第15話:湯煙の朝と、新たな旅立ちの気配
平塚の温泉旅館を揺るがした夜半の襲撃劇から一夜が明け、相模の国に清々しい朝の光が差し込んでいた。
昨夜の騒動が嘘のように、旅館の広間にはやわらかな朝日が射し込み、庭の木々に降りた露がきらきらと輝いている。窓を少し開けると、湿った土の香りと混じり合って、朝一番の澄んだ潮風が心地よく部屋の中を吹き抜けた。
「ふう……昨夜の unwelcome guest(招かれざる客)たちには少し驚かされたけれど、この温泉の効用で肩の凝りもすっかり解消されたね」
蒼生は浴衣の裾を整えながら縁側に腰掛け、湯上がりの温かいお茶をゆっくりとすすった。その顔には、長旅の疲れの色は微塵もなく、むしろ難解なパズルに挑む前の少年のように楽しげな光が宿っている。
隣に座る蓮もまた、朝の静けさの中で深く息を吸い込み、ふっと穏やかな笑みを浮かべていた。
「そうですね……。昨夜は一瞬どうなることかと思いましたが、あの男たちの記憶からテロ計画の全貌も掴めましたし、何よりこの温泉のおかげで、頭の奥でざわついていたノイズもすっかり落ち着きました」
「おや、それは頼もしい。昨夜の襲撃で『黄昏』の連中も、私たちがそう簡単に片付けられる相手ではないと痛感したはずさ。だが、油断は禁物だ。いよいよ今日、私たちの東海道線の旅は終着点――東京へとたどり着く」
蒼生は懐から真鍮の時計を取り出し、パチンと気持のいい音を立てて蓋を開けた。正確な時を刻む針の音が、静かな朝の空気に小さく響く。
「東京では、あの組織の首謀者たちが私たちを待ち構えているでしょうね」蓮が少しだけ真剣な眼差しで問いかけると、蒼生は力強く頷いた。
「ああ、もちろんさ。だが、京都を出発し、名古屋の設計図、浜松の物資リスト、箱根の密室、小田原から平塚へと続く一連の試練を乗り越えた私たちだ。どんな罠が待ち受けていようと、すべての謎を鮮やかに解き明かして見せるとしよう」
旅館の女将が、朝の挨拶とともに素朴で温かい朝食を運んできた。湯気の立つ白米と焼き魚、地元の漬物に舌鼓を打ちながら、二人はつかの間の穏やかな朝食の時間を楽しむ。
やがて、出発の時間が近づき、木造の旅館の玄関前には旅支度を調えた二人の姿があった。
平塚の駅へと向かう足取りは軽く、駿河の山々を背負いながら、ふたりは再び東京へ向かう列車へと乗り込むべく歩き出す。
迷宮の旅はいよいよ最終幕――東京での決戦へ向けて、汽罐車が再び力強い汽笛を鳴らし響かせるのだった。
(※本作に登場する組織、事件、機密文書、およびスパイ工作に関する描写はすべてフィクションであり、実際の歴史上の出来事や実在の人物・団体とは一切関係ありません)




