魔剣 いとのこ 13
ゆっことサクラは、テーブルの上に仲良く突っ伏し、穏やかな寝息を立てていた。この様子では、少年に課せられた、今日の割当を、達成する見込みはないだろう。
ティーカップの中身を窓から流し、食べかけのスフレを袋に詰めた女中は、恐る恐る、部屋のドアを開け、二人の男を招き入れるのだ。
「……どっちだ? 」
黒髪を、首の後ろで束ねた男前は、エプロンの胸の部分を、強く握り締める、若い女中に問いかける。
「髪の、短い方……ねぇ、本当に、ひどいことは」
「あぁ、心配はいらねぇよ、これは、お貴族様の権力争いさ、つまらぬ見栄の張り合い、奴らは「剣姫」に嫌がらせを、したいだけなのさ」
ぽんぽん、と、ラスティの肩を叩くと、バリンデン一家の三男、「長剣」のキッチョンは、優しげな笑みを浮かべ、彼女の口を吸うのだ。
「これが終われば、大金が手に入る、そしたら、一緒にロンダヌスへ行こう、お前の家族も、みな、俺が面倒見てやるからな」
とろん、と、瞳を潤ませ、ラスティは、キッチョンの胸に顔を埋める。
意外な事ではあるが、キッチョン バリンデンの言葉に、偽りは無いのだ、彼は本気で彼女を愛し、だからこそ、彼女もほだされ、あの、恐ろしい、館の主を、裏切る真似さえ見せたのだ。
もっとも、キッチョンは短気で、心変わりが早い事でも有名であったのだが。
やや、呆れたような目付きのボルトに急かされ、二人はゆっこを麦袋に詰め込む、些か不自然ではあるが、昼日中から、堂々と、人攫いが街中を闊歩するとは、誰も思うまい。
二人が出て行ったあと、ラスティも倒れたふりをして、追求を逃れる計画であった、門番の二人を逃し、彼らに罪を被せてしまえば、彼女を疑う者は居ないだろう。
ほんの少しの罪悪感を覚えつつ、運命の人を見送ったラスティは、サクラを床に降ろすと、自らも横になり、眼を閉じた。
なので、目の前を横切る、それ、を、確認する事は出来なかったのだ。
ラスティが盛った、眠りの呪い薬が効果を発揮し、館の中に人は居ない、キッチョンとボルトは、壁際に沿って、しかし、音も立てずに移動する、全く、慣れたものである。こういった仕事が回された場合、この二人が専門であったのだ。
この娘を首尾よく連れ去り、始末したならば、ふくろうは用意した人員の代金を、棒引きしても良い、とまで言うのだ。御用猫の目の前で殺せば、更に追加で金を払うのだとか。
(どこの誰にかは、知らないが、相当に、恨まれているのだろうな)
肩に担いだ少女の重みを感じながら、ボルトはどこか他人事に、そんな事を考えるのだ。確かに、御用猫は、自分にとって、弟の仇の一人と言えるが、彼個人の意見としては、然程に興味は無い。
ボルトが案じるのは、真に家族として扱うのは、この、短気で、頭が足りず、女癖も悪い、しかし、どこか憎めぬ性格の、愛する兄、たったひとりだけであるのだから。
ばん、と玄関を開けた二人を出迎えたのは、しかし、金で買収した二人の従士では無く。
「そこまでです……ゆっこちゃんを、放して、ください」
全身傷だらけ、血塗れにて、半ばで切れた木剣を片手で下げる、金髪の美少年であった。
「あぁ? 何だてめー」
「キッチョン、あれだ、御用猫の弟子とかいう、小僧だよ」
あぁ、と頷く、長髪の男を見ながら、リチャード少年は、自分の死を覚悟する。
(これは……二人共に、僕より、はるかに強い)
しかし、見逃す訳には、いかないと、少年は、少々頼りない姿の木剣を握り締める。彼らから血の匂いがしないのは、サクラの無事な証拠である、ゆっこを助け出せば、万事解決なのだ。
少年は、折れた木剣を脇構えに、腰を落とす、たとえ、刺し違えてでも、一人は、倒す、そう、考えたのだが。
(……違う……僕は、何を言っているのだ、それでは、前と、あの時と同じでは無いか! ゆっこちゃんは救えない、サクラを泣かせ、大先生と、若先生の期待に応えられない! )
強敵を前に、リチャード少年は、大胆にも眼を閉じる。頭の中に、師匠の、言葉を思い浮かべる為であった。
「リチャードよ、お前は、てんくら、駄目な奴よの、剣士が殺しを恐れてどうする、それは迷いぞ、もっと、頭を空にしてみよ」
「ですが、大先生、若先生は、良く考えて、剣を振るえと」
珍しくも口答えする少年に、田ノ上老の喝が飛ぶ。
「馬鹿者め! それは、ひとかどの、剣士に成って言う事よ! お前の様な小童が、浅知恵絞って何になる! ひとたび相対すれば、己が身と、魂を一振りに懸けるのみ、クロンを見ても、気付かぬか! 」
それは、僅か、一秒にも満たぬ時間であった。リチャード少年が、再び眼を開くと、そこは雪原の如き白い空間。相手と、己のみ、存在する、極限の集中がもたらす世界。
少年も、初めての体験であるが、これが、田ノ上老の言う「一つの太刀」であろうと、瞬間的に理解する。
「……よし、いいぞ、線を引け」
少年の背後に、御用猫が現れると、ちょい、と、彼の右肘を持ち上げ、構えを修正した。
「リチャードよ、本当に、強い奴はな、命を捨てられる奴じゃない、命を守る奴でもない……線の引ける奴だ、死線の見える奴だ、ぎりぎり、を歩いて、自ら、あの世に片足入れて、それでも、生きると、捥がける奴だ、最後まで、諦めない奴なのだ」
「……ふふ、まるで、野良猫ですね」
あぁ? と、キッチョンが、どす、を効かせる。どうやら、少年は、声に出してしまったらしい。
「誰が野良猫だってぇ? 死にてえのか、餓鬼が」
「キッチョン、時間が惜しい、早くやろう」
ふん、と鼻を鳴らすと、キッチョン バリンデンは、長剣を握ったまま、右腕を、自分の首に巻き付けるのだ、まるで、襟巻きの様に。
彼の得意とする、変移抜刀術「グリネイド」
目の前の少年は、折れた木剣しか持っていないのだ、遠間から打ち込めるこの技ならば、安全確実に仕留められるであろうと、キッチョンは判断した。たとえ子供といえど、油断しないからこそ、彼らは一流なのだ。
「貴方などに、野良猫を名乗る資格はありません、田ノ上……いえ、辛島、そう、辛島念刀流、リチャード キンブレ、推して参ります」
キッチョンの初動に合わせ、リチャード少年も動いた。
あの日、一度だけ見た、御用猫の奥義。未だ斬鉄は叶わぬが、ひとつに懸けるならば、これしか無いと、自然に、そう、身体が動いたのだ。
振り切る瞬間に握りをずらし、威力と、射程を伸ばす剣技ではあったが、折れた木剣では、そもそも焼け石に水である。
しかし。
「応ッ!」
リチャード少年の一撃は、キッチョンの間合いの三歩前。
「兄さんっ! 」
ボルトの悲鳴に答える事も無く、長髪の剣士は、胸を朱に染め、顔面から地面に倒れ込む。
「……僕の人魚刀、いまだ未熟なれど、命を絶つ、程度には」
リチャード少年は、いつか見た御用猫の技を、なんとも忠実に再現していたのだ。
「おまえ! おまえぇっ!」
ゆっこの麦袋を取り落とし、ボルトが小剣を抜く、相手は激昂している、やるならば、今だろう。
(あと一人、しかし、これからだ、死力を尽くさねば、相討ちにすら)
自力の差は、歴然としている、手の内も知られた今、もう一度奇跡を呼び込む為には、再び、命を懸ける必要があるのだ。
「殺す! 殺して、轢いて、貴様は、吊るす! 」
燃えるような殺意を隠しもせず「小剣」のボルトは、リチャード少年を突き殺すべく、膝を曲げて構えるのだが。
次の瞬間、ボルトの首筋に、焼けた釘が打ち付けられた。
「ぎゃっ! 」
いや、彼にはそう感じられた、というだけであったのだが、正体不明の重みを感じ、ボルトは悲鳴をあげて仰け反るのだ。
ぐるぐる、と、耳元で発せられる獣の唸り声に、恐怖を覚え、闇雲に小剣を突き立てるのだが、何やら、硬いような、柔らかいような手応えに阻まれ、刃先が突き立った気配すら、感じないのだ。
「畜生ッ! 」
ボルトは涙を流した、兄の仇が討てなかったからではない、伝える事が、できなかったから。
「鋭ッ! 」
ぞぶり、と、今度は腹に、熱いものが打ち込まれた。ボルトは、首筋に噛み付く、この獣に当らぬよう、腹を刺したのだろうな、などと、つまらぬ事を考え。
「おい……餓鬼よぅ、死ぬ前に、早いうちに、言いたい事は、ゆっとけ、よ……」
かくん、と膝を抜き、崩折れた。
「……はぁっ……はぁ、はぁ、く、くるぶし、ありがとう、サクラは、無事かい? 」
丸い尻を振りながら、麦袋を引き千切り、中からゆっこを引き出した、この、小さな恩人は、なっふなっふ、と舌を出して返事をするのだ。
そこまで確認して、リチャード少年は、ようやくに、意識を手放す事が、できたのだった。




