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続・御用猫  作者: 露瀬
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銀盤踝 12

 猛然と突っ込んできた少女は、御用猫の腰の辺りに体当たりすると、腹の中の空気を吐き出し、むせ返る男の腰を引っ張り、次には背後に回り、押し出す様に、はやくはやく、と、急かすのだ。


「ぐぅ、なんだ、サクラよ、はしたないぞ、服くらい、ちゃんと着てから来いよ」


 余程に慌てていたものか、サクラの姿は寝間着として、イリヤラインに譲り受けた、丈の短い貫頭衣のみであり、ほどいた黒髪も、暴れるに任せてあるのだ。


 尻が見えてるぞ、との、御用猫の指摘にも無反応で、半ば縋り付くように、彼の後ろ腰に体重をかけてくるのだ。これは、ただごとではあるまい。


「リチャード、チャムを連れて来い、起こさなくて良い、担げ」


「はい! 」


 持ち前の機転の良さで、異常を感じ取っていたリチャード少年は、御用猫の声と同時に走り出していたのだ。


「よし、行くぞサクラ、しゃんとして、案内しろ」


 泣き縋る少女を腰から剥がし、代わりに手を繋いでやると、きゅう、と彼女は握り返してくるのだ。


「こっちです、くるぶしが、くるぶしが目を覚まさないの! 」


 若族長であるオーフェンの自宅は、部屋数も多く、御用猫一行は、中庭を挟んで、左右に別れて寝泊まりしていた。


 森エルフは、たとえ家族であっても、男女が同室で寝る事はなく、そのため、各家庭に最低四部屋、寝室があるのだ。


 例外を認められるのは、赤子と病人、そして、送り火の夜だけである。


 御用猫が、サクラにあてがわれた部屋の扉を開けると、目に入るのは、散らかった衣類に、乱れたままの寝床。そして、その布団の中央には、ぐったりと四肢を伸ばし、口から舌を垂らす月狼の姿であった。


 一瞬、肝を冷やした御用猫であったが、手を翳せば、その体は温かく、腹も確かに上下している。


「生きては、いるな、夕べまでは、走り回ってたか」


「はい、寝る前に、元気が無かったから、てっきり……遊び疲れたのかと……ひっく」


 再び、嗚咽を漏らし始めたサクラの、肩を抱き寄せ、頭を撫でるのだが、どうにも、これは御用猫に、手の出せる領分ではあるまい。


 ばたばた、と、複数の足音も聞こえる、リチャードの慌しさに、家主たちも付いて来たようだ。



大部屋の床に綿布を敷き、その上に寝かされたくるぶしの更に上、何やら怪しげな動きを見せていた、チャムパグンであったが、ぴたり、と動きを止めると、御用猫に向けて、さも、残念そうに、首をふるのだ。


「全力を尽くしましたが……力及ばず、痛い、いたいいたい、のびるゥー! 」


「余計な演技は、いらねんだよ、また、サクラが、泣くだろうが」


 卑しいエルフの両耳を握って、上に引っ張りながら、御用猫は、どす、の効いた低い声で、額がくっつく程に、顔を寄せる。


 背後では、リチャードにしがみついたサクラが、彼の胸に鼻水を擦り付けているところだ、いかに温厚な少年とはいえ、これ以上は、彼も、その人生設計を考え直してしまうやも知れぬ。


「これは、祖霊還りだね、珍しくはあるけれど、月狼は、最近になって外周森に適応した種族だし、奥森の魔力にあてられて、体内で、行き場のない精霊が暴れているのさ」


「そこ、詳しく……治せるのか? 」


 役に立たぬ卑しいエルフを、肩に担ぎ上げると、御用猫はホノクラちゃんに説明を求めるのだ。


 こと、呪いに関しては、世界でも十指には入ろうかという二人が、時を同じくして、ここに揃っているのだ、これは、僥倖という他にないだろう。


 しかし、そのひとりであるホノクラちゃんは、何やら、微妙な表情を見せている、不機嫌そうな、と言えば、近いだろうか。森エルフの秘術に関する事であろうし、外部の人間に話すのは、問題なのだろうか、それとも、一度は滅びた月狼という種に、手を加える事への嫌悪感か。


「前から思っていたのだけれど……キミは、その子に、少し気安くに過ぎるのではないのかい? 見た目は幼女であろうとも、中身は大人の女性だろうに、もう少し、節度、というものがあるだろう、ちゃんと、適正な距離感をもってだね……とりあえず、その、お尻を揉むのを、やめたまえよ」


 御用猫もやはり、動揺していたのだ、なので、心を落ち着けるために、チャムパグンの尻肉を揉みしだいていたのだが、それを誰が責められようか。


 その辺りについて、御用猫が力説を始めると。


「いいから、はやくっ! 」


 すぱぁん、と良い音を鳴らし、サクラの蹴りが、容赦無く、御用猫の尻に叩き込まれたのだ。



「……つまり、魔力を牙に貯める為の経路? が、退化してしまって、今の月狼は、奥森の中で暮らせないと、魔力を浴び過ぎると、死んでしまうと、そういう訳か」


 呪いに疎い御用猫であったが、ホノクラちゃんの説明を、リチャードが手短にまとめたものを聞き、何とか理解する事が出来た。


 人間種をはじめ、普通の生き物は、そもそも、過剰な魔力を、体内に蓄積する事はできぬのだ、そのような仕組みも無い、もしも、何らかの手段で、そんな事をしてしまえば、元から存在する体内の、生命を司る精霊達の力関係が狂ってしまうだろう、まさに、今のくるぶしと、同じ状態になってしまうのだ。


 なので、かつての月狼のように、それが出来る生物こそが、魔獣、と呼ばれるのだ。


 魔力とは、精霊を含んだ力の源、水と魚、とも例えられるのだが。ともかく、今のくるぶしには、その水を海まで流す事が出来ぬという、途中の川に据えられた、堰の扉体が開かない為に、限界を超えて溜め込まれた水は、溢れる寸前で、堰自体の決壊も、間近だというのだ。


「……どうすれば、いいの、ですか」


 説明を聞いたサクラの顔は、蒼白であった。


 思い当たってしまったのだろう、くるぶしの現状は、自分が招いてしまったという事実に。奥森に連れて来ねば、この月狼は、普通の生活を送れたはずなのだと。


「無理に魔力を抜けば、生命ごと持っていかれてしまうかな、こんな仔犬では、尚更だよ、碌な抵抗も出来ないだろうね」


「私達にも、手の施しようがありません、この様な事例すら、初めての事なのです「記憶」も探ってみましたが……残念です」


 ホノクラちゃんと、オーフェンが、それぞれ、可能性を否定してゆく。その度に、サクラの顔色は、血色を失うばかりで、握った拳だけが、ぶるぶる、と、彼女の意思が、まだ、ここにある事を、主張するのみであったのだ。


「チャムよ、何とかならないか、この犬ころについての責任は、俺にもあると決めたのだ、報酬は、言い値指し値で、構わない」


「んー、何とかならんことも、ないですが」


 御用猫の膝の上で、焼きパンをかじるチャムパグンは、さして興味も無さそうに、軽い調子で、そう答えるのだ。


「お願いします! チャムさん! この子を助けて、何でもしますから! 」


 恐ろしく速い反応で、サクラが飛び付いてきた、潰されたチャムパグンは、ぐぇーぐぇー、と、鳴き声を漏らし、手足を蠢かして、まさに、蛙の様であろうか。


 リチャードとウィンドビットに、しばらくサクラを押さえるように指示すると、くるぶしを中心に、御用猫達は顔を突き合わせるのだ。


「つまり、人工的に、魔力回路を作る、という事ですか? そんな、いや、理屈は分かりますが……やはり、不可能です、癒し手を揃えたとしても、仔犬では、体力がもたないでしょう」


 オーフェンは、なにか、興奮している様子で、声の調子を上げるのだ。彼も、目の前の二人には及ばないとて、呪いに関しては、氏族一との自負があるのだろう、チャムパグンの話を聞いた後は、ぐるぐると、脳内で、仮想の手術を行っていたのだ。


「ふふ、オーフェン少年よ、そう、決めつけてしまうのは、些か早計にすぎるのじゃ、ないかい? 確かに、腹を切れば不可能な術式ではあるけどね、例えば、液状、いや、気体にして、吸い込ませれば、どうだい、元々の流路は、完全に消えた訳でもないからね、体内で 流れに乗せれば、外から手助けをするだけで、後は向こうがやってくれる筈だよ」


「先生ぇ、お腹が空きました」


 侃侃諤諤、とした議論を続ける三人のエルフ族であったが、そろそろ、結論も出るだろうか。


「ドビット! おチャム様に、食事をお持ちしろ! 」


「もっと、肉々しいやつな!」


 ウィンドビットと、サクラも立ち上がり、炊事場へと向かう、卑しいエルフではあるが、今は彼女を立てなければ、ならないだろう。


「皆さん、ひとつ気になる事が」


 リチャード少年が、御用猫の隣に、そそくさと進んでくる、どうやら、彼も議論に参加したかったのだろうが、律儀なことに、サクラの居る間は、我慢していたのだろう。


「回路の生成ならば、長期的に、体内で存在できる材料でないと、気体ににして吸わせるというならば、加工の問題と、あとは、呪いとの相性もあります……僕の愚考ではありますが、これは、森の銀を使用する他は、ないかと」


 それまで、議論を続けていた二人が、くるり、と向きを変える。


「リチャード少年よ、正解だ、たとえ相性が良くても、賢者の石では、泥状が精一杯、それ以上密度を落とせば、魔力を流せないだろうからね」


「そうですね、私もそう思います……ですが、そうなると、問題が」


 オーフェンが、目を閉じ、眉根を寄せる。御用猫は、森の銀について、詳しくは知らないが、売買できぬ程の貴重品だという事、現在、クロスロードに存在する森の銀は、アルタソマイダスの愛剣「女王を護る森の銀」と、国王の戴冠式典に使用される、宝冠のみである事は、有名であった。


「森の銀と言うからには、奥森で採れる物じゃないのか? オーフェンよ、金で買うものではあるまいが、何とか、入手は出来ないだろうか、この通りだ」


 御用猫は、チャムパグンを膝から降ろすと、正座して頭を下げる。慌てて、隣に並ぶリチャードも、それに習った。


「やめてください、そのような、……いえ、私としても、友人に協力したいところなのですが……森の銀は、そう簡単に手に入るものでは、ないのです」


 御用猫は、危うく、浮き板の銀を分けてくれ、と、頼むところであったが、それは、無理な相談であろうし、余りにも、一方的であろう。そのような要求、彼らとの友情を、軽んじる行為であろうと、思いとどまるのだ。


 しかし。


「せめて……浮き板が戻って来ていれば、お分けする事も出来たのでしょうが、あれは、未だ山エルフの元で修理中でして……申し訳ありません」


「はぁ? 」


 御用猫は、思わず、間の抜けた声を漏らした、彼は忘れていたのだ、いや、森エルフという種族を、オーフェンという人物を、やはり、どこか、軽く見てしまっていたのだ。


 彼らは真面目で、義理堅く、敵とあらば、死力を尽くして戦うが、一度友人と認めた者の為ならば、何をもってしても、力になる。


 森エルフとは、そういった者達であるのだ。


 御用猫は、再び頭を下げる。彼の、すじ、を通すために。


「オーフェンよ、俺は、もう一度約束しよう、お前達に、俺の助けが必要ならば、いかなる時も、必ず、駆けつけると、これは、俺が死ぬまで、必ず守られる約定だ」


「いいえ、僕が死ぬまで、守られると、お約束します、必ずに」


 リチャードが、いつもの笑顔を見せた。いや、どこか、誇らしげな表情を浮かべているだろうか。


「ふふ、やはり、キミは面白い、どうだい、リチャード少年も、分かるだろう、退屈しないのさ、この友人を見ているとね……だけど、少しばかり、妬けてしまうかな……だから、ボクも、キミの為に、ひと肌脱ぐとしよう、二人の友情のために、ね」


 そういって、くつくつ、と愉しげに笑い、両手を広げるのだ。


「ぐぅ」


 御用猫は、一瞬だけ迷ったが、どうやら、ホノクラちゃんの力で、森の銀を手に入れる事が出来そうなのだ。


 これは、可愛い妹の為に、兄が犠牲となる他はないだろう、幸い、女性陣は料理の為に退出したままである。


 御用猫は、目を閉じ、覚悟を決めて両手を広げるのだ。


 ちらり、と、リチャードの方を見やり、ホノクラちゃんは勝利の笑みを浮かべると、そのまま飛び込み、美酒を味わい始める。


 今回ばかりは、と、震えるリチャードが、しかし、ついに痺れを切らして、彼を剥がすまで、それは、続いたのであった。



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