共有の間までの道中はアーリンが護衛し、そこで護衛任務も終了とした。
「何かあったのか?」
急な訪問に、ハオは何か魔界で問題でも起きたのかと眉をひそめた。
「パパとママにお土産? 初給料で買ってきたの。」
一華ははにかみながらアズサの前にドライヤーの箱を差し出し、シンはハオの前に電気シェーバーの箱をそっと置いた。
「まあ……初任給で、私たちにプレゼントを?」
娘が初めて自分の労働で得たお金から、自分たちのために品物を選んでくれたこと。その健気で温かい心遣いに、アズサの瞳はみるみるうちに潤み、胸がいっぱいといった様子で優しく微笑んだ。
「うん、そう、初任給の記念のプレゼントだよ!」
「儂にもか?」
「そうだよ。シンが選んだの。」
愛娘と優秀な婿からの思わぬ贈り物に、魔王ハオの厳格な表情がふっと温かく緩む。不器用ながらも嬉しそうに箱を見つめるその姿には、威厳ある魔王の面影と、一人の父親としての深い愛情が滲んでいた。
「そうかそうか、儂にもな。……ところで、これは何なのだ?」
「開けてみてください。」
ハオは包装をとって電気シェーバーを取り出したが、魔界にはない奇妙な機械に使い方が分からず首を傾げた。アズサがすかさずハオの手からそれを奪い取り、スイッチの入れ方や肌への当て方を手際よく教えていく。
「アズ、お前、こういうものを使ったことがあるのか?」
「ふふ、まさか。でも、人間界の電化製品って大体操作が似ているから、私でもすぐ分かるわよ。ほら、毎日これで伸びた髭を綺麗に剃れるわよ。」
「……では、私に仕える従者を一人、解雇せねばならんな。」
「えっ、そんな大げさなことしなくても……!」
一華が勧めた電気シェーバーが、まさか従者のリストラに直結するとは夢にも思わず、一華とシンは顔を見合わせて青ざめた。
「義父上。正装が必要な格式高い式典の時は従来通り従者に剃毛してもらい、休日や急ぎの身支度の時などに、この電気シェーバーをお使いになられてはどうでしょう。」
「あぁ、そうだな。偶には従者にも休みを与えねばならんしな。」
ハオの言葉に、一華は「よかったぁ……」と胸をなで下ろし、その場の全員にやわらかな笑い声が広がった。
「他に必要なものや、魔界で不便なものがあったら何でも言って。私たちが探してくるから。」
人間界にあって当たり前の便利グッズは、魔界の住人たちにとって喉から手が出るほど欲しいお宝なのだ。
新たな要望が上がれば、それはそのまま『合同会社SINQ』の売店の棚を埋め、新たな商売の種へと繋がっていくのだった。




