第14話 月の女神『セレーネ』
キラキラキラキラ……。
未明、宮殿内が静まり返る中、従者たちに気づかれないよう、一華とシン、そしてサンは宮殿前の庭園へとテレポートした。
「***(一華、衣装チェンジ必要か?)***」
「***(えっ?)***」
魔界の満月に照らされた一華は、いつの間にか真っ白なドレスを纏い、頭上には逆三日月の冠を戴いていた。
「***(私、魔力解放なんてしてないよ!? どうして……?)***」
「***(でも、似合ってる。撮ってやる!)***」
シンはスマートフォンを取り出し、自身の姿を直接見ることができない一華のために全身を撮影して画像を見せた。
「***(まるで月の女神みたい……)***」
「***(ハデスの言葉は本当だったのか……?)***」
「***(そうだったら、私、ハデスのこと疑って悪いことしちゃったな。)***」
「***(一華を泣かせた奴は大罪人だ! よって、罰は正当だ。)***」
「***(いくにゃんよー!)***」
真っ白なペガサスへと変身したサンが二人を促した。背中に一華とシンを乗せると、そのまま満月の夜空へと力強く羽ばたいていく。その背後には、光の粒がキラキラと美しい尾を引いていた。
(うわぁ……っ)
遊園地のアトラクション以外で初めて空高く舞い上がった一華は、あまりの感動に声を上げないよう心の中で叫んだ。シンが優しくテレパシーで声をかける。
「***(一華、しっかり掴まってろよ。)***」
「***(うん……!)***」
一華はシンの身体に両腕を回し、ぴたりと身を寄せた。眼下には、満月の明かりに照らされた魔王城と宮殿がくっきりと浮かび上がっている。サンが上空で大きく翼を広げて滞空すると、いよいよシンの出番だ。
一華は、月の女神のように静かに眼下の光景を見守るつもりでいたが――。
シンが意識を集中させ、魔力を解放する。と同時に、なぜか一華からも強い魔力が溢れ出した。二人の周囲がキラキラと光に包まれると、人間界製の太陽光発電パネルが空中に次々と現れ、宮殿の屋根へと隙間なく並べられていく。それだけでなく、城下町の家々の屋根にも、次々と太陽光発電パネルが敷き詰められていった。
シンの作業は「ゴォォォォォーーーーー」という重低音が聞こえてきそうだったが、奇妙なことに誰の耳にも届くことなく、極めて静かに進行していく。
誰一人として起きてくる気配はない。――ただ一組を除いては。
魔王ハオは強力な魔力を感じ取って目を覚まし、隣のアズサも気配を察して起き上がっていた。二人はベッドから抜け出すと窓の外を見やる。そこには、ペガサスの背中に乗るシンと、月の女神の姿に変身した一華の姿があった。
そもそも、この計画の発端は数日前にさかのぼる。
先日、魔王ハオのお仕置きと称して訪れた高級ビュッフェで、宮殿の従者たちの質素な食事事情が明らかになったことだった。彼らの食事はパンとスープ、そしてメイン料理のみ。ジャンによれば、量は十分でも、数種類の調理を同時にこなすのは人手的に難しいという。
そこで一華とシンは、太陽光発電システムを導入し、人間界の電化製品を無償提供することで、彼らの職場環境と食事事情を改善する『魔界電化プロジェクト』を計画したのだ。
厨房には業務用冷蔵庫とオーブンレンジを、洗濯係のためにドラム式全自動洗濯機を複数設置。各棟には安定的な電力供給のため複数の蓄電池を配置し、東棟の保管倉庫にも業務用冷蔵庫を数台完備した。さらに、発電量を増幅させる魔力までも施してある。
城下町でも、家庭用冷蔵庫、オーブンレンジ、洗濯機、そして蓄電池が着々と完備されていった。
数分後、すべての設置作業が完了すると、二人を包み込んでいた光はすっと消えた。一部始終を窓から見届けていたハオとアズサは、満足そうに再びベッドへと戻っていく。
空の上では、シンが不思議そうな表情を浮かべていた。
「***(一華も、意識して魔力を解放したのか?)***」
「***(ううん、解放してないよ。シンの魔力じゃないの……?)***」
「***(いや、一華の内側から魔力が解放されていたのを感知した。)***」
「***(えっ、ほんと!? これが俗に言う『結婚して初めての共同作業』ってやつなのかな?)***」
「***(だが、一華は全く自覚してないんだろう!?)***」
「***(うん……。なんでだろ?)***」
「***(まぁいい。とりあえず帰ろう。サン、疲れただろ。そろそろ下りてくれ。)***」
「***(いやにゃ! まだ物足りないにゃ!)***」
サンはまだ大空を飛ぶのが楽しくて仕方ないようだ。
「***(仕方ない。少し遠くまで行ってみるか。一華にとっても初めての空の旅だしな!)***」
「***(うん!)***」「***(にゃん!)***」
サンは翼を大きく広げ、魔界の大空へと駆けていく。その軌跡には、相変わらず光の粒がキラキラと美しい尾を引いている。一華とシンの目に飛び込んできたのは、城下町の家々の屋根が太陽光パネルで綺麗に埋め尽くされている光景だった。
「***(えっ? ここにも設置したの?)***」
「***(いや、俺は何もしていない。宮殿だけに集中していた。)***」
「***(じゃぁ、他の街も同じかな?)***」
「***(確かめに行ってみるぞ!)***」
サンは城下町の空を軽やかに抜けていく。月の周りには無数の星が瞬き、眼下には月明かりを幻想的に反射する街並みや広大な森、大河が広がっていた。
「***(ここは、何も変わっていないな……。)***」
その幻想的で美しい光景に、一華は思わず感嘆の声を漏らす。
「***(まるで、本当のおとぎの国に来たみたい……。)***」
「***(おとぎの国か。だが、今夜で見納めだな。)***」
「***(なんだか、もったいないね。こんなに可愛い景色なのに。)***」
「***(一華、せっかくだ。その浄化の魔力を試してみないか?)***」
「***(いいけど……あのガーデンパーティーの時みたいに、何か唱えればいいの?)***」
「***(あぁ、好きにしていい)***」
「***(ピュリファイ、ピュリファイ、ラララララ、フロールナ・パワー……っと!)***」
一華がふざけ半分に呪文を唱えると、光の粒がおとぎの国のような大地全体にふわりと降り注いだ。
「***(えっ……? 何これ!?)***」
一華は、ガーデンパーティーの時とは異なる奇跡的な光景に目を丸くする。
「***(これが、セレーネの浄化の魔力か……!)***」
「***(でも、私が唱えた呪文なんて、人間界の言葉を適当に繋げた言葉だよ!?)***」
「***(呪文など関係ないらしいな。一華、お前の存在そのものの力ではないのか?)***」
「***(私……本当に、生まれ変わりなの?)***」
「***(たとえそうだとしても、同じ道を歩む必要はない。)***」
一華は、信じ難いハデスの言葉を現実として受け止めるべきか、また一つ頭を悩ませる種が増えてしまった。その時、遠くの地平線の境界線がうっすらと明るくなり始めるのを、シンが鋭く感知する。
「***(サン、夜明けが近い。そろそろ帰るぞ。)***」
早朝から動き出す魔界人に見つかる前に帰還しようとシンが告げると、サンはテレパシーで「***(にゃん!)***」と頼もしく応えて急旋回した。宮殿の敷地に降り立つと、サンは瞬時に元の黒猫の姿に戻り、三人は『シン華の家』へとテレポートで帰還した。人間界に戻った一華の姿は、いつの間にかすっかり元の服装に戻っていた。
◇◆◇
数時間後、レオナルドとアーリンが『シン華の家』に出勤してきたとき、起きていたのはシンだけだった。
「「シン様、おはようございます。」」
「あぁ、おはよう」
「一華様は?」
「まだ寝ている。夜明け前の帰還だったからな。」
自分のベッドで丸まってぐっすり眠るサンを横目に、シンは淡々と答えた。
「何か、問題でもありましたか?」
レオナルドが真面目な顔で尋ねる。
「いや、サンが初めての大空を満喫したくてな。」
「大空を満喫……ですか?」
「あぁ、サンは人間界の満月パワーで、猫以外の動物に変身できる魔力を覚醒させたんだ。以前、一華がペガサスに変身したサンに乗って大空を飛びたいと言ったのを思い出し、二人で上空から魔界を見て回っていた。」
「なんと……魔界猫がペガサス……ですか?」
驚きを隠せない二人に対し、シンは宮殿の反応を尋ねた。
「ところで、魔界ではどんな反応を示している?」
「厨房のほうはジャンさんが説明していますので大丈夫かと存じます。ただ、洗濯係たちが一夜にして現れた見知らぬ全自動洗濯機を見て腰を抜かしておりました。当然の反応でしょう。私の方で操作方法は一通り教えておきました。」
「そうか。」
「それから、ハオ様が私室と執務室にも冷蔵庫が欲しいと仰っておりました。」
「わかった。それもすぐに対応しよう。」
その時、トボトボと階段を下りてきながら、一華が眠たそうに顔をこすった。
「おはよ……」
「おはよう」「「おはようございます。」」
「一華様、もう起きてこられて大丈夫なのですか?」
アーリンが心配そうに声をかける。
「うん、まだ寝ていたいけど……これ以上寝ると夜眠れなくなっちゃうから……。それより、お腹空いたー。」
一華が冷蔵庫の中を物色していると、シンはパソコンの画面から目を離さずに提案した。
「俺も朝食まだなんだ。冷食の焼きおにぎりでお茶漬けでも作ってくれないか?」
「あ、それいいね! レオとアーリンも食べる?」
「私たちは済ませてまいりましたが……せっかくですので、ぜひ頂戴したいです。」
一華は手際よく電子レンジで焼きおにぎりを温め、熱々のだし汁を注ぎ、仕上げに刻みのりを乗せて四人分を用意した。
「はい、お待たせ。」
「ありがとう」「「ありがとうございます。」」
「うーん、良い匂い……!」
香ばしいだし汁の香りが鼻腔をくすぐり、眠気眼の頭を心地よく刺激する。一口頬張ると、全員の顔に自然と笑みが広がった。
「うわぁ、お出汁が染みて美味しいですぅ……。」
「本当ですね、体に染み入るようです。」
「朝からこれはアリだな。非常に美味い!」
「よかった! そういえばさ、魔界って温かいご飯とかないんだよね? 三食ともパンだけなの?」
「はい。基本的に三食ともパンが主食です。」とアーリンが答える。
「麺類とかもないの?」
「私たちの口にはまず入りませんね。」
レオナルドが少し残念そうに肩を落とした。
「えっ? どういうこと? あるんだよね?」
シンが魔界の流通事情を補足する。
「人間界でいうスパゲッティのようなロングパスタは、領主などの保存食として独占されているらしく、庶民の手元まで回ってこないらしい。」
「それって、領主たちが独り占めしてるってこと?」
「まぁ、大体そういうことだ。大半がショートパスタを作っており、ロングパスタは受注生産に近いな。宮殿内でもショートパスタの料理が主流だからな。」
「じゃぁ、私たちがスパゲッティを提供しても問題ないかな?」
「あぁ、領主たちと競合しない範囲であれば、良い刺激になるだろう。」
一華はさらに、誰でも簡単に作れるパスタソースの提供も思いついたように言った。
「じゃぁ、作り方を教えるより、一緒に簡単なレトルトソースも一緒に卸してあげたらどうかな? 誰でも失敗せずにお店みたいな味が作れるし。」
シンは横目で一華を見やり、小さくふっと笑った。
「なんだ。一華も売り上げに貢献する気になったか?」
「違うよ! パスタなんてメニューの種類が多すぎて、一から教えられないからだよ。」
「ふっ、素直じゃないな。まぁいい。義父上からの依頼だ。執務室と私室にも冷蔵庫が欲しいそうだ。」
「えー? 従者に言えば冷たい飲み物くらい用意させられるのに?」
「まぁ、自分専用の冷蔵庫があれば、いつでも好きなものが取り出せて気楽だからな!」
「でも、魔王の部屋に合うような冷蔵庫って……家庭用にするとしても、異質だよね。ホテルにあるような小さいのにする???」
一華はスマートフォンを手に取り「私室 冷蔵庫」で検索する。スクロールしていく手が止まった。
「あ、これ見て。こういうインテリアに馴染む家具調の冷蔵庫ってあるんだって。ほら。」
スマートフォンの画面をシンに向けて見せる。
「左右で冷凍庫と冷蔵庫が分かれているタイプか。これなら部屋の雰囲気を壊さないな。」
「お土産に、ビール一箱持って行く?」
「そうだな。」
シンは食器を片付けながら頷いた。




