銀盤踝 10
結局、御用猫ら一行に、若族長家でのもてなしが行われたのは、翌日の夜まで待たねばならなかったのだ。
これは、何故か、突然に体調不良となったオーフェンが、夕食の支度さえ出来ぬ状態であったからなのだが、それについて、御用猫が問い詰める事は無かった。
氏族内での結束の固いエルフ族ではあるが、客人のもてなしを、村を挙げて行う、などという事はなく、まずは招いた者が、自宅にて食事を振る舞い、その後、名乗りを上げた家があれば、客人は一晩ごとに、そこへ宿泊せねばならない。
今回はローエ達も希望していた為、泊まり込む順序を違える事になったが、リチャードに張り付くイリヤラインを見て、サクラが機嫌を悪くした事以外には、特に問題もなく一晩を過ごし、今は、オーフェンの作る、キジの香草焼きが食卓を飾っていたのだった。
「ローエさんの所でもそうでしたが、森エルフの方は、男性が料理を担当するのですか? それとも、交代で行うのでしょうか、どちらにしても、素晴らしい事です、ゴヨウさんなんか、料理どころか、お皿洗い、いえ、食器を下げる事さえ面倒がるのです、困ったものです、私が居なければ、二、三日で餓死してしまうかも知れぬのですよ」
「保護者か」
銀メッキのフォークを、指揮棒のように、くるくる、と回しながら、普段の御用猫の、その生活態度を批判する少女であったが、じつは、森エルフの文化に、家事は男女で平等に分担をする、などというものはない。
事実、ウィンドビットは、どこか気まずそうに、視線を宙に彷徨わせ、オーフェンは苦笑するばかりであった。
(まぁ、俺も、たとえ百年生きたとて、家事を覚える気は無いのだがな)
炊事洗濯とて、求められる才能というものがある。例えば、マルティエに荒事が出来ぬように、自分に家事は無理というものだ。出来るものがすれば良いし、そういった事を補い合える相手と暮らせば良い、と御用猫は考えていた。
もちろん、互いに家事をし、互いに働くのも良いだろう、要は相性と、納得の問題なのだ。今も食卓に並ぶ、森エルフにしては手の込んだ仕込みの料理を見るにつけ、オーフェンは家事が得意であるようだし、何より、二人共に、実に幸せそうではないか、これは、似合いの夫婦といって良いであろう。
膝の上のチャムパグンに餌付けしながら、ご馳走を平らげ、クロスロードからの輸入品である、ワインの銀杯を傾ける御用猫には、酒精と共に、温かな気持ちが、胸に満ちてくるのだ。
「ありがとうな、オーフェン、今日は最高のもてなしだった……そうだ、今度、機会があれば、クロスロードに遊びに来ればどうだ? これに負けぬ程のご馳走も用意して待っているから」
「ええ、そうですね、交流特使の話は常にありますし、一度、人間の世界も目にしておきたいと、最近では考える様になってきているのです……ですが」
食器を下げ終わったオーフェンは、何やら、大袈裟な仕草で、辛そうな声と表情を見せるのだ。何事だろうかと、洗い物を手伝うサクラとリチャードも、こちらを振り返る。
「貴方が、この私を、許してくれれば……の、話でしょう、ね」
ぞくり、と、御用猫の背筋が粟立つ、オーフェンの、あの眼、あれは、暗い光を湛えたあの眼は。
(ぬかった、オーフェン、奴め! )
一気に、心の鐘が、警鐘を鳴らす、野良猫の脳に、最大級の危険を報せるのだ。
ともかく、いっときも早く、此処から脱出せねばならないだろう、御用猫は、チャムパグンを放り投げると、椅子を鳴らして立ち上がり、がば、と振り向いた先には。
「おや、これは驚きだね、完全に存在を消して近付いたというのに、ふふ、むしろ、キミに近付き過ぎたのかな? どうやら、ボクたちの、魂の共鳴までは、誤魔化せなかった様だね」
「……オーフェンよ、あぁ、オーフェンよ、この戦いは、泥沼になるぞ、覚悟を決めておけ」
御用猫の前に、滲み出るように現出したのは、森エルフの中でも、特異な存在、黒エルフ。その中でも、更に輪をかけて、規格外の人物であった。
長い黒髪は腰まで届き、その瑞々しさを周囲に振りまくのではないかと思える程であった、森エルフと同じ長い耳に、端正な顔立ち、しかし「彼」は、その中でも特に美しく、絶世の美女、と言われても、全く違和感なく受け入れてしまうであろう。
簡素な貫頭衣に身を包んでいるものの、脇から下の大きく開いたその服は、白くきめ細かなその肌と、全身に描かれた梵字の如き呪い印を、見せつけるように晒しているのだ。
「はわぁ……」
目を見開いて、サクラが溜め息を零す。黒雀を見慣れた彼女ですら、絵本から飛び出してきたような、黒エルフの、いや、彼の神秘的な姿に圧倒されてしまったのだろう。
「なんだい、会って早々に、物騒だね、ボクとしては、まず、平和的に、挨拶が先だろうと、そう、思うのだがね」
くつくつ、と愉しげに笑うと、彼は両手を広げる。
「さぁ、呼んでくれたまえ、勿体ぶる必要もない、これは、魂を揺らす儀式さ、共鳴にて震えたボクの魂を、キミの手で、心象の海原に投げ込んでおくれ」
「お待ちください」
いくらなんでも、身内の前では、と、たじろぐ御用猫の前に、ずい、と進み出たのは、リチャード少年であった。
目の前の黒エルフとは、方向性こそ違えども、遜色のない美しさである。こうして並べてしまえば、まるで、演劇の一幕を切り取ったかのようであり、洗い物をしていたサクラと、そしてウィンドビットまで、肩を並べて両手を口に添えるのだ。
「なんだい、久方ぶりの逢瀬なんだ、邪魔をされるのは、面白く、ないんだけどね」
片方の眉を上げ、それだけで彼は、その不快さを表現する。
「失礼は承知で申し上げますが、黒エルフの口づけは、些か、人間種の常識とは、乖離した文化なのです、お二人が親愛の情を交わすというのであれば、ここは、間を取り、森エルフのしきたりに倣うべきでは、ないでしょうか」
リチャード少年は、まるで、美しさを裏返したかの様な、威圧感にも物怖じせずに、きっぱり、と言い切った。
それにしても、なんと博識な少年であろうかと、御用猫は感心するのだ。彼の知らぬ事であるが、リチャード少年は、サクラやフィオーレ、最近では稽古に来る青ドラゴン騎士や炎帝騎士から、蔵書を借り受け、日々の稽古が終われば、寝るまで読書にふけっているのだ。
元々、貴族学校に在学中の成績は、座学に限定すれば、かなり優秀であったという。リチャード少年は、むしろ、剣術以外、総てにおいて優れているといえるのだ。御用猫が田ノ上道場でなく、どこかの医者か、学者にでも預ければ、いや、たとえ演劇や呪い方面であろうとも、大成したに違いない。
「ふふ、中々に、面白い事を言う子だね、だが、これは、ボクと、彼との決め事なのさ、ボクが、彼と出逢い、そして、ボクの、新たな名を魂に刻まれた時から、その時からの決め事なんだよ、それは、変えることの」
「そういうのは、いいです」
リチャード少年は、御用猫の手を引き、彼と抱き合わせる。そして、はい、おしまい、と、断じると、黒エルフを空いた椅子に座らせ、オーフェンの用意していたワインを差し出す。
銀杯を仲介に手を握ると、二人の視線は激しくぶつかり合い、いったい何の呪いか、その激しさと反比例するかのように、室内の気温は下がってゆくのだ。
「……面白いね、キミは、面白いよ、それに、呪いの素質もあるね、ボクの邪眼に、ここまで耐えられるなんて」
よくよく見れば、笑顔を崩さぬリチャード少年の、しかし、顔色だけが、その色を失っていく。戦いに身を置く者ならば、幻術などから身を守るすべは、学んでいるものであるが、この呪い、生半な剣士では、一瞬にして昏倒してしまう程のものだろう。
「おい、ホノクラちゃん、そこまでだ、おふざけにしては、度が過ぎるだろ」
「んんっ……あぁ、そうだね、でも、悪気は無かったのさ、彼の、才能が、気になってね、ちょっと、試したくなったのさ……リチャード少年、だったかな、許してくれるかい? 」
何処で聞いたものか、それとも、以前に話して聞かせた内容から推測したのか、ホノクラちゃんは、唇に指を乗せ、妖艶とも言える仕草で、首を傾げる。
「いえ、こちらこそ、若先生のご友人に対して、失礼な事を申しました、お許しください」
未だ、少し青褪めたままのリチャード少年であったが、その笑顔には、僅かな色褪せも感じさせぬのだ。
固唾を飲んで見つめていた者達も、ほっと、息を吐き、オーフェンなどは、少しばつの悪そうな顔で、部屋を出ると、秘蔵のワインを新たに一本、持ち出してきたのだ。
「さ、さぁ、仕切り直しとしましょう、猫の先生、これは、先日手に入れた西方のワインですよ、ボルタニアとかいう国の物だそうです」
「そんな物で誤魔化そうなどとは、オーフェンよ、随分と、染まってきたじゃないか……まぁ、仕返しは、後回しにしてやるよ」
笑いながら、御用猫が、自分の杯を掲げると、ホノクラちゃんが、それにかち合わせてきた。
「そうだね、楽しみは、後回しにしておこう、後回しに、ね」
「年単位で、構いませんよ」
再び、にこにこ、と、笑顔を向け会う美形二人の間に、御用猫の膝の間から、にょきり、と、チャムパグンが生えてきた。
「余所でやれ、この男色どもが」
くぴくぴ、と、御用猫のワインを啜り、予想外に渋かったのだろうか、渋面を作るのだが。
向かい会う二人は、しかし、笑顔のままで、あったのだ。




