銀盤踝 11
それから、ひと悶着も、ふた悶着もあったのだが、どうにか翌日の日の出を迎えた御用猫は、樹々から射し込む木漏れ日に身体を晒し、大きく、のび、をするのだ。
どちらかといえば、不健康な生活を好む野良猫とはいえ、奥森の空気には、身も心も洗われるようであり、こうして澄んだ空気を肺に入れれば、素振りのひとつでもしてみようかと、珍しくも神妙な心持ちになろうというものである。
「若先生、僕も、お供します」
相変わらずの、気の利きよう、井上真改二を抱きかかえた、リチャード少年は、朝陽に負けぬ、煌めくような笑顔で、自らも木剣を振るつもりであるようだ。
「おう、たまには、良いかもな」
二人は並んで、田ノ上流の素振りを始める、こうした日には、些か殺伐とした、カディバ一刀流の素振りはそぐわぬだろう。
しばし、無言にて、それぞれの得物を振り続ける二人であったのだが、正面を向いたまま、御用猫は、なんとは無しに、少年に語りかける。
「そろそろ、お前も、十五になるな」
「はい」
短く息を吐き出しながら、リチャード少年が答える。なかなかに、良い音をさせる様になってきただろうか、と、御用猫は、満足気に、真剣を大気に震わせる。
「あては、あるのか? お前ならば、青ドラゴンでも、炎帝騎士団でも、受け入れてくれるだろうが」
ウォルレンやケイン、マイヨハルトに、クロンやビュレッフェも、リチャードならば、喜んで推薦すると、言ってくれているのだ。
流石に、テンプル騎士団とはいくまいが、フィオーレからは、政務官への誘いもあったと聞く。やはり、見る者は、見ているようである。
リチャード少年は、しばし沈黙を守っていたのだが、何かを吹っ切るように、強く、木剣を振り抜くと。
「若先生、僕は、田ノ上道場を継ぎたいと、そう、思うのです」
ぴたり、と剣を止め、御用猫は、ひとつ、息を吐く。
「リチャードよ、その話、親父には、もう、したのか? 」
「いいえ、僕などが、身の程知らずに、そのような想いを口にすれば、最悪、破門もあるでしょう……ですが」
少しだけ俯き、しかし、木剣は強く握り締め、リチャード少年は続ける。
「僕は、大先生の教えを、後代に伝えたいと、そう、思うのです、そして、若先生の留守を、守りたいのです、騎士として身を立てるよりも、今は、それが、僕の、偽らざる願いなのです」
ぐい、と、上げたリチャード少年の顔には、決意と、情熱が満ちていたのだ。
(まったく、どいつもこいつも……どうして、こうも、眩しい顔を作れるものか)
野良猫には、直視できぬ、光であるのだ。
「やれやれ、お前も、物好きな奴だ……田ノ上念流を名乗るなら、今以上に、死ぬほどの稽古が必要だぞ? 」
「それこそ、望むところです、御指導、よろしくお願いします」
こいつめ、と、御用猫は少年の頭をかき混ぜる。彼ならば、この、真っ直ぐな少年にならば、任せても良いだろう、心から、そう、思えるのだ。
「そうだな、まずは、サクラ相手に手加減する、悪い癖から、直してやるか」
びくり、と、リチャード少年は肩を震わせ、御用猫を見上げる。
「う、それは、やはり、女性にきつく当たるのは、どうにも苦手でして……お気付き、でしたか」
「当たり前だ、お前、親父に、さっきの言葉を言ったならば、その瞬間に叩き殺されるぞ? 女だからと手を抜く奴が、田ノ上念流の看板を背負って立つなどと、身の程知らず、どころじゃないからな」
うう、と唸りながら、リチャード少年は手のひらで顔を擦る。どうにも、生来の優しさが、彼の剣筋を鈍らせているのは、間違いない事なのだ。
しかし、御用猫などは、彼のその優しさは、そのままで良いとも思えるのだが。
(親父どのには、そうもいかぬ、だろうな)
田ノ上老が、少年の優しさを矯正しなかったのは、彼がいずれは道場を出て行く身であるから。ただの騎士としてならば、平和な今の世であるならば、それが彼の為になると、そう、考えたからであるのだ。
道場を継ぐ、などと、彼が言い出せば、其れ相応の地獄に叩き込むであろう事は、想像に難くないのである。
いたいけな少年の未来に同情しつつ、御用猫は剣を収める。
とりあえず、今は、腹が減ったと、顔でも洗って、飯にしようと、そう考えたのだが。
「ゴヨウさん! ゴヨウさん! 大変なのです! はやく、はやく! 」
静謐な森の朝を切り裂くような、サクラの悲鳴で、御用猫は、しばし空腹を、忘れる事になるのであった。




