銀盤踝 13
御用猫の一行は、徒歩にて奥森を進んで行く。
道路の敷設は「ジャガーと翼蛇」氏族の集落までであり、そこから先は、正に、道無き道、樹海の樹々を潜り抜け、獣道を掻き分けながらの行程になるのだ。
天辺を覆う樹々の緑には、しかし、鬱蒼とした印象はなく、どうした訳か、木漏れ日以上の明るさが保たれているのである。
御用猫も、以前、目にした事はあったのだが、これは、祖霊柱の輝きと同じものであり、森の空気自体が、この、仄かな明るさを作り上げているのだ。
何とも、幻想的な光景ではあるのだが、サクラの表情は晴れぬままである。普段ならば、全く、大はしゃぎに、はしゃぐはずであるのに、布で包んだくるぶしを抱え、足元だけを見ながら、無言の進行であった。
(帰りには、サクラも、楽しめれば、良いのだが)
御用猫は、顎をさすると、そのはずみで、ずり落ちるチャムパグンを背負い直す。彼の背中に涎を垂らす、この卑しいエルフは、相変わらず自足歩行を拒みに拒み、こうして、他人の背中に、寝息を立てるばかりなのだ。
とはいえ、首尾よく森の銀を手に入れたならば、この卑しいエルフの力が必須なのだ。森の守り手たる黒エルフにして、傍観者のホノクラちゃんが、自ら世界樹の元まで案内してくれる、と言うのだ。
これは、本来ならば、あり得ない奇跡である、ホノクラちゃんは何も言わぬが、ひょっとすれば、彼自身に、何がしかの罰が下るかも知れぬのだ、このうえ、くるぶしの手術まで頼めるはずもない。
「ホノクラちゃん、よ、本当に、無理はしていないのだな? 」
御用猫は、目の前を滑るように、すいすい、と進む友人に声をかける。
「ふふ、なんだい、心配してくれるのかな? 」
彼は、くるりと向きを変え、器用にも、後ろ向きに滑りながら、御用猫に笑顔を見せるのだ。
「そりゃあ、するだろうさ、俺らのせいで迷惑をかけるんだ、借りが増えるばかりなのだ、心配してそれが減るなら、いくらでもしてやるよ」
「なんだい、それは、でも、そうだね、君の心遣いは甘露ではあるけれど、今回は、もう少しだけ、欲張らせて貰おうかな? まぁ、期待してくれたまえよ」
彼は、愉しそうに、くるくる、と、回りながら移動する。御用猫に経験はないのだが、冬の湖面を滑る遊びは、あの様な動きであったな、と、記憶の中から、映像を拾い上げる。
それは、待ち受ける未来からの逃避、全くの逃避であった。
「若先生、そろそろ休憩にしましょう、この調子では、サクラが持ちません」
背後から、リチャード少年の声が聞こえてくる、振り返れば、後続との距離が、少し離れてしまっていた。
御用猫は、未だ冷静さを欠く己を叱咤する。チャムパグンを背負っているとはいえ、そこは野良猫の健脚である、野道に慣れぬ少女には、些か厳しいものであったのだ。
「そうだな、ひと息入れるか、ローエ、水の用意を頼めるか」
「ゴヨウさん、私ならば、平気です、それより、早く行かないと」
気丈に振る舞うサクラであったが、その息は荒く、疲労の色は隠せない様子である、既に、荷物と、自慢の打刀まで、リチャードに預けているのだ。
「まぁ、そう言うな、俺もこんな荷物を抱えてるんだ、休憩くらいは、させてくれ」
何事か言いかけたサクラであったが、御用猫が先を打って座り込むと、不承不承、その隣に腰を下ろすのだが、ローエに渡された水袋は、瞬く間に、喉を鳴らして飲み干してしまった。
立場上、軽々しく集落から動けぬ代わりにと、オーフェンが、ローエとイリヤラインを付けてくれたのだ。総勢七人と一匹の集団は、奥森の中心地「聖地」と呼ばれる場所を目指している。
人間がエルフの聖地を訪れた事は、有史以来、数える程しかないというが、伝説だけは、数多く残されていた。お伽話で有名な、勇者ロクフェイトの聖剣も、エルフの聖地で、女神から譲り受けたとされている。
そんな事を考えなら、膝の上に移動させた、チャムパグンの腹を揉みしだき、御用猫は、くるぶしの様子を伺う。卑しいエルフの呪いで、仮死状態、というか、冬眠に近い状態にしてあるらしいのだが、白布に包まれ、サクラの胸に抱かれた顔は、随分と、安らいでいるように見える。
むしろ、サクラの方が問題であろうか、一丁前に、母性本能が刺激されでもしたのか、くるぶしを抱え、ひと時たりとも、離そうとしない。
何やら、子連れの野生動物の様に、ぴりぴり、と、険のある視線にて周囲を見渡し、威嚇するのだ。
「リチャード、そっちは、任せるぞ、色々とな」
「はい、お任せ下さい、若先生」
随分と曖昧な指示であったが、この少年は正しく理解している事だろう、御用猫は、チャムパグンから水を搾り出すと、それを一息に呷る。
「ホノクラちゃんよ、聖地までは、あと何日くらいかね」
「そうだね、急げば、徒歩で四、五日だけれど……もっと、早い方が、良いのだろう? 」
目を細めて、くつくつ、と笑うホノクラちゃんが、胸元から小さな角笛を取り出した。革紐で下げられたそれを、彼は吹き鳴らす素振りを見せるのだが、皆には、何も音は聞こえない、犬笛の様なものであろうか。
ただ、ローエとイリヤラインが、青い顔を見せた為に、御用猫は、彼が、何か良からぬものを呼び寄せたのだと察するのだ。
「そうだね、もう、休憩は終わりにしようか、しばらくは、歩く事もないだろうしね……ボクの使い魔を紹介するよ、快適な、空の旅へ、ようこそ」
甲高い鳴き声と、冗談の様な羽音を聞きながら、御用猫は、こめかみを揉みほぐすのだが、しかし、心の内に、乙女の様に、高まる期待を、抑える事は出来なかったのだ。




