表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
徹夜続きのゲーム開発者、気づいたら自分が作ったはずの文明調律RPGに転移していました 第三部  作者: マスター


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/11

第28話 水車は、森を忘れて回っていた

第28話です。


第27話では、尾根の残存林に広がっていた《黒色菌糸》の正体が明らかになりました。


黒い菌糸は、単純に森を殺す病気ではありませんでした。


木が伐られ、根が死に、落ち葉が減り、生きた根のつながりが失われた結果、菌糸網が死んだ根や有機物を抱えきれなくなっていたのです。


澪たちは、倒木、落ち葉、苔、生きた土、霧背鹿が降ろした水を使い、《菌糸橋》を作りました。


これによって、黒い菌糸の過負荷は少し下がり、残存林は一時的に安定します。


しかし、森の中心には、さらに大きな問題が残っていました。


かつて尾根に立っていたという《雲見の母樹》。


その木は昔に伐られ、村の大水車の中心軸として使われていました。


そして、その根はまだ四パーセントだけ生きていました。


霧背鹿は、その母樹根系と同期しています。


母樹が完全に枯れれば、霧を保持する力も失われます。


今回は、村の象徴である大水車と、伐られた母樹の残響へ向かいます。

ルオム山麓村の大水車は、村の中心にあった。


乾いた川の横。


石組みの水路の先。


大きな木枠に囲まれた巨大な車輪が、斜めに傾いたまま止まっている。


羽根板の半分は割れ、軸受けには古い油と泥が固まり、車輪の下には枯れ葉と砂が溜まっていた。


それでも、その存在感は圧倒的だった。


家より高い。


村のどこからでも見える。


まるで、動かなくなってもなお、村を見下ろしている古い守り神のようだった。


「これが、大水車……」


神代澪は、見上げながら呟いた。


隣でライカが首を反らせる。


「でかっ。これ、本当に木でできてるの?」


「中心軸だけ、特別な木だ」


カイムが低い声で言った。


彼は泥を落としきれないまま、弓を背負って立っている。


顔には、まだ怒りも戸惑いも残っていた。


けれど、昨日までのような一直線の敵意ではない。


自分の知らなかった山の記憶を、目の前で見せられた者の顔だった。


「雲見の母樹」


澪は、その名を口にする。


カイムの肩がわずかに揺れた。


村長エルワンが、ゆっくりと頷く。


「伝承では、尾根で最も古い木だった。雲がかかると、その枝から水滴が落ち、村の源流を太らせたという」


「それを伐った」


フィリアが静かに言った。


責めるような声ではない。


けれど、事実は重い。


エルワンは目を伏せた。


「百年以上前のことだ。村が大きくなり、水車を必要とした。粉を挽き、木を切り、灌漑水を分けるために」


ミルカが水車の軸を見上げる。


「普通の木じゃ、この大きさの軸には耐えない。硬くて、粘りがあって、長く腐らない木が必要だったんだね」


「母樹が選ばれた」


エルワンは言った。


「当時は、森の力を村へ分けてもらう儀式だったと伝わっている」


「分けてもらう、か」


澪は水車を見る。


森から村へ。


山から生活へ。


木から道具へ。


自然を利用すること自体が、間違いとは限らない。


けれど、分けてもらうはずだったものが、いつの間にか奪うだけになっていたなら。


その代償は、いま目の前にある。


調律核が淡く光る。


《雲見の母樹心材:検出》


《設置位置:ルオム大水車中心軸》


《根系残存反応:4%》


《霧背鹿同期率:低下中》


《母樹根系枯死予測:二十五時間四十二分》


「残り二十五時間」


澪が呟く。


「短くなってる」


ライカの耳が下がる。


「どうする? 水車を壊して、森に戻す?」


その言葉に、周囲の村人たちがざわついた。


水車を壊す。


それは単なる修理方針ではない。


村の象徴を壊すという意味だった。


老人の一人が声を上げる。


「大水車は、村の誇りだ!」


別の男も続く。


「これで粉を挽き、木を切り、畑へ水を送ってきた!」


「森がなくなったからといって、水車まで奪うのか!」


ざわめきが怒りへ変わりかける。


澪はすぐに首を横に振った。


「壊すとは言っていません」


「だが、今その獣人の娘が」


「ライカは思いついたことを口に出しただけです」


「ミオ、ひどくない?」


「事実だよ」


「うん、まあそうだけど」


少しだけ場の空気が緩む。


しかし、緊張は消えない。


カイムは水車を見上げたまま、拳を握っていた。


「壊すなら、俺は反対する」


「なぜ?」


澪が尋ねる。


「父が守ろうとしていた」


「水車を?」


「山も、水車もだ」


カイムの声は掠れていた。


「父は言っていた。水車は森を殺した罪ではない。水車が森を忘れて回ったことが罪だ、と」


澪はその言葉を胸の中で反芻した。


水車が森を忘れて回った。


「お父さんの記録はありますか」


カイムは少し迷い、やがて頷いた。


「家にある。山番の古い帳面だ」


「見せてください」


「今すぐ?」


「今すぐ」


カイムは苦い顔をした。


「主調律者は、遠慮というものを知らないのか」


「時間制限があるので」


「それは、そうか」


カイムは踵を返した。


「来い」


***


カイムの家は、村の上手にあった。


壁には弓と古い山道具。


棚には木片、種の袋、古い地図。


そして机の奥には、革紐で束ねられた帳面がいくつも置かれていた。


カイムはその中から、一冊を取り出した。


表紙には、かすれた文字がある。


《山番記録 第七十二年》


「父の字だ」


カイムは帳面を開いた。


紙は乾いて少し割れている。


澪たちは、机を囲むように覗き込んだ。


そこには、伐採記録、山羊を入れた区画、植林地、斜面崩れ、水路の詰まり、雨量の記録が細かく書かれていた。


そして、中ほどに、水車についての記述がある。


カイムが指でたどる。


「……大水車中心軸、乾燥進行。回転時の軋み増加。霧背鹿出現頻度上昇。母樹根系との関係、再調査必要」


澪の目が止まる。


「続きは?」


「水車は、もともと水を村へ送るだけの装置ではない」


カイムの声が小さくなる。


「上部羽根で水を受け、下部戻し樋で余水を森へ返す。飛沫は冷却と霧戻しに用いる。乾いた年ほど、戻し樋を閉じてはならない」


ミルカが反応した。


「戻し樋?」


「水を森へ返す樋?」


澪が聞く。


エルワンが顔をしかめる。


「そんなものは、今は使っていない」


「いつ閉じたんですか」


カイムは帳面をめくる。


「……三十六年前。下流畑への送水不足により、戻し樋を一時閉鎖」


「一時?」


さらにめくる。


「翌年、乾季継続。戻し樋の再開延期」


また、めくる。


「十年後、戻し樋、水路図から削除」


部屋の中が静まり返った。


一時閉鎖。


延期。


削除。


よくある流れだった。


最初は緊急対応だった。


生活を守るためだった。


畑へ水を送るためだった。


けれど、一度閉じた戻し道は、再び開かれなかった。


記録からも消えた。


やがて、誰も知らなくなった。


水車は、森から水を受け取り、村で使い、余りを森へ戻す装置だった。


それが、いつの間にか村へ送るだけの装置になった。


「砂漠の水と同じだ」


澪は呟いた。


「一度使った水を戻さなくなった」


ミルカが頷く。


「水車が回るほど、森へ返す水が減った。中心軸の母樹心材も乾く。同期してる根系も弱る。霧背鹿が霧を背負っても、降ろす先が減る」


フィリアは帳面に手を触れた。


「お父様は、気づいていたのですね」


カイムは答えなかった。


帳面を握る手に、力が入る。


「父は、戻し樋を開けようとしていた」


「それで?」


「反対された」


カイムは歯を食いしばる。


「畑へ送る水が減るからだ。乾いている年に、森へ水を返す余裕などないと言われた」


「そして?」


「父は一人で上の斜面へ行った。戻し樋の出口を探しに」


その先は、聞かなくてもわかった。


三年前の斜面崩れ。


植林地ごと流された作業者。


カイムの父。


「戻し樋の出口は、まだある?」


澪が尋ねる。


カイムは帳面の最後のページを開いた。


そこに、途中まで描かれた地図がある。


大水車。


村の水路。


尾根の残存林。


そして、その間を斜めにつなぐ細い線。


《母樹戻し樋》


その先は、黒く汚れて読めない。


「父の荷物は、ここまでしか見つからなかった」


カイムが言う。


「戻し樋の出口までは、たどり着けなかったのかもしれない」


澪は地図を見つめた。


「でも、入口は水車側にあるはず」


ミルカが水車の構造図を浮かべる。


「中心軸の下。古い分岐がある。塞がってるけど、形は残ってる」


調律核が反応する。


《母樹戻し樋:照合》


《状態:閉塞》


《閉塞物:泥/根/人工封止材》


《再開時予測:母樹心材水分回復》


《副次予測:下流畑送水量一時低下》


また、副次予測。


村へとっては、無視できない一文だった。


下流畑送水量、一時低下。


今でも水が足りないのに、森へ返せば畑の水が減る。


「また選ばせる気か」


カイムが低く言う。


「畑か、森か」


澪は帳面を閉じた。


「選ばない方法を探します」


「あるのか」


「まだわかりません」


「またそれか」


「でも、今はそれしか言えません」


カイムは不満そうだったが、反論はしなかった。


彼自身も、父の記録を見てしまった。


水車を守ることと、森へ水を返すことは、本来、対立していなかったのだ。


***


大水車の下部点検口は、泥と蔦に覆われていた。


ミルカとリハラがいれば楽だった。


だが、リハラはまだオルドアで水務局の復旧を見ている。


ここにいる技術担当はミルカ一人だ。


「人手はいるけど、構造を見られるのは私だけか」


ミルカが工具を構える。


「大人気だね」


ライカが言う。


「人気じゃなくて労働過多」


「セラフィナ、休憩表作る?」


「作成済みです」


「本当に?」


「当然です」


「ミルカ、逃げて」


「逃げたら水車が壊れる」


ミルカはそう言って、点検口の封止材を削り始めた。


アオイは周囲の村人たちと一緒に、古い泥を運び出す。


ルシェリアは水車の周りの湿った空気を動かし、乾きすぎないようにしている。


フィリアはネレイアとともに、中心軸の声を聞いていた。


セラフィナは立入禁止線と作業記録。


ライカは水路の上下流を走って、流量を確認している。


澪は、水車の正面に立った。


巨大な車輪。


止まっているはずなのに、近くにいると微かな軋みが聞こえる。


木が鳴っている。


風ではない。


水でもない。


心材そのものが、ひび割れながら小さく震えている。


《雲見の母樹心材:乾燥進行》


《中心軸摩擦痕:増加》


《回転履歴:不均衡》


《霧背鹿同期率:34%》


《母樹根系残存反応:4% → 3.7%》


「減ってる」


澪の声に、フィリアが頷く。


「中心軸が、喉が渇いたと言っています」


「木の軸が喉が渇くって、普通なら意味わからないけど」


ライカが水路から戻ってきた。


「今はわかっちゃうのが怖いね」


「本当にね」


その時、村の広場から騒ぎが聞こえた。


「水車を回せ!」


「森へ返す前に、まず村へ水を送れ!」


「中心軸が乾いているなら、水をかけて回せばいいだろう!」


澪は振り向いた。


村人の一団が、水路の上流側へ集まっている。


その中には、昨日、霧背鹿へ矢を放った若者もいた。


顔が青ざめている。


だが、焦りに突き動かされている。


「待って!」


澪が叫ぶ。


だが、声は届かない。


彼らは古い水門へ手をかけた。


カイムが走る。


「やめろ! 乾いたまま回すな!」


「お前こそ黙れ!」


若者の一人が叫ぶ。


「父親みたいに森を優先する気か!」


その言葉に、カイムの足が一瞬止まった。


その隙に、水門が開かれる。


上流に残っていた貯水池の水が、細い水路を一気に流れ出した。


水車の羽根板へ、水が当たる。


ごん、と重い音。


止まっていた車輪が、わずかに動いた。


次の瞬間。


ぎいいいいい――。


森全体を引っ掻くような、嫌な軋みが響いた。


フィリアが耳を押さえる。


「痛い!」


霧背鹿の遠い鳴き声が山から聞こえた。


調律核が赤く点滅する。


《大水車:乾燥回転》


《中心軸損傷:進行》


《雲見の母樹心材:剥離》


《母樹根系残存反応:3.7% → 2.9%》


《警告:このまま三回転で心材破断》


「三回転!?」


澪が叫ぶ。


車輪は、ゆっくりだが確実に回り始めている。


乾いた軸が、軸受けで削れていく。


水をかければよいわけではない。


中心まで湿りが届く前に、摩擦と負荷で母樹の心材が壊れる。


「アオイ、止めて!」


「はい!」


アオイが車輪の横へ飛び込む。


だが澪はすぐに叫び直した。


「完全には止めないで! 急に止めたら軸が割れる!」


「どちらですか!」


「回転を遅く!」


「了解しました!」


アオイは盾を車輪の羽根へ当て、力で押し止めるのではなく、回転に合わせて重さを受ける。


全身に負荷がかかる。


足元の泥が沈む。


「ぐ……!」


「アオイ!」


ライカが支えに入る。


だが、獣人の力でも水車は重い。


ミルカが点検口から叫ぶ。


「下部ブレーキがある! でも固まってる!」


「位置は?」


「水車の右下! 石枠の奥!」


カイムが走った。


「俺が行く!」


「一人で行くな!」


澪が叫ぶ。


「村人を連れて!」


カイムは一瞬だけ振り返り、歯を食いしばった。


「手を貸せ!」


さっきまで水門を開けようとしていた若者たちが、迷う。


カイムが怒鳴る。


「壊したいのか! 守りたいのか! どっちだ!」


若者たちは顔を見合わせ、石枠の方へ駆けた。


ミルカが指示を飛ばす。


「古いブレーキ板を引き出して! いきなり押し込まない! 水車の動きに合わせて少しずつ!」


ルシェリアが風を当てる。


水車の回転を直接止めるのではない。


羽根に当たる水の勢いを散らし、車輪へかかる力を減らす。


セラフィナは水門周辺に光剣を立てた。


「これ以上、水門へ近づかないでください!」


「水を止めろ!」


村人が叫ぶ。


「急閉鎖は禁止です!」


セラフィナの声が鋭くなる。


「急に止めれば、水圧で水路が破損します。順番に閉めます!」


「順番なんて言ってる場合か!」


「順番を守らないから、壊れているのです!」


村人は言葉を失った。


フィリアは中心軸へ手をかざす。


ネレイアの水が、ほんの少しだけ青く光る。


「心材へ直接届かせます」


「できる?」


澪が聞く。


「少しだけなら。でも、水が足りません」


「霧背鹿は?」


フィリアが山を向く。


遠くの尾根に、霧背鹿の影が見えた。


背中には薄い霧。


攻撃されたあとでも、まだ村を見ている。


「霧背鹿に頼んで」


澪は言った。


「雨はいらない。霧だけ。中心軸の周りへ、薄く」


フィリアは頷いた。


「伝えます」


山から、白いもやが流れてきた。


強い雨にはならない。


霧の糸のような細い流れ。


それが水車小屋へ入り、中心軸の周囲へまとわりつく。


ルシェリアが風で霧を逃がさないように支える。


ネレイアが、その霧を心材の割れ目へ導く。


ぎい、と軋みが少し弱くなる。


《中心軸表層水分:上昇》


《摩擦熱:低下》


《心材破断予測:三回転 → 七回転》


「伸びたけど、まだ駄目!」


ミルカが叫ぶ。


「戻し樋を開けないと、中心軸の水分が逃げない! ただ濡らすだけじゃ蒸れる!」


「戻し樋の入口は?」


「点検口の奥! 封止材が厚い!」


アオイはまだ車輪を支えている。


ライカも離れられない。


カイムはブレーキへ向かっている。


「私が行く」


澪は点検口へ向かった。


「ミオさん!」


アオイが叫ぶ。


「危険です!」


「わかってる!」


「わかっていて行くのは無茶です!」


「あとで怒られる!」


「今怒っています!」


アオイの声を背に、澪は点検口へ滑り込んだ。


中は狭い。


暗い。


湿った木と古い泥の匂いがする。


しゃがんだ姿勢のまま進むだけで、太ももと背中がじわじわ震えた。


「徹夜明けの身体で、こういうの本当にやめてほしい……」


「誰に言ってるの!」


外からライカの声。


「世界に!」


澪はスマホではなく、調律核の光を頼りに奥へ進む。


ミルカが隣で工具を持っている。


「こっち!」


彼女が指した先に、黒く固まった古い板があった。


人工封止材。


泥。


根。


それらが重なり、戻し樋の入口を完全に塞いでいる。


《母樹戻し樋入口:閉塞》


《手動開放可能》


《注意:急開放時、下流畑送水低下》


「急には開けない」


澪は言った。


「少しだけ」


ミルカが工具を差し込む。


「封止材を削る。ミオは、剥がれた泥を外へ」


「了解」


狭い点検口の中で、二人は泥まみれになりながら作業を始めた。


外では水車が軋む。


アオイの声。


カイムの声。


セラフィナの指示。


ルシェリアの風。


フィリアの祈るような声。


全部が重なって聞こえる。


「開いた!」


ミルカが叫ぶ。


戻し樋の入口に、小さな穴ができた。


そこから、湿った空気が吸い込まれる。


次に、細い水が流れ込んだ。


水車の羽根に当たった水の一部。


霧背鹿が運んだ霧。


ネレイアが導いた水分。


それらが、村へ流れる前に、ほんの少しだけ戻し樋へ入っていく。


その瞬間。


中心軸の奥から、低い音が鳴った。


ぎい、ではない。


こくん。


まるで、乾いた喉が初めて水を飲み込んだような音だった。


調律核が強く光る。


《母樹戻し樋:微開放》


《雲見の母樹心材:水分再流入》


《母樹根系残存反応:2.9% → 3.4%》


《霧背鹿同期率:回復傾向》


「上がった!」


澪は思わず声を上げた。


外で、車輪の回転がさらに遅くなる。


カイムたちがブレーキ板を差し込んだのだ。


セラフィナの指示で、水門も少しずつ閉じられていく。


最後に、アオイが盾を外した。


大水車は、半回転したところで止まった。


完全な停止ではない。


乾き切った死の静止でもない。


水を飲み、わずかに息をしたあとの停止だった。


***


水車小屋の外へ出た澪は、全身泥だらけだった。


セラフィナが見た瞬間、眉を寄せる。


「洗浄と休息が必要です」


「第一声それ?」


「当然です」


「心配の表現が管理寄りなんだよね」


アオイが近づく。


「大丈夫ですか」


「うん。足は笑ってるけど、生きてる」


「終わらせないでください」


ライカが笑いながら水筒を差し出す。


「ミオ、泥の人になってる」


「ライカも半分泥だよ」


「私は走った泥だから」


「分類があるんだ」


村人たちは、止まった水車を見上げていた。


誰もすぐには喋らなかった。


水門を開けた若者たちも、ブレーキを入れたカイムも、エルワンも。


大水車は壊れなかった。


だが、中心軸に大きな傷が入ったことも確かだった。


フィリアが水車の軸へ手を当てる。


「まだ痛いそうです。でも、完全に切れてはいません」


カイムが、ゆっくりと水車へ近づいた。


「俺たちは、これを守っているつもりだった」


彼の声は静かだった。


「だが、守るとは、動かすことだけじゃなかったんだな」


澪は答える。


「動かさないことでもないと思います」


「では?」


「森へ返す道を持ったまま、必要な分だけ回すこと」


カイムは中心軸に手を置いた。


「父は、それをやろうとしていた」


「たぶん」


「俺は、父の帳面を読んだのに、意味を見なかった」


澪は首を横に振った。


「今、見ました」


カイムは黙った。


その横で、エルワンが深く頭を下げた。


村人たちへではなく、水車へ。


そして、尾根の方角へ。


「雲見の母樹よ。我々は、あなたを道具にした」


誰も止めなかった。


「だが、まだ返せるなら、返したい」


その言葉に、調律核が反応する。


《村落認識:更新》


《大水車=収奪装置 から 大水車=循環装置 へ再定義》


《母樹戻し樋:再開条件発生》


《水車運用規約:必要》


セラフィナが即座に記録板を出した。


「運用規約を作成します」


澪は思わず笑った。


「早い」


「必要です」


「うん。必要」


規約には、最低限の項目が並んだ。


乾いた状態で水車を回さない。


戻し樋を完全閉鎖しない。


畑へ送る水量と森へ返す水量を記録する。


雨のあとだけでなく、乾季にも中心軸の水分を確認する。


水車を動かす時は、村側、山番側、森側観測者の三者が立ち会う。


「森側観測者?」


ライカが聞く。


「霧背鹿?」


澪が山を見る。


尾根に霧背鹿が立っていた。


白い霧を背負い、こちらを静かに見ている。


「たぶん、今は霧背鹿ですね」


カイムが小さく息を吐く。


「鹿を規約に入れるのか」


「村の水車が森とつながってるなら、森側の声も必要です」


「正気か」


「異世界に来てから、正気の基準が曖昧です」


ライカが笑う。


「それはそう」


カイムは呆れたように澪を見て、それから少しだけ口元を緩めた。


本当に少しだけ。


***


夕暮れ前。


ミルカは再び点検口へ潜り、戻し樋の流れを確認していた。


澪は外で、泥を落としながら調律核の地図を見ている。


母樹戻し樋は、完全には開いていない。


ごく細い流れが、村の下を通り、尾根へ向かっているだけだ。


それでも、母樹根系の反応は少し戻った。


《雲見の母樹根系生存反応:3.4% → 4.8%》


《黒色菌糸過負荷:低下》


《霧背鹿同期率:42%》


《源流森林調律ルート:第二条件達成》


《条件名:森へ返す水車》


「二つ目の条件達成か」


澪は表示を見つめた。


一つ目は、霧の受け皿。


二つ目は、森へ返す水車。


少しずつ、森の循環が見えてきた。


しかし、同時に地図の奥が更新される。


水車から伸びた戻し樋の先。


尾根の残存林。


そこからさらに上流へ、六つの小さな青い点が浮かび上がった。


《源流六泉:再照合》


《第一泉:閉塞》


《第二泉:濁り》


《第三泉:権利争い》


《第四泉:踏圧》


《第五泉:枯死》


《第六泉:所在不明》


「六泉……」


澪は息を呑む。


山の水は、一つの源から来ているわけではなかった。


六つの泉。


そのうち五つが壊れ、一つは所在不明。


これを直さなければ、森も川も戻らない。


その時、点検口の奥からミルカの声が響いた。


「ミオ! こっち来て!」


「また狭いところ?」


「もっと悪い!」


「聞きたくない!」


「聞いて!」


澪は膝に文句を言われながら、点検口へ戻った。


奥では、ミルカが戻し樋の壁面を照らしていた。


そこに古い文字が刻まれている。


泥を拭ったばかりで、まだ湿っていた。


《六つの泉を閉じるな》


《一つを独占すれば、他の五つも沈黙する》


《母樹は雲を見て、泉は母樹を支える》


そして、その下に、別の刻印。


新しい。


誰かが後から刻んだものだ。


《第六泉を隠せ》


《見つかれば、また奪われる》


澪の背筋に冷たいものが走った。


所在不明の第六泉。


それは自然に消えたのではない。


誰かが、隠した。


カイムも点検口の入口から文字を見た。


「父の字じゃない」


エルワンが顔色を変える。


「その文字は……」


「知っているんですか」


澪が尋ねる。


エルワンは、答える前に唇を震わせた。


「先々代の村長の印だ」


村の長が、第六泉を隠した。


泉を守るためか。


独占するためか。


それとも、何かを封じるためか。


調律核が赤く点滅する。


《第六泉関連記録:封印》


《村落権限層による情報遮断を確認》


《源流森林調律ルート:第三条件発生》


《条件名:隠された泉》


その瞬間。


水車の中心軸が、こくん、ともう一度鳴った。


そして、尾根の方から霧背鹿の鳴き声が響いた。


短く。


鋭く。


まるで、隠された泉の名を呼ぶな、と警告しているように。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


第28話では、ルオム山麓村の大水車と、《雲見の母樹》の関係が明らかになりました。


大水車の中心軸には、かつて尾根に立っていた大樹、《雲見の母樹》の心材が使われていました。


この大水車は、もともと森を犠牲にして村だけを潤す装置ではありませんでした。


水を受け取り、村で利用し、余った水と飛沫を《戻し樋》によって森へ返す循環装置だったのです。


しかし、乾いた年に畑へ送る水を優先するため、戻し樋は一時閉鎖されました。


その一時閉鎖は延期され、やがて記録から消され、水車は森へ返す道を失いました。


その結果、水車は回るたびに村へ水を送りながら、母樹心材と尾根の根系を乾かしていきました。


今回、村人たちは焦りから乾いた水車を回そうとしました。


水を当てれば水車は動きます。


しかし、乾いた中心軸をそのまま回せば、摩擦で母樹心材が削れ、残っていた根系反応も失われてしまいます。


澪たちは、水車を完全に止めるのでも、壊すのでもなく、回転を弱めながら戻し樋を微開放しました。


霧背鹿の霧、ネレイアの水、ルシェリアの風、アオイの制動、ミルカの構造修復、セラフィナの秩序、フィリアの声。


それらをつなぐことで、母樹心材へわずかに水分が戻り、根系反応も回復しました。


今回のテーマは、「道具が悪いのではなく、返す道を忘れたことが問題だった」という点です。


水車は森を殺すために作られたわけではありません。


けれど、森へ返す流れを閉じ、村へ送るだけの装置になったことで、循環が壊れていきました。


最後に、《源流六泉》という新たな問題が出てきました。


山の水は一つの泉だけで支えられているわけではなく、六つの泉が母樹と森を支えていました。


しかし、第一泉は閉塞。


第二泉は濁り。


第三泉は権利争い。


第四泉は踏圧。


第五泉は枯死。


そして第六泉は所在不明。


さらに、第六泉は誰かによって意図的に隠されていました。


それは泉を守るためだったのか。


独占するためだったのか。


それとも、何か別の危険を封じるためだったのか。


次回は、《隠された第六泉》をめぐって、村の過去と源流の秘密へ踏み込んでいきます。


原案・構想:マスター

物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ