第11話:密室の毒殺と、煙に巻かれた真実
第11話:密室の毒殺と、煙に巻かれた真実
東海道線の蒸気機関車が、いよいよ箱根の険しい山々を縫うように力強く登り始めるころ、一等車の上等な個室が並ぶ一角で、突如としてただならぬ不穏なざわめきが起こった。
「大変だ! 誰かいないか! 客室の中で、お客様が突然苦しみ出して――!」
青ざめた顔をした車掌の切迫した叫び声が、ガタゴトと響く車内にこだました。その声を聞きつけるやいなや、蓮と蒼生は一瞬の迷いもなく、問題の車両へと一目散に駆けつけた。
豪華なビロードのカーテンやマホガニー調の内装で飾られた個室座席のなかで、一人の身なりのいい男がぐったりとテーブルに顔を突っ伏している。その硬直した右手には、半分ほど琥珀色の液体が残されたガラスのグラスがしっかりと握りしめられていた。
蒼生は素早くその場に膝をつき、男の首筋に指をあてて脈をとり、まぶたの裏を慎重に確認するが……すぐに表情を曇らせて首を振った。すでに手遅れだった。男の呼吸は完全に停止し、その顔面は青白く、ところどころ変色している。
「……毒殺だね。それも、呼吸中枢を瞬時に麻痺させる、極めて即効性の強い神経性の劇薬だ」
蒼生は冷静に周囲を観察しながら、スッと立ち上がった。個室の重厚な扉や窓はどれも内側からしっかりと施錠されており、外から容易に出入りできるような形跡は一切ない。外界から完全に切り離された、まさに典型的な「密室」での犯行だった。
「神山さん、この方の心の中に……!」
蓮は亡くなった男の頭の近くにそっと手をかざし、その冷たくなりかけた脳裏に残された、死の直前のわずかな「思考の残響」を必死にたぐり寄せようとした。しかし、彼女の脳裏に飛び込んできたのは、毒を盛られた瞬間の激しい苦しみと恐怖、そして――奇妙な空白だった。
「だめです……! 犯人の顔や声、名前の記憶が、まるで霧に包まれたようにすっぽりと塗りつぶされていて、何も読み取れません。相手は、毒を盛った直後に巧みに強い暗示をかけたか、あるいは……」
「あるいは、私たちと同じように『人の心を読む者』、あるいはそれに類する心理誘導のプロフェッショナルというわけか。自分の正体が露見しないよう、あらかじめ被害者の記憶の核心をブロックしていたのさ」
蒼生は険しい眉をひそめながら、亡くなった被害者の上着のポケットに手を差し入れた。そこで彼が指先で見つけたのは、冷たく鈍い光を放つ、見慣れない奇妙な紋章が刻まれた一枚の銀の硬貨だった。
それは、東京の裏社会で暗躍する謎の巨大スパイ組織「黄昏」の記章にほかならなかった。
「死人に口なし、そして犯人は完全に煙の中というわけか。だがね、蓮……。完全犯罪なんてものは、この東海道線のレールの上には存在しないのさ。どんなに巧妙に隠そうとも、必ずどこかに綻びが生じる」
車窓の外では、箱根の山岳地帯特容のどんよりとした濃い霧が、まるでこの列車が運ぶ秘密をすべて闇に隠そうとするかのように、客車の窓ガラスを白く覆い始めていた。
謎と危険がさらに色濃く、そして冷たく二人格を包み込む中、迷宮列車はついに終着点・東京へと向かう最後の急勾配を、重い車体をきしませながら駆け上がっていく――。
※本作に登場する組織、事件、機密文書、およびスパイ工作に関する描写はすべてフィクションであり、実際の歴史上の出来事や実在の人物・団体とは一切関係ありません)




