第4話:真鍮の鈴と、雨の日の決着
激しい雨粒が客車の連結面を打ち付ける中、神山蒼生は不敵な笑みを崩さぬまま、黒い和服を纏った老人の足元へと視線を落とした。
「ほう、これは見事なものだね」
蒼生の言葉に、老人はわずかに眉をひそめたが、動揺した様子は見せない。
若い男はガタガタと震えながら、血走った目で蒼生と老人を見比べていた。
「な、なんだお前は……! この老人は、俺を殺しに……!」
「落ち着きたまえ、若造」
蒼生はインバネスコートのポケットから手を抜き、老人の足元を軽く指し示した。
「この老人――いや、元・鉄道敷設技師の御厨みくりやさん。あなたがこの雨の日にこの男の前に現れたのは、ただ復讐のためじゃない。違うかな?」
老人の目が、初めてわずかに鋭く光った。
その心の内を、背後で息を潜めていた蓮の耳が正確に拾い上げる。
(――この若造が、私の設計図面と金庫の鍵を盗み、あまつさえ部下である私の息子を崖から突き落とした……。法が裁かぬなら、私がこの手で引導を渡すまでだ……)
蓮は、老人の心に渦巻く激しい怒りと深い悲しみの澱みに、胸が締め付けられるような痛みを覚えた。
しかし、蒼生はそんな重苦しい空気を切り裂くように、軽やかに言葉を続けた。
「君の息子さんの無念は察するに余る。だがね、御厨さん。人を殺めるために東海道線を使うのは、いささか趣味が悪い。それに――」
蒼生は、老人が手に持っていたトランクに目をやった。
「そのトランクの底からわずかに漏れている『水滴』の仕組み。雨漏りではない。あなたが仕掛けた、水時計のトリックだ」
「なっ……!」と若い男が声を漏らす。
蒼生は鮮やかな手つきで説明を続ける。
「この老人はね、雨の日の湿気と気圧を利用して、トランクの中に仕込んだ特殊な薬品と水滴の反応で、一定時間ごとに音を鳴らす仕掛けを作っていたのさ。あたかも『天罰の鐘』が鳴るかのように錯覚させるための心理トリックだ」
老人は深く息をつき、静かに首を横に振った。
「……さすがは噂の探偵だな。この男が私の息子を死に追いやった証拠の品は、すべてこのトランクの中にある。だが、警察に突き出しても、どうせ上の連中に揉み消される。だから私は……」
「その必要はないよ」
蒼生は懐から、先ほど車内で押収された書類の束をヒラヒラと取り出した。
「京都を発ったときから、この東海道線のあちこちに仕掛けられた『不正の証拠』は、私の優秀な秘書と私で、すでにしかるべき当局へ電報で手配済みだ。この男の罪も、あなたの息子の無念も、すべて明るみに出るようになっている」
老人は驚いたように目を見張り、そして力なくその場に崩れ落ちるように膝をついた。
若い男は絶望のあまり、その場で泣き崩れた。
やがて、雨が少しずつ小降りになり、汽車は美濃の山間部を抜けて、名古屋へと近づいていく。
騒動が収まった二等客車の席に戻ると、蓮は窓の外を流れる雨上がりの景色をぼんやりと眺めていた。
心のノイズが静まり、頭痛もようやく和らいでいる。
「お疲れ、蓮。また一つ、厄介な事件を解決してしまったね」
蒼生が温かいお茶の入ったコップを差し出しながら、柔らかな笑みを向けた。
蓮はコップを受け取り、その温かさにほっと息を吐き出す。
「……神山さん。あの老人の心にあったのは、深い悲しみと怒りでした。人の罪を暴くことは、本当に救いになるのでしょうか」
蓮の切なげな問いに、蒼生は少しだけ真面目な顔になり、窓の外の遠く広がる空を見上げた。
「さあな。だが、少なくとも――君が誰かの心の痛みに気づき、私がその真相を暴くことで、闇の中に放置されるはずだった真実が光の当たる場所へ引っ張り出される。それだけは確かだ」
蒼生の言葉に、蓮はわずかにうなずき、かすかに微笑んだ。
東海道線――京都発、東京行の迷宮列車。
二人の旅は、名古屋、そしてさらにその先の険しい箱根へと、確実に歩みを進めていく。
(※本作に登場する組織、事件、機密文書、およびスパイ工作に関する描写はすべてフィクションであり、実際の歴史上の出来事や実在の人物・団体とは一切関係ありません)




