魔剣 いとのこ 11
ひとめ見て、理解した。
(……勝てない)
御用猫は、震える足を、心の内に叱咤して、何とか距離を取る、野良猫の本能が、告げているのだ。
先程から、首筋には、ぴりぴり、とした痺れを感じ続けているし、口内は渇き、貼り付き、声が出せないのだ、御用猫が、これ程の危機を覚えたのは、ガンタカ以来であろうか。
「……い、行け」
少しだけ吃りながら、総髪の剣士は、バンスに声をかける、緊張している訳でも無かろうが、視線は、ぎょろぎょろ、と彷徨い、不健康そうな目の下の隈が、蠢く眼球の受け皿にも見えた。
「……すまん、いとのこの先生、この恩は、必ず返す」
林の中に、消え行くバンスを見送る御用猫は、しかし、敵の数が減ったと、喜ぶ事も出来ないのだ。
恐らく、これは、邪魔になるからなのだ、バンス程の闇討ち屋ですら、目の前の男にとっては、同じ空間にいる事を許さぬ、障害物にしか、ならないのだろう。
「どうするんですか、猫の先生、私、優柔不断な男は嫌いなんです、反吐が出ます、ごめんなさい、早く、逃げるなり戦うなりしてください」
大金棒を担ぐ大雀は、相変わらずの余裕であったが、しかし、御用猫は迷っていた。
何か、一歩でも、ここから下がれば、視線を離せば、その瞬間に、首と胴が泣き別れするのではないか。
ひしひし、と、そのような、予感が、御用猫の背中を駆け巡るのだ。
「ご、ご」
隈の侍が、腰の物を引き抜いた。あまり長くはない、その刀は、しかし、異様な形状を見せていた。
(何だ、あれは、のこぎり?あんな物で)
二尺程の、短めの刀身は、ぎざぎざ、と櫛の歯の様に、切れ目があり、とても、強度が保たれているとは、言い難い、ソードブレイカーとも呼ばれる、刃の背が、こうした形状の刀剣も存在するのだが、流石に、刃の方に切れ込みが入ったものは、御用猫も目にした事が無かったのだ。
「虚仮威しでしょう、くだらない、そしてごめんなさい、もういいです、猫の先生は、その辺りで、無様に震えていてください、やっちゃいますから」
だんっ、と、強く踏み出した大雀の頭が、しかし、突然に、後ろに仰け反る。
しばし、天を見上げた彼女が、ゆっくりと上体を戻すのだが、その額から、たらり、と、どす黒い血が、二股に別れて、口にまで流れ込む。
(なんだ、礫? いや、軌道が変だったな、呪いか? )
正眼に刀を構えたまま、御用猫は分析を始める、隙があるならば打ち込みたいが、それは、誘いである可能性も高い。バンスではないが、大雀の邪魔をする訳にも、いかないだろう。
全くに表情も変えず、しかし、せわしなく目玉だけを動かしていた隈侍であったが、ぴたり、と、その動きを止め、御用猫に視線を合わせるのだ。
「ご、御用猫、ギョーブ、き、斬ったのか、お前か」
突然に、予想だにしない事を問いかけられ、どきり、と、心の臓が跳ねる。
しかし、御用猫には、確かに、その名に心覚えがあるのだ。忘れもしない、十年前に、御用猫が、東方で仕事にした男の名だ。
昔の事である、まさか、この男が、自分を追ってきた訳でもあるまいが、この様な所で出くわすなどと、運命の悪戯と言うには、なんとも質が悪い。しかし、言われてみれば、何処と無く見覚えのある顔かも知れない、と、御用猫は思い出すのだ、賞金首ではなかったが、確か、名は。
「ごめんなさい、相手が違いますよね? ほら、血が出てるじゃないですか、ね? 見て、ほら、こんなに血が……ねえ、戦ってるの、私ですよね? ぐだぐだぐだぐだ言ってないで……こっちを! 見ろゃくそ野郎がぁあぁぁっ! 」
ごうん、と、距離を取ったはずの御用猫の、その頬にまで、風が撫で通る。片手一本で振るった、大雀の大金棒を、隈侍は、ゆるり、と躱す。
次の瞬間には、大雀の、こめかみの辺りが弾けるのだ。礫ではない、今のは、明らかに横からの攻撃だ。
「おぅら、見切ったぞ! やってみろや! 土手っ腹に! 」
謎の攻撃を、次は躱したのか、頭をひねりながら吼える大雀の、手甲から飛び出した白い杭も、男は易々と回避するのだ。御用猫は歯噛みする、初見であれば、話も違ったかも知れないのだ、これは、手痛い失策である。
しかし、これ程の剣士が、バリンデン一家の助け働きに現れるなどと、予想できるはずもないのだ、彼女を責める事は出来ないだろう。幸い大雀は、今の所、互角の勝負を演じている、こちらは二人なのだ、何か切っ掛けさえあれば、この化け物を仕留める事も、決して不可能ではないのだ。
だが、それは、御用猫の誤りであった。
彼は、素直に、立ち去るべきであったのだ、これ程の敵が存在した以上、一度引いて、田ノ上老とも協力し、こと、に当たるべきであったのだ、大雀を、ここに残して逃げたとて、彼女ならば、なんとでも離脱してくるだろう。
そして、御用猫は目にするのだ。
大雀の、巨大な金棒とは思えぬ速度の一撃が、ついに、隈侍を捉えたと、そう思えた刹那、彼の姿がぼやけ、大金棒が擦り抜ける。
例うならば、水面に映る月を、掬うが如し。
(月影抄! )
咄嗟に太刀を立て、守りの姿勢をとる御用猫であった。今の技は、足捌きにて、相手に間合いを錯覚させる、カディバ一刀流の。
そこで、どすん、と、胸に衝撃を受け、御用猫の思考が止まる。
いや、思考が、外界から、切り離されたと言うべきか。
(いろいろと、怪我をしてきたが……心臓を刺されると、こうなるものか)
きぃん、と、耳鳴りのような不快感と、胸中に拡がる、溶岩のような、熱。
御用猫の思考は、どこか、冷めていた。
(……なんだ、今際の際に、男の顔も、女の顔も、浮かばぬとは……さみしいものだなぁ)
やはり、野良猫は、死ぬときまで、ひとり、であったのか。
なにやら、可笑しくなるのと、意識が途切れるのは、同時であり。
のこぎりを抜き取られた胸から、大量に血を吹き出し、御用猫は、ゆっくりと、うつ伏せに倒れたのだった。




