第6話
宿泊客の送迎を担当する都合上、柊輝は他のスタッフよりも少し早めに、旅館併設のカフェスペースで昼食をとっていた。
静かな店内で1人、パスタを口に運んでいると、厨房の仕事を一段落させた雪花がやってきて、向かいの席に腰を下ろした。
「お疲れ、シュウ君」
「お疲れ様です、雪花さん」
カフェのキッチンからは、香ばしいコーヒーのにおいが漂っていた。青磁が好む銘柄の香りだ。事務仕事に追われている彼のために、さっき淹れてきたのだろう。雪花は青磁が好む豆の焙煎度合いや、“朝は砂糖とミルクを入れるが、仕事中は眠気覚ましにブラックにする”といった細かいルーティンまで、まるで自分のことのように完璧に把握していた。
「あの人はこだわりが強いから、私がこうして管理してあげないとダメなんだよね……何ていうか、あの事故のあった5年前の夏から、あの人のそういう変わらないところも、アタシがずっと近くで見て支えてきたんだから」
そう言って微笑む彼女の瞳の奥は、どこか笑っていなかった。だが、すぐに「なーんてね、おせっかいか!」と、いつもの朗らかな笑い声で誤魔化してしまう。
雪花は冷たいアイスティーを一口飲むと、ため息交じりにぽつりと呟いた。
「それにしても……あのロコちゃんのことだけどさ。素性の知れないあんな女の子を、あんなに簡単に住み込みで雇うなんて、羽田先輩もお人好しすぎるよね」
心配しているのか呆れているのか分からない口調だった。柊輝はフォークを動かす手を止め、彼女をじっと見つめる。
「もしかして雪花さん……ロコが嫌いなんですか?」
「嫌いっていうかさぁ……」
雪花は少し言いにくそうに視線を泳がせ、アイスティーのグラスを指先でなぞった。
「あの子、なんだかんだで人懐っこいし可愛いじゃない? もし万が一、あの子が羽田先輩のことを本気で好きになったりしたら……どうしようかなって思ってさ」
(悪魔が人間のお兄ちゃんに恋をするわけないだろ……)
それを聞いた柊輝は、心の中で呆れつつも、冷静に言い返した。
「お兄ちゃんは小春さん一筋ですし、今更他の女性になびくわけないじゃないですか。心配しすぎですよ」
しかし、雪花はむっとしたように眉を寄せ、青磁のスペックを指折り数えながらまくし立てた。
「わかってないなぁ、羽田先輩の良さを! 32歳になっても高身長でスタイル良くてイケメンだし、一流大学を出て頭もいい。おまけに心優しくて誠実で、いつだって清潔感がある。カフェの女性客からだってしょっちゅう言い寄られてるんだからね! それに……亡くなった奥さんを一途に想い続けて、それ以外の女性に見向きもしないっていう一途さが、逆に女心をくずぐって余計に魅力を増してるんだから! ……って、なんで私、こんなに必死になってるんだろ」
熱っぽく語る雪花の様子を見て、柊輝の頭にふと悪戯な思いつきが浮かんだ。彼は口元に笑みを浮かべ、クスリと漏らす。
「――もしかして雪花さん、お兄ちゃんのことが好きなんですか?」
「!」
図星を突かれた雪花は盛大にむせ返り、顔を耳の付け根まで真っ赤に染め上げた。慌てて両手で顔を覆い、バッと俯く。
「なっ、なに言って……! 馬鹿じゃないの……!?」
「図星みたいですね」
「……いじわる」
顔を真っ赤にしたまま小さな声で抗議する雪花に、柊輝は静かに微笑んだ。先日のミーティングの際、自分の恋愛事情を根掘り葉掘り突っつかれたことへの、ささやかな反撃だった。
雪花は悔しそうに唇を尖らせながらも、それ以上は何も言い返してこなかった。
***
翌日から合宿で、民宿の敷地内にある体育館を使用する別のサークルがやってくる。そのため、柊輝とメロシェには午後の時間を使って、体育館の大掃除が割り当てられていた。
2人で体育館の薄暗い倉庫の片付けを進めていく。作業の手を動かしながら、柊輝はふと、これまで気になっていた疑問を口にした。
「なあ、メロシェ。……金さえ積めば、人間のどんな願いでも本当に叶えられるのか?」
「ん? どうしたの、急に」
「例えばさ……メロシェにたくさんのお金を払ったら――うちのお兄ちゃんと雪花さんを無理やりでもくっつけることだってできるのか?」
何気なく投げかけたその言葉に、メロシェはパッと手を止め、ぴくりと眉をひそめた。そして、信じられないものを見るような鋭い視線を柊輝に向けた。
「……は? なにそれ」
「あ、いや、なんとなく……」
「ふざけないでよ!」
突然怒り出したメロシェの剣幕に、柊輝はぎょっとして息を呑んだ。
「ここにきてからまだ少ししか経ってない私が見たってわかるよ。あのオーナーさんは、心から奥さんの小春さんを愛しているって。だって毎日毎日、仏壇に紅茶をお供えして、コーヒーを飲みながらお話してるの見たもん!」
図星だった。朝、青磁は小春が好きだった紅茶を入れてお供えし、仏壇の前で朝食を食べるのが日課なのだ。メロシェは朝の仕事分の小遣いをもらいに来た時に見かけたのだろう。彼女は悪魔と名乗りながらも、誰よりも人の心に敏感だった。
「なのに……たとえどれだけのお金を積まれたって、人の気持ちを無視して2人の仲を引き裂いたり、無理やり誰かを好きにさせようなんて、そんな横暴が許されるわけないでしょ!」
正論を突きつけられ、柊輝は面食らったように言葉を失った。悪魔である彼女から、そんな真っ当な言葉を返されるとは思っていなかったからだ。
「……す、すまない。つい、出来心で……」
感情に任せて怒鳴ってしまったメロシェも、はっと息を呑み、気まずそうに目を伏せた。
「……ううん、私も少し言いすぎた。ごめんね」
そして、どこか冷徹な悪魔の矜持のようなものを滲ませて、静かに付け加えた。
「私達の中にもね、絶対に叶えてはいけない“禁じられた願い”のルールがあるの。その中の一つが、“人の心や運命を、無理やり強引に変えてしまうこと”。そんなことしたら、歪んだエネルギーが跳ね返ってきて、もっと不幸なことになっちゃう。……だから、絶対にやらないよ」
悪魔なりの誠実さを見せられ、柊輝は気まずそうに頭を掻いた。
「……わかったよ。変なこと聞いて悪かったな」
「うん、わかってくれればいいの!」
トゲが消え、いつもの穏やかな空気が戻ると、柊輝は気を取り直すようにふっと息をついた。
「けど悪魔って結構ルールが多いんだな」
「そうだね。私が500円をもらって願いを1つ叶えてるのも最近決まったルールの一つだしね。……最近といっても、人間でいうと300年くらい前らしいけど」
その後2人は黙って黙々と作業を進める。やがて柊輝の方が口を開いた。
「あのさ、さっき変なこと言ったお詫びと言っちゃなんだけど……。明日、民宿の近くにある農園で桃狩りがあるんだ。サークルのレクリエーションの一環で、宿泊客をそこに連れて行くことになってる。お前も手伝いを兼ねて、一緒に行かないか?」
「もも……って何?」
首をかしげるメロシェに、柊輝は説明する。
「甘くてみずみずしくて、すごく美味しい果物だよ」
聞いたこともない“桃”という食べ物の響きに、メロシェはターコイズブルーの瞳をパァッと輝かせた。
「ほんと? 美味しいものなんだね!」
「ああ、間違いないな」
ようやくいつもの無邪気な笑顔に戻ったメロシェを見て、柊輝も少しだけ胸のつかえが下りるのを感じた。
「それじゃ、今日の倉庫の片付けはここまでにするか。あ、そうそう、さっき干したリネン、そろそろ乾いた頃だから取り込んでおいてくれよ」
柊輝がそう言いながら、労いの意味を込めてポケットから500円玉を1枚取り出してひらりと差し出すと、メロシェは嬉しそうにそれをがま口財布にしまい込んだ。
「わかった! 水分補給もしっかりしながら働くよ。それじゃ、行ってきまーす!」
元気よく返事をすると、メロシェは小走りで倉庫を出て行った。その背中を見送りながら、柊輝はふと心の中で呟く。
(もし自分に妹がいたら、こんな風に感じるものなのだろうか)
複雑な過去と秘密を抱えながらも、青春荘に溶け込んでいく不思議な少女の背中に、柊輝はどこか温かいものを感じていた。




