第12話:箱根の峠と、開かれたパンドラの箱
東海道線の蒸気機関車は、箱根の険しい山岳区間を越えるため、車体を激しく震わせながら急勾配を喘ぐように登っていた。ボイラーがうなりを上げ、重厚な鉄輪がレールを噛みしめる音が、車内にいるすべての乗客の緊張感をいやがうえにも高めている。
一等車の個室で起きた密室毒殺事件の衝撃は、まだ冷めやらぬまま車内に重苦しい澱みとして残っていた。被害者の男が握りしめていた「黄昏」の銀貨は、蒼生のポケットの中で冷たく重みを発している。
「……見事なものだな、蓮」
窓の外に広がる、深い霧に閉ざされた山肌を眺めながら、蒼生はポツリと呟いた。
「密室の中で確実に標的を葬り去り、さらに被害者の記憶まで心理誘導で書き換えておく。東京の組織は、私たちが思っている以上に深く、そして暗いところに根を張っているらしい」
蓮はこめかみを指で押さえ、痛む頭をなだめながら小さく頷いた。
「はい……。あのとき、客室の近くを通り過ぎた乗客たちの心には、怯えだけでなく、どこかこの事件の結末を知っているかのような『冷ややかな嘲笑』が混じっていました。この列車の中に、まだ犯人が潜んでいます」
蒼生は懐から真鍮の時計を取り出し、いつものようにパチンと軽やかな音を立てて蓋を開けた。
「いいだろう。隠れん坊の時間はここまでだ。東京に到着する前に、このパンドラの箱を完全に開けてみせるとしよう」
蒼生はそう言うと、先ほどの毒殺現場に残されていた被害者の革トランクを躊躇なく引き寄せた。特殊な錠前で厳重にロックされているそのトランクこそ、組織が何としても隠したかった最大の秘密が詰まっているに違いなかった。
「神山さん、その鍵は確か……」
「ああ、心配いらない。あの男のポケットには銀貨だけでなく、もう一つ興味深いものが残されていたからね」
蒼生がスッと取り出したのは、微細な歯車が刻まれた特製の合鍵だった。それをカチリと錠前に差し込むと、重い音がしてトランクの蓋がゆっくりと跳ね上がった。
中から現れたのは、国家のインフラ計画全図と、明治政府の要人たちのスキャンダルを記した膨大な機密書類の束だった。その一番上に置かれていたのは、宛先のない一枚の不気味な警告状だった。
――『終点・東京に至るまでに真相にたどり着く者あらば、列車ごと闇に沈める』
不敵な笑みを浮かべたまま、蒼生はその警告状を指先でヒラリと翻した。
「物騒な歓迎の挨拶じゃないか。だが、残念ながら私の辞書に『引き返す』という文字はないらしい。――さあ、箱根の峠を越えれば、次は小田原、そしていよいよ首都・東京だ」
迷宮列車はさらにスピードを上げ、霧深き山頂を突破して、関東平野へと続く新たな運命の直線路へとなだれ込んでいく。
(※本作に登場する組織、事件、機密文書、およびスパイ工作に関する描写はすべてフィクションであり、実際の歴史上の出来事や実在の人物・団体とは一切関係ありません)




