第14話:平塚の夜宿、湯煙に潜む影
小田原を過ぎ、相模平野から駿河の国へと差し掛かるころ、空はすっかり濃紺の夜の帳に包まれていた。
東海道線の窓の外は漆黒の闇が広がり、遠くに見える海原の波音だけが、ガタゴトと響く車輪の音に混じって低くこだましている。
「……ふう。東京へ急ぐのも大切だが、これ以上夜通し列車に揺られていては、私の頭脳が先に音を上げてしまいそうだね」
蒼生は懐から真鍮の時計を取り出し、パチンと蓋を閉めながら、やれやれといった様子で肩をすくめた。
蓮もまた、ここまでの長い道中で浴び続けてきた膨大な人々の「心のノイズ」と緊張感で、心身ともに心地よい疲労感を覚えていた。
「そうですね……。それに、あの『黄昏』の組織が次の仕掛けを企てているなら、一度体制を立て直す必要もあります」ここからつながるようにつくって
「二人は次の停車駅である平塚の地で列車を降り、駅の近くにある歴史ある温泉旅館へと宿をとることにした。
――夜の帳が完全に下りた頃。
木造の温もりが心地よい旅館の一室には、旅の疲れを癒やす温泉の豊かな湯煙がふわりと立ち込めていた。畳の上に用意された素朴な夕膳をつつきながら、二人はこれまでの謎を静かに整理し合う。
「名古屋の設計図、浜松の物資リスト、箱根の密室毒殺、小田原から平塚へと続く一連の工作……すべてが東京という一点へ向けて収束している」
蒼生は温かいお茶を一口すすり、鋭い瞳を夜の庭木に向けた。
「はい。ですが神山さん……今夜は、この旅館の中にも、あの組織の影が忍び込んでいるような気がします。さっきから、建物の隅でかすかに『探るような』心音が聞こえるのです」
蓮がこめかみに手を当てて微かに身を強ばらせると、蒼生はふっと不敵な笑みを浮かべた。
「おや、それはご丁寧に宿まで宿直の挨拶に来てくれたというわけかい。温泉の邪魔をされるのは癪だが、向こうから転がり込んできた謎なら、喜んで迎えてやろうじゃないか」
湯煙の向こうの夜の闇で、静かに次の嵐の足音が近づいていた。
京都を発ち、名古屋、浜松、箱根、小田原、平塚、そして旅路の宿へと至る迷宮の旅は、一晩の静けさを挟んで、いよいよクライマックスの東京へと突入しようとしていた。」
(※本作に登場する組織、事件、機密文書、およびスパイ工作に関する描写はすべてフィクションであり、実際の歴史上の出来事や実在の人物・団体とは一切関係ありません)




