第13話:小田原の喧噪と、忍び寄る罠
(※本作に登場する組織、事件、機密文書、およびスパイ工作に関する描写はすべてフィクションであり、実際の歴史上の出来事や実在の人物・団体とは一切関係ありません)
箱根の険しい山岳区間を越えた東海道線の蒸気機関車は、急勾配を下りきり、相模湾の潮風がほのかに香る小田原ステーションへと滑り込んだ。
ガタゴトと重い車体がホームの脇で静かに息を整えると、それまで張り詰めていた車内の空気に、わずかな緩みが戻ってきた。乗降客のざわめきや、名物の駅弁や蜜柑を売り歩く売り子たちの威勢のいい声が、開いた窓から一斉に飛び込んでくる。
「……ふう。箱根の山越えは、機関車にとっても私たちにとっても、なかなかにハードな洗礼だったね」
蒼生はインバネスコートのボタンを軽く外し、伸びをするように肩を回した。
その手元には、先ほど箱根の密室で手に入った機密書類の束が、無造作に革のトランクに収められている。東京の組織「黄昏」からの不気味な警告状も、蒼生にとっては格好の挑発材料でしかないようだった。
隣に座る蓮は、少し開けた窓から外の景色を眺めながら、こめかみをそっと指先で押さえていた。
箱根を越えてからというもの、すれ違う人々の心の声が急に複雑さを増し、様々な思惑が入り乱れるノイズとなって脳裏を叩いていたからだ。
(――おい、小田原で例の荷物を別の者に引き渡す手筈はどうなっている……?)
(――探偵たちが乗っている車両に近づくな。計画通り、次の平塚あたりで……)
蓮はハッと息を呑み、蒼生の袖をそっと引っ張った。
「神山さん……小田原のホームにいる人々の中に、また混じっています。私たちを監視し、次の仕掛けを企てている者たちの声が……」
蒼生はふっと不敵な笑みを浮かべ、懐から真鍮の時計を取り出してカチリと蓋を開閉した。
「ほう? 東京に近づけば近づくほど、向こうから尻尾を振って近づいてくるとはね。歓迎の準備が良すぎて感心してしまうよ」
蒼生がそう呟いたその時、小田原のプラットホームの端で、一人の見慣れない男が大きな木箱を抱えて慌ただしく別の客車へと乗り込もうとしているのが目に留まった。
男の身なりは一見すると普通の旅人のようだが、その立ち居振る舞いや周囲を必要以上に警戒する視線は、あきらかに尋常ではない。
「……あの男の心の中、ものすごい焦りと『時限』に関する計算で埋め尽くされています。神山さん、あれは……!」
「ああ、間違いない。名古屋や浜松で見せたのと同じ、組織の『中継工作』の続きさ。小田原から東京へ至るこの最終区間で、連中は最後の一手を打つつもりらしい」
汽罐車が重々しい汽笛を鳴らし、小田原ステーションからの出発を告げる鐘がカンカンと響き渡る。
東京まであと一息。迷宮列車は相模平野を駆け抜けるべく、再び鋭い加速を開始した。




