第20話 銀貨
「おはようございます、シン様、一華様。」
『シン華の家』のドアが開き、出勤してきたレオナルドとアーリンが足を踏み入れる。だが、二人を出迎えた一華とシンは、すでに待ちかねていたかのように魔界の衣装へと身を包み、万全の態勢で待ち構えていた。
「準備は整っている。このままテレポートするぞ。」
シンは手際よく冷凍品と冷蔵品をそれぞれのクーラーボックスに収めると、静かに魔力を解放させた。四人は瞬時に魔界の保管倉庫へとテレポートする。
空間が揺らぎ、四人が忽然と姿を現すと、出迎えたマリーが目を丸くして息をのんだ。かつてはリアムも同じように驚愕していたものだが、今ではすっかり慣れた様子で涼しい顔をしている。
「新商品だ。入庫処理をしてくれ。」
シンの簡潔な指示が飛ぶと、リアムとマリーはすぐさまテキパキと動き出した。二人は息の合った連携でクーラーボックスから冷凍品を取り出し、バーコードリーダーで一つひとつ読み取り処理を進めていく。
冷凍品の入庫処理が終わるや否や、レオナルドがそれをショーケースの近くへと迅速に運び込んだ。受け取った一華が一つずつ手作業で陳列しようと手を伸ばした、その瞬間――シンが静かにその手を制した。
「一華、少し離れてくれ。」
シンから解き放たれた魔力が、空間を包み込む。
次の瞬間、大量の冷凍食品が宙を舞った。アイスクリームが整然と下段のショーケースへ種類ごとに収まり、続いて冷凍フルーツ、冷凍焼きおにぎり、お好み焼きやたこ焼きといった品々が、まるで意思を持っているかのように上段の棚へ吸い込まれていく。
「はやっ!」
一華が感嘆の声をもらす間もなく冷蔵品の入庫処理も完了し、次のクーラーボックスが運ばれてきた。シンが再び魔力を解放しようとしたところで、今度は一華がサッと手を前に出して止めた。
「ちょっと待った! ここは自分で並べるから、シンはペットボトルや缶飲料をリーチインショーケースに並べていって!」
「……承知した。」
シンの魔力によって、ずっしりと重い飲料の数々が吸い寄せられるようにショーケースへ収まっていく。下段には重厚な2リットル入りの大型ボトルが、ミリ単位の狂いもない完璧な間隔で並べられていった。
その隣で、一華は瞳をキラキラと輝かせながら作業に没頭していた。お気に入りの紙パック製スムージーや野菜ジュース、乳酸菌飲料、美容系ドリンクをカテゴリごとにまとめ、スイーツやサンドイッチ、卵などを、色彩のバランスまで細かく計算しながら美しく配置していく。
「うん、完璧!」
冷蔵ショーケースを見て満足する一華は、続いて軽い常温品の陳列へと移る。しかし、一華はラップに包まれたパンを前に、ふと手を止めて首をひねった。そのまま棚に直置きすることに、どうしてもためらいがあったのだ。
「なんか……こういうのって、かわいいバスケットとかに乗せないと、見た目のイメージが悪いよね?」
「不衛生に感じる、ということか?」
「うん。袋入りなら気にならないけど、客の立場で見ると、ラップに包んだパンの直置きはちょっとテンション下がるっていうか……。」
「では、自宅にあるトレーに乗せてみるか?」
「今日のところはそれで代用しようかな! 今から取ってくる!」
「あぁ、俺が取ってくる。いつも使っているやつだな?」
「うん」
シンはその場で言葉を切り上げると、『シン華の家』のキッチンへとテレポートした。そして数十秒も経たないうちに、お目当てのトレーを片手に携えて戻ってきた。
「はやっ!」
「これでいいか?」
「うん、バッチリ! ありがとう!」
一華は目につきやすい特等席へトレーを設置し、パンを優しく丁寧に並べていく。空いたスペースには色とりどりのチョコレートや箱菓子、スナック菓子を配置。反対側の棚にはカップ麺やパスタソースなどを整然と並べ、最後に入口付近の一等地には、季節もの手回し式かき氷機やカラフルな氷みつ、アイスクリームディッシャーの一式をディスプレイした。
最後に手作りのプライスカードを各商品に設置し、一華は一歩引いて全体を見渡すと、満足そうに小さく息をついた。
「うーん、なんとか形にはなったけど……やっぱり品数がちょっと少ないよねぇ。」
「城下町の民へテレパシーを飛ばしてもいいが、殺到しかねないな。」
「でも、来てもらわないと売れ残っちゃうし……。あ、パンが売れ残った時は、リアムとマリーが持って帰ってね。翌日に持ち越すと衛生面が心配だから。」
「はい。ありがとうございます。ですが……、本当に売れ残るんでしょうか?」
マリーが不思議そうに首をかしげると、一華は苦笑いを浮かべながら頷いた。
「まぁ、売り切れてくれないと売り上げ的に困るんだけどね!」
一華はシンに向き直った。
「……よし、シン! とりあえず城下町の民に、ここで買い物ができるって知らせてあげて!」
「承知した。」
シンが目を閉じ、城下町の住人たちへ向けて広域テレパシーを送信し始める。その横で、一華はリアムとマリーに向き直り、人差し指を立てて厳重な指示を出した。
「もし人が殺到したら、先着順で数名ずつに区切って入店させてね。あと、宮殿の従者たちが『取り置きしてくれ』とか『持参してくれ』とか言ってきたとしても、絶対に応じちゃダメだよ? 自分で並んで買うのが大前提だからね!」
「承知いたしました!」
緊張感をもって答える二人だったが、ふとマリーの視線が冷蔵スペースの一角に注がれた。大きな透明カップを凝視し、瞳をかがやかせる。
「一華様、これ……何ですか?」
「それはプリンだよ! 甘くてトロトロして、とーっても美味しいの。こっちはゼリー。みんな、食べたことなかった?」
「はい……!」
アーリンも力強く頷くのを見て、一華は嬉しそうに目を細めた。
「よしっ、じゃあまずはみんなで試食を……」
「一華、すでに入庫処理をしたから支払いが発生するぞ。」
無慈悲なシンの声が割り込む。
「……え、あ、そっか。いくらだっけ?」
プライスカードの金額に目をやった一華は、一瞬で現実に引き戻された。
「420マニー……。(4万2千円……)待って、私、魔界のお金一文も持ってない……! シン、払って!」
まさにその時、倉庫の外がにわかに騒がしくなり、重厚な扉が開かれた。
現れたのはハオとアズサ、そして大勢の護衛の一行だった。新しく設営された真新しい小売スペースを目ざとく見つけ、ハオはいそいそと興味深そうに近寄ってくる。
「ほう、何があるんだ?」
ハオが物珍しそうに棚を見て回り、隣のアズサも楽しそうに目を輝かせている。
「義父上、どうされたのですか?」
「シンが城下町の民にテレパシー飛ばしただろ。儂たちも気になって見に来たのだ。」
「何か、欲しい物はございますか?」
「アイスにジュース、パンにお菓子……ママにも良さそうな美容系飲料もあるよ!」
「あら、いいわねぇ!」
一華はすかさずアズサの袖を引っ張った。
「ねぇ、ママ、お金持ってない? 私、魔界のお金持ってないから買えないの……」
「何を買うの?」
「大きなプリン! みんなで試食しようと思って。」
「あら、私も持ってきてないわよ。お財布なんて普段持ち歩かないもの。」
「だよねぇ……。」
ガックリと肩を落とす一華に、シンが静かに現実を告げる。
「俺たちも宮殿内では財布を持ち歩かない。それに、一華はまだ魔界では一文無しだ。」
「後で払えばいいじゃないか?」
ハオが気楽に提案するが、シンはきっぱりと首を振った。
「ツケは禁止にしています。皆にそれをされては会社が回りませんので。」
さらにシンは一華に向き直り、静かなトーンで諭す。
「一華、今日は諦めろ。……この場で食べるスプーンも用意してない……。それに……外が騒がしくなってきた。もう開店の時間だ。」
「……わかったよ。」
「義父上、義母上、民衆が駆け付けてきたようです。一度お戻りになられた方が宜しいかと。」
「そうだな。邪魔をしては悪い。」
ハオとアズサは護衛たちに民衆の波を押し分けさせながら、悠々と去っていった。そして彼らと入れ替わるように、城下町の住民たちがどっと倉庫になだれ込んできた。
「きゃっ……!」
押し寄せる人波から一華を守るように、シンがさっと彼女の腰を抱き寄せ、邪魔にならない壁際へと身をかわす。
押し寄せた客のほとんどは女性たちだった。しかし、POPによる説明書きもない陳列棚を前に、何をどう買えばいいのか分からず、戸惑ったように立ち尽くしている。
見かねた一華が、そっと客たちへ歩み寄った。
「何かお探しですか?」
「あ、あの……チラシにあった『クリームソーダ』というものを試してみたくて……。」
「何味にしますか? あと、何人でお飲みになりますか?」
「メロン味を二人で……。」
「でしたら、こちらの氷みつとディッシャー、炭酸水は500mLのものを一本。アイスクリームは、こちらの少量パックがおすすめですよ! 残った炭酸水はしっかりキャップを閉めて、気が抜けないうちに早めに飲んでくださいね!」
生き生きと笑顔で接客する一華の姿を、周囲の客たちは感心したようにまじまじと見つめていた。その様子を見ていたマリーも勇気をもらったように、別の客へ声を張り上げる。
「こちらはプリンと言いまして! 甘くてトロトロして、とーっても美味しいです!」
一華のセールストークをそのまま丸パクリするマリーの微笑ましい姿に、シンはこのままでは特定の商品に集中し、全員に商品が行き渡らないと判断した。
「本日は皆に行き渡るよう、購入は一人につき一品、あるいは一式のみとする!」
シンの威厳に満ちた宣告に、客たちは一瞬圧倒されて静まり返った。しかし、「今食べたいものを手に取るといい。明日また来ればいいのだから」というシンの思いやりのある言葉に背中を押され、人々は次々と満足そうに商品を手に取り始めた。
チラシに掲載されたクリームソーダの一式セットは飛ぶように売れ、プリンやゼリー、アイスクリームも瞬く間に棚から消えていく。
シンが魔力で完璧に並べたアイスも、一華が色彩豊かに整えた冷蔵ショーケースも、気がつけば跡形もなくすっかり空っぽになっていた。
売り切れた達成感に浸る一方で、一華は一瞬でがらんどうになった棚を見つめ、少しだけ寂しそうに肩を落とした。
「***(一華、何を残念がっている。)***」
脳内に直接響いたシンのテレパシーに、一華もテレパシーで返す。
「***(せっかく綺麗に並べたのに……また、最初に戻っちゃったなぁって……。)***」
「***(今日は初日だ。皆、初めて見るものを試したかったのだろう。)***」
シンは満足そうに頷くと、リアムへと視線を向けた。
「リアム、落ち着いたらケース販売分から入出庫処理して陳列し直してくれ。」
「承知いたしました。」
「俺たちは戻るぞ。」
シンの声に従い、一華、レオナルド、アーリンは『シン華の間』へと引き揚げ、使用したクーラーボックスは静かに『シン華の家』へと転送されていった。
『シン華の間』に戻ったシンは、魔界の金庫を開けると、ずっしりと重い袋をいくつか手に取った。そのまま常時接続ゲートを開けて、四人で『シン華の家』へと戻った。
ダイニングテーブルの上に、シンが持参した袋を開け、中の銀貨をドサリと豪快に広げた。
「お前たちも数えるのを手伝ってくれ。クレジットカードが限度額に達して使えなくなった。これからは現金で支払う。」
「「承知いたしました。」」
レオナルドとアーリンが即座に頷く。一華は人生で初めて見る魔界の銀貨に目をパチクリと丸くさせながらも、いそいそと作業に加わった。
人間界の硬貨とは勝手が違うため、まずは模様や大きさごとに分類し、五個単位の山を作って綺麗に並べていく。
(これさえあれば、さっきのプリンが買えたのにー……)
心の中で悔しがりながら、一華は手を動かした。
「何個必要なの?」
「とりあえず、三千マニーだな。」
そう言われても、どの銀貨が何個で三千マニーになるのか一華には見当もつかない。
するとシンは、並べられた銀貨の中から三千マニー分だけをスッと手元に引き寄せ、そこに静かに魔力を注ぎ込んだ。
微かな神秘的な光が銀貨を包み込む。すると目の前で、輝く銀貨がみるみるうちに人間界の紙幣へと姿を変えていった。
「うわぁっ!?」
目の前で起きた錬金術のような光景に、一華は目を丸くして仰天した。
「レオナルド、今日はこれで支払ってくれ。」
シンは全額の札束をレオナルドへと手渡す。
「アーリンと二人で、一華が昨日買ったものをメインに、パンやその他必要なものを適当に買ってきてくれ。」
「パンはどうしますか? この時間だと買い出しから戻って処理するのが午後になりそうですが。」
「構わない、買ってきてくれ。」
レオナルドとアーリンはすぐさま人間界の服に着替えると、小型トラックSINQ号に乗り込み、大型倉庫型スーパーへ向けて出発していった。
静かになった部屋で、一華はふと気になっていた疑問をシンに投げかけた。
「ねぇ、魔界の売上って、今まで毎日処理してなかったの?」
シンは少し首をかしげる。
「?」
「レオたちが回収して、『シン華の間』にそのまま保管していただけ?」
「あぁ。」
「ダメだよ! 売り上げ額は毎日計算して、すぐ換金できるように帳簿につけなきゃ……。」
「そこまで手が回っていなかったからな。」
「とにかく、現在の総額を数えよう。注文書の記録と一致するか確認しないと、ミスがあったときに『現金過不足』として処理できなくなっちゃうから!」
「承知した。今から全額持ってくる。」
シンはゲートをくぐり、魔界の銀貨が詰まった複数の袋と、魔界文字がびっしりと記載された注文書の束をダイニングテーブルの上にドサッと並べた。
「これ、いつの分かわかる?」
「袋ごとに数えて、注文書の日付で突合するしかないな。」
一華が袋を開けて銀貨をテーブルいっぱいに広げ、シンが種類ごとに素早く計算してメモを取っていく。二人は息を合わせて何度も作業を繰り返した。その結果、奇跡的に、注文書との過不足は一切なかった。
日付ごとに売上をまとめ、魔界用の帳簿アプリへと入力していく中で、一華はふとひらめいて尋ねた。
「ねぇ、魔界に銀行ってあるの?」
「ない」
「じゃあ、この大量のお金はどうやって保管するの?」
「時代劇と同じだ。あんな小さな千両箱ではないが、大きな木箱に入れて保管してある。」
「一か月足らずでこの銀貨の量だよ? すぐに箱がパンパンになっちゃうよ!」
「基本は手形の非現金決済だが、俺たちは現金主義をとった。そのためほとんどの現金が俺たちの手に集まる。そこから俺たちの『合同会社SINQ』に仕入れ費用、魔界での人件費、そして魔王への税金を支払う。残りが魔界の架空会社の純利益となり、最終的には二人で折半だ。これで晴れて、一華も一文無しから脱出できるぞ。」
「……なんか、私たち貰い過ぎじゃない……?」
「人間界での給料は最低額に設定してあるからな。生活には困らないが、人間界では半分以上を税金で持っていかれる。魔界にもしっかり資金を残しておかないと、不測の事態に対応できない……。」
「それにしても、タンス預金みたいにこんな大量の現金を置いておくのって危なくない?」
「『シン華の間』の金庫は、ゲートを通過できる魔宝石を持つ者しか開けられない。盗難防止の魔力もかけてある。」
「ふ~ん……対策は完璧なんだ。でもこれからは、毎日売上と現金を照合して帳簿をつけて、銀貨を種類別に仕分けしなきゃダメだからね!」
「承知した。」
「それと……こういうの、魔力でいっぱい出してくれない?」
一華がスマートフォンの画面を見せる。そこに映っていたのは、色分けされたプラスチック製のコインケースの画像だった。
シンが静かに魔力を解放すると、一華の目の前に色とりどりの大量のコインケースと、時代劇さながらの立派な「千両箱」がいくつも具現化した。
「すごい……!」
一華は種類ごとに銀貨をコインケースへと収め、それを千両箱へと整然と並べていく。シンもその効率的なやり方に感心しながら、手際よく作業を手伝った。
「こうすれば、今何マニーあるか一目でわかるでしょ?」
「なるほど、これは実に便利だ。その都度数え直す手間が省ける。……これを商品として店頭に並べるのもいいな。」
「確かに! 小売店や商売人なら絶対に欲しがるよね! リアムたちにも渡しておけば、回収した後の集計がすごくラクになるはずだよ。」
一華のアイデアに感銘を受けたシンは、すぐにコインケースのラベルを魔界文字と人間界の数字を併記したものへと魔力で書き換えていった。
「『シン華の間』にこれを保管してくる。」
シンは千両箱のいくつかを抱えると、その場でテレポートした。『シン華の間』に大きな千両箱を具現化し、その中に小さな箱を綺麗に収めてから、すぐに戻ってきた。
「もうすぐお昼だけど、何食べる? アーリンたちも帰ってきたらすぐ食べられるものがいいよね。」
「パスタにしよう!」
二人は微笑み合いながらキッチンへと向かい、まもなく帰ってくる二人のために、手際よくパスタの準備を始めるのだった。




